第6話 君の名前は。
波瀾万丈な新学期初日を終えた時、流石にしばらくの間は安静でいられるだろうと安堵していたのが懐かしい。
訳の分からない組織に入ってしまったせいで訳の分からない事態に巻き込まれてしまった。
最古先生が人を助けることについての持論を懇々と話し、それを黙って聴いていたあの時間はまるで説教だった。
僕はあれから一つ気になっていたことがある。
──あれは本当に最古先生の持論なのだろうか。
最古先生のことを熟知しているわけではないが、あの時の最古先生はなんだからしくなかった。やけに真面目だったというか、何か裏があるような、そんな感じだ。
だが、それこそ考えるだけ無駄なので今は目の前のこと───手紙を書くことに集中する。
これ、どう書けばいいんだ……。
勢いで決断したものの、どんな風に書けばいいかとかは全く考えていなかった。僕は計画性の無さを反省する。
手紙の趣旨は、三日後の放課後に四階の空き教室に来てもらうこと。それをそのままに書くか、少し捻って誤魔化しつつ書くべきか……。
僕は迷って、結局そのままに書くことにした。この面倒な宿題を最低限クリアできていればそれでいい。
『三日後の放課後、四階の空き教室に来てください』
そうとだけ書かれた質素な手紙を鞄の中にしまった。
あとは明日、誰にも気づかれないように彼女の机の中にでも入れておこう。
絶対に、誰にも気づかれないように。
▷ ▷ ▷
翌日の放課後。
僕は鞄の中に眠る手紙の存在を確認し、そして周囲を見渡す。よし、誰もいない。
彼女の席まで恐る恐る近づく。その様はきっと不審者のようになっているだろう。誰かに見られでもしたら僕はもう終わりだ。人として。
さっさと任務を終えようと、鞄から手紙を取り出して机の中に入れようとしたその時、僕は心臓が硬直するような感覚に陥った。
「えーっと……なにしてるのー?」
ちょうど教室の扉付近から声が聞こえてきた。どこか怪訝そうな女性の声だった。
僕は最悪の可能性を想定しつつ、手紙を手に持ったままゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、例の少女だった。
見事なまでに最悪の状態が実現してしまった。よりにもよって手紙を渡そうとしていた当の本人に遭遇してしまうなんて……。
僕はだんまりを決め込むしかなかった。声にならない声が喉の奥で葛藤していた。
「それは? その、手に持ってるやつ」
彼女は僕の手元にある手紙に気がつき、指をさす。
「えっと……」
僕は戸惑いながらそれを彼女に見せる。いや、本当は見せたくなかったけれど、この状況からしてそれは不可能だった。
「紙? なにそれ、見せて見せて!」
彼女はまるで子どものような無邪気さを見せた。そしてそのままのテンションで僕の方まで歩いてきた。
「いや、これは……」
どう説明すればいいのか分からず言葉に詰まる。最古先生からの伝言を手紙でこっそり伝えようと思った、なんて言うわけにもいかない。
「ちょっと借りるねん!」
──借りるなら僕の承諾を待ってからの方がいいと思います。
これではただの強奪である。
そんなことより、これは本当に最悪の事態だ。こっそり渡そうと思っていた手紙がなぜか手渡しで彼女の元へ行ってしまった。
彼女は手紙を強奪すると声に出して読み始めた。僕は恐る恐る見守るしかなかった。
「えっと……告白?」
いやー、面倒なことになった。穴があったら入りたいし、どこへでも行ける扉があればすぐに家に帰りたい。
「……違うよ」
こうなってしまったら仕方ないので事の経緯を話すしかない。
僕はため息をついてから、彼女に説明を始めた。
▷ ▷ ▷
「なるほどねぇ」
彼女はどこぞの名探偵のように顎に手をやり、ふむふむと頷いている。
一方の僕はというと、なんだか謎の徒労感に襲われてすっかり心を蝕まれている。疲れた。帰りたい。
「よし、わかった! じゃあこの手紙の通り、三日後の放課後に四階の空き教室に行けばいいんだね!」
理解が早くて助かる。事の経緯を説明している時は全く話が進まなかったけれど、別にバカとかそういう理由ではなく、単に混乱していただけなのだろう。
最古先生も容赦ないなと思う。彼女は別にバカじゃない。ただ少しアホそうなオーラを醸し出しているだけだ。
「……いや、ってか! 私ってバカなの?! この前のテストめっちゃ高得点だったよ?!」
唐突に叫ぶのはこちらの心臓に悪いのでやめていただきたい。
彼女のいうこの前のテストというのは昨日受けた国語、数学、英語の三教科のみの小さなテストのことだ。
「ちなみにそのテストって……」
「英語だよ! すごいでしょ、86点だったんだあ」
彼女は優しい笑みを浮かべながら軽快にそう言う。
なにも知らない人からすれば彼女は英語が得意であるという印象を受けるが、実はそうではない。
今回の英語のテストは事前に配布されていた春課題からほとんどそのまま流用されたテストであって、それさえやっていれば誰でも天才気分を味わえるというボーナステストだった。
だが、まだ国語と数学のテストがある。この二教科は春課題をやっていてもそれなりに点を取るのが難しい難易度だったのでこちらの方が参考になる。
「……国語と数学は?」
「えーっとね、どっちも40点くらいだったかなぁ」
前言撤回。彼女はバカだった。
おそらく最古先生のいう“バカ“とは多少意味が違うけれど、バカであることに変わりはないので良しとしよう。
「君は?! 君はどうだったの!」
僕が彼女が本当にバカであるという事実にたじろいでいると彼女は交換条件だとでも言うかのように僕に迫った。
はっきりとは覚えていなかったが、うろ覚えの点数を教えてあげると彼女はくーっと悔しがり、僕を天才と称した。
別に僕は天才ではないけれど、なんだかこんな風に褒められるのは久しぶりな気がして、不思議な気持ちになった。
「なーんだ、君は天才だったのか。これからはホームズさんと呼ぼう!」
「いや、やだよ……」
僕如きにそんな大看板は背負えないので丁重にお断りしておく。
「えー。じゃあ、名前は? なんていうの?」
言ってしまえば彼女との距離が縮まってしまうような気がして、一瞬ためらった。
でも、ここで名前を伏せたら僕はこれからホームズさんと呼ばれてしまうし、何より彼女はどう思うだろうか。
短くもそれなりに会話を交わして、テストの結果まで教え合った仲だ。もしかしたら、傷つけてしまうのではと要らぬ気を遣ってしまう。だから僕は弱い。
「……青島」
「おお! 青島くんか! いいね、いい響きだよー」
いい響きというのは非常に共感し難いが、まぁいいや。
「じゃー、問題です! 私の名前はなんでしょう!」
「いや、知らない」
「即答じゃん! ちょっとは考えてよね! まったく!」
そんなことを言われても本当に全く知らないので仕方ない。当てずっぽうで正解する可能性も低いし、答えるだけ無駄だ。
「ぶっぶー、時間切れでーす」
タイムアップ。どうせだし結果だけ聞いて帰ろうと思う。
「正解は、
彼女は相変わらず意気揚々と正解発表をした。
分かるわけないだろう、と僕は心の中で呟いた。
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