翌日、ハッドの宿へ赴くが、彼は何処かへと出かけていて留守にしていた。宿を出た矢先、小さなリスがリシェルの足元から駆け上がってきて、肩に乗った。

「ハッドは赤鷹組の組長のとこに行ってるぜ」

 ニヤニヤとした表情がよく見える。見た目の愛らしさもあり、昨夜から引きずる傷心に、一滴の癒しが垂らされた。

「あっちの組長はハリスってんだが、そいつもまあ、頭の固い奴なんだ。ハッドがいくら言っても、黒鷹が鉱床から手を引くまでは徹底的に対抗処置を行うって言って聞かなくて。だけど、どういう風の吹き回しか、あっちからハッドに連絡を寄越してきた。それで、赤鷹の事務所に行ってんのさ」

「いつ戻ってくる?」

 ドライスは不機嫌さを隠すこともなく、ぶっきらぼうにそう尋ねた。

「分かるかよ。俺様はお前たちが来た時のために此処に残ってたんだから、何をしてるのかさえ知らねえ。気になるんだったら、行ってみるか? どうせ暇だろ」

「ああ、暇だ。お前のご主人様が、俺たちを上手く使いこなせていない所為でな」

 ヒースキーは髭をひくひくと動かしながら、前歯を剥き出しにした。そうした威嚇もドライスはすぐに目を背けて受け流し、行く当てもないのに歩き始めた。

「決めたぜ。この仕事が終わったら、てめえの足首を齧り切っててやる」

「いいから早く案内しろ。お前が人並に出来ることはそれしかないだろう?」

 ヒースキーは呻くような鳴き声を上げて、ドライスを睨んだ。怒りを爆発させるようにリシェルの肩を強く蹴って飛び降りると、脇目も振らずに駆け出した。その小さな体は雑踏の中に混じり、瞬く間に見えなくなってしまった。

「程度の低い嫌がらせをしてくれる。喋れると言えど所詮は畜生か」

 ドライスは気怠そうにしながらも、ヒースキーを追って走った。リシェルも遅れて追随するが、ドライスも躍起になっているのかリシェルへの配慮を忘れて走っていき、あっという間に置き去りにされてしまった。

 影すらも残してくれない彼らの後を追っていったが、見つけられるはずもなく、気付けば人通りのない廃れた広場に辿り着いていた。広場の中央には錆びた青銅の像がぽつんと立っていた。決して大きくはないその像は何者かを象っていたが、像の表面はすり減ってしまい、のっぺりとした人間が角ばった台の上で立っているに過ぎなかった。

 粗末な像だが、却ってそれがリシェルの興味を引いた。本来の目的を放棄して像へと歩み寄り、彼の足元からしげしげと眺める。よほど夢中になっていたのか、背後から誰かが近付いてきているのを、声を掛けられるまで気付かなかった。

「いまや見る影もない姿ですが、この地に名を残し続ける始祖ランベルの像です」

 その声に振り向き、姿を見て安堵した。いつの間にかいなくなっていたロコロタがそこに立っていた。その名を呼び掛ける間もなく、ロコロタは言葉を続けた。

「五百年前、この地には小さな村が一つあるだけでした。実りも少なく、狩りをしようにも獲物がいないその村は、ひもじい生活を強いられていました。その村で暮らす一人の青年ランベルは、飢えで気力のない村人たちの中にあって、燃え滾る野心を抱いていました。村の東にある渇いた山。あそこにとてつもない財宝が眠っているのではないか、と幼い時から夢想していたのです。それを確かめられるほどに成長しきった今、ランベルは身一つでかの山に向かいました。渇いた山肌はずるずると滑り、思うように登れません。ですが、ランベルは何度滑り落ちようと挫けずに、何処かにあるはずの財宝を目指して登り続けました。中腹にまで辿り着いた時、ランベルはぽっかりと開いた洞穴を見つけました。中へと入ろうとしたのですが、漆黒の闇が行く手を阻み進むことが出来ません。明かりが必要だと考えて、ランベルは一度、下山します。村へと帰ってくると、目を輝かせるランベルを見た青年が、彼に話しかけます」


「ランベル、何かあったのか?」

 抑揚のない声で青年は聞いた。

「見つかったんだ」

 それだけ言って家へと走るランベルを、青年は何の気なしに追っていく。ランベルは庭に積んである薪の中から持ちやすそうなもの選んで取ると、枯草を広げたぼろきれに敷いて軽く包み、薪の先端にそれを巻いた。それから火種になりそうな枯草と火打石も準備し、再び渇いた山へと向かおうとした。

 青年はランベルがせかせかと支度をしている様を無言で眺め続けていたが、何処かへ行こうと走り出す彼を見て、呼び止めてしまった。

「おい、何処へ行くんだよ」

「お宝探しだ。一緒に行くかい?」

 青年は力なく首を横に振った。

「じゃあ、楽しみに待っててくれ。お前も、村の皆も俺が救ってやるからな」

 ランベルは笑みを残し、山へ向かって駆け出した。一度登ってきた道を辿っても、やはり容易には登れず、目的の洞に着いた頃には空は赤く染まってしまっていた。

 ランベルは持ってきた松明に手早く火を点けて闇の裂け目へと体を飲み込ませた。入口から暫くは狭くてじりじりと足を進めていくことしか出来なかったが、松明の炎が空間の広がりを知らせてくれた。体を覆う闇の窮屈さは変わらなかったが、己の吐息が広がる闇に溶けていくことに安心した。

 松明で照らし出されたその空間は四方が岩壁に囲まれてるだけだった。ランベルは目を凝らしてその壁を観察する。此処に財宝がある、と理由のない確信があった。だから行く手を阻まれても、前へと進む術を模索し続けた。

 壁の凹凸に指を掛けて、剥がそうとする。あらん限りの力を込めても崩れてはくれない。転がっている石で何度も叩いてみると、岩壁も石も砕けた。壁が壊れることが分かった。だが、効率よく壊す道具は必要だろう。ランベルは踵を返して、大急ぎで夜の山を下っていった。

 翌朝、使えそうな木材や耐久力のありそうな石をかき集めた。その様子を青年が見つめる。

 大荷物を背中にまとめて、ランベルは山に登る。青年はその背を追っていた。渇いた山肌に何度も滑り落とされたが、ランベルを追うのを止められなかった。

 闇の裂け目に入り込むランベルに遅れて、青年もその中へと入っていく。首を絞められるような細い裂け目を抜けた先で、ランベルは片手に松明を、もう一方には単純な作りの石斧を持ち、壁に向かってそれを振るっていた。

 人の気配に気付いてランベルは手を止めた。背後に見知った青年を認めると、肩で息をしながらも笑みを浮かべた。

「助かるよ。松明を持っていてくれないか」

 松明を押し付けられ、青年は唖然とランベルを見つめる。ランベルは既に石斧で壁を砕く作業に戻っていた。石斧が割れても新たな石を棒に括り、また壁を砕いていく。青年は昨日、ランベルが言っていたことを思い出した。宝のためにランベルはこんなことをしているのだろうか。正気とは思えなかった。宝などあるはずもない。ありもしない希望に現を抜かしていられるランベルは愚かで幼稚だ。炎に照らされる彼の後ろ姿は無様で醜い、はずなのに。青年は松明を持つ手に久方ぶりに力が籠っているのを感じていた。

 ランベルは脆い石斧で壁を掘り続ける。財宝はまだ顔を見せてくれない。次の日もランベルは洞で戦った。その傍には青年もいた。彼もまた石斧を持ち、壁を掘っていた。判然としない感情を発散するように、石斧を振るった。一心になって掘り続けるランベルを垣間見ると、彼の瞳に煌々と燃える炎があった。青年はランベルが自分にはない活力を持っていると初めて気付いた。その活力が導く場所を見てみたいと思った。

 その日も財宝には辿り着かなかった。次の日、山へと向かうランベルと青年を好奇心で追う者がいた。日に日に、ランベルに付いていく者は増えていった。彼らは得体の知れない己が感情に戸惑いながらも、ランベルの燃え滾る瞳に魅入られて助力していた。


「こうして仲間を増やしていったランベルは、遂に闇の洞の中に金脈を見つけ出しました。貧しい村はたちまちに潤い、村人たちは苦しい生活から脱却できたのです。村人たちは自分たちに富を与え、活力を覚えさせてくれたランベルを称えて、その功績を忘れぬように村から大きな町へと発展していったこの地の名をランベルと名付けました。そして、その姿も忘れられないようにと立てられたのがこの像だということです」

 静かに奏でられていた竪琴の音が泊まると、リシェルは夢から覚めたような感覚になった。ロコロタの語り口から作り上げられた世界で、リシェルはランベルを見た。その姿と、この錆び切った像は確かに同じだったように感じる。像の顔は平べったく表情もないが、ロコロタの話を聞いてからくっきりとした輪郭の顔がそこに見えていた。

「この広場はランベルの始まりの場所。像の背後から鉱山の方へ真っ直ぐに伸びる道こそ、ランベルが最初に見つけた金脈へと続く道なのです。ですが、いつしかそこから金が出なくなり廃坑となると、この広場一帯には誰も寄り付かなくなってしまいました。人々を救った英雄は、今や誰の目に留まることもなく、人知れず朽ちていく運命にあるのです」

 そういったやにわにロコロタは首を振った。

「忘れずにいる人たちはいるのでしょう。ランベルの愛弟子とされ、彼を支え続けた二人の男、ネーロとロッソ。ランベルの死後、彼らはランベルの正当なる後継者を互いに主張して争いましたが決着はつかず、町は彼らを支持する二つの派閥に分かれてしまいました。ネーロを初代組長とした北の黒鷹組。ロッソを初代組長とした南の赤鷹組。町は二つの組によって二分され、その形を保ったまま今日に至りますが、それぞれの組の根にはランベルの意志があるのです。ただ、その根は片方が黒ずみ、片方が赤く染まってしまっていて、病に侵されていると知らぬままに腐食が進んで放置されてしまった。新たな鉱石の発見は病を急激に進行させました。彼らはもう、ランベルの町が生まれた意味も彼の英雄の意志も忘れかけている。なんと嘆かわしいことでしょう」

 ランベルの歴史と英雄が遺したもの。その深さをリシェルは理解した。表面でしか見て取れなかった二つの組の抗争が立体になり、自分たちがそこに無遠慮に介入したことの愚かさを悔いた。

 ランベルの像を見上げる。彼は物悲しい顔をしていた。彼が望んだものが、正しい形で今にまで残っているとは思えなかった。ランベルは途方もない夢を抱き、それを叶えて人々を救った。彼はその後も尽力した。だからこそ、ランベルの名だけは残り、鉱山都市として現在も栄えている。しかし、彼が作りたかったのは諍いが絶えず、手も取り合えない、冷たい町だっただろうか。

「間違ってる」

 彼らは忘れかけている、というのは真実なのだろう。ランベルの歴史を知ることが出来たのは幸運だとリシェルは思った。黒鷹組と赤鷹組の争いを止めるには、ランベルを思い出させる必要がある。その切欠を作らなければ、真の解決には向かわないのだろう。

「僕がいない間に、面白いことに首を突っ込んでいるようですね。期待してますよ、リシェルさん。貴女がランベルに英雄を思い出させることを。では、一仕事してくるので、失礼させていただきます」

 軽快に竪琴を鳴らすと、ロコロタは広場を後にした。リシェルはロコロタを見送り終えると、もう一度ランベルの像を見る。彼に一礼し、向かうべき場所へと走り出した。

人々で賑わう大きな通りに出ると、店の前で客を呼び込む店員に赤鷹組の事務所の場所を聞き出した。そこまでの道筋を頭の中で反復して忘れないようにしながら辿っていった。

教えられた道を滞ることなく進んでいると、向かい側から知っている人物が二人、並んで此方に歩いてきているのが見えた。その二人が接近しきる前に、足元から小動物が駆け上ってきた。

「よお、迷子のお嬢ちゃん。こっちは用が終わって帰還の最中だ」

「どうなったんですか?」

 荒い呼吸をヒースキーにぶつけながら、リシェルは訊ねた。

「こんな道端で話すことじゃねえ。宿に戻ってからハッドが説明してくれるみたいだから、楽しみにしとけよ」

 向かってきている二人の顔がよく見える。笑みを作るハッドとは反対に、ドライスは険しい顔をしている。ドライスはハッドから何か聞いているのだろうか。そう思った矢先、ドライスが口を開く。

「着いた時にはこいつが事務所から出てくるところだった。何を聞こうにもはぐらかすだけで話にならない。とにかく、こいつの根城に戻ってから何があったかを問い詰めてやる」

 二人に並んで、リシェルも来た道を戻る。ドライスはもう何も喋らず、ハッドはヒースキーから宿の食事の文句やランベルの空気の悪さとかの愚痴を聞かされて、適当にあしらいながら、宿への足を速めていた。

 向かった時より遥かに早くハッドの泊まる宿に戻り、部屋へと招かれる。ハッドはリシェルたちをテーブルを間にした対面の長椅子に座らせると自身も反対側の長椅子に腰かけて、疲れたと言わんばかりに息を漏らした。

「誰が相手でも会談というのは無駄に神経を使うものです。ああ、貴方がたとのお話は例外ですよ。どういうわけか気が楽なんですよ」

「御託はいい。さっさと中で話したことを教えろ」

 威圧的な物言いにもハッドは苦笑いだけで済ませた。

「此処まで待たせてるわけですから、勿体ぶるのも悪いですよね。では、赤鷹組組長ハリス殿との会談の内容をご説明させていただきます」

 ハッドは少し前かがみになって話し始めた。

「私はてっきり、黒鷹との和解に応じてもらえると思っていたのですが、どうやらそんなことは頭にないようです。ハリス殿は黒鷹組の解体を私に要求してきたのです。黒鷹組による鉱山管理区の侵犯、区域内の所有物略取、組員による恫喝、暴行等。その他色々と並べ立ててもらい、黒鷹にはランベルの産業活動に著しい悪影響を齎しているとおっしゃられる。その大罪を是が非に教皇庁の手で裁いていただきたいのだとか。書状までしたためてくださり、無理矢理持ち帰らされました」

 懐から書状を取り出して、みせびらかすようにして顔の前で振った。

「物証も用意しているとのことで、ハリス殿は本気で黒鷹を潰そうと考えています。教皇庁直属の私が首を突っ込んだことを利用されてしまいました。この書状を御上に提出する義務はありませんが、それをしてしまえば審問会が動くことになり、私が調停するよりも手っ取り早く問題解決をしてくれるでしょう」

 書状をテーブルに落とすと、背もたれに体を預けた。

「正直言うと、次に打つ手が見つからないんです。どちらも己の主張を曲げる様子はありません。私の話も聞く気はない。そうなると、この書状を使う他ないのかもしれません。かなり強引ですが、ある程度の正当性を持って黒鷹を排除できる。赤鷹が黒鷹の穴を埋めてさえくれれば、ランベルは成り立つ。そういう結末もなくはない、と」

「馬鹿言え。もし黒鷹を追い出そうもんなら、暴動は免れないぞ。奴らは血の気が多すぎる。法を盾にしても構わずに赤鷹に襲い掛かってくるはずだ。それに黒鷹が管理していた町の半分も鉱山も、赤鷹だけで補えるとも思えない。他のところから働ける奴らを持ってくるにしても時間は掛かる。そうして時間を掛けてる内に、排除した黒鷹が武力を持って復讐しにくることだってある。赤鷹の要求を受け入れるのは、ランベルに災厄の種を植え付けることと同じだ」

 ドライスはハッドを睨む。ハッドは動じずに視線を返し、彼らは少しの間、硬直した。

 リシェルはドライスの言葉の通りに未来を想像していた。黒鷹と赤鷹がランベルを戦場として争い、多くの人が傷付く。ランベルを追い出された黒鷹に与する人たちは職を失い、住む場所もなく路頭に迷った挙句、賊や魔獣に襲われてしまうだろう。

 馬車を呑み込む大蛇の姿を思い出した。記憶が滑るようにして流れていく。大蛇に襲われて倒れ伏すマリー。眼前の大蛇。それを斬り殺すガルフ。アルドラの上で感じるマリーの生温かい命。そして、それが零れ落ちる感覚。

 自分と同じ境遇の人たちが生まれることになる。重すぎる死を背負う子もいるかもしれない。そんな凄惨な未来を作り出していいはずがない。赤鷹組の要求は受け入れてはいけないものだ。

「私も反対です。一方的に不幸を被る人たちが出てくるのは許せません。やはり、黒鷹組も赤鷹組も納得できる案を考えましょう」

「思いつくのですか?」

 ハッドの切れ長の目がリシェルを捉える。表情に笑みがなくなっていた。

「黒鷹も赤鷹も説得する段階を越えています。それでも、彼らを和解に導ける案があるとお思いですか?」

「あるはずです」

 ほんの一瞬、ハッドの口元が歪んだ。そこから感情を読み取る前に元に戻った。

「先程も言った通り、私はもう手詰まりです。その、あるはず、という言葉にも少々の疑わしさを抱いています。猶予をあげます。私が審問会への手続きの用意を終えるまでなら、好きになさってかまいません。もしそれで二つの組を和解させられたのなら、書状は破棄して審問会への申し入れもやめましょう。そう長い時間はありません。それでも、リシェル殿は諦めませんか?」

 そう問われたのなら、返す言葉は決まっていた。

「絶対に諦めません。必ず、誰もが救われる答えを見つけます」

 死者に報いる術があるのなら、それしかない。彼らへの手向けは、この命が清くあり続けることだ。

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