点が繋がるように

 迷宮が侵入不可になったから、冒険者は何も仕事ができないのか?答えは、否である。冒険は、迷宮だけに広がるものではない。


 ギルドの端に置かれている掲示板。

 そこは依頼を貼りつけ冒険者を募集するものであり、団体だけでなく、個人も利用できるものになっている。十分な報酬さえ払えば、依頼に貴賤はないという話だ。


「うーん」


 依頼の前で、カナが唸る。


「似たような依頼ばっかりだ」


 通常時ならばダンジョン内でのトラブルに関しても依頼としてここに貼られることが多い為、迷宮が閉鎖されている今は依頼の数が減っている。その上、同じような内容が多いのだからどれを選べばいいのかもわからない。


 その同じような内容とは。


「凶暴化した魔物の討伐、か。そういう時期なの?」


「そんな記憶はないけどね」


 魔物が凶暴化するのは、食物がとりづらくなる冬ぐらいなものだ。

 この時期は特に何もなかった……筈だ。こんなに並べ立てられると自信も無くなってくる。


「とりあえず、やってみるかぁ」


 十等級向け、と区分されたものの一つを手に取って、カウンターに移動する。

 少年は、初めての依頼に挑む。



 ◆



 世界迷宮のある街、「ユグドリミア」を抜けると、直ぐに平原が広がっている。

 門の前には草原を分断するように石畳が引かれており、時々そこを馬車や人が通る。平らな地形故に流通の弁がいいというのも、この街が栄えている理由の一つなのだろうか。


 街の南に位置する門を抜け、そのまま東に進んでいくと目的地だ。

 いや、生息地と表現した方が良いのだろうか。


 草原の中に、それらは居た。十数体の群れを成して。

 四足で地を踏みしめ、豊満な体を揺らす。ぐるりと渦を巻いた尻尾はどこかかわいらしさを覚え、鼻を鳴らしつつ闊歩する姿は魔物というか──


「豚だ」


「豚だね」


 豚だった。

 いや、牙が生えている所から分類上イノシシと呼ぶべきだが、毛の生えていないその姿は豚にしか見えなかった。


「BUHIIIIIII!!」


「うおっ!」


 その肉体からは想像の出来ない程のスピードで突進してくる豚を、横に飛んで回避する。次々襲い掛かってくる豚たちを、カナは躱していく。

 そして、突撃流れが一瞬止まったその瞬間を突き、一番近くで停止した豚に


 斬撃を叩き込む。


「BU」


 ぐらり、と体が揺れて、豚は倒れ伏した。

 ぴくりとも動かなくなったので、多分死んでいる。


「固くはない、けど!」


「数、だね」


 息つく間もなく、再始動し始めた豚たちの標的が再びカナに集まる。

 蹄が地面を踏みしめ、突進の跡が刻まれた。


 カナは落ち着いてそれを躱す。

 跳んだり、回ったり、走ったり。基本的な動きだが、それを突き詰めないと流れに飲み込まれてしまう。それぐらい、豚たちの数は多かった。


(でも、丁度いいか)


 波濤のような豚の攻撃。

 そこに、カナは移層の際の一幕を重ねる。連撃を受け止めることはできても、戦い続けるための持久力が足りなかった。実戦の緊張は、体力を余分に奪い取っていく。それを、あの時肌身で感じて理解した。


 緊張の中で脱力する。その練習に、豚たちは良い相手だとカナは感じる。


「っぐ」


 僅かにぶつかったのは、豚の牙。

 右腕を刺すような痛みが襲うが、特筆すべきことではないとカナは断じる。そして、剣を振り上げた。二体目。


 斬る。三体。

 殴る。四体。

 蹴り飛ばす……


 数分後、難なく群れは全滅した。カナの肉体には所々傷はついているが、どれも致命傷と呼べるようなものではない。息も、そこまで上がっていない様だった。

 地面に転がる豚の山を眺めながら、カナは一つ溜息をついた。


「あー……まだいける」


「十等級用の依頼だからね」


 実際、カナの実力はもう十等級にはない。

 豚との戦いがあっさりと終わるのは当たり前ともいえるだろう。


「もっと手軽に戦える魔物とかいない、かなぁ」


「それは難しいと思うよ?」


 豚では実力が足りず、上を望みすぎれば死が近づいていく。自分の実力を試す試金石というのは冒険者全員が望むものであり、永遠の課題でもある。


「言ってみただけ。さっさと収集して帰ろっか」


 そんなに都合のいいことはないと分かっていたカナは、僅かに微笑んでから豚たちの方に近づいていく。


 魔石を採集しているカナを遠目で眺めながら、ネロは静かに目を伏せた。頭痛をこらえる様な、痛々しい表情だ。それは、数百年前に視た、自分を仕留めようとする人間たちと、カナの姿が重なったから。


(焦ってる)


 出会った時から、そういう雰囲気はあった。

 一歩でも、一瞬でも早く強くなりたいという欲望が彼の中にはある。それはカナの成長速度を後押ししてきたとも言えるのだが、今だけは有意義に働いているとは言い難かった。

 焦りは、冷静な思考を奪っていく。


 その特徴が顕著になってきたのは、あの影に出会ってからだ。

 いや、違う。冒険者が生け捕りになっていると聞いてからだろう。


 あれから、三日。

 いくら冒険者が頑丈だとはいえ、そろそろ命にかかわってくる時期だろう。その事実を知ってから、カナの瞳には鋭い光が宿るようになってしまった。一番破滅に近い、酷い焔だった。


「カナ」


「どうしたの?ネロ」


 振り向いたカナの表情は、荒んだ砂漠のようだった。人間的な感情の揺れはなく、平らな砂漠の向こう側で、焦りと使命感の炎が燃えているようだ。それを見て、ネロの言葉は行く当てを失った。


 自分が彼を地獄に誘い込んだのだというのだというのに、私は何を言おうとしたのだろうと。後悔も同情も飲み込んで、ネロは儚く笑う。


「……いや、何でもないよ。戻ろうか」


 そう言われても、カナは動こうとしなかった。

 豚たちの死体に、視線を向けたまま。それはまだ戦いが終わっていないとでも言うかのようである。


「ねぇ、凶暴化って何で起こったんだろう?」


「っ」


 ネロに話しかけているように話して置きながら、その実態は独り言だ。自分が至った答えが、本当なのかと自問自答しているだけである。


「俺には、何が見えてる?」


 光った右目が捉えたのは、見覚えのある姿だった。


 真っ黒な人型。リミアやガランが討伐に向かっている、影の魔物に似ていた。いいや、その大きさと気迫以外は全く同じだと言っても差支えが無かった。

 それは、豚の死体でできた影の中で立ち尽くしている。カナに攻撃をしてこない……というか、それは恐らく生物を攻撃できるように設計されていないのだろう。影の中から出ることはできず、攻撃手段も持ち合わせない。

 迷宮で見た影よりも小さく、殺気も薄いことからネロはそれを理解した。


 そして、その姿は左目には映らない。右目だけが捉えられる、虚像。

 通常の理から外れた暗躍者。


 カナの背筋に、嫌な予感が迸る。


「あの時、上位の冒険者が居なかった理由って」


「……そう、かもしれないね」


 凶暴化した魔物のそばにいる、影の魔物。そして、迷宮での異変。それを繋げる言葉は、一つしかなかった。


 魔物を操る魔物。


 そんなものが居たのだとしたら、今までのすべてに話が通る。あの時の特殊な移層も、あの時に一人も上位冒険者が居なかった理由も。


「でも、態々下位冒険者を狙ったのか……?」


「……」


 ネロは、押し黙る。

 この結論を、彼に言ってもいいのだろうか。推測に過ぎない。だが、これはカナを死地に向かわせるには十分な理由になってしまう。でも、いつしか彼はこれにたどり着く。ならば、これは私の口から。


 そう願うのは、小さな独占欲のようなものだったのだろうか。


「逆なんじゃないかな」


「え?」


 下位冒険者を標的に行動を繰り返せば、最終的に訪れるのは上位冒険者が行う掃討であることは、今の状況が示している。影を操る何かは、それを知らないまま滅ぼされる無知蒙昧だったのか?


 違う。


「上位冒険者だけを引きずり出してきたんだよ」


 掃討が起きる。

 その事実を逆手にとって、実力者たちを引きずり出す。その目的があるのならば、使い魔を使った所以もわかるというものだった。弱点がはっきりしているからこそ、それを突ける人材が集められる。


 それが理解できているなら、対策は容易だった。


「ギルド側は焦りすぎたね。いいや、こんなもの予想しろという方が酷か」


 この浅い階層に起きるにしては、実に悪辣で、練り込まれていた。

 上位冒険者をあぶりだし、そして一日実力を測るのと相手を油断させるために使う。そう考えると、決行は恐らく今日。


「それを実行できる力を持ってる存在何て、早々居ない」


 その上、上位の冒険者に恨みを持っている。

 それに当てはまるのは、一つしかない。攻略される側、自分の体内めいきゅうで、自分の子供まものを蹂躙され続けている存在。


「世界迷宮」


 泰然と、そこに在り続けているようであって、迷宮は意思を持った生物である。人間が起こしてきた悪逆非道に業を煮やすというのは、至極当然の話なのかもしれない。


 いや、我慢してきた方だろう。

 数百、数千の時を。


「……」


 ぽいっ、とカナが投げた閃光弾は豚の死骸に群がる影達を照らし、一掃する。


 光に照らされたカナの顔は、何よりも暗く。


「行こう、ネロ」


 抑揚のない声で告げられたそれは、自殺宣言と同じようなものだった。

 だが、いつものネロならそれに喜んでついていったのだろう。英雄を望む者、彼女の本質は、地獄の奥底にある。だというのに、彼女の表情は、真っすぐな拒絶の表していて。


 ただ死にゆくのを愚かと断ずれば、それでいい。君の中には私が居るから、死ぬべきではないと、そう言えばいい。契約が不履行だと吐き捨ててしまえば、それで止められるはずだ。

 わかっている筈なのに、口をついて出たのは違う言葉だった。


 彼を正面から否定することの、なんと愚かか。


「……駄目だよ」


「なんで」


「死にたいの?」


 カナが一瞬言い淀む。

 だが、少し首を振るって、ネロと向き合った。


「死にたくない。けど……もう死んだようなものなんだよ。だから、誰かのために死ねるならそれで十分だって、思ってる」


「無駄死にを誰かのためだって言い張るの?」


「一人でも助けられるかもしれないでしょ」


 それさえできれば、きっと次の誰かが対策をする。

 使い道としては、十分なんじゃないか。


「……私は、許さないよ」


「それでも行く」


「……そう」


 笑みも、怒りも見せないカナの表情から、何を読み取ったのだろうか。

 ネロは顔を伏せた。そして、ゆっくりと、縋りつくように話始める。


「私じゃ、カナを止められない」


 質量がないから。力がないから。

 何より、あの時。迷宮で初めて出会ったあの瞬間から、同じ場所で死んでも後悔しないと、そう想ってしまったから。


「でも、聞かせてほしい。何が、カナをそうさせるのか」


「……」


 一度も、カナはネロに過去の話をしようとはしなかった。

 匂わせることはあれど、本質は語らない。それはきっと、語りたくないからなのだろう。箪笥の奥底に仕舞っておくように、心の中に納められたそれは、忘れたいと心から願っても無くならないもの。


 彼の、原点だ。


「俺はさ、小さい村で生まれたんだ」


 街の方向に緩慢に踏み出しながらも、カナはそれを語りだした。

 そうしないとネロが納得できないと考えたからなのかもしれないし。ただ、聞いてほしいだけだったのかもしれない。

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