第30話 やはり僕は何も知らない。
僕には、楽園と呼ぶに相応しいと感じる場所がある。
数えきれないほどの書物が所狭しと並べられ、その空間にいるだけで楽しいと思える孤高の楽園──本屋だ。
ここにいれば一切飽きることなく時間を潰すことができる。表紙やタイトルで興味を持ったら本を手に取り、冒頭部分を読んでみる。
──これは絶対におもしろいやつだ。
そう判断すれば即購入。基本、この勘が外れたことはなく、これまでにこうして数多くの傑作を読んできた。
今日も素晴らしい作品に出会えることを期待して店内を物色していると、背後から肩をポンと叩かれた。
「わ! ほんとに青島くんだった!」
そう言って笑っている彼女を僕は知っている。服装は制服ではないが、纏うオーラは何ら変わってはいない。相変わらずの元気っぷりで、彼女にオフという概念はないのかと心配になる。
そう、背後から忍び寄ってきたのは青い星サークルメンバーの月ヶ瀬葵だった。
彼女の正拳突きにより、サークル活動がない休日に大好きな本屋で素晴らしい時間を過ごそうという僕の計画が音を立てて崩れてしまった。
「あ、うん」
「なんか冷たくない?! せっかく休日に会ったのにー」
それが主な原因だなんて口が裂けても言えない。せっかくの休日なのにこれではいつもと変わらないではないか。
「そうだね。じゃあまた学校で」
「え? あ、ちょっと!」
僕はそう言うと購入しようと思っていた本を元に戻し、本屋を出ようと出口へと向かう。少し惜しいがそれはまた来ればいいだけの話だ。
それより今は彼女と一緒にいる訳にはいかない。二人でいるところを“あの人“に見られたら、間違いなく面倒なことになる。それだけは絶対に避けたい。
「あ、いたいたー。ハル、本は買えたー?」
──終わった。
最悪の事態が起こってしまった。あの人が来る前にどうにか一人になろうと試みていたが、それは失敗に終わった。
「……ハル、その子は?」
全く知らない人だと答えれば事態が丸く収まったかもしれない。だが、彼女はそれに反発するだろう。それなら、どうせバレるのなら自分の口から言ったほうが面倒事を最小限に留められる気がする。
「えっと……」
「青島くんの同級生で青い星サークルメンバーの月ヶ瀬葵です!」
最も簡単に事を済ませようと言葉を模索していると、隣の彼女が相変わらず元気よく言った。いや、言ってしまった。
「ほぉー、なるほど……。あ、私のことは流唯さんって呼んでね! 葵ってことは君は……アオちゃんだね!」
「はい! 流唯さん!」
「よし、アオちゃんはこのあと暇かな?」
なんだか嫌な予感がしてきた。この後に続く言葉がなんとなく想像できてしまう。
「はい! 全然余裕でめちゃめちゃ暇です!」
「じゃあさ、ウチ来なよ!」
「いいんですか?! 行きたいです!」
「ハル、いいでしょー?」
本当を言えば答えはNOだ。そんなの面倒なことになるに決まってるし、休日くらい一人の時間を確保しないとやってられない。
でも、それを言う勇気なんてあるはずもなく僕は頷いてしまう。
「よーし、行こー!」
こうして彼女が我が家に来ることが決定した。こんなことになるなら外出しなければよかったと後悔した。
▷ ▷ ▷
移動中の車内でどうしてこうなってしまったのかという原因分析を念入りに行ったが、残念ながら具体的な分析結果は得られなかった。なんとかこの反省を次に活かさなければ。
「たっだいまー!」
「お邪魔します!」
すっかり打ち解けた彼女らは随分と楽しそうに話している。どうやら二人の相性はかなり良いらしい。
「ほい、お茶どうぞ! お菓子もあるから食べてー」
彼女をもてなす
そんなもてなしを受けて、彼女は心底美味しそうにお茶を飲んでいる。ただのお茶なのに。でもそれが彼女らしさというやつなのかもしれない。彼女の言動も行動も表情も考え方も、それらはいつもポジティブなものだ。
「あ、そうだ。ちょっと気になってたんだけど、アオちゃんはどうしてそのサークルに入ろうと思ったの?」
彼女はお菓子を一つ食べ終えると笑顔で答えた。
「交換条件みたいな感じで先生に誘われて、青島くんもいるし楽しそうだなーって思って入りました!」
一つ言わせてもらうと、僕が居るかどうかは別に大した問題ではないと思う。彼女がサークルに入ったのは人助けを続けるためというのが妥当なところだろう。
「実際どう? 楽しい?」
「こんなにたくさん楽しいことが起きるのは初めてだから、私はとても楽しいです!」
一瞬も悩むことなく彼女はすんなりと答えた。きっとそれは嘘でも何でもなく、彼女の本音なのだろう。
「それならよかった! でも、人は生きていれば必ず大切な何かを失うから、アオちゃんも気をつけなね」
なぜか急に真面目なことを言い出し、彼女も一瞬きょとんとしていた。僕もいまいちよく分からない。
「わかりました!」
それでも彼女はそう言った。本当に分かっているのかはさておき、分かろうとする姿勢が彼女からは感じ取れた。
この意味不明な時間は一体いつまで続くのだろうかと思いながらお茶を飲んでいると、机の上に置かれた携帯から軽快なリズムが流れてきた。
「あーごめん。私ちょっと電話出てくるけど、二人で仲良くおしゃべりしといて!」
そう言って流唯さんはそそくさとリビングを出ていってしまった。
「仲良くだってさ!」
満面の笑みを浮かべる彼女を無視して僕はお茶を一口飲む。
「っていうかさ。私まだ聞いてなかったんだけど、流唯さんって青島くんのお姉さん?」
どうやら彼女は少し勘違いをしてしまっているらしい。あの人は僕の姉なんかではないし、そもそも僕に姉はいない。
「ちがうよ」
「じゃあ、なに?」
「親戚」
「なんで一緒に住んでるの?」
彼女のその質問に僕は答えられない。そんなの、僕だって知らない。
あの日……両親を失ったあの時から今日まで、気づけばそこには流唯さんがいた。
高校に入学した頃、僕は一人暮らしでも構わないと打ち明けたことがあったが流唯さんはその提案を認めることはなかった。
だから彼女の質問に正確に答えることはできない。今の僕に分かるのはただ一つ……。
「……僕、親がいないから」
途端、部屋に沈黙が訪れる。なんだかとても気まずい。
「そう、だったんだ……」
彼女は驚きを隠せないようで、それ以降再び言葉が出てくることはなかった。また、沈黙が訪れる。
しばらくして、電話を終えた流唯さんが戻ってきた。
「なーんか空気が重いなー。仲良くって言ったでしょー。まぁいいや、私はちょっと用ができたから外出してくるよ。ハル、アオちゃんを家まで送ってあげて」
そう言うと流唯さんは彼女に「またね! アオちゃん!」と言ってからこの場を後にした。
全く自由奔放な人だ。用というのは先ほどの電話が関係しているのだろうか。
「私も、そろそろ帰るよ。今日は突然お邪魔しちゃってごめんね」
「送っていくよ」
「ありがとう、青島くん」
今回ばかりは仕方がない。流唯さんに言われたからというのもあるが、何よりこれから暗くなり始めるような時間帯に彼女を一人で帰らせる訳にはいかない。流石に僕でもその辺の常識はある。
どこかぎこちない雰囲気のまま、僕らは家を出た。
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