影との総力戦

「さっきはお世話になったな」


 ガランが好戦的に笑みを浮かべ、剣を構える。

 周囲から現れた影は、彼に近づくことができなかった。剣先から溢れた炎に気圧され、距離を保とうとしている。影達が安全だと思い込んでいる、その距離。だが、ガランの射程はそれ以上だ。


「【ブリア煉火リカラネル】」


 パッと咲いた紅の花弁は、炎。

 踊り、うねるその熱量の奔流をガランは剣の延長線上に押し込め、そして振るう。光線のようになった焔に焼かれ、影達は消滅した。


「やっぱ火力馬鹿だな、お前」


「まだ小手調べだが、な!」


 ぶん、と剣を振るうと、炎が消える。

 焼き尽くされた湿原の向こう側で、大影がもう一度影達を生み出そうとしていた。霧で埋め尽くされ、視認できない筈の大影の行動を狙いすましたかのように、カナは腕を振り上げる。


 閃光弾を投げ飛ばした。


「OOO!」


 小さな光でも、行動は妨害される。


「うざいよね~」


 やりたいことができず、相手を仕留めることはできない。

 とどめを刺せないと知れば焦ってリミアを仕留めに来たことから、原始的であっても相手に感情があることは確認されている。だから、彼らがとったのは防衛だった。攻撃を喰らわず、相手の悉くを封殺する。


「OOOOO」


 影が生み出され、それに炎が応える。

 勢いを増した霧を、風が跳ね上げる。


 何度もそれを繰り返しているうち、大影はわなわなと震え出した。


「堪え性が無いねぇ」


 ネロの嘲笑が響く中、カナは神経を研ぎ澄ましていく。大影の一挙手一投足、それこそ、魔力の揺らぎさえ見逃さない程に。


「ダファナさん、合図したら前に攻撃を」


「了解、しくじるなよ」


「その時は皆死ぬので」


「それもそうだな」


 つまり、失敗はできないし、するつもりもない。


『それに、使い魔の性質上もしや……』


 ネロが懸念したことは、冒険者を取り込んだ大影の挙動だった。ただ魔力を補充するだけならばまだいい。だが、様々な種類の魔法を取り込んだ使い魔は、異なる可能性を発揮するかもしれない。


 その予想は、的中する。


 影の手元から、植物が生える。蔦のようなそれらは空中を突き抜けるように成長して、カナ達の元へと迫っていた。それを迎え撃つは獣の爪。


「『牙装』!」


 かぎ爪が炸裂する。

 植物はダファナを捉える前に崩壊し、地面へと溶けて行った。


「複数属性の使用、やっぱりか」


 属性を好き勝手に変更できる使い魔と、様々な種類の魔力がかけ合わさった時の可能性。

 それ即ち、多属性を操る魔物の誕生だった。迷宮にもそのような特徴を持つ魔物は居ないわけではないが、現れても中層だ。


 この上層にそんなものを解き放つわけにはいかない。


「他にも手札がある可能性は大いにある!警戒しろ!」


 ガランの指示を聞いているかのように、大影は次の属性を放つ。

 水、炎、光など様々な魔力が放たれる。だが、


「【フーラ天津アマリリカ】」


 天津風にも似た鋭い風が魔法の大部分を切り裂き、勢いを減衰させる。大影が魔法を使うようになってから、霧は現れていない。

 だからリミアが防御に魔力を回す必要がなくなったのだ。


 彼女に変わり、次に現れたのはダファナとガラン。


「『獣牙装』ォ!」

「【ブリア紅晴グリドロム】」


 荒々しい力の奔流が魔法を根こそぎ破壊し、その隙間を縫って炎の光線が大影へと迫る。大影が攻撃に気づいたときにはもう遅く、右腕を打ち抜かれた。

 痛みに藻掻くように右腕を庇い、そして──


「来るぞ」


「OOOOO!!!!」


 吠える。

 力を持っている者だからこそ、堪えられない。自分が無力であるという現実に。自分が、何もかもで劣っているという真実に。


 怒りのまま、右腕の傷跡に腕を突っ込む。そこから引き出したのは、刃のように変形した腕だったもの。いかにも本気と言った様相だ。


「漸く殴れるなぁ!?退屈してたんだぜぇ!」


「前に出すぎるなよ、ダファナ」


 のろのろと、殺意を滾らせて大影が迫る。

 真っ先に飛び出したのはダファナだ。素手を構え、地面から飛び立った勢いのまま大影に殴り掛かる。魔力を通したその打撃は、左腕へと向かっていく。

 圧倒的な破壊力を持つだろうその攻撃は右腕を破壊できるかと思われたが……


「らぁ!……って」


 するんと、何もなかったかのようにすり抜けた。

 衝撃に備えていたダファナの体は大きく体制を崩し、転びかける。その隙に、刃物と化した右腕が振るわれる。


「うおっ、おっ、と!」


 空間ごと切り裂くように振るわれた斬撃を寸での所で回避し、ぴょんぴょんと跳ねながらダファナが仲間の元へと戻っていく。

 その表情は、疑問に染まっていた。


「ん~?坊主は殴れてたよな?」


「そのはず、何ですけど」


 リミアを庇った時、カナは大影の掌と押し合いをした。一瞬だったが、その時は確かに質量と質量が押し合う重みを掌に感じていた筈。だというのに、今は攻撃が通らなかった。


 魔法は通った。

 物理は、状況によって変わる可能性がある。


「坊主、隙を作るからやってみろ」


「はい」


 ダファナは時計回りに、カナは反時計回りに大影の周囲を回りだす。余り高い知性を持たない大影は、それだけで狙いを定めることができない。遂にカナを狙って攻撃を放とうとしたとき、また別の方向から邪魔が入る。


「こっちを見ろ。デカブツ」


 剣先に炎を灯らせ、仁王立ちするガラン。

 その堂々たる立ち振る舞いと、その炎が持つ破壊力を知っているからこそ大影は一瞬そこに意識を奪われる。カナは、そこに剣を差し込んだ。


「ふっ!」


 だが。

 ダファナがそうであったように、何の手ごたえも無く剣はすり抜ける。その結果を備えていたので体制を保つことができたが、芳しい結果とは言えなかった。大影から離れつつ、カナは悩む。


 距離?状況、相手?

 整理できない情報が入り乱れる中で、その声は全てをすり抜けて脳に響き渡った。


「ガランの炎に合わせて殴ってみて!」


 返事はなく、指示に沿うように冒険者三人は動き出す。


 ガランが詠唱をせずに放った火は碌に制御もされておらず、大影をスレスレで躱して突き抜けていく。その瞬間に動きを合わせ、ダファナとカナが攻撃を繰り出す。ダファナは右腕に、カナは左腕に。


「「効いた」」


 右腕がはじけ飛び、左腕は僅かに傷を刻む。

 冒険者二人の攻撃は、効力を示した。


「光!照らされてる時だけ攻撃が通る!」


 リミアを救出した時、偶然周りの影を蹴散らすためにカナは閃光弾を使っていた。それを思い出したリミアが、この仮説を作りだしたのだった。


 質量を持つ虚像。実体としてある影。

 その矛盾がある限り、大影に攻撃は通用しない。概念を殴れる訳もないのだから。だが、強い光を浴びせることで、一瞬足元の影は消失する。実体として存在していたとしても、影達は足元の影だまりから生まれ、そこを根源としている。


 その影だまりを光で照らし、消失させれば残ったのはただの実像だけだ。実在しながらもそこにはないという超常が、通常へと貶められてしまう。


「……成程。カナ!閃光弾はなるべく温存してくれ!」


「わかりました!」


 直接的な攻撃にならなくても一転攻勢のチャンスを作れる閃光弾は貴重だ。光を自分で生み出せるガランだけにその役割を担わせていると、ガランが堕ちた時に対応ができなくなってしまう。


「炎は俺が生み出す!三人は殴ってくれ!」


 大影に当てるのではなく、頭上目掛けて炎が発射される。

 これによって、影は単純な魔物と化した。


「ふっ」


 リミアを狙って振り下ろされた右腕の刃物を、意にも介さずリミアは接近する。そして、それが触れる寸前で僅かに軸足をずらして回避した。全く勢いを殺さず、最小限の動きで彼女は接近する。


「【フーラ雲雀ヒグラーバ】」


 威力を出しすぎないように調整された風が、大影の右腕を切り落とす。


「下がれ!」


「っ……」


 大影の胸元が光る。

 そこは、冒険者たちが仕舞われた貯蔵庫の中心だ。つまるところ、膨大な魔力を仕舞い込んだ場所が、光輝いている。そんなものが、脅威でない筈も無かった。大影の体の中で光は激しさを増していく。


 球状に、滅光が広がっていく。

 その膨張速度は冒険者の速さからすれば鈍いが、懸念すべきはその破壊力だ。地面がその光に触れた先から消失し、欠片も残さず消えていく。人間が触れたらどうなるのかなんて、考えるまでも無かった。


 カナはバックステップで距離を取りながら、その光を見つめる。

 冒険者たちの魔力によって、大影の中心は隠されていた。しかし、ある筈なのだ。冒険者から魔力を吸収して、一点に集める役割を果たす心臓が。

 カナはそれをもっと深く視認していく。光の奥底を、闇で照らすかのように。


「見つけた」


 魔力の合間を縫って、カナの瞳はそれを捉えた。

 脈動する力の塊を。


「私も視認したよ。もう、逃さない」


 一度見つけたからにはその波長をネロが記憶する。彼女が言う通り、もう一度見逃すなんてことはあり得ない。


 光が晴れた後で、息切れするかのように体を上下させる大影が居た。いくら何でも、あの力を遣うにはそれ相応の体力を消耗するらしい。丁度いいので、この隙間にガランに報告を済ませる。


「ガランさん!弱点見つけました!」


「……なんでだ!?」


「気合です!」


 説明は面倒くさいのでいったん放棄する。なんだかんだ精神力で見分けた気もするので大体合っている気もするし。


「体の中、冒険者に隠される感じで」


「それは、近づければ狙えるか?」


「どう?ネロ」


 独り言をし始めたカナを見てガランが困惑する。

 少年にしか見えない世界の中で、漆黒の女は妖艶に嗤った。


「勿論。私だよ?」


「そうだったね。近づければ破壊できます」


 命を共にした相棒の言葉を信じて、カナは強く頷いた。それを疑う事は、ガランにはどうもできそうに無い。弟子がそう言うのなら、きっとできる。その状況を作りだしてやるのはせめてもの師匠面という奴だろう。


 それも、難しそうだが。


「近づければ、か」


「OOOO」


 追撃を入れようとしていたリミアとダファナの動きが止まる。

 魔力を大量に消費したあの攻撃の時とも、また違う。猛獣の檻を開け放ったかのような、未知数が大影の中に渦巻いているのを感じた。大影は両手を失ったことも忘れたかのように、肩を振り回していた。


 どろり、と大影の形が崩れる。

 それは、人の形を保つ必要がなくなったことを示していて。残ったのは、冒険者と己の核を収納した球体だけだった。真っ黒で、艶のある球体が地面に転がっている。深淵にも似たそれは、空間に穴が開いているかのようにも見えた。


 崩れた大影の周りに、大量の影だまりが発生する。

 そこから、小影が現れた。


「【ブリア煉火リカラネル】」


 直ぐにガランが炎を放つが、その後ろにまた小影が現れ、そちらに対応すればまた死角から影が現れる。また、また、また、と応戦している間に、否が応でもガランは気が付く。


 数が、おかしい。


「一度集まれ!」


 ガランの元に集まっていく最中、リミアは違和感に気が付く。

 流れる風が詰まるような、息苦しい感覚。それは、さっき味わったばかりのものだった。つまり、霧が発生する前の予兆。


(三回目だよ?芸がないなぁ~)


 何度も何度も見せられたら対応は容易い。

 たとえ、少し仲間と距離が離れていようとも。


「【フーラ廻旋グリドムル】」


 廻る風は、リミアの周囲には展開されない。向けられたのは逆に大影の方だった。霧は、元を辿れば大影から発生している。そこを逸らしてしまえばこちらに届くことも無いのだ。


 距離を離せば魔法の維持は難しくなる。

 でも、この一瞬ぐらいならば。


 そんな考えを見抜いてか、リミアに向かって魔の手が伸びる。

 大影から、炎の魔法が放たれた。直撃してしまうような軌道にあるものの、リミアは一切の動揺を見せない。だって、視界の先、ガランの横で、女は最早爪を振り上げていたのだから。


「やらせねぇよ」


 獣牙装。

 焔がそれ以上の破壊によって掻き消され、無事に四人は一点に集まることに成功した。


「【ブリア灯燈トルカムス】」


 ガランは相手を焼き尽くすために用いていた炎を、周囲を照らすためのものに変更する。一切の殺傷能力は持たない代わりに、小影たちを近寄らせはしない。一瞬生まれた安息地帯にて、彼らは息をついた。


「もう後先は考えなくなったのかな~?」


「あぁなられると中の奴らが保てるかわかんねぇな。魔力使われすぎると死ぬぞ」


 暴走、としか言いようのない暴れっぷり。

 そして、機能を焼き尽くすかのごとく乱用する姿は、さっきまでの保身とは程遠く思える。そうなってしまうと、冒険者たちを生き残らせて魔力のタンクとして使うという発想が残っているのかもわからなかった。


「さっさと終わらせたいな。カナ、あの状況でも核を破壊できるか?」


 カナは顎に手をあて、ぶつぶつと独り言を言っているように見える。

 何かしら思いついたのか顔を上げ、方針を決定する。


「道さえ作ってくれれば、出来ます。けど、魔力を練る時間が要ります。それがどれくらいかかるかは……」


「わかった。それで十分だ」


「何年かかったって守り通してやるよ」


 がはは、と笑いながら冗談を飛ばすが、そこには自信が見え隠れしていた。本当に数十年護り切れそうな風格が出ているのが、ダファナという女の恐ろしいところである。


「出来る、そうなんでしょ?」


「……ああ」


「なら、信じるよ。道は任せて」


 リミアは微笑んで、影と対峙しなおす。

 最期の一撃を紡ぐため、総員は動き出す。

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