彼女の本音

 影の魔物討伐作戦は順調に進んでいる……筈だった。

 いつものように光と炎が影を蹴散らして、それをリミアは眺めていた。することが無いなぁ、なんて呑気に考えていた、その時だった。


(……!?)


 ざらり、と。

 山羊の舌で首を舐められたような、生々しい予感が走り抜けた。迷宮の魔物によって死に直面した時のものともまた違う、悪意に満ちた予感。


「【フーラ廻旋グリドムル】っ!」


 リミアが選んだのは、自分を守ることだった。

 足元から、リミアを取り囲むように風が吹く。唐突に魔法を発動する、という奇行に対して冒険者たちは抗議しようとするが、それよりも先に次の異変が起こる。


「OOOO」


 その唸り声は、水中から聞こえるかのようにくぐもっていた。

 そこでようやく、彼らは気づいた。自分たちが焼き払ったばかりの影が、未だ消えていないことに。影の残り香たちは、一点に集結していく。唸り声を──否。産声を上げながら。


 とぷん、と。

 集まった影を突き破って現れたのは、巨体。


 肥満体形な男の上半身だけ、としか言い表せないその巨体は、不思議そうに自分の掌を握り、開く。生まれたばかりの赤子が、そうするのに倣って。そして、その手を自分の肌に当て……爪を立てた。

 掻き毟る。掻き毟る。何度も、何度も、その表面が裂けるほどに。


「何を……っ、まさか!」


「皆こっちに!」


 その傷跡から漂う霧を見た瞬間、数人が結論に至り、リミアの方へと飛び込もうとする。もう、手遅れであるというのに。


「っ」


 ぱたり、ぱたり。

 悲鳴すら上げず、精鋭達が倒れていく。あのガランですら、何もできずに倒れていた。けれど、その只中で意識を保っている者が、たった一人だけ。


「OOO?」


「……どうしろって」


 リミアの周囲に吹き荒れる風が、霧を巻き上げてリミアを守っていた。

 霧を浴びているのに倒れない。その事実に巨体が疑問を浮かべて動作を停止している隙に、リミアは一番近くで倒れた冒険者の生命を確認する。どうやら、死んではいないらしい。だが、このままでは死と同じ結末になるだろう。


 リミアが、独りでどうにかしない限り。


「O、OOO」


 自分の霧が通じないと知るや否や、影の巨体は行動を変化させる。

 地面に腕を突っ込む。それを地面は拒むことはなく、泥に手を入れたかのように沈んでいった。そして、地中から影を引きずり出す。現れたのは、今まで見てきたものと同じ影の魔物だった。


 リミアは舌打ちし、構える。

 逃げる訳には行かない。此処で倒れた人間を、見捨てられる訳がない。


 影から響く水音と、心音が重なり合う。

 定期的に鳴るそれらはまるで時計の針のようで。ならば、その秒針が数えるのは命の終わりまでのタイムリミット。リミアの命が、尽きるまでの時間。どれくらいあるのだろうと、少し笑って見せた。


「ふぅーっ」


 吐き切った息に、感情を乗せて。

 リミアは影達との戦闘を開始した。恐怖はなく、ただ思い出すのは懐かしい記憶。自分が、ここに立つこととなった経緯だ。



 ◆



 リミアは孤児だった。

 並び立つ建物の間、路地裏で捨てられたごみを漁り、何とか今日を生き延びる。助けてくれる大人は居なければ、一緒に苦しみを共有する友達も居ない。ただ、昏い孤独の底に彼女は在った。


 自分を捨てた親の顔を忘れて。

 生きる希望も亡くして、死んだように生きていたある日。


「君、大丈夫かな?」


「……」


 男が手を差し伸べた。

 薄汚い街に似合わない衣装を身に纏った、神官の男だった。


「いら、ない。たすけなんて」


 無気力な声色で言葉が紡がれる。

 現在のリミアの口調は独特だ。力を入れず、謳うように言葉を紡ぐ。それは幼少期、エネルギーを使って倒れてしまうことが無いよう、何処までも無気力であったことの名残だ。


 リミアの言葉を訊き、神官が一度目を閉じる。


「不信に孤独か。その年で抱え込むには重たい荷物だろう」


 次に開かれた時、瞼の奥にあったのは同情でも、憐憫でもない瞳。

 ただ彼女の背負ったものを見て、判決を下すだけ。その役割を持った瞳は、彼女が報われるべきだと判断したらしい。


「君が、孤独を望まないというならついてきて欲しい。きっと望む物を与えよう」


 一方的な契約だと、幼きリミアは感じた。

 でも、それでいいと思った。例え嘘でも、ここから抜けるだとしたら藁でも掴んで見せる。せめて、希望を持って死にたいと、彼女は願った。


「わかった」


「よし、交渉成立だ」


 神官が、安心感を与えるためにやわらかく笑った。


 その後、リミアは教会に引き取られた。

 当初は心を閉ざしていた彼女に、あの神官以外は手を焼いているように見えた……が、その困難も直ぐに終わった。無表情だった彼女が、ある日急ににこやかに、温和に人間と接すようになったのだ。


「どうしたの?」


「ん~?何が?」


 誰かが問いただしても、のらりくらりと受け流すだけ。

 いつしか皆は、優等生となったリミアに違和感を感じなくなった。けれど、あの神官だけは知っていた。それが、偽りの仮面であったことを。


「やはり、重たいよ」


「バレた?」


「伊達に長く生きてないからね」


 若く見える彼がそう言うので、リミアは冗談なのか本当の事を言っているのか理解できなかった。そんな彼女を置いて、神官は話し始める。


「君の環境適応は凄まじい。その上、賢さまで持っている」


 環境が望むように自分の形を変える能力を持っている。場所や時代が望むなら、隙に成功を掴める素質だ。しかし、今の彼女は危うすぎる。


「その生き方は良い。だが、芯を持つべきだ」


 地獄で生きるには、自分を騙すしかなかった。

 だが、それで自我を失えば最早生きているとは言えない。だから、強く在るには軸が無いといけない。これがあるから自分なのだと、言い切れるものが必要なのだ。


「君の芯は何だい?リミア・レストレング」



 ◆



「……」


 閃光弾が切れた。

 それを感じ、リミアは小さく息を吐いた。いったい何人助けられたのだろうか。ま、いいけど。


 眠った冒険者たちを、数回に分けて運んだ。

 冒険者たちにとどめを刺そうとする影が居れば閃光弾で駆除し、また運搬する。それで半分くらいはできたが、それももう不可能だ。


 ここからは、犠牲が伴ってしまう。天秤に、重りを乗せなければならない。

 誰を捨てて、誰を生き残らせるのか──


「うるさいな~」


 うるさく喚いていた天秤を握りつぶす。

 知ったことじゃない。少なくとも私の視界内では、誰一人死なせはしない。それが、私の芯で、軸だ。


 路地裏で育ったから、死んでいく人はたくさん見た。少し仲良くなった人が、次の日飢えて死んでいたりした。その時、救えない命というものがあるんだと思った。でも、それと一緒に。


 何もできない自分を呪った。

 不条理な世界を恨んだ。


 この情熱だけが、前向きな負の感情だけが、私を押し出してくれる。


「っ!」


 吹き付ける風の上を滑り、冒険者を抱える。

 少し重たいが、自分を守るために魔法を使っているから身体強化には使えない。


 霧を巻き散らかしているだけの大きな影……大影は、さして脅威ではない。恐ろしいのは小影の方だ。


 倒れている冒険者を狙い、小影の攻撃が振るわれる。寸での所でリミアが冒険者を拾い、回避させる。そして、冒険者を遠くの方に放り投げた。雑な扱いではあるが、時間がないので許してほしい。


 小影の敵意が少しずつ自分に向いてきているのを、肌で感じる。

 冒険者を仕留めそこなったという不愉快が、殺意へと変化している。


「そろそろ、かな」


 リミアの言葉の通り、小影達が彼女目掛けて飛び込む。

 彼女は拳を振りぬいた小影の脇をすり抜けるように走り出し


「っぐ」


 もう一体からの蹴りを喰らう。

 人間とは全く違う生命故の、刃物のような鋭い攻撃に穿たれた脇腹が痛む。それでも、リミアは歩みを止めなかった。


 また一人、また一人と救い出していく。

 そのたび、傷跡が増える。腕に、腹に、足に、顔にと。痛ましいそれを拭うことも無く。


 焼け付くような痛みに全身を苛まれながら、リミアは駆ける。

 あと一人、もう一人でも助ける。決意の風は、止まろうとはしない。


「OO」


「っ」


 しかし、終わりとは唐突に訪れるもので。

 飛び回る羽虫にいつまでもとどめを刺せない配下に苛立ったのか、大影が拳を振り上げた。実体で在り影であるそれは一気に形を変え、掌から、鉄板のように広がる。リミアの目には、実態よりもそれは大きく見えた。


 疲れ切ったリミアにそれを避けることは叶わず。

 迫りくるそれを、ただ見つめる。光景に重なって、見覚えのある瞬間が大量に浮かび上がった。


(走馬灯、か)


 糞に塗れた紙芝居を見せられている。

 汚れた街で生きたから、それをずっと引きずって。自己満の救済で日々を過ごしただけの気持ちの悪い物語だ。


(あぁ、でも)


 捲られていく本の中。最後の一頁には、白髪の少年が居た。

 私が救った命。か弱くて、矮小で、でも、誰よりも強い彼。訓練を共にした時のひたむきな姿が、食事をした時の嬉しそうな笑顔が、そこにはあった。その思い出に、リミアは唾を吐くつもりにはなれなかった。


 ようやく報われたんだって、そう思えた。自分が救った命には意味があったんだって。


 最期、一つだけ願いが叶うとするならば。


(あぁ、会いたかったな)


 思わず目を閉じた暗闇にぽつり、と言葉を零す。

 まるで、神に祈るかのように。その、名前を。


「カナ」


 彼女はここで死──


「リミア!!!」


 閉じた瞼の黒を、白が埋め尽くす。

 それは、陰鬱な過去を塗りつぶす日光のようで。


「え……?」


 揺れる白髪。揺蕩う黒い瞳。リミアを庇うように立ち、黒い掌を受け止める少年。

 見紛うはずもない、その姿は。死に際に思い浮かんだものがそのままそこにあって。


「間に、合った!」


「『獣牙装じゅうがそう』ォ!」


 何処からかの攻撃ではじけ飛んだ掌が、黒い液体となって飛び散る。

 花弁が舞い散るように、影の漆黒が舞う。それを浴びるカナの姿は、他の何よりも美しい。リミアには、そう見えた。



 ◆



 一層、二層を走り抜けたカナを待っていたのは、死にかけているリミアだった。

 全身を傷だらけにしている上、丁度デカい魔物に叩き潰されそうになっている。


「やばっ!」


 懐から取り出したるは閃光弾。

 この異変が始まってから幾度となくお世話になったそれは、この局面でも効力を発揮してくれる。どれくらいの期間冒険者としていられるかはわからないが、これだけは手放さないとカナは心に決めた。


 大影の動作が一瞬停止する。

 その瞬間にリミアに駆け寄り、掌に剣を向ける。


「間に、合った!」


 正気を取り戻した大影はもう一度力を籠め、カナごとリミアを粉砕しようとしているが、そこに獣の爪が閃く。


「『獣牙装』ォ!」


 牙装よりも強烈な破壊が轟く。

 はじけ飛んだ掌が、液体となって地面に散る。影だまりになったそこから、魔物が出現する。


「うわ」


 ネロが思わず、といった様子で口にしたそれは、カナも全く同じ感想を呟きかけたものだった。攻撃すれば増えるというのはこう、面倒くさい。


「リミア、動ける?」


「……あ、うん。大丈夫だよ」


 呆然自失と言った様子のリミアの手を掴み、立ち上がらせる。そして、影達から一旦距離を離した。


 リミアと言えど、あの修羅場に放り込まれればこんな風にもなるか……。それにしては、なんか顔が赤い気がする。まぁ、戦ってれば血も回るだろう。


 カナは、非常に鈍感だった。


「冒険者はまだ居るか?」


「あと数人。ただ寝てるだけなので、死んではないです」


 意識を取り戻したリミアがダファナの質問に答える。

 

「了解。私がさっさと」


「待って」 


 冒険者を救い出すために動こうとしたダファナを左手で制し、リミアが先頭を歩く。視線の先には、いつの間にか極彩色の霧が発生していた。


「私から離れないで。寝ちゃう」


「成程、催眠ね」


 ネロが興味深そうに霧に触り、そう語る。

 何やら専門的な用語をぶつぶつと呟きながら右往左往しているが、カナの知識では一つも理解することができなかった。


「これなら……」


「さっさと救出しに行くぞ」


 幸い突然現れた敵影であるカナ達に気を取られ、影はまだ本格的に動いていない。冒険者を助け出すなら、このタイミングしかないだろう。ダファナが状況を俯瞰し、方針を決定する。


「あー、リミアって言ったか?あんたは私と来い。寝てるやつを助けに行く。坊主、お前は後ろから援護しろ」


「遠距離攻撃はできないですけど……」


「霧の中がはっきり見えるのはお前だけだろ。頼んだぞ」


 そう言い放つとリミアに歩幅を合わせながら、さっさとダファナは動き出した。

 流石上級冒険者というべきか、的確な判断と迅速な決定では、あるのだが。


「俺、眼の話したっけ」


「野生の勘じゃないかな?」


 言ったことない能力まで的確に把握されていると、尊敬どころか恐怖まで僅かに感じてしまうのは、贅沢というものなのだろうか。


 その後、リミアとダファナは難なく冒険者たちを助け出し、一旦形成を立て直すために全員で退避するのであった。


 走っていく最中、ふと後ろを振り向く。

 敵が居なくなったからなのか、霧を放つのを止めた魔物を、カナは眺めていた。魔物を、というより、その中に詰められた者達を。

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