第19話 オタク・プライド

 それなら、今この現状はきっと間違っている。

 僕と彼はこうして関わるべきではない。彼は本当にオタクかもしれないが、それは僕が人との関わりを許容する理由にはならないはずだ。

 そう思いながらもそれを口には出せず、そのまま空き教室に到着した。


「ここかー。こんなとこに教室あったんだな」


 たしかに普通に過ごしていればこんなところ滅多に通らないし、通ってもこんな教室のことなど気にも留めないだろう。

 僕は先陣を切って教室に入り、彼もそれに続く。


「失礼しまーっす」


 入るなり声を張り上げた彼は室内をきょろきょろと見渡している。


「え、新メンバー?」


 いつもの席に座る最古先生は突然の来訪者に戸惑いを隠せないようだった。


「違います。俺はこいつの未来の親友としてここに来たんだ!」

「未来の親友……? お前、まさか時空を超越できるのか?」

「え、なんで?」

「いやなんでもない。忘れてくれ……」


 冗談が通じなかった時のあの虚しさ、なんだか分かる気がする。すごく切ない。


「はいよー。で、先生も用があるんだろ?」

「ああ、まぁそうだな。この間のからあげ事件では期待以上の働きをしてくれたから、これからもぜひ頼みたいっていう話と──」

「なぁ、からあげ事件って?」


 最古先生が何か言いかけたタイミングで彼が遮るように口を挟む。


「そのままの意味だ。からあげの事件だよ」

「いや、わかんねぇよ!」

「分からなくていい。というか、お前一体ここに何しに来たんだ?」


 最古先生は話を遮られたことに多少の怒りを感じているようで、少し語気が荒くなっている。


「俺はこいつとラノベについて語ろうと思ってよ」

「ほぉー、お前ラノベ好きなんだな」


 最古先生はどうやらラノベという単語に反応したようだ。もしかして先生も好きなのだろうか。


「ええ、そうですけど。そういう先生こそ好きなんですか?」

「そりゃあもちろん。俺はラノベと共に生きてきた男と言っても過言じゃない。とある出版社のコンテストに応募した時は一次選考で落ちたが、それでも愛だけは負けていないと思っている」

「先生、ドンマイです! ちなみに俺は二次選考です。いやまぁ、落ちてるっていう点では変わりないので実質同じですよ、同じ」


 なんだか二人とも拍車がかかってきたようで、だんだんと喧嘩腰になっている気がする。喧嘩ダメ、絶対。


「大切なのは結果じゃないもんなあ。それに至るまでの経過、つまり愛が大切なんだよ」

「いやでも結果を受け入れられない人間にその先はないですよ。それがあってこその経過なんで」


 なんだか良いことを言っている雰囲気だが、喧嘩腰のせいで台無しだ。


「言ってくれるじゃねぇか。お前、名前なんだっけか」


 ──あ、先生も覚えてなかったんだ。


「俺の名前は志賀羽高しが はたかです。あなたは担任の最古友春先生ですよね」

「志賀か。その名前、しっかり覚えたからな」

「光栄です、最古友春先生」


 僕の目には二人の間に火花が散るのが見える。これは周りに飛び火しそうだ。


「よーし、志賀。俺から一つ提案があるんだがどうする? 乗るか? それとも、今日はもうおうちに帰るか?」


 なんて不器用で下手くそな煽りなんだろう。煽り慣れてない人の煽り方だ。特に表情。


「俺は忙しいけど乗ってあげますよ。俺は忙しいけど」


 わざわざ放課後の時間を潰されてまで低レベルな煽り合戦を見せられてる僕の気持ちも少しは考えてほしい。終わりが見えない戦いほど絶望的なものはない。


「良い度胸だ。その顔、悔し涙でぐしょぐしょにしてやるから楽しみに待ってろ」

「俺より先に先生が悔し涙の大洪水で脱水症状ですよ」


 バチバチバチッ。もうこれは軽く火事です。


「なあ志賀、どっちの方が真のオタクなのか。語り合いで証明しようぜ」

「そういうことなら受けて立ちますよ。自称オタクの底力、見せてくださいね」


 冷静さが著しく欠如し、言いたい放題の醜い争いは新たな局面に突入するらしい。控えめに言って最悪だ。


「ルールは簡単。自分の思いをぶつけ合う言葉の殴り合いだ。ただし、俺の教師人生がここで終わらないように暴言暴力はダメ絶対だ。あくまで自分の愛をぶつけるってのが語り合いだ」


 最古先生は変なところで冷静さを発揮した。たしかに生徒との語り合いで暴言を吐いて教師をクビになるて末代までの笑い者だ。

 いよいよ戦いの火蓋が切って落とされようという時、教室の扉が勢いよく開いた。


「しっつれいしまーす!」


 無限に湧き出るエネルギーを常時大放出している今世紀最強の元気少女が最悪のタイミングで登場した。

 そこにいたのはもちろん彼女──月ヶ瀬葵である。


「……なにこれ」


 担任教師と同級生が惨めに言い争っている惨状を目の当たりにした彼女はしばらく絶句した後、僕の方へとことこと歩いてくる。


 ──頼む、今日だけは帰ってください。


「ねぇ、なんであの二人バトってんの? ってか、なんで志賀くんがいるの? ってか、青島くんは何してるの?」


 そんな一度に大量の質問を投げられても受け止めきれない。僕は球拾いが苦手だ。


「なんか、相性悪くて」


 とりあえずそういうことにしておこう。

 男と男のプライドのぶつかり合いは、彼女には到底理解できないだろう。


「おっ、良いところに来たな。月ヶ瀬、実況やってくれるか?」

「えーっと、実況? 今から試合でもするんですか?」

「まぁそんなところだ。俺たちの戦いを月ヶ瀬がありのままに実況してくれ」

「それはでたらめ……じゃなくて、雑……じゃなくて、適当でいいってことですか?」


 なんかどれも同じ意味な気がするのは僕だけだろうか。


「よし、それでいいや。じゃ、頼んだぞ月ヶ瀬」


 ということで、彼女はこの戦いの実況担当に大抜擢された。でたらめで雑で適当な実況に期待がかかる。


「せんせー、はやく始めましょうよ。俺、めっちゃ待ってるんすけど」

「そんなに慌てんでも今から始まるから安心しろ。よし、月ヶ瀬。タイトルコールを頼む」

「……タイトルコールってなに?」


 彼女には英語は難しすぎるらしい。新学期の始業テストで高得点を取ったと自慢していたあの時の彼女は幻だったのだろうか。


「なんとか王決定戦! みたいなあれだ」

「なるほど……。で、これってなんの戦いでしたっけ」


 たしかに彼女はこれから始まる戦いの内容を知らされていない。なんとか王の“なんとか“の部分を知らないのだ。


「どちらが真のオタクかを決める神聖な戦いだ」

「はぁ……」


 何言ってんだこいつ、みたいな視線を送りながら呆れたようにため息をつく彼女。もう引き返せないという後悔の念がひしひしと伝わってくる。


「よし、思いつきました」


 選手の二人と傍観者の僕は無言で実況役のタイトルコールを待つ。


「真のオタクは誰だ?! オタク王決定戦、開幕!」

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