第7話 夕日は、たしかに放課後を照らしている。

「じゃ、青島くんには罰ゲームを受けてもらおうか!」


 彼女は唐突にそんなことを言い出した。

 罰ゲームを受けろと言われても、僕は冤罪だ。別に何もやらかしていない。

 やっぱり今日は帰ろう。彼女も疲れているだろうし。


「じゃあ」


 僕はあっさりとそう告げると、すたすたと扉へと向かう。帰りたいと祈りながら、僕は教室を出た……と思ったのだが、僕の体は退室の寸前で何かしらの力によって静止した。

 ちなみに僕には帰りたいという意思しかないので、これは外部から何かしらの力が加わったと考えるのが妥当だ。

 もしかしたら呪いか何かかもしれないので僕は状況を確かめようとひとまず振り向く。


「ちょちょい! なーに帰ろうとしてんの!」


 どうやら呪いをかけていたのは彼女だったようだ。僕の腕は彼女にがしっと掴まれている。


「いや、もう帰る時間だし……」


 時計の針は五時を指している。良い子は帰る時間だ。


「早くない?! 高校生ってもうちょい遅く帰るじゃん?」

「うん、まあ、そうかもね」

「よねー」


 高校生の帰宅時間なんて人によるのでは、と思ったが彼女の機嫌を損ねて度を超えた罰ゲームを宣告されると困るので黙っておく。我ながら冷静な判断だ。


「まあいいや。とにかく! 罰ゲームはもう受ける運命なのだよ、青島くん」

「受けないっていう選択肢は……」


 僕は彼女の表情を伺うように恐る恐る聞いてみる。この一言に希望を込めて。


「ないよ!」


 僕の希望は一瞬にして木っ端微塵になった。彼女はまるで悪魔だ。これは悪魔の所業だ。

 そして僕は、悪魔に勝てない。勝つ術を持たない。

 なぜなら、僕は弱い。


「わかったよ」

「ほんと! いやー君は物分かりがいいねぇ」


 冷静で堅実な判断ができると言ってほしい。あと早く帰りたい。


「あの、その罰ゲームって……」


 運命の質問だ。まだ残留するほんの僅かな最後の希望を込めて。


「罰ゲームはね、私の足に包帯を巻くこと!」

「包帯?」


 聞き間違いかと思うくらいに彼女の言葉は意外なものだった。


「それって罰ゲームなの?」


 単純に気になったので聞いてみる。罰ゲームというともう少し酷なものを想像していた。だから気になって聞いただけだ。それなのに、彼女は。


「えーっと……それはつまり、私の足に包帯を巻くことは罰ゲームではなくご褒美だ、ということ?」


 ──なんでそうなる。いやほんとになんでそうなる。


「別にそういうわけではないけど……」

「あはははは! 冗談だよ、冗談!」


 彼女は軽快に笑いながら言った。彼女の発言は冗談なのか本気なのかの見分けが難しい。


「いやー私さ、足ケガしちゃって。保健室行ったんだけど先生いなくて、包帯だけはあるんだけど、一人で巻けなくて……。べ、べつに! 今日はたまたまなんだからね!」


 彼女は顔を赤くしながらムキになってそう言った。

 どうやら彼女には一人で包帯を巻けないという特殊な日がたまに来るらしい。


「それで、ちょうどいいところに君がいた。だから私の名前を言い当てられなかった君への罰ゲームとして、私の足に包帯を巻くことを命じます!」


 かなりめちゃくちゃな理由だが、今更驚きはしない。むしろその程度で済むのなら、それだけで解放されるなら、僕は彼女の提案に乗ろうと思う。

 仕方ないが、彼女の言う通りにしよう。


「包帯、巻くよ」


 僕はそう言って彼女に手を差し出す。


「あ、うん。ありがと」


 彼女はそう言って僕に包帯を手渡す。


「本当に、これだけだよね」


 包帯を巻く前に一応確認しておきたかった。僕と彼女の関わりはこれだけだと。


「うん、きっとね」


 夕日が教室を橙色に染め上げる。

 校庭から聞こえる運動部の声と、校舎に響く軽音部の演奏と、小鳥の囀りとが混ざり合って、見事に放課後を演出している。


 椅子の上に置かれた彼女の足は、この空間においては芸術品のように見える。

 ちょっぴり、見えないところに傷がある芸術品。

 不完全で未完成な、そんな感じの。


 机に腰掛ける彼女と、床に跪く僕は夕日に照らされ影になって、確かにそこにいる。

 彼女は呑気に鼻歌を唄いながら、ぎこちなく包帯を巻く僕を見ている。

 普段は嫌いなこの空間が一瞬、ほんの少しだけ心地よく感じて僕は不思議な気持ちになる。


「君は聞かないんだね、この怪我の理由」


 放課後の静けさに溶けるような声で彼女は言った。


「僕は、包帯を巻くだけだからね」

「ふふっ、たしかにそうだ」


 彼女は微笑みながら、窓の外のどこか遠くを見つめている。


「これまでにも何回かこういうことがあってね、その度に助けてくれる人はみんな私を心配してくれた。それがすっごく温かくて、嬉しかった。でもね、同時になんでだろうって疑問に思っちゃうんだ」

「……疑問?」

「うん、疑問。私なんかよりもっと心配するべき人が、助けるべき人がたくさんいるのに、なんでだろうって」


 彼女の声に、表情に、たしかに弱さが滲み出ていた。

 あんな風に明るげな彼女でもこういう表情をすることを僕は初めて知った。

 難しいことは僕にはよく分からないけれど、そんな風に深く悩むことはきっと、複雑に入り組んだ迷路のようだと思う。


 答えを探そうとも、進めば進むほど延々と道が続いていて、いつしか自分が来た道も分からなくなる。周りには壁があって、自分がどこにいるのかも、答えに辿り着くまでにどれだけ進めばいいのかも何も分からない。

 僕はふと、最古先生のあの言葉を思い出す。


『お前は、人が人を助ける理由はなんだと思う?』

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