第9話 奇妙なトライアングル
六限の終了を告げるチャイムが校内に響き渡る。
「んじゃ、お疲れサンバ! また明日ンバリン!」
教壇に立つ変質者……じゃなくて、最古先生は相変わらず意味不明だった。
そんなことは初めて対面したあの時から分かりきっていることではあるが、まだあれから数日が経過しただけなので、どことなくクラスの雰囲気はバラバラだ。
もっとも、担任教師に乱されているといっても過言ではないと思う。つまり最古先生は戦犯というやつだ。
「おいーお前ら冷めてんなー。あと二ヶ月すればもう体育祭が控えてるんだから、こうがっと! ぐっと、一致団結してこうぜぇ! チームワーク!」
全くどの口がチームワークなんて偉そうなことを言えるんだ、とクラスの雰囲気が言っている。間違いない、この感じはそう言っているに違いない。
僕は一人で過ごすようになって気づけば“空気を読む“スキルを習得していた。そんな空気読みのプロフェッショナルの僕が言うのでこれは間違いないだろう、多分。
そんなことはさておき、体育祭……か。
それは青春を象徴する学校行事の代表格といえる。
各々が好きな競技を選択して出場する個人戦とクラスが一致団結して競い合う団体戦が主だが、その合間にあるダンスなどのレクリエーションは特に盛り上がる。そんな眩しくて思わず目を塞ぎたくなってしまうのが体育祭というやつだ。
僕は高校に入ってからというもの、そういう学校行事が楽しめなくなった。
もちろんそれは僕が人と関わることを避けているのも一つの要因だが、単純に生徒間の格差が広がっているように感じる。
格差というのはいわゆるスクールカースト的なものも当てはまるし、何より気持ちの問題だ。本気で取り組みたい生徒とそうでない生徒。
これは学校行事という強制的に参加せざるを得ない環境下ならばあって当たり前の問題かもしれないが、昨今は少し深刻化してきている気がする。
しかし、どちらかというとそうでない派の僕が学校行事を危惧したところでどうにもならないので考えるのを中断する。
それよりも今、重要なのは最古先生に課せられた宿題の方である。
僕は依頼のターゲットである彼女──月ヶ瀬葵と意図せず接触した。
最古先生が彼女を呼び出した理由は結局のところ分からなかったが、一つだけ確かなことがある。
人と関わることを避けるようになった僕でも分かったのは、彼女は嘘をついているということだ。
言葉を無理やり繕っているような、あの不自然さが妙に印象に残っている。
とはいえ、彼女が言った通り僕が深入りする必要はないし、そうすることは僕自身が決めた信念にも反する。
だから僕は一人で考えた。
『お前は、人が人を助ける理由はなんだと思う?』
もう何度この言葉を反芻したことか。
助けないといけないから、助けろと言われたから、助けたら周りによく見られるから、助けたら見返りをもらえるから、助けたら地位が上がるから……。
きっと、人によって様々な理由があるのだろう。
どれが正しくて、どれが間違っているかなんて明確な答えは存在しない。
最古先生もたしかそんなようなことを言っていた。
それなら、もし本当に答えがないのなら僕は──。
「……い……おい、おーい、死んでんのか?」
誰かに声をかけられてはっと顔をあげる。
「びくともしないから石化でもしたのかと思ったぞ」
最古先生だった。
僕は考えることに没頭して我を忘れていたようだ。
気づけばクラスメイトたちはほとんど教室からいなくなっていた。
「なあ、忘れてないよな? 石化しても、記憶は消えないよな?」
そんな「離れても友だちだよな?」みたいなノリで言われなくても僕はしっかり覚えている。
「ええ、覚えてます」
「んじゃ、行くぞー」
最古先生はご機嫌な様子で僕の前を歩く。
こうして僕らは、再び“約束の場所“へと向かった。
▷ ▷ ▷
数日ぶりに来たこの場所は、また少し変わっていた。
といってもその変化は微々たるもので、単に机を挟んで元々あった二脚の椅子に加え、机の側面の真ん中の位置にも一脚の椅子が追加されているくらいだ。
「お前はそこの席へお座り」
変な口調で指示されたのは新設された真ん中の椅子だった。最古先生の正面でないことに深く安堵する。
あの時と同じ位置に座る最古先生は煙草のような白い棒状のものを手に取り、どこかで見覚えのあるカーキ色のコートを着ていた。
僕はなんて言えばいいのか分からず無言を貫く。あとなるべく目も合わせないようにしておく。
しばらくして、その静寂を破ったのは扉が開く音と彼女の声だった。
「失礼しまーす」
彼女はその場に立ち止まり、少し狭い室内を見渡している。変なところに来てしまった、とでも思っているのだろうか。実にその通りである。
恐る恐る空いている席まで行くとゆっくり腰を下ろした。
「ねぇ、そういえばなんで私はここに呼ばれたの?」
彼女が身を乗り出して僕に囁く。
「知らないよ」
「君がお手紙を書いたんでしょう?!」
「それはそうだけど……」
「ほら、そうなんじゃん!」
なぜか小声でやり取りする僕らを最古先生はニヤニヤと見ている。
「……お前ら、付き合ってたっけ?」
そうやってこの人はまた余計なことを言う。最悪だ。
「なーに言ってるんですか! 私、彼氏いたことないんですけど? 非リアを馬鹿にしないでくださいよ!」
最古先生のどうでもいい言葉に過剰に反応してしまった彼女は早口でまくし立てた。
「すみませんでした……」
なんて情けない教師なんだ。彼女の圧に負けて何も言えなくなっている。こんな大人にはなりたくない。
「分かればいいです!」
一方の彼女はどこか誇らしげにドヤっている。
「ってか! 先生なんでずっとチョーク持ってるんですか? それ煙草じゃないですよ。あと煙草は体に悪いですよ!」
僕は彼女に言われてようやく気づいた。最古先生が持っていた白い棒状のものは煙草なんかではなくただの白チョークだった。
それを指摘された最古先生は顔を真っ赤にしながら「ああ、そうだが何か?」とか言って誤魔化していた。非常にダサい。
「あの、先生……」
このままでは何も進まないまま日が暮れそうなので仕方なく僕が催促する。
「あぁ、そうだった。記憶がぶっ飛んでたよ」
「先生が忘れちゃダメですよ! まったく、しっかりしてください!」
「すみませんでした……」
もう見てられない……。なんだか可哀想に思えてくる。
「えー、気を取り直して、本題に入るぞ。月ヶ瀬を今日ここに呼んだのは、聞きたいことがあったからだ」
「聞きたいこと、ですか?」
「ああ、そうだ。本当は俺の舎弟にやらせれば早い話だったが、どうせできないだろうからな。今、俺が聞く」
──いや、別に僕は舎弟じゃないんだけど。
「月ヶ瀬、お前があんなに必死になって人助けをする理由は、一体なんなんだ?」
最古先生は真剣な眼差しで問う。まるで「真面目に答えろ」とでも言わんばかりに。
それを聞いた月ヶ瀬はむっとした表情を見せた。そして、何かを諦めたかのようにこう言った。
「私の話、聞いてくれますか?」
最古先生は黙って頷く。僕も一応頷いておく。
そうして彼女は、深呼吸をすると自身の過去を話し始めた。
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