第10話 奇妙な日常の幕開け
「これは、私が小学生の頃の話なんだけどね」
なんだか聞き覚えのある語り出しだ。
ほんとにあった彼女の話に耳を傾けよう。
「私ね、小学生の頃はかなりの人見知りでまともに話せるのはお母さんだけだったんだ。何度も、何度も、学校に行きたくないってお母さんに泣きついてた」
早速意外な事実が飛び出してきた。今の彼女しか知らない僕からすれば、彼女が人見知りだったというのはとても想像がつかない。きっと彼女なりの理由があるのだろう。
「そんな日々が続いて小学三年生になった春、お母さんが病気で倒れたの。私は何が何だか分からなくて、お母さんに大丈夫って言われても、ただただ怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。そして私は、学校に行けなくなった」
教室の空気がずしんと重くなるのを感じる。僕も最古先生も彼女の言葉を待つほかなかった。
「ずっと、お母さんのそばから離れられなかった。本当は分かっていたのかもしれないね。もう、あんまり一緒にいられないんだって。それから数日が経って、私は一番大切な存在を失った。お母さんは、私の手をぎゅっと握って大丈夫だよって言っていなくなっちゃったんだ」
声がだんだんと弱くか細くなっていく。
それでも彼女は泣いていなかった。涙の一滴も流さず、彼女はそのまま喋り続ける。
「それでね、お母さんが私に言った言葉があの時からずっと私の中にあるんだ」
彼女はすーっと深呼吸をしてから言葉を続けた。
「──困っている人がいたら助けなさい。……お母さんは私にそう言ったの。今思えばその後にも何か言っていた気がするけど、あの時の私に理解できたのはその部分だけだった。それから私は、学校に行けなかったあの時間を埋めるように周りの誰かをとにかく助けて、助けて、助け続けた。そうすればきっとお母さんは喜んでくれるって信じて。ずっと誰かを、助け続けたの。……これが私が人を助ける理由だよ」
彼女は話し終えると「なんか疲れちゃった」と笑った。僕にはその笑顔の意味が分からなかった。
「それでお前は今も人を助け続けるのか。自分を犠牲にしてまで、ずっと人助けをするのか。お悩み相談部なんて非公認の部活動を作ってまで、お前は人を助けたいのか」
お悩み相談部……。たしか、読んでいる本を晒すとかいう極悪非道な放送をしたあれだ。
まぁ、実際のところその放送は最古先生がお悩み相談部とやらに依頼して半強制的にさせたものだったので恨むべきは最古先生だ。
「私はこれからも人を助けるよ。お母さんにはずっと笑っていて欲しいから」
「だが、よく考えてみろ。自分が言った言葉のせいでお前が傷ついていると知ったら、お前の母親はどう思う? 本当にそれで笑っていられるか?」
言い方は悪いが、言っていることは一理あると思う。言い方は悪いが。
「じゃあ、私はどうすればよかったの? 私はこれまでたくさんの人を助けてきたよ。そのおかげで知り合えた人も、仲良くなれた人もいるよ。今の私はそうやって生きてきたんだよ」
たしかに彼女の言っていることは正しい。母親が残した言葉を信じたことで今の彼女がいて、救われた人がいる。それなら何ら問題はないと思えてしまう。
しかし、たとえ母親が残した言葉でも、救われた人がどんなにたくさんいても、それが彼女が傷つく理由になってはいけない。もし仮に彼女がそれでいいと言っても、きっと誰かがそれを止めるだろう。
世界は、真面目で優しい人間ほど傷つきやすいように出来ている。理不尽極まりないが、そういう構造になってしまっている以上、どうしようもない問題だ。
「たしかに月ヶ瀬は間違っていない。俺はお前の過去を知らないから余計な口を出すべきではないのも分かっている。なんなら俺は大したことも言えないクソ野郎だ」
彼女は最古先生の突然の自虐に困惑しているようだった。たしかにこういう時反応に困る。
「でも、お前のやり方には限界がある。自分一人じゃどうしようもないことなんて、この先いくらでもある。だから俺から一つ提案がしたい」
「提案……?」
首を傾げながら、謎の教師からの提案に身構えるようにぎこちない表情で次の言葉を待っている。
「まぁ、提案ってよりかはお願いだ。お前はこれまで通りに人助けをしたいだけすればいい。ただ、その代わりにお悩み相談部をやめて“青い星サークル“に入ってくれ」
──え?
今たしかにとんでもない言葉が聞こえてきた。
──彼女をこのサークルに?
僕は衝撃を受けつつ、彼女の反応を伺う。彼女の返答次第では最古先生の提案は白紙に終わることになる。
ちなみに僕はその方がいい。これ以上、彼女含めて誰かと関わるのは嫌なのだ。それは僕のためにも、僕と関わる誰かのためにも。
一瞬の間が空いて、彼女は笑った。
あの時、二人きりの教室で見た無邪気な笑顔だった。
「なんで笑ってるんだ? 俺がそんなにおかしいか? そうか、そうなのか?」
最古先生は何を慌てているのだろうか。
若い女子に笑われてどうしようもない不安感に駆られているのかもしれない。ドンマイ、最古先生。
「いやー、なんか青い星サークルって独特? おもしろい? っていうか、なんというか……変だなーって」
あー、惜しい。最後に本音が漏れてしまっている。でも気持ちはすごく分かる。
「な……そんなことは……ない、だろう……」
──最古先生には効果バツグンだ!
「先生、一つだけ確認させてください」
攻撃を喰らって瀕死の最古先生に、彼女が声をかける。
「なんだ? 俺はちょっとショックで、もう……」
「あ、それはすみませんでした。別に、全然変とか思ってないですからね!」
「なんだろう、気を遣われるのが一番傷つくって真理なんだなってつくづく思うよ」
なんだか悟りを開きかけている最古先生をよそに、彼女は続ける。
「青島くんもそのメンバーなんですよね?」
──え?
予想だにしない彼女の言葉に僕は困惑する。僕がメンバーだったら何なんだ? それなら辞めます、みたいな話なら傷つくので聞きたくない。
「ああ、一応メンバーだぞ」
半強制的に誘っておいて一応なんて……。まぁいい、この人はそういう人だ。
「分かりました。先生の提案を受けます」
彼女はそう言うとこちらを見てウインクをした。僕の脳は容量オーバーで処理能力が著しく低下していて事態を上手く飲み込めていない。
ただ一つ分かるのは、彼女が提案を受けるとどうなるかということだ。そう、つまり……。
「私、青い星サークルに入ります」
──ですよね。
「よし!」
最古先生は着ていたコートを脱ぎ捨て立ち上がる。
つられて彼女も立ち上がる。
両サイドから圧を感じて仕方なく僕も立ち上がる。
「青い星サークル、新体制でスタートだ!」
「おー!」
何なんだこの状況は。最悪だ。嫌な予感しかしない。
まさかこんなことになるなんて、数日前の僕には想像もつかないだろう。
だがもう今更引き返せない。引き返そうとしても、誰かが僕を止めてしまうのだ。
どうやら現実を受け入れるほかに僕に残された選択肢はないようだった。
こうして、僕と彼と彼女の奇妙な日常が幕を開けた。
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