第3話 僕は、彼の問いに答えられない。
なぜこの場所に彼がいるのか。僕は状況を飲み込めず、ただ呆然と立ち尽くす。
「どうした? フリーズしたのか。エナジードリンクでも飲むか? 元気出るぞ」
僕はエナジードリンクを燃料に動く機械とでも思われているのだろうか。エナジードリンクなんて徹夜でテスト勉強する時とか、好きなゲーム徹夜でやり込む時とかアニメを徹夜で一気見する時くらいしか飲まない……。思ったより摂取量多いな。
このままでは血液がエナジードリンクになって、夜行性の化け物になってしまうので生活習慣を見直そうと思う。
ひとまず僕は、彼の言葉を無視して考えを整理することにした。
事の発端は今朝、とち狂った朝礼の後に見つけた手紙だ。それは送り主が不明で、放課後に四階の空き教室に来るように書いてあるだけのものだった。
一旦はなかったことにして帰ろうと試みたが、二度にわたる放送によって仕方なく校舎に戻り、今に至る……。
問題なのは手紙の送り主と一、ニ回目の放送をした人物の正体である。これがわからない分にはどうしようもない。
そのためにこの四階の空き教室に来たのはいいものの、そこにいたのは我らが担任、最古友春先生だった。
「先生がここに来てから三十分が経ちました」
そんなことを言いながら腕を組んで壁に寄りかかっている。
──いや、それただの報告では?
「あ、あの……」
僕はなんとか声を絞り出す。ひとまずこの意味不明な状況を脱したい。
「なんだ、どうした? 手紙のことか?」
──知ってるんかい。
思わず心の中で呟く。心の声はたまに人格がブレる。僕は普段はこんな喋り方はしない。それこそ謎の放送に脅され謎の手紙を追って謎の教師に出会った時くらいしか言わないと思う。
「あー言い忘れてたけど、あの手紙は俺が書いた」
さらっとすごいことを言っていた。衝撃の真実を知ってしまって自分の中の帰宅したい度がカンストしそうだ。
「あの手紙はな、俺が徹夜で魂を込めて一生懸命書いたものだ。女子っぽい字の研究に全てを注ぎ込んでたら女子っぽいハートを書く時間がなくなったからシールで誤魔化しといた」
最古先生は右手をグッドのポーズにしてそう言った。
これであの手紙のハートだけシールだった謎が解けた。
しかし、そんなどうでもいい謎が一つ解けただけで、むしろさらに謎は増えている。
「なぜ、先生が手紙を? って顔だな。仕方ない、教えてあげよう。大事なことだから一回しか言わないぞ。いや、大事なことこそ何回か言った方がよくないか?」
どうやら僕の心の声が顔に表れてしまっていたようだ。次からは気を緩めないようにしようと深く反省する。
「でもなー、それでも話聞かないやついるから話す前に一回しか言わないぞって言っとかないと、ちゃんと聞かねえんだよなー」
この教師はどこかおかしいが、たまに的を射た発言をする。
大事なことを“一回しか“言わないと宣言することで「これを聞き逃したらもう聞けない」という意識を定着させる。そうすれば生徒も話に耳を傾けざるを得ない。実に単純だがよくできた手法だと思う。
「話が脱線してすまない。最近は税金取られすぎてるって話だったか?」
違くはないけど違う。今聞きたいのはそれではない。
僕は鞄から例の手紙を取り出す。そしてそれを最古先生に見せると彼は複雑そうな表情をした。
「あぁ、なんだか愛着が湧いてくるな。あの夜を共に過ごした相棒なんだ……」
そんなに大切なら僕が持ってるわけにはいかない。手放すのは惜しいがここは素直に渡そう。僕は無言で最古先生に手紙を送り返した。
「おかえり、俺の手紙」
今の状況をすっかり忘れて最古先生は手紙を愛でている。
これが感動の再会というやつか。僕がここにいては場違いなので、気を遣ってこっそり退場しようと背を向けたその時、最古先生は唐突に言う。
「なあ……ずっと独りは楽しいか?」
少しだけ、雰囲気が変わったように感じた。はっとして僕は立ち止まる。
「お前は自分と他人との間に隔たりを設けて、孤独を貫こうとしている。それは、楽しいか?」
僕は彼のその言葉を真っ向から否定できなかった。
たしかに、あの時から僕は自分の中に閉じこもるようになった。人との関わりを拒絶して、自分自身の選択を肯定して、誤魔化し続けて生きてきた。決してそれが間違っているとは思わなかった。いや、思いたくなかったのだ。
むしろ、何かを犠牲にしてでも誰かと深く関わることを選ぶ方がどうかしているんだ。
自分や他人を傷つけると分かっているのに。それなのにどうして人は関わることを選択するのだろう。
いずれ訪れる傷ついた未来を受け入れることができるのは、なぜなのだろう。
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