カナの推測
影の中から、魔物は立ち上がる。
水音と共に現れるそれらに相対するのは、熟練の冒険者たち。
「準備!」
魔法使いたちが構えた杖の先に、焔や、光が発生する。
そのどちらも、影を払うには十分なほどに眩く。
「掃射ぁ!」
数十に上る程の魔法が一斉に放たれ、動き出そうとした影達に衝突する。
抗うこともできないまま、それらは静かに消滅した。
◆
(暇だな~)
リミアは溜息をつきながら、歩いていく冒険者たちの中腹に立つ。
ギルドがリミアを庇った代償として、と呼ぶべきだろうか。リミアも上層の討伐作戦に参加している。といってもリミアは光や炎など影に有効な手札はなく、言葉を選ばないのならお荷物と化していた。
それを自覚している彼女だからこそ、不思議に思う。
「これ、私要りました~?」
「上層部の判断だ。俺に訊かないでくれ」
九に矛先を向けられたガランが困ったように眉を顰める。
だが、一応答えなければという使命感によるものなのか。しかし、と言葉を結んでリミアの言葉に返答する。
「上位の冒険者に成るほど、上層への知識は甘くなっていく。歴の長い奴なら尚更な」
下へ、下へと進んでいく中で、いつしか上層はただの通過地点へとなり果てていく。だからこそ、リミアのように上層を仕事場としている人間の意見は必要なのだ。
「それに、火力だけでは解決できない問題も現れるさ」
「何も無いですけどね」
「今はな」
少し不服そうなリミアだったが、これ以上は何も得られそうにないのでやめておくことにした。再び彼女が歩き出した所で、軍団の何処かから声が上がる。
「何だ、あれ?」
「影が群がってる?」
確かに、遠くに影の集団が見える。
今まで人間が近くに来た時しか現れなかった影が、そこにいるということは、襲われている人間が居るのではないか。その結論に至った彼らは、歩む速度を上げて行く。
だが、リミアは苦い顔をしていた。
(私の目が正しければ、あれは……)
さらりと影達は殲滅され、冒険者たちは被害者を探す。
だが、何処にもいない。というか迷宮は封鎖されているため、人がいるはずもないのだった。
困惑が部隊を包み込む中で、リミアは静かに隊列を抜けていく。
そして、影達が襲っていたのであろうものを発見した。
「……成程。冒険者を襲ってたというよりかは」
泥に汚れ、影に塗れても輝きを失わない上質な腕輪。
細身で、金属を用いられたものは、酷く見覚えのあるものであった。
「あの魔物は腕輪を狙っていたのか」
「いつの間に……」
「あそこまで露骨に姿を消せば気づく」
背後に立つガランが指摘したのは、恐らく正解だった。
「だが、どうして腕輪がここに……」
「いや、上層ならあるあるなんだよ」
何度も言うが、腕輪は上質である。
魔法によってそう簡単には傷つかず、壊れることは非常に稀だ。だからこそ、腕輪が地面に転がっている、なんて事態が起きてしまう。
つまる所。
丸のみにされたり、死体を運ばれたり埋められたりしたとき。最後に残るのは、腕輪だけなのだ。頑丈であるからこそ、それは物悲しく転がり続ける。
「まぁ、偶々死んだ冒険者が居たんだろうね」
影達による死亡被害はまだ上がってきていない。
なので、他の魔物によって以前に殺されていた冒険者の腕輪に気が付き、影達が襲い掛かっていたという事なのだろう。
「……やはり、詳しいんだな」
「仕事柄ね」
苦々しい顔を浮かべるガランに、にへらと笑って見せる。
彼も冒険者だというのに、余りこういうのには詳しくないんだろうか。
──いや、冒険者だからか。
前へ前へと進んでいく彼らは、才能のあるものほど背後を振り返ることが無い。その足元に積みあがった死体の山に、気が付こうともしないのだろう。
「とりあえず、発見だろうし報告しにいこ~」
僅かに痛む胸を隠すかのように、能天気にリミアはふるまうのだった。
◆
リミアの報告を受けた後、実験が行われた。
結果は、成功だ。一人が投げた腕輪に影達は群がり、何処かに持ち去ろうとしていた。それを逆手にとって冒険者たちが捉えられている場所が推測できないのかという話も持ち上がったのだが、影に沈んで逃げていくのでそれは上手くいかなかった。
とはいえ、魔物の習慣が分かったのは大手柄だ。
冒険者たちの狩りの効率は格段に上昇し、滞りなく一日目は終わりを告げた。
「解散!明日は一日休暇とする!」
万が一、ということもあってか、二日に一回のペースで討伐は行われるらしい。終わりの解らない作戦であるという事を踏まえれば、それも妥当なのだろう。
沈みかけた陽が照らす街の中を、リミアは歩いていく。
「……」
日没前にしても、街には活気がない。
世界迷宮を経済の中心にしている以上、それが機能停止となればこうなることも自明だ。蓄えがあってこそどうにか街は機能しているが、この状況が長く続けばどうなるのかはわからない。
(早めに終わらせないとね~)
軽い使命感を抱きながら、リミアはギルドへと進んでいく。
魔石を換金するためだった。
リミアがギルドに入ったとき、少年と眼が合った。
白髪を揺らすその姿は、リミアにとって見覚えがある。しかし、今の彼はとてもげっそりとしていた。夜の街中で逢ったら絶叫しそうな程ゆらゆらとした足つきで、少年はリミアに近づいてくる。
「お疲れ様です。リミアさん」
「カナも随分とお疲れだね~。なんかあったの?」
「ちょっと精霊とお勉強会を」
「……?」
リミアは首を傾げた。
カナは苦笑いした。
「ま、とりあえず場所変えよっか」
魔石を手に持ったままリミアは移動する。辿り着いたのは、ギルドの食堂だった。
「お腹空いたから食べながらでいい?」
「勿論」
二人は同じテーブルに向き合うようにして着席し、この日自分があったことを交流し始めるのだった。
晩御飯を取りながら。
「図書館の精霊に気に入られるとはね~」
「珍しいんですか?」
「うん。いないことはないけどね」
選ばれた者達は例外はあれど研究や鍛錬に身を置き、成功を掴む者が多い。それは精霊の審美眼がそうしているものなのか、精霊に気に入られたからこそ得られる加護なのかはわからないが。
「有難いこと、なのかぁ」
あの勉強三昧を思い出しつつ、カナは呟く。
……そうかなぁ。確かに学びにはなったけど。
「リミアさんの方も、大変だったんですね」
「私はなんもしてないけどねぇ」
たはー、と笑うリミアを目の前に、カナは思考の整理を始める。
冒険者の腕輪を狙うという明確な行動目的が示されたことで、影の魔物が使い魔だという推測の信憑性は高まったといっていいだろう。生物である以前に、使い魔は魔法だ。
複雑な命令は実行できず、だから冒険者を見分けることなどできるはずもない。
なので腕輪を狙った。
合理的ではある。
「……」
「どうかしたの~?」
「あぁ、それが……」
カナはネロに視線を送る。
彼女が鷹揚に頷いたのを見て、話し始めた。
「これは、話半分で聞いてほしいんですけど」
声のトーンを落として話始めるカナに、思わずリミアは耳を近づけた。
その次にカナが語った言葉は、リミアにとっても予想外で。
「迷宮が創った使い魔、ってあり得ると思いますか?」
「っ!?」
荒唐無稽で、突飛な話。
だがそれを語るカナの目には、冗談の光は一つも灯っていなかった。
「それは、魔物とどう違うの?」
「え、っと」
魔物、というのはあくまで生物である。自分の思考で動き、自分の命を持っている。だが、使い魔は違う。外付けの思考機関で考え、行動する。そこに平等な命の概念はない。
つまり、迷宮の意志にそって動く魔物ということだ。
人間が行うには大規模すぎる今回の事件も、迷宮が行ったのならば説明はつくのではないか。カナは、そう言いたいらしい。
「それを調べるために図書館に行ってたんだよね~?」
「そう、ですね」
「じゃあ、私から何を聞きたい?」
理由があるなら、カナはきっと努力を惜しまない。なら、その可能性がある、というのは既に彼の中で確立されたものなのだろう。ならば、自分は何を答えればいいのだろうか。
「話を聞いたときの肌勘……って言うんですかね。俺はあんまり迷宮に詳しくないので」
そんなことで頼られることが多いな、と思いつつリミアは口を開く。
「無くはない、んじゃないかな」
理性的に考える頭は、それを否定している。だが、この年月の中で培った経験が肯定するのだ。迷宮なら、それぐらいはしてくるだろうと。
「どこまでも悪辣で、嘲笑うようにそこに在るのが迷宮……受け売りだけどね」
その神秘的で雄大な存在から、普通の人間は迷宮の意志を否定する。迷宮が物を考え、行動するなどありえないと。だが、冒険者こそ感じるのだ。迷宮の悪意を。全てを嘲笑するような意地の悪さを。
「自分を脅かしかねない冒険者を排除する。それをしようと行動するのは、おかしな話じゃないな~とは思うかな。私見だけど」
「……」
外敵排除の観点からしても、効率的な手段とは言えるだろう。
だが、この考えには問題点もある。
「何が駄目なのか。もう気づいてるんでしょ~?」
「ちょっとは」
単純に人間の仕業という可能性を否定しきれないのが一つ。
そして、此れが致命的だ。
「上位冒険者が居なかった理由」
「それだね」
あの時、上位冒険者が誰一人存在しなかった理由が、説明がつかない。
ガランが含まれる三級以上の冒険者は世界迷宮支部だけでも三十を超える。五級以上なら三桁にも届きうるそうだ。それが、ガランを除き動き出せる状態になかったというのは、説明がつかない。
「う~ん」
「どっちにせよ、悩んでみれば?休みができちゃって暇だろうしね~」
「もうちょっとだけ頑張ってみます」
「えらいね~」
晩飯を食べ続ける二人の間には、穏やかな空気が流れていく。
喧騒も、迷宮も忘れ去ったかのように。
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