第35話 最古友春を知る者

 その男は最古先生のことを下の名前で呼んだ。さてはその謎の男は先生の知り合いなのだろうか。


「まさか本当に復帰するとは思わなかったぜ。お前は相変わらずイカれ野郎だな」


 いや、違う。この男、どこかで見覚えがあると思ったら、たしか隣のクラスの担任教師だ。僕らが入学した三年前の春にこの学校に赴任してきた教師で、なかなか癖の強い教師として有名な人だ。


「お前は一体、何しにここへ来たんだ」


 そう言った最古先生の声はいつもよりやや低く、張り詰めたような空気を感じた。


「何しにって、お前が俺を呼んだんだろう」

「あれはお前に向けた放送ではない。勘違いをするな」

「ははっ、分かってるよ。ちょっとからかっただけだ」

「冷やかしなら帰ってくれ」


「冷たいこと言うなよ、友春。昔の話とはいえ、俺たちはたしかに仲間だった。そうだろ? あの日、あいつがし……」

「黙れ。それ以上口を開くようなら力ずくでお前をここから退出させる」

「はいはい、出てくよ。だが、最後に言わせてもらおう。友春……お前、いい加減目を覚ませよ」


 そう言い残して彼はこの場から姿を消した。終始、全く訳のわからない人だった。

 それにしても、こんな最古先生は初めて見た。まるで別人のような──かつて、僕に一人は楽しいかと問いかけた時の雰囲気だった。


「先生、あの……お二人は、どういう……」


 彼女はものすごく気まずそうに聞いた。聞くべきかどうか、彼女の中で葛藤していたのかもしれない。


「あいつが隣のクラス──三年五組の担任ってことはお前たちも知っているだろう? あいつは高校の頃の同級生で、かつての親友……のような関係だった」


 親友……。先ほどの様子からは決してそんな風には見えなかった。彼が言いかけた“あの日“が二人を変えてしまったのだろうか。


「二人にはみっともない姿を見せてしまって申し訳なかった。俺のかっこいい教師像が少し乱れてしまったな」

 そう言う最古先生はすっかり通常モードに戻っていた。


「大丈夫です! もうとっくにみっともない姿は見ているので!」

「あ、そう……」


 でもたしかに最古先生は前に僕たち二人にしっかり土下座をしているので今さら挽回の余地はないだろう。

 結局、この日は何が決まることもなく解散となった。

 帰り際、僕はふと思った。


 ──最古友春とは一体何者なのだろうか。


 今思えば、僕らは最古先生のことを全く知らない。なぜ教師になったのか、なぜ青い星サークルを立ち上げたのか、そして……。


 ──なぜ、僕のことを知っていたのか。


 最古先生は赴任してきて初日の朝に僕の机に手紙を入れ、空き教室に呼び出した。普通に考えてこれはおかしい。

 生徒の中からランダムに選んで机に入れた? いや、あの手紙は僕指定のものだったからそれは違う。


 誰かから事前に僕のことを聞いていた? だとしたら誰から? 僕は人との関わりは出来る限り全て遮断して生きてきたから、最古先生の知り合いと接している可能性は極めて低い。


 駄目だ。あまりに情報が少なくて考察をするにまともな材料がほぼ皆無だ。


 ひとまず今は考えるだけ無駄かもしれない。僕の現在の目的は、一刻も早く青い星サークルを脱退することだ。そのためにまずは体育祭を完遂させなければならない。


 本当にこの日常から脱する日は来るのだろうか。そんな不安を募らせながら僕は家路に着いた。


 

          ▷ ▷ ▷



「生徒会での会議と例年のデータ、各学級委員からの意見を参考に、今年の体育祭の大目玉種目を決定致しました」


 皆が集まり始めたのを見計らい、佐野さんはそう言った。


「わー! 大目ん玉種目!」


 なんだそのグロデスクな種目名は。高校の体育祭にはちっとも相応しくない。というか大目ん玉ってなんだ。大きな目ん玉、という解釈でいいのだろうか。それはそれでよく分からない。


「ちょっとあなた、大目ん玉ではなくて大目玉よ。そのたった一字の間違いで意味は全く異なってしまうのよ」

「冷川、お前ちょっと厳しすぎないか? たった一字の間違いだし、何より意味が通じるんだから別にいいだろう」

「あなたはそうやって些細な失敗も誤魔化しながら生きてきたのね。なるほど、合点がいったわ」

「ちょちょい! なんかごめんって! 気をつけるから、喧嘩はよして!」


 彼女の必死の制止が効いて二人は平静さを取り戻した。この二人、常にこんな調子なのか?


「話を戻します。今年の大目玉種目はズバリ、トーナメント式クラス対抗リレーです」


 トーナメント式クラス対抗リレー? 聞き馴染みのない競技名に思わず困惑する。


「ご存知の通り、大目玉種目というのは三年生によって行われる締めの種目であり、体育祭における最高潮イベントです。各学級委員との会議の結果、従来のクラス対抗リレーにトーナメント式を導入する運びとなりました」


「それで、トーナメント式というのは?」


 筏場会長が問いかけると佐野さんは手元の紙をちらっとだけ見て説明を始める。


「簡単な話です。抽選でクラスの組み合わせを決め、最後まで勝ち進んだクラスが優勝となります。三年生は全6クラスあるので、2クラスごと3つのグループに分かれ、それぞれのグループを勝ち上がった3クラスによる決勝戦を行い、優勝の一枠を競ってもらいます」


 佐野さんが言うに、このトーナメント式クラス対抗リレーでは、普通のクラス対抗リレーとは違って予選と本戦の制度が導入されているということらしい。予選を勝ち抜いた3クラスによる三つ巴の決戦を制した1クラスが優勝という至ってシンプルな制度だ。


 ──頭を抱えている彼女にはあとで教えてあげよう。


「そのトーナメントの組み合わせは明日、お昼の放送の“いずっ箱“内で決定する予定です」


 抽選の様子を生放送するとはなかなか面白いアイディアだ。相変わらず“いずっ箱“というネーミングは気になるが、その点は触れないでおこう。


「それと、体育祭の演目が完成次第、月ヶ瀬さんたちにお渡し致しますのでその際は各クラスへの配布と説明をお願いすることになると思います」

「了解! いつでも任せて!」

「はい、ありがとうございます」


 現時点ではまだ大目玉種目の概要が決定したくらいだが、やっと話が進み始めたような気がする。

 体育祭が思ったよりスムーズに進行しそうで、僕はほんの少しだけ安堵した。


 その時どこかでカラスが騒がしく鳴いているのが聞こえてきたが、僕も誰も気には留めなかった。

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