第16話 からあげ紛失事件の真相

 最古先生はこれでサークルメンバーの生徒二人ともに土下座をしたことになる。

 教師としての面目が丸潰れになるのではと心配しようとしたが、やがて心配するだけ無駄なことに気づく。

 そもそも初っ端から教師らしさなど微塵も感じられない行動や言動だったので、最初から面目など存在していなかったということになる。


「じゃ、私今日早めに帰りたいから。また明日ねー!」


 見事なまでに勝ち逃げだった。最古先生、無念。


「また明日こそなー」


 その言い方だと明日もこんな光景に出くわすことになってしまうので取り消していただきたい。毎日が地獄になってしまう。


「さて、青島。事件の真相は分かったのか?」


 こうして二人きりで話すのはあの日以来か。といっても、どの日のことかは自分でも分からない。だからあの日ってことにしておけば考えずに済む。脳の節約だ。


「ええ、まあ」

「……そうか。なぜ、分かったんだ?」

「これといった決め手はないです。強いていえば、先生とあの女性の会話ですかね」


「やはり聞かれていたか……。とはいえ、なぜそれを聞いただけで憶測にまで至ったんだ? 確たる証拠にはならないと思うが」


 最古先生は、本当は分かっている。この事件の真相とあの会話の意味を。いや、知っているというべきか。


「それは明日、話します」


 ともかく、答え合わせは今この場所ですることではない。明日、この事件を企てた張本人から直接みんなの前で話をしてもらおう。


「先生に一つ、頼み事があります」

「なんだ?」


 そう言って僕はある頼み事を伝えた。

 これで最後のピースは揃う。あとはパズルを完成させるだけだ。



           ▷ ▷ ▷



 その日の空き教室は、僕と彼女と最古先生と食田くんの四人が集結し、やや狭苦しい状態になっていた。

 今日はこのからあげ紛失事件の真相を解明するべくして集まった。

 なぜ、からあげは紛失したのか。

 この奇妙な事件の犯人は誰なのか。

 ここ数日で追求し続けたその謎がついに明らかになる。


「えーお集まりいただき誠にありがとうございます。本日は我らが名探偵の青島春樹くんからお話がございます。では青島刑事、どうぞ」


 せめて探偵なのか刑事なのかどちらかにした方がいい。無論、どちらでもないが。


「……今から話すのはあくまで僕の憶測です。でも、大方の筋は通っていると思っています」

「よし、話してみろ」


 最古先生は余裕そうに窓際に寄りかかっている。


「結論から言います。今回の事件の犯人は──」


 教室に沈黙が訪れる。皆、僕の言葉を待っている。


「──最古先生、あなたです」


 彼女と食田くんの視線が最古先生へと向けられる。

 その衝撃の真実にさぞ驚いているようだった。

 ただ、最古先生だけは未だ余裕そうに不敵な笑みを浮かべている。


「先生は、泥棒だった……」


 彼女は軽蔑の眼差しで最古先生を見ながら言った。


「僕のからあげ……」


 今は亡きからあげに思いを馳せる食田くんの姿は哀愁が漂っていて、僕まで少し悲しくなる。


「そして、この事件にはまだ裏があります」


 そう、どちらかといえばここからが本題だ。


「からあげを盗んだのは最古先生ですが、最古先生がその選択をするに至ったのには重要な人物の存在があります」


 最古先生はふんっと鼻で笑う。

 一方で他の二人は無言で僕の話に耳を傾けている。


「それこそ、僕があの日の放課後に声を聞いたあの女性……食田くんの母親です」

「僕の……母ちゃん?」


 食田くんはかなり衝撃を受けているようだった。それもそのはず、まさか自分の母親が事件に関わっているなんて想像もできなかっただろう。


「これに関しては、実際に本人からお話を聞いた方が早いと思います」


 これこそが僕が最後に揃えたパズルのピースだった。

 僕の憶測をだらだら並べるよりも、ずっと正確で合理的な方法。それが、食田くんの母親からの言葉だと僕は考えたのだ。

 教室の扉がゆっくりと開く。皆、扉の方へ注目する。


「母ちゃん……」

「お忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます」


 最古先生が食田くんの母親に頭を下げる。

 僕らもつられて頭を下げる。


「私は大丈夫ですから、頭を上げてください」


 母親特有の優しく包み込むような話し方だった。なんだか、懐かしいと思った。


「早速、お願いしてもよろしいでしょうか」

「君が青島くんね。ええ、分かったわ。すべて話します」


 突然名前を呼ばれ、僕は小さく会釈をする。


「私はこの度、最古先生にある依頼をしました。太り続ける息子が心配だからご協力をいただきたい、と。それを聞いた最古先生はいい案があると今回の計画をお話しくださいました。それでは先生にリスクがありすぎるので私は流石にお願いできないと思いました。しかし、先生は笑顔で「大丈夫です、私には二人の助手がいるのでそのような問題は絶対に起こりません」とおっしゃていました。無理なお願いとは分かっておりましたが、私は先生を信じて今回の計画の実行をお願いしました」


 食田くんの母親は落ち着いた様子でそう語った。


「母ちゃん、なんで……」


 食田くんは納得がいっていない様子だった。なぜ、母親がそんなことをしたのかが理解ができないのだろう。


「まだ元気が小さい頃、私たちの勝手な都合でこの子の父親と別居をすることになりました。幼いながらそんな境遇に合わせてしまった罪悪感を払拭したくて、私は私にできる全てを元気に注ぎました。欲しいものは買ってあげて、食べたいものは食べさせてあげました。元気はすくすく育ってくれて、私はとても嬉しかった。でも、元気が高校生になってふと思ったのです。このままでいいのか、と。いくら子どもが可愛くて、心から愛しているとしても甘えさせるだけの教育は本当にこの子のためになるのか、疑問に思ったのです。私は別に痩せてほしかったわけではないんです。ただ、甘えさせるだけの教育から脱却したかった。でも、私にはそれを言葉で伝える勇気はなかったんです。だから、先生にお願いをしました。それを聞いた先生は「人は当たり前にあるものが失くなると、ようやくそのありがたみに気づきます」と言い、今回の計画を提案してくださったのです。はじめから、その後で元気には全てを話すつもりでいました」


 食田くんは黙って母親の言葉を聞いていた。何かを堪えるように、我慢しているように。


「きっと、私がきちんと向き合うべきだったとは思います。元気に不快な思いをさせてしまったかもしれない。でも、こんな方法でしかそれを伝えられなかった……。こんな母親で、ごめんなさい……」


 その目にはたしかに涙が浮かんでいた。

 不器用ながら、母親として何かしてあげたいという強い思いがこの一連の事件を引き起こした。

 そこには、僕には到底計り知れない苦悩があるのだろう。どうすればいいのか分からなくて、悩んで迷って苦しんで、それでもやっぱり愛したくて。


「……そんなことない、そんなことないよ! 僕は、母ちゃんにここまで育ててもらってきた! 僕がここまで生きてこれたのは母ちゃんのおかげだよ。僕ね、いつも思うんだ。コンビニとか、専門店のからあげも美味くて好きだけど、やっぱり母ちゃんのからあげが世界一なんだって。そりゃそうだよね、だって僕は母ちゃんの子どもなんだから。母ちゃんの愛をもらって生きてきたんだから、そうに決まってるんだ。僕にとって僕の母ちゃんは世界一だよ」


 食田くんも涙をぽろぽろと流していた。その涙は頬を伝って、こぼれ落ちる。そして、彼は続ける。


「僕のことを育ててくれてありがとう。とびきりの愛をくれて、ありがとう。ずっとそばにいてくれてありがとう」


 食田くんも彼の母親も、涙を流しながらもお互いの目をじっと見ていた。


「……僕の母親になってくれて、ありがとう」


 恥ずかしくて、面と向かって言えないことなんてきっとたくさんある。それは家族でも、恋人でも、友人でも同じだ。

 でも、家族なら、恋人なら、友人なら、きっと言いたいことを言ってもいいのだ。


 ずっと抱え込むのは大変で酷く苦しいことだから、たまには面と向かって恥ずかしいことを言ってもいい。

 食田くん親子の会話は、それを教えてくれた気がする。


「取り乱してしまい、申し訳ございません。先生、そして二人の助手さんにはとても感謝しています。本当にありがとうございました」


 母親は涙を拭い、丁寧に感謝を述べた。


「僕からも言わせてほしい。本当にありがとう」


 食田くんも頭を下げ、そして僕に手を差し出す。これはいわゆる握手というやつだろうか。この状況で断るのもあれなので僕はそれに応答する。

 ぎゅっと握った拳から、何か強い思いが伝わってくるような不思議な感覚に陥った。


「よし! じゃあ、最後にみんなでこれを食おうぜ!」


 そう言うと最古先生は何やら箱のようなものを取り出した。


「これは食田の母親の特製からあげだ。お前ら、感謝して食えよー」


 それぞれ爪楊枝を受け取り、からあげに刺す。

 そしてそれを慎重に口に運ぶ。

 途端、からあげに込められた優しさに包まれたような感じがして、思わず「美味い」と声を漏らす。


「美味しい! なんかこう、衣の感じと肉の柔らかさがマリアージュ!!」


 彼女はどうやらその食レポ一本でいくつもりらしい。流石に無理があるが、僕には関係ないので放置しておくことにする。


「やっぱ、母ちゃんのが一番だ」


 食田くんはニコッと笑う。母親に似た素敵な笑顔だ。


「よーし、これを言わずして終われない! ほら、みんなで言おうぜ!」


 僕と彼女に視線を送ると、食田くんは両手を天に突き上げ、叫ぶ。


『食った、食った、食田元気ー!』


 しっかり乗り切った彼女と、乗り切れずほんの少ししか言えなかった僕と、満面の笑みの食田くん。

 事件が無事解決した今、結論を言おう。


 ──からあげは、美味しい。

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