第13話 からあげデート?

 草舟の如く彼女に身を委ねていた結果、主導権を握っていた彼女ですら何をすれば良いのかが分からないという衝撃的すぎる事実が判明した。

 というか、そもそもからあげ紛失事件って何なんだ。もうそれ「食べちゃった」が答えなのでは?


「私は高校生探偵・月ヶ瀬葵……」


 なぜかこの状況で再び呪文を唱え始めた彼女に僕は心底呆れる。


「もうそれ聞いたよ」

「でも気合い入れ直さないと! 私は名探偵、私は名探偵、私は名探偵……」


 それは気合いを入れ直すとは言わない。正しくは自分に言い聞かせる、だ。


「ねぇ、君は何になりたい?」


 彼女はお得意の呪文詠唱を一時中断して僕に問う。

 将来の夢とか、そういう感じのことだろうか。ならば特にはない。強いていうなら一人でもできること……かな。


「特に、何も」

「じゃあ私が職を与えよう。君は、高校生怪盗だ!」


 ──は?


 心優しき就職案内人の彼女が僕に勧めたのは怪盗だった。あいにく僕は怪盗になりたいという願望は微塵も持ち合わせていないので問答無用で却下だ。


「やだ」

「なんで?! だってほら、怪盗って名探偵の敵みたいなとこあるじゃん! 気合い入るじゃん!」

「そうかな」

「そうだよ! それでさ、もし君が怪盗なら何を盗む?」


 僕は怪盗にはならないけれど、“もしも“の話くらい答えてあげよう、と思ったが別に僕には本当にこれといって欲しいものがない。


「私の心とかはなしだよー。ほら、まだとっても綺麗だから」


 その発言の真意については理解し損ねるが、その天然な性格は、たしかに富士山の湧き水のように透き通っている。その点でいえば彼女の心も綺麗なのだろう、多分。


 でもたとえ富士山の湧き水のように透き通っていて綺麗な心でも、僕には不必要なので盗むなんてことはしない。というか、はっきり言ってそんなものを抱えて生きるのはまっぴらごめんだ。ただでさえ生きにくいこの世の中を、重荷を背負ってまで生きるなんてのは非合理的で傲慢な考えだ。


「別にいらないかな」

「じゃあ君なら何を盗むのー?」


 一瞬だけ彼女が駄々をこねる子どものように見えて、僕は仕方なく考える。

 少し考えて、一つだけピンときたものがあった。これを言ってしまうと彼女を傷つけてしまうかと躊躇したが、これを言わなければ僕の方こそ心が疲れてじっくりと衰弱の一途を辿ることになってしまう。だから、言う。


「一人の時間……かな……」


 言い終えて、やっぱり言わなければよかったと思う。

 彼女の顔から笑顔が消えたかと思いきや、まるで投げたブーメランが帰ってきたかのように再び笑顔が彼女に宿る。


「それ、盗みたいものじゃなくて欲しいものじゃん」


 そう言う彼女は、あの時見た弱々しさと似た何かが滲み出ているような表情を浮かべている。

 あの夕日に照らされた放課後。自分が助けられることに疑問を抱いていた彼女の姿が、妙に印象に残っている。


「よし! いいこと考えたんだけど、乗る?」


 彼女はすぐにいつもの笑顔を取り戻し、僕の反応を伺うようにニヤニヤしながらこちらをじっと見ている。

 おそらく彼女の脳内には何かしらの計画があって、それに僕を巻き込もうとしているのだろう。果たして天国が地獄か、はたまた大地獄か。


 身の安全を考慮してきっぱりと断ろうとしたが、先ほどの彼女の表情を不覚にも思い出し、返答に躊躇う。

 悩んだ挙句、やっぱり僕はこう言ってしまうのだ。

「分かった、乗るよ」

 果たしてそれは天国か地獄か大地獄か。ぜひこの目で確かめてみようと思う。



          ▷ ▷ ▷



 放課後の学生の帰宅ラッシュからは少し時間が経っていたので乗客はまばらだった。


 僕は今、彼女とボックス席に二人で座っている。

 学校を出て駅に向かったあたりから嫌な予感はしていた。頑なに目的を教えてくれない彼女のスタンス自体、怪しさの塊だった。

 例によって彼女に主導権を握られた僕は、こうして電車に揺られている。


「いやー楽しみだなー」


 一人浮かれている彼女は歌いながら窓に両手を貼り付けて流れる景色をじっと眺めていた。


「あの……そろそろどこに行くのかを……」

「それは着いてからのお楽しみってことで!」


 僕にとっては全然お楽しみじゃない。むしろその逆だ。例えるなら発表会で徐々に自分の番が近づいていくあの感じに似ている。

 そんな謎の焦燥感に駆られ続けるのは精神がとち狂ってしまいかねないので、僕は鞄から本を取り出し、ひとまず活字の世界に飛び込むことにする。


「本、好きなんだね」


 せっかく一人の時間を手に入れたと思いきや、いきなり邪魔が入った。


「うん、まあね」


 もう話しかけないでね、という思いを込めて返答する。


「一番好きな本は? どんな本?」


 こういうところで期待を裏切らないのが彼女だと、もうなんとなく察していた。もちろんこの場合の期待というのは悪い意味での期待だ。

 だが、自称本好きの僕は彼女の質問に答えてあげることにする。無視して傷つけるのも億劫だし、何より好きなものは布教したくなってしまうものだ。


「僕と同じ名前の主人公が出てくる本かな」


 寸前まで本のタイトルと作者を合わせて教えようと思ったが、やめておくことにした。それでは「へー」の一言で終わってしまう気がしたからだ。

 あえて曖昧なヒントじみたものを提示することで彼女自身が興味を持ち、考えるように仕向ける。そうすればおそらく本を読まず、一日中スマホを触ってるであろう彼女でも多少なりとも興味を持ってくれるはずだ。


「えーっと、君の名前ってはち……じゃなくて、ふう……じゃなくて、かず……じゃなくて、たい……じゃなくて──」

「……春樹」

「あ、そうだ春樹くんだ。ごめんね、私人の名前覚えるの昔から苦手で……」


 僕は少しだけ、ほんの少しだけ悲しくなった。

 まあ、名前を覚えられていないなんてここ二年間では日常だったので慣れっこだ。

 本の興味云々の前に僕に対して興味を持っていないのなら本をオススメするのは無謀だろう。


 それに、僕らのこの関係はどうせ近いうちに終わる。最古先生という第三者によって無理やり作られた関係性なんて所詮そんなものだろう。

 だからこれでいい。たとえ彼女が僕の名前を覚えてなかろうと別にそれで構わないのだ。


「でも、もうちゃんと覚えたよ。君の名前は、青島春樹くん」


 不思議と気持ちが引き寄せられるような力がその言葉には宿っていた気がした。

 別に覚えなくていい、なんて言えずに僕は黙り込む。


「青島春樹くん、駅に着いたら起こしてあげるよ」


 そう言うと彼女は一人歌謡ショーを再開し、窓の外の景色に目をやる。

 どうやら今度こそ一人の時間が訪れたようだ。なんとも言えぬ複雑な心持ちで、僕は本を開く。

 なんだかいつもより、本を読む速度が遅かった。








 

「そろそろ着くよ、青島くん起きて!」


 本を読んでいた僕に向かって彼女は言う。


「寝てないよ」

「それはどっちでもいいの!」


 どっちでもいいからわざわざ謎の冗談を挟む必要はなかった気がする。

 そんなくだらないやり取りをしていると、目的地に到着することを知らせる車内アナウンスが流れてきた。


 僕らの通う高校の最寄駅である修善寺駅から約三十分かけてやって来たここは三島広小路駅。

 数百メートル先にある三嶋大社までの道が一直線に通り、駅付近には商店街に加えてホテルやグルメも揃っている。さらに街の至る所には川が流れる絶好の場所だ。


 この駅は僕の最寄駅なので普段から馴染みがあるが、彼女は普段はなかなか利用しないらしく、辺りをきょろきょろと見渡し新鮮そうに見ている。


「さーて、行きますか!」


 そういえば僕はまだ彼女に目的を聞いていない。

 修善寺からはるばる三島まで来たその理由を聞かずしてこの先には進めない。


「……どこに?」

「ん? あー、今から私と青島くんでからあげデートをするよ!」


 ──は?

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