彼の本質

 カナ・トーラドは小さな村に生まれた。

 自然に囲まれた豊かな場所で、栄えているとまでは言わないにしろ、そこそこの活気がある場所だった。木々の向こうからは小鳥のさえずりが聞こえ、川のせせらぎが、包み込むように響いている。


「置いてくぞ!」


「待ってよ~!」


 数人の子供たちの中で、白髪の少年がいる。

 皆より少しだけのろま、でも根はやさしく、憎まれない少年だった。


 仲のいい同年代の子供に囲まれて、性根の良い親に育てられて。彼は、幸福だった。

 外の誰かが見てもそう思うだろうし、彼自身もそう感じていた。


 だからこそ、それが壊れるのは一瞬だ。



 ◆



 月が綺麗な夜だ。その日、村は滅びた。

 天にまで上る黒煙の真下で、平穏な村は業火に包まれていた。


 それは、特別な事情があったわけでは無かった。ただ、季節の変化によって魔物達が移動をはじめ、その進路の中にカナの住んでいた村があっただけである。そこに理由も、感情も無い。


 だというのに、平和は、幸福は崩れた。

 天災のような不幸は、時に理不尽な終わりを告げる。仮にそこから生き残った人間が居たとしても、その胸に残るのはきっと怒りでも憎しみでもなく、荒んだ風のようなものなのだろう。


「……ねぇ、どこ?どこ?」


 火花と火炎の音が入り混じる中、消え入るような声が聞こえた。

 白髪の少年だった。煤を被って、体の幾つかに火傷を残している。だが、魔物に襲われたような傷はなく、命にかかわるような状態でもない。カナは、魔物にも、火炎にも襲われることはなかった。


 彼は幸運だった。

 だからこそ、一人生き残ってしまった。死にぞこなった。


 カナの鼻腔に、焦げ付くようなにおいがした。

 幼心でもわかる、人が焦げていく悪趣味な臭いが、今もカナの脳裏から離れない。崩落した建物に挟まった人の叫び声が、いつまでも耳にこびりついている。小さな、恐らく自分と同年代の死体を見て、それが誰だったのか、いつまでも考えている。


 カナは逃げ出すように走った。夜が明けても、ずっと走った。

 そして、違う村に拾われて、すくすくと育っていった。


 でも、どれだけ平和な暮らしを享受しても、満たされない何かが在った。

 お前は死ねなかったのに、何で普通に生きているんだと。死んだような命を、誰かのために使い捨てろ。そう囁く声から逃れるように、カナは生き続けた。カナ、という少年の本質をネロが計りかねていた理由が、此処に在る。


 

 我が異常に薄い。彼が選んだ答えも、彼が進む道も、それは自分で選んだとも言い難い。だからこそ、ネロが見抜くことはできなかった。


 カナという少年。

 その存在そのものが、あの炎の夜の底で抱えた無力感に突き動かされているだけの操り人形に過ぎない。


 もっと力があれば。この炎を突っ切って、皆を救えるような、英雄に成れたなら。

 その願いを延々繰り返すだけの、壊れたオルゴール。それが、カナ・トーラドという人間だ。

 



 ◆



「これで終わり。終わりなんだよ」


「馬鹿なの?カナは」


「え?」


 想像していたものとは違う言葉に、カナが思わず振り向く。

 ネロは、泣いていた。彼女はきっと自分が涙をつたらせていることにも気づかないままに、カナにずんずんと歩んでいく。そして腕を伸ばして。ただ、抱きしめた。何も感触はない、動こうと思えば動けるはずの腕の中で、カナはただ、止まっていた。


「馬鹿なの?ほんとに」


「……」


「死んだようなものだなんて、言わないでよ」


 少し詰まりながらも、それでも言葉を紡ぐ。


「カナは、生きてるでしょ」


「うん」


「だから、死ぬ必要なんて、無いでしょ」


「そう、なのかな」


「そうだよ。私は、そう思う」


 いくら生きても、それはきっと変わらないんだと、ネロは思った。

 数百年生きたって、死に疎くなるわけじゃない。


「死ななかった人間ができることは、後を追って死ぬことじゃないでしょ。それを、望むような人たちだったの?」


「それは無い。それだけは、認めたくない」


「なら、死ななくてもいいんじゃない」


 提案するような言葉を、胸に顔をうずめながら呟く。


「死ななくてもいいんだよ、死ななくても……いや、違う」


 ネロは、もう一度心の中を整理する。

 論理的に理由を並べたって、そんなのは薄っぺらい紙切れ一枚にしかなりはしない。カナを引き留めるのはそんなものじゃなくて、もっと切実な、感情でしかない。


「カナはさ、哀しかった?」


「……うん」


 唐突な問いに少し戸惑いながら、カナは答える。


「辛かった?」


「うん」


 孤独は辛く、寂しいものだとカナは知っている。

 それは、ネロも同じことで。


「じゃあ、私を一人にしないでよ」


「!」


 数百年続いた、暗闇のような孤独の先で、ようやく得た光が、カナだった。利用して、利用されるような関係であったとしても、過ごした日々は本物だと信じている。だから、それを失いたくないと願っている。


「もう、一人は嫌だよ」


「……」


 陽が射していた。

 彼女の涙はカナにだけ見えるもので、それが日光を反射することはあり得ない。でも、眩く光るそれから、目が離せなかった。


「……ごめん」


 逃げようとした。カナは咄嗟に、そう思った。

 ネロの独白によって思い出されたのは、この数年間の孤独だった。その数十、数百倍もそれを経験した彼女を、また一人にしようとした。自分で勝手に死ぬ理由を見つけて、それに飛びついた。


 ネロの頭を撫でる。

 何の意味も無くても、彼女の心に届くように。


「ちゃんと、考えるよ。俺が死ななくていい方法」


 その上で、全員を助けられる方法を。

 命知らずから、英雄になるための歩き方を。


 太陽は、燦燦と輝いている。



 ◆



 たったっ、と軽い足音を響かせながら、カナが街中を走る。


「って言っても、どうするつもりなの?」


 平静を取り戻したふりをしながらも、目の周りが赤くはれているネロが問う。精神体なのにそうなるものなの?と尋ねたい気持ちがあったが、カナは何とかそれを抑え込んだ。


「ギルドに話を通して間に合うかは怪しいんだよね」


「確かに」


 カナが死なずに、人を救う。それを達成するためには、カナの独力では難しいだろう。ならば、人手を集めるためにギルドに……となると、今度は時間が問題になる。というか、信じられない可能性すらある。


 荒唐無稽な話を信じてくれそうで、命を懸ける様な理由がある人。そんでもって、出来るだけ決断が早い人が良い。


「そんなの、一人しか知らない」


 その人物の人柄はよく知らない。

 だが、実力だけは折り紙付きだ。


 カナがギルドの扉を開ける。自分に向けられる視線を潜り抜けて、進むのは食堂の方向だった。そして、並んだ長机の中に、その姿はあった。大量の肉を、喰らいつくす女の姿が。


「ダファナさん」


「あ?……あの時の坊主じゃねぇか。どうかし」


 ダファナは、言葉を途中で切ってカナの目を見る。

 その後、獰猛に笑って見せた。


「面白い話でも持ってきたか?」


「勿論」


「はは!良いねぇ!冒険者らしいじゃねぇか!」


 「ちょっと待ってろ」と言ったかと思えば、並んでいた肉を一瞬の内に食べつくし、彼女は会計を済まし始める。


「そんなに急がなくても」


「急ぐ?これくらいなら普通だろ」


「えぇ……」


 絶対にそんなことはない。

 吸い込まれるように肉を食う光景を普通と呼ぶなら、おかしいのは常識の方だとカナは感じた。いや、そんなことはどうでもいいのだが。


「話を聞かせろ」


「迷宮に移動しながらでいいですか?」


「ふぅん?中々の悪だくみらしいな、いいぞ」


 現在封鎖されている迷宮に行く、という話を聞いても驚くことすらなく、それどころか不敵に笑って見せた。そんな様子を見て、博打は当たったようだとカナは胸を撫でおろす。


 ギルドを出て、小走りで迷宮に向かっていく。

 その道中で、今まで起きたことを説明する。


「魔物を操る魔物、か。例がない訳じゃねえが……ここまでの知性を持った奴は見た事がねぇな」


「下の階層でもですか?」


「あぁ。強い奴は居ても、めんどい奴は少ない」


 そんなことを話しつつ、カナとダファナは迷宮にたどり着く。

 勿論閉鎖中ということもあって、数人の番兵と冒険者で警備は固められていた。


「現在閉鎖中で……ダファナさん!?」


「知ってんのか。じゃあ話は早いな、通してくれ」


「そうは言われましても……」


 番兵が資料を確認するが、見つかるはずもない。この二人が訪れる許可など、取っている筈もないのだから。だが、ダファナは逆に胸を張って番兵と対応する。


「すぐギルドの奴が来るさ。緊急なんだ」


「いや、こちらも仕事で」


「お前が渋ってる間に何人死ぬ?」


「うっ……」


 凄んだダファナに、番兵が顔をこわばらせる。冒険者たちは彼女の偉業を知っており、番兵たちは迷宮に挑まないからこそ、冒険者特有の圧に負けてしまう。それ故、ダファナに口答えできる人間は居なかった。


「力技だね」


 面白がってネロが呟く。

 実際その通りだが、有効でもあった。


「……了解しました。お通り下さい」


「話の分かる奴らでよかったよ」


 皮肉めいた言葉に、笑みを引きつらせるしかない番兵。内心彼に謝罪しながら、ダファナの後ろに続いてカナは迷宮に足を踏み入れるのであった。



 ◆



 世界迷宮一層。そこは、最早変わり果てていた。


「よっぽどこっちの方が番兵だな?」


 好戦的に構えたダファナの視線の先には、壁があった。それはよく見れば数多の顔を持ち、数百もの生物であった。

 上層の魔物が集い、下へと続く道を覆い隠すように立ちふさがっている。実力で侵入者を阻むというより、物理的に進ませないという用途であるような気がした。


「小僧。道は拓いてやるから、自分でついてこい」


「了解です」


「ハッ、いい返事だ。わるかねぇ」


 ダファナが両手を広げる。

 戦士ならではのごつごつした指先に、女性らしい細さが合わさったそれが、発光し始める。手が魔力で包まれ、そして、伸びる。まるで獣の爪のように。作り上げられたのは、半透明の爪。


「『牙装』」


 それこそ彼女の武器。

 獣のような、野蛮な武具。


「置いてかれんなよ」


 ダファナが腕を振り上げる。

 それだけで、壁は崩落した。中身から爆発するかのように壁の中腹が爆音と共にはじけ飛び、その向こうが見える。静かな森、カナが進むべき場所。


「今だよ、カナ」


 走り出す。

 ダファナの破壊力はカナどころか、ネロが考えていたよりも膨大なものだった。しかし、それに見合う程相手の数も異常だ。生み出された穴は、直ぐにふさがれてしまうだろう。


 だから、走る。


 隙だらけ。だからこそ魔物達の攻撃はカナに迫り、しかし届くことはない。


「避けんなよ、小僧」


「信じてます」


 カナの真横で、力が炸裂する。

 前を走っているダファナが、ノールックで放った攻撃だった。飛び散った魔物の死骸を間一髪で躱しながらも、速度は緩めない。攻撃はダファナに任せる、それが一番他人任せで、一番賢い選択だった。


 ダファナの力は圧倒的だ。

 道を切り開きつつ、カナへのサポートも手厚い。粗暴なように見えて、心遣いが垣間見える仕草だった。


「ダファナさん、弟とかいますか?」


「……なんでわかった?」


「ふふ」


 想像通り過ぎて少し噴き出したカナに、ダファナは眉を顰めていた。本当になんでわかったのか想像がついていないみたいだ。


「変な奴だな……まぁ、そっちの方が生き残りやすい」


「死ねませんから。目的を果たすまでは」


「言うねぇ。気に入った、帰れたら一杯飲むか!」


、ですね」


 無事に帰るつもりしかない。そう言外に語ったカナに、ダファナはより笑みを深める。魔物の血肉がはじけ飛ぶ地獄に合って、カナとダファナは仲が良くなったらしい。

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