影が射す

 ネロは思考する。


 魔物の移層は、ネロが自分の肉体で生きていた頃からあった現象だ。しかし、その発生は発端となる出来事から時間が経った後だった。

 それは現代でも同じことだと、リミアの言葉から察することができる。


 しかし、今回に関しては早すぎる。

 通常の場合二週間程度は空いたはずの隙間は、今回は一週間に近い。


 そして、その内容も異質なものだった。

 普通、移層は単一種族によって行われるものだ。そうしなければ、統率も取れなければ、仲間割れの危険性も生まれてしまう。

 だが、多種族の集団、それも隊列を組むほどの統率力で彼らは一層に向かっていた。


 ネロは思う。

 これは本当に移層なのかと。


 移層は極論、逃走だ。

 地形変動に恐怖し、その他の恐怖からも逃げるために行われる。


 だがあれは、敵意による産物に思えた。冒険者を追いかけまわすという所業も、それならば納得がいく。


「数百年の間に何があったのやら」


 これは、明らかな異常だ。

 迷宮には、何かが起きている。



 ◆



 ぱく、ぱく。


「うん、美味しい」


 ギルドの食堂で出る食事は、周囲の建物でも一際美味しいと話題だ。


 噂によると元冒険者──魔物を食す分野を研究し、素材も迷宮から調達していた──が厨房に立っているらしく、その腕前も迷宮で鍛えられたものであるらしい。

 基本的には普通の食材が使われるが、偶に魔物のものが入っている。そのときは外れだ。


「何処まで行くんだっけ?」


 隣に座ったネロが尋ねる。

 傍から見れば何故か隣の椅子を態々引いて独り言をぶつぶつ言っている形になる。

 中々に不審者な振る舞いだが、仕方ないと割り切ることにした。


「一旦二層の下見かな。余裕があれば三層まで行くけど」


 移層についてはわかっていないことも多く、他言無用ということになっている。そのおかげで封鎖などはされず、迷宮に潜れるのだから有難いことだ。


「わかった。まぁ、二層はあんまり特別なものはないから三層まで行けると思うよ」


「へー」


 肉を口に運ぶ。

 言うには、一層のオークのように特別抜きんでた力を持つ魔物も居なければ、三層のように悪意が感じられるほどの階層でもない。ありふれた階層であるらしい。


「カナなら普通に抜けれるよ」


「そう言われると逆に心配だ……」


 油断や慢心は碌な結末へは導かない。

 どれだけ楽勝だろうが、気を引き締めなければ。特に、この状態では。


「動けるかな?」


「私はあまり経験がないから何も言えないかな。ガランはなんて言ってた?」


「『気にするな』って」


「ならいいんじゃない?」


「そんなもんかぁ」


 カナは、再び修羅場を乗り越えた。

 それ相応に体が強化され、身体能力も上がった。そのがどう働くのか、カナはわかり切っていない所も大きい。


「不安なら一層でためしてみればいいんじゃない?」


「あ、そうしようかな。おかわりください!」


「あいよぉ!!」


 流れるように食べ物を口に運びながら、カナは迷宮に思いを馳せた。

 冒険は、今日も始まる。



 ◆



 一層を超え、二層を下って。三層へと続く箇所を進んでいっている。何の苦もなく、次は進めている。

 だというのに、カナの顔色は優れなかった。


「何だ?……なんか、変じゃない?」


「流石にそうだよね。こんなこと、起きるはずがない」


 道中、一体も生き物に遭遇しなかったのだ。

 厳密に言えば数体魔物に遭遇したのだが、こちらを見るなりすぐに撤退していくため、戦うこともできなかった。

 その撤退というのも、おかしなものだ。人間を見るなりどれだけ実力差があっても向かっていく魔物が、必死になって去っていく。


 天災から、逃れようとしているかのように。


「……一回、帰ろうかな」


「そうした方が良いかもね」


 三層。一、二層の穏やかな森林とは異なり、泥沼が多く見える階層。

 泥の中から魔物が襲ってきたり、など意地の悪い攻撃方法をしてくる魔物が大量にいるはずの此処も、気味が悪いほどに静かだ。


 一旦ギルドに戻って、報告を


 とぷん。


「っ」


 背後から響き渡った、水音。

 沼にしては軽く、水にしては粘着質なその音に対して、カナは振り返らずに言う。


「やっぱり、何かいるよな」


 おかしいとは思っていた。

 いや、魔物が出ないだとか、異様に静かだとか、そういう以前に、おかしいんだ。この階層に至るまで、出会っていない。


「何で、冒険者が一人もいないのかって考えてたんだよ」


 足跡も、声もしない。

 ギルドに人は居たし、迷宮に向かっている人だって見た。だというのに、一人もいなかった。移層の時も、大量にいたわけではないが一人はいた。


 というか、入り口には人がいたはずなのだ。

 じゃあ、彼らはどこにいったのか?


 答えは、きっとその問いよりも単純で。

 全員、死んだのではないのか?と、カナの耳元で何かが囁いた。


「……」


 それは泥より暗く、深淵のようないで立ちでカナを見つめている。


 それは、影だった。

 道の中に生まれた丸い影から出現した、黒い人型。水のように黒い液体を下らせ、何かを求めるように蠢く。

 それは液体で在り、個体。生物せいぶつであって、生物いきものではない何か。


 背筋に刺さる、茨のような悪寒に突き動かされてカナは剣を抜き放った。


「ネロ、お願い」


「わかってる。【ダリン堕空フォーリラ】」


 剣の先から、火炎放射のように影を放射する。

 そして、その結末を見届けるよりも先に、カナは真っすぐに走り出した。


 カナの直感が言う。あれは、ダメだと。

 魔物の行進だとか、そういう次元の話じゃない。氾濫する川に、人間がとる手立てが無いように。燃え盛る火事の中で、ただ人が祈るように。

 その次元の何かであると。


「……」


 ぴちょり、と水音が迫る。

 それが示すのは、脅威が去っていないという事実だった。


「死なないか……!」


 次に取り出したるは煙幕。どれほどまで効果があるのかはわからないが、視界でこちらを見据えているなら一定程度効果はあるはずだ。


 ぼん!と煙幕が展開し、カナと影の魔物の間に煙が発生する。


 だが、苦々しい口調でネロが呟いた。


「カナ、距離変わってない」


「駄目か」


 眼、という器官がついていない以上、それも予期していた。

 だから、閃光弾をもう取り出している。


「っ!」


 効いてくれ!という祈りを込めて放り投げた閃光弾が光輝き……


「え!?」


 次に響いたのは、ネロの驚愕の声だった。


「効かなかった!?」


「……いや、逆。


「……は?」


 あっけなく告げられた、勝利宣言。

 それに湧く余裕もないまま、再び水音が鳴り響く。それも、今度は複数。


「帰す気はない、か」


 一体が死んだところで、それらの動きは変わらないようだ。


「身体強化を掛ける。……二分で、一層まで行ける?」


「わかった」


 理由は不明だが、閃光弾が効く。

 前の反省を踏まえたおかげで、カナの手元には五つの閃光弾があった。一つは先程使用したが、まだ四つ残っている。それを使いつつ逃げれば、間に合うだろう。

 地形は、頭に入っている。


「森なら、少しは慣れてる!」


 山に近い村で過ごしていた経験は、この階層に於いて簡単には得られないアドバンテージだ。木の根に引っかからず、木々にぶつからない。単純に聞こえるそれは、こと逃走では……


 不敗に至らしめる武器になる。


「【ダリン雷堕ディグラスタ】」


 カナの両足に闇が纏わりつく。

 単純な速度強化。しかし、その力はネロのものだ。つまり、人智よりも遠い場所の力。


 空気が裂け、少年の体が加速する。

 脱力した左手から閃光弾が落とされ、それはまるで号砲のように。


 輝きの中で、少年が加速する。


 迷宮から脱出していく。



 ◆



 ギルドの昼下がり。

 穏やかな日光が射すギルドには、静寂のような緊張が張り詰めていた。


 その所以は、誰も帰ってこないことにあった。

 魔物に負けてボロボロになったまま帰ってくる者。昼までで冒険を切り上げ、少量の魔石を換金しに来るもの。

 この時間は、そんな冒険者が訪れる。だが、誰も──


「!?」


 強引に、蹴り破るようにギルドの扉が開かれる


「ちょっと、君……!?」


 その不遜すぎる態度に、怒鳴ろうとしたギルド職員の声が途切れる。

 扉の先に立っていたのは、少年だった。杖を突く老人のように、壁を頼りにギルドの中に入ってくる。

 敗戦兵のような風格を漂わせる彼が、何に巻き込まれたのか。職員は想像することもできなかった。


「すい、ません。ガランさんを呼んでくれますか」


「……ガラン・ケイネスは休暇で」


「お願い、します。駄目なんです。そうしないと……」


 突然、少年が崩れ落ちる。

 それを一切介さず、彼は言葉を放ち切った。


「多分、間に合わない」


「何を……」


 少年に駆け寄ろうとするギルド職員と、異なる影が少年を覆い隠す。


 女性にしては身長が高く、首のあたりまで伸びた髪と毛皮のような上着からは荒々しさを感じさせる。彼女はカナの近くに屈みこみ、話しかける。


「詳しく聞かせろ。何があった?」


「あなた、は?」


「ダファナ・レレール。名前は覚えなくていいが、ガランと同じ三等級だ。信頼はしろ」


 彼女は横暴だが、温かい口調で話を続ける。


「え、っと」


「ゆっくりでいい。体も疲れてんだろ」


 ダファナの言葉に従って、カナは息を整える。

 全身を駆け巡っていた苦痛が少しはやわらぎ、倒れ伏していた体勢から座るまで戻ることができた。


 そこから淡々と紡がれる言葉を、その場にいた全員が黙って聞いていた。


 真面目に聞くには馬鹿馬鹿しく、妄言だと一蹴するには現実味がありすぎる彼の冒険譚を。それに、世界迷宮直属のギルドに使えるほど優秀な者達は気が付いていたのだ。

 移層がおかしな形で行われていたことや、その時に丁度冒険者たちが出払っていたことも含めて、何かが起こっているのだと。

 彼の言葉は、それを裏付けるのには十分だった。


「俺は、逃げ帰ってきました。誰も探せないまま……」


「馬鹿言うなよ、坊主」


 ダファナは真っすぐにカナの目を見つめて、固く言い放つ。


「お前は持ち帰ってきた。誰もできなかったことだ、そうだろ?それは、馬鹿の一つ覚えみたいに立ち向かって死ぬよりもよっぽど価値がある」


 彼女は、上位の冒険者だ。

 だからこそ、情報の重要性を知っていた。彼の言葉には魔物の出現方法も、弱点も知り得るだけのものが含まれている。

 それを持って帰ることは、どの財宝よりもよっぽど素晴らしい。


「よくやったよ、あんたは。ゆっくり寝てな」


 自分が羽織っていた毛皮をカナに被せ、ダファナは歩き出す。


「こっからは、化けわたしたちの仕事だ」

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