第38話 体育祭なんて出たくない。

 離れたところで一人泣き続ける女子生徒と固まっては褒め合う他のクラスメイトの構図を眺めながら、僕はこの後に起こる展開を予想していた。


 クラスメイトたちは別に意図的に彼女を孤独に仕立ててやろうとしているわけではないと僕はなんとなく思う。目の前の結果に囚われて盲目的になっているか、どう声をかけるべきかを模索しているかのどちらかだろう。


 だが、僕は知っている。困っている人がいれば飛びついてでも助けようとする人がいることを。その人は自分のことなどお構いなしだから、周りとは違って他の何にも邪魔されずに行動に移すことができる。


 彼女──月ヶ瀬葵は、孤立する女子生徒の元へ駆けつける。優しく撫でるように背中をぽんぽんと叩きながら、僕の方を見て口パクで何かを伝えようとしている。


 多分だけど彼女は「早く来い」って言っている。真偽は確かではないけれど、とにかく彼女が僕を呼んでいることは間違いなかった。


「別に君が泣くことなんかないよ! 今日のはあくまで模擬戦だし、クラスのみんなも君を責めたりなんかしない」


 全く彼女は本当にすごい。相手が誰だろうと、状況がどうであろうと迷わず助けに行き、優しく的確な言葉を掛けてあげられる。彼女ほど人助けに精通した高校生はそう居ないのではなかろうか。


「ここで話すのもあれだし、よかったら私たちの部室に来ない? 私たち、青い星サークルっていって人助けとか、人助けとか、人助け……とかいろいろしてるんだ!」


 ──人助けしかしてないな。


 いやまぁ世間的に見れば良いことだけれども。青い星サークルなんていうよく分からない名前より人助け部とかの方が合っている気がする。


 どこまでも優しい彼女の提案を聞き、俯いていた女子生徒は小さく頷いた。

 彼女の表情はみるみるうちに明るさを増していった。人助けができること、そして自分の助けを受け入れてくれることが彼女にとっては嬉しくてたまらないのだろう。


 僕らはそのまま青い星サークルの部室がある四階へと向かった。

 空はほんの少し曇り、太陽はすっかり隠れてしまっていた。時折吹く風がやけに涼しい、そんな放課後だった。



          ▷ ▷ ▷



 模擬戦で僕たちが不在だったため、佐野さんたちは今日だけ生徒会室に戻っているらしく、なんだか静かな部室は久しぶりに感じた。


「そこら辺に適当に座っといて!」


 彼女は言いながら倉庫から持ってきた小さめの冷蔵庫から紅茶を取り出し、未だ俯いたままの女子生徒に差し出す。そろそろ紅茶はちゃんとしたものにした方がいい気がする。優雅にお湯を注ぐ感じのあれ。


「はじめまして、私は月ヶ瀬葵。で、こっちが青島春樹くん。担任の最古先生と一緒に青い星サークルっていう部活? みたいなことやってるんだ」


 ひとしきり自己紹介をした彼女は、その女子生徒に催促することなく紅茶を飲んでは時折僕の方をチラリと見る。僕はそれを無視して紅茶を飲む。なんだこの時間。


「わ、私は……」


 しばらくの沈黙の後、女子生徒は呟いた。僕も彼女もそれを聞き逃すことはなく、次の言葉を待つ。


「私の名前は、影山初音かげやま はつね……です……」

「よろしくね、影山さん!」

「よろしく、お願いします……」


 影山さんは言葉に詰まりながらもなんとか彼女と会話をしようとしていた。きっとここまで自分に優しく接してくれる彼女に多少なりとも信頼を寄せているのだろう。


「もし何か悩みとかあれば私たちが相談に乗るよ。まぁ、影山さんさえよければだけどね」


「私の悩み……」


 影山さんは再び俯き、そして黙り込んでしまった。


「言いにくいことなら無理しなくていいよ!」


 影山さんを見かねて彼女はそう声をかけたが、当の本人は俯いたまま再び口を開いた。


「私、体育祭なんて出たくないです……」


 表情は見えないけれど、想像はできた。小さく震える影山さんの体と眼鏡のレンズに零れた涙が全てを物語っていた。影山さんは、まるで何かに怯えているようだった。


「自分勝手だってことは分かってるんです。でも……私はやっぱり、迷惑かけちゃうから……」


 影山さんのその姿を見て僕は勝手な憶測を立てる。多分、影山さんの悩みの種は今日の模擬戦だけではない。もっと大きな何かが彼女の中にあって、それが今も彼女を怯えさせているのだろう。


「影山さん、大丈夫だよ。私と一緒に……頑張ろう……」


 彼女は自分の言葉に納得がいかないのか、不満そうな表情を浮かべていた。まるで果てしない迷路を彷徨い続けているような、不安げな表情だった。


「ありがとう、月ヶ瀬さん」


 影山さんのか細い声は静かな部室に溶けるように消えていった。果たしてそれが彼女の耳に届いていたのかは定かではなかった。

 明らかにいつもと違う彼女の姿を見ても、何かに怯えるような影山さんの姿を見ても、僕は何も言えなかった。


 何を言えばいいのか、何をすればいいのかが分からなくてどうしようもなかった。下手すれば二人を傷つけてしまうのではないかと考えたら怖くてたまらなかった。

 日が暮れゆく放課後の教室はいつになく静かで、いつになく冷たくて、いつになく息苦しかった。

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