第32話 春は過ぎ、想いは巡る。
大波乱の四月もいよいよ下旬となり、春の終わりを今更ながら強く感じる。
山々の木々には新緑が芽生え、空はこの間より一層青い。心を落ち着かせるにはもってこいの景色が広がっていた。
この大きな青空のように僕の心も晴れていれば完璧だったのに、と紅茶を啜りながら思う。
青い星サークルが本格始動してから、僕たちは原則毎日参加というとんでもない縛りを設けられてしまった。
忘れてしまっていた体でこっそり帰ってもなんとかなるのではと考え実行しようとしたが、その作戦は彼女の手によってあえなく失敗に終わった。
そうして僕は仕方なく新しい部室にやって来ては彼女が淹れてくれた紅茶を飲んでいる。読書のお供に紅茶というのは随分と優雅な気もするが、実際のところは自販機に売っていたストレートティーをそこらの紙コップに注いだだけなので小学生のお家パーティーと大差ない。
それでも美味しいものは美味しいし、何より気を紛らわせるには十分だったから僕としては別になんでもよかった。
だからこうして紅茶を飲みながらその場しのぎの読書ているのだが、ふと僕はあることに気づく。
今日から強制参加とは言うものの、そんな頻繁に誰か来るなんてことあるのだろうか。
もし誰も来なければ、毎日こんな謎の時間を過ごさなければならないということになる。さらに志賀くんや食田くんが加わればよりカオスな空間になってしまう。
というか、むしろ誰も来ない方が平和なのでは? カオス空間に居るよりはこのまま静かに紅茶を飲んで読書を嗜む方がよっぽど楽な気もする。
余計なことばかり頭に浮かんできて読書に集中できずにいると、唐突に扉をノックする音が室内に響いた。
──最古先生?
だとしたらわざわざご丁寧にノックしたのはおかしい気もする。最古先生ならガラッと雑に開けて何やら叫ぶ。
考えてばかりでちっとも動かない役立たずで無能な僕を見かねて彼女がばっと席を立ち、扉の方へ向かう。
「はーい。今開けまーす」
そう言って彼女はゆっくり扉を開いた。扉が開くにつれて少しずつ向こう側が見えてくる。やがて扉が完全に開いた時、ノック音の主が全貌を露わにする。
黒い髪を肩の位置に切り揃え、制服をびしっと着こなした女子生徒が真面目な顔で佇んでいた。
やがてその女子生徒は彼女を見て目を丸くする。
「先日、月ヶ瀬さんが鍵を借りに来た時にお会いしました、生徒会書記を務めている二年四組の
「来てくれたんだ! ありがとう!」
彼女は佐野さんの手を勝手にぎゅっと握りながら笑う。
彼女は生徒会と知り合いなのか? 僕には二人の関係性が全く分からない。ひとまず様子見をする。
「三年六組の教室に行ってみたのですが、月ヶ瀬さんの姿が見当たらず諦めようとした時に通りかかった先生がこの場所を教えてくださって……」
──絶対それ最古先生だ。
この場所のことを知っている教師なんて最古先生以外いないだろう。後にも先にも最古先生ただ一人だ。
「私を探してたってことは、私を頼ってくれるってことなのかな?!」
彼女はやけに嬉しそうに言う。人助けをここまで楽しんで実行しようとする彼女は本当に素晴らしいと思う。僕だったら自分のことだ精一杯なのにわざわざ人の悩みまで受け持って面倒事を増やすなんて所業は耐えられない。
「はい……。私たちの中での問題で誰かを困らせる訳にはいかないと思っていたのですが、流石にこのままでは大事な仕事を果たせそうになくて。そこで月ヶ瀬さんのことを思い出して思い切って相談しようと思いまして……」
生徒会にもきっといろいろあるのだろう。完璧超人のように見える秀才には秀才なりの悩みがあって、でもそれはきっと僕らには到底理解できないものなのだと思う。
「ぜひ私を頼っちゃってください! ところでなんですけど、生徒会の問題っていうのはこの前言ってた生徒会長と副生徒会長の喧嘩っていうやつなのかな」
──生徒会長と副生徒会長の喧嘩?
それはきっと、今後の方針や考え方の食い違いなどから生じるものに違いない。重い役割を担うとストレスも溜まるだろうし、事を進める中で意見が食い違うことだって当然あるだろう。
「はい、そうです。コーヒーは甘い派か苦い派かで対立してしまって……」
『え?』
不覚にも彼女とタイミングが被ってしまった。
秀才には秀才なりの悩み? ある意味、僕には理解ができない。
「お二人はプライドが高い上に少女面倒な性格の持ち主でして、こんな争いがしょっちゅう起こってしまうんです。六月の体育祭に向けて計画を進めなければならないのですが、ちっとも進捗が見えなくて間に合いそうにない状況です。どうか月ヶ瀬さんのお力をお借りすることはできないでしょうか」
僕は佐野さんが最終手段としてここに来たのがやっと理解できた気がする。猫の手も借りたいというやつだろう。
「もちろん! その相談、私“たち“にお任せあれ!」
──ん?
聞き間違いでなければたしかに彼女は「私たち」と言っていた。つまり、彼女以外の誰かの存在も含めて答えていたということだ。
「私たち、青い星サークルが体育祭を必ずや成功させてみせます!」
──やっぱり。
彼女は青い星サークルとして生徒会に協力すると宣言してしまった。この活動において僕の意思は全く関係ないらしい。
体育祭というあの眩しい学校行事の運営に携わるなんて正直言って嫌だ。参加するだけで憂鬱な気持ちになるというのに、その運営側に回るなんてもってのほかである。
とはいえ、サークルの活動に僕の意思が一切反映されないという鬼畜設定がある以上、僕が何を言っても全くもって意味を成さない独り言になってしまう。だから従う以外の選択肢が残念ながら存在しないのだ。
こうして僕たちは生徒会との協力体制の下、体育祭の運営に携わることとなった。
開放された窓から吹く優しい風が何かを予感させる。
桜の花びらはとうに散っている。
そうして、この奇妙な春が終わる。
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