影を払う闇
大影は、台風の目と化していた。大量に小影と霧を生み出しつつ、時々魔法を発射する。破壊を象徴したかのような暴れっぷりだった。カナ一人では、触れる事すらできなかっただろう。
だが、彼は一人ではない。
「これで終わらせるぞ!」
ガランが炎を灯し。
「ぶっ壊してやるぜ!」
ダファナが獰猛に爪を立て。
「ま~、負けないでしょ」
リミアが気だるげに短剣を構えて。
「行くよ、カナ」
隣に立ったネロが、儚く微笑みかけた。
カナは息を吐き出す。怯えも、絶望もここでお別れだ。この一歩、足を踏み出した先にある決着へたどり着くために必要なのはそんなものじゃない。普通を切り捨てて、願いの為に歩き続ける覚悟だけだ。
「よし、やろう」
黒く髪を染めたカナが息と共にそう呟く。
決戦、開始。
◆
「OOOO」
「今!!」
空を舞う閃光弾は、号砲の代わり。
それが地面に着地し、光を放った瞬間に全員が動き出す。リミアを中心とし、大影に接近していく。それを迎え撃つのは、消滅しなかった小影達だ。
「【
ガランの炎が小影を燃やす。
彼らが駆け抜ける進路上に炎が生まれてしまう──が、それでも風は止まらない。廻る風は炎を弾き飛ばし、火の粉の一つすら近づけさせない。開いた道の先で、次は大影が魔力を放つ。
「『獣牙装』!」
「【
吹き荒れる風と爪が魔力を弾き飛ばし、道を造る。
だが、再び小影が現れる。ガランはまた炎を灯し、それを放って攻撃した。カナの前に現れたのは、あの日の燃え盛る地獄にも似た真っすぐな炎の道。だが、進む場所がわかっているのなら。
「十分です」
「でも……!」
「大丈夫」
まだ、少し大影とは距離がある。
この距離を突っ込めば、カナと大影の間にある霧に呑まれて意識を失ってしまう。それを心配してリミアが声をかけるが、カナは首を振った。まるで、何も心配はないとでも言うように。
「最初に触れた時から、ずっと解析をしてたんだ」
最初にこの霧にネロが触れた時、こうつぶやいた。
『これなら……』
彼女がこの霧に見つけた脆弱性を、その言葉は示している。
催眠霧、と言ってもこの霧は意識に干渉するものではないらしい。それよりも、魔力に干渉して、動きを滞らせることで意識を奪い取るものだ。血圧が下がって眠くなるようなもの、と表現するべきだろうか。
それに対抗する策は至極単純だ。
血圧が下がるなら血圧を上げればいい。魔力が滞ってしまうなら、それ以上の力で体の中で循環させればいいのだ。
「行けます」
ガランとダファナが攻撃を防ぎ、カナには僅かな時間が与えられた。
カナは姿勢を屈める。放り投げられる槍のごとく鋭く、
「出来る事はないけどさ~」
決着は、きっと一人だ。
仲間たちが手出しできない所は、彼一人に任せるしかない。その無力を悔しがるかのように、リミアはカナの見えないところで唇を噛んだ。でも、直ぐにまた人懐っこい笑顔を浮かべる。
「頑張って」
ふわり、とカナの前髪を風が吹き上げた。
「……」
言葉は返さない。きっと、返せない。
でも、リミアはそれで十分だった。こうして掛けた言葉は、カナに届いたのだから。
カナが集中する。
視界から、どんどん情報が消えていく。仲間も、敵も消えた先に移っていたのは、自分の体と、炎の中に棲む大影……そして、真っ白な視界の中で佇む、黒い女。
「【
一歩。
黒い魔力と共にはじき出されたその踏み込みは、地面を砕くと同時に彼に強大な推進力を与える。それでも、景色はゆっくりだ。極限の集中は、カナに膨大な一秒を与えていた。
だからこそ、大影が自分を狙って魔力を溜めていることに気が付いた。
「OOO」
二歩。
大影の手から放たれた複数の属性の魔法。それを飛び越え、大影の真上へと跳躍する。大影の目が見開かれたように、カナは感じた。
そして、三歩目。空を踏む。
あふれ出る魔力は、大気を踏みしめる術を手に入れた。だが、出来てもたったの一歩だ。けれど、それでいい。冒険者たちの体の隙間から、辛うじて核が見えた。剣一つが通るか通らないかという、本当に微細な隙間。
でも、視えている。
剣が纏った闇が激しさを増す。
堕ちた空は広すぎる。それでは、中にいる冒険者たちまで殺してしまう。だからこそ、ネロは別の手段を取った。空よりももっと細く、小さい魔法。けれど、研ぎ澄まされて光を放つそれは、まるで
「──
英雄は、黒星と共に征く。
◆
リミアは、それをただ見ていた。
空に飛び立ったカナが、急に方向を曲げて大影へと落下する姿を。黒い魔力を滾らせて空を駆け抜けるカナの姿に、黒い残光が残る。空に溶けていくそれは、黒い彗星。
「綺麗……」
闇が、影を貫いた。
大影は一瞬ぶるり、と震えて。そして、ひび割れた。多大な力を掛けられた硝子がそうであるように、とてもあっけなくその姿は砕け散る。中からあふれ出たのは、体から力の抜けきった冒険者たち。
そして。
「っ……ふぅ、ふぅ」
荒れた息を整えて、痛む体を抑え込んで。足元に転がっている冒険者たちで不安定な足場の上でカナは立っていた。
それでも、彼は腕を振り上げた。自分の勝利を誇示するかのように。
「勝った」
ぐらり、と揺れたカナの体を、音よりも速いのではないかと思わんばかりの速さで駆け寄った三人が支える。それに抵抗することも無く、カナは全身を預けた。誰かに体重を預ける羞恥や無力感よりも、達成感がカナの心の中で押し勝っていたからだ。
「誰も、死んでない筈です。巻き込まなかった」
「そうだな。素晴らしかったぞ、カナ」
ガランは、ゆっくりとカナの頭を撫でた。
正直なところ、冒険者として問いただしたいことは大量にあった。カナが使うには有り余る魔力と、膂力だ。あの力の所在によっては、カナを処分しなければいけない可能性すらガランにはある。
だが、そうできるはずも無かった。
彼は、自分たちの為に命を懸けたんだ。
「よか、った」
そう言い残して、パタリと意識を失うカナにガランは苦笑した。
こんなに何回も気絶していると、自分のように気絶慣れしてしまいそうだ。彼はカナを支えていた手を放し、同じくカナから離れたダファナと目線を合わせる。
「お前と共闘したのも久しぶりだったな。どれくらいだ?」
「前回の遠征ぶりだから、一年ぐらいだ」
「そんなだったな」
豪快にダファナが哄笑する。
そして、息を整えた後拳を突き出した。一瞬のずれも無く、ガランが拳を突き合わせる。
「「お疲れ」」
戦友同士の習慣、とでも言うのだろうか。
いつものように、戦いの終わりには二人は拳を突き合わせる。この激戦を生き残った互いを称え、血肉をかき分けた手をせめて共有する。そんな思いを込めて。
「二人ともやっておきたいが」
「ま、ほっといてやれよ。アレは私らが触れれる領域じゃね~わ」
二人が見ているのは、まるで絵画のような光景だ。
黒から白に戻りかけている髪の少年を、庇うように抱きしめ続けるリミア。その姿は親愛や愛情というよりも、そこに在ることを確かめる様な、必死な感情だった。それと相反するような安心は、頬から流れていく。
透明な結晶として。
「ガラン、ギルドに話通してくれ」
「ダファナは?」
「門番に嘘吐いちまったからめんどー」
「成程な」
「ま、あいつらが魔物に襲われないように見ててやるよ」
ガランがそそくさと走り去っていくのを見送った後、ダファナはどっかりと地面に座り込んだ。一杯飲みたい気分だが、生憎手持ちがない。酒の肴には、ぴったりな光景だと思ったのだが。
迷宮の中であるというのに、陽光のように眩しいその姿。
カナの体が折れてしまいそうな程、リミアは強く抱き寄せた。
「……ま、命張った甲斐はあったな」
ここまで鮮烈に輝く若者を見せられると、充足感を感じざるを追えない。
ダファナは空を仰ぎ見た。ついでに耳を塞いだ。リミアの独り言を訊かないように、というせめてもの配慮だ。
「ありがとう、カナ」
ぽつり、ぽつりと。
自分でもまだ整理しきれない感情を、整いきる前にリミアは呟く。この熱を失ってしまったら、今の感情を美しい思い出として感じてしまいそうだから。汚らしい独占欲であるうちに、伝えておきたい。
「あ~、離したくないなぁ」
このまま、抱きしめたままで居られたなら。
そんな独占欲を、今だけは抱えさせて欲しい。
迷宮は、その願いを聞き入れた。時間が過ぎていくだけの穏やかな空間が、そこにはあった。
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