休みを取ろう
訓練開始から、三日が経った。
カナは毎日鍛錬に励み、着実に成長している。あと、ギルドの食堂で出てくる食事が美味しかったので足しげく通っていた。
今日もいつも通り、訓練をしている部屋に入っていく。
待ち構えていたガランが、口を開いた。
「休め」
「え?」
カナの動作が一瞬停止する。
何を言われたのか飲み込めていない様だった。
「特訓って、聞いてたんですけど」
「その予定だった。だが、お前が予想以上に真面目だった上、才能があった」
「……?」
きょとんとカナが首を傾げた。
隣でネロもよくわからないといった様子で眉を顰めている。
聞けば、カナが真面目に訓練に取り組みすぎているからであるらしい。手を抜かず、真摯に技と向き合う。聞こえはいいが、つまるところ意識も体も張りつめっぱなしという訳だ。
普通ならどこかで……二日目ぐらいで限界を迎えるというか、程度を知るらしいのだが、カナにはそれが無かった。
ガランの言葉を借りるなら、無茶をするだけの才能があったらしい。
「お前が何に急かされているのかはわからないが、やりすぎだ」
鬼気迫る様子で訓練するカナは、ガランの目からは危ういものに見えた。
「毎日訓練できる人間もいるには居る。だが、そいつらは日々の鍛錬が積み重なった結果としてそうであるだけだ。カナは元々農民だろう?」
「うぐ」
「必死なのは良い。だが、手の抜き方も覚えろ」
反論の言葉はないのか、カナがしょんぼりと肩を落とす。
その隣で、ネロは考え込んだ。
気にしていなかったが、言われてみればカナの様子はおかしかった気がする。真面目だとか、そういう話ではない。猛獣に追われながら走る草食動物のような、途轍もない恐怖と戦うように、彼は剣を振っていた。
『俺みたいになって欲しくない。失うのは、もうこりごりだから』
カナの言葉が耳元で反響する。
(どんな経験をしたんだか……)
想像以上に、彼は壊れかけの土台の上で立っているのかもしれない。
そんな懸念をよそに、話は進んでいく。
「だが、ただ休日といっても困るだろう」
この街の構造どころか、カナはギルド内部の事ですらよくわかっていなかった。
そんな調子では休みを貰った所で、退屈するだけだ。ただ眠る、というのもカナの性に合わないだろうとガランは推測していた。
「そういう訳で」
「え?」
ガランが懐から袋を取り出す。
ジャラジャラと金属音を鳴らしながらカナの手に着地したそれを、赤子を抱きかかえるように両手でつかむ。ああ、間違いようもない。この重みは、聞くだけで頬がほころびそうになる音は。
硬貨だ。
「お使いをしてきてもらう」
◆
「こわぁ……」
硬貨の重みを感じる。
そこまで治安が悪い街だとは思っていないものの、ここまでのものを持ってしまうと恐怖を感じる。
きょろきょろと周囲を見回しながら進んでいくその姿は、どの盗人よりも不審であった。
神官の財布から出たらしいポケットマネー。
他人のお金で買い物ができる喜びと、かけられた期待への恐怖でカナの情緒は揺らいでいた。
「胸張って進みなよ、カナ。私が見てる限り盗まれないから……多分」
「めっちゃ不安だ」
「いいからいいから。行くよ!」
幾分か気分が高揚しているように見えるネロに連れられ、カナは街を歩き出した。
「わぁ!すごいね人間、いつの間にこんな建築様式を……!」
大量の人々をすり抜けて歩いていくネロに、何とかカナはついていく。
ネロの姿を喧騒が包み込む。太陽を燦燦と浴びて、漆黒の髪を靡かせながら彼女は笑った。子の成長を見守るかのように。
「ネロの時はどんなのだったの?」
「石積んだり、とか?」
「あぁ……」
そりゃそうなる、とカナは納得した。
周囲を見渡してみれば、石を積んでいた時とは比べようもないほどの進化が見える。着色料などが発見されたり、魔法を用いた建築法が発明されたりと建築の分野は学問でも成長が著しい。
特に、文明の最先端であるこの街では。
「見て回るだけでも楽しいね」
「それには賛同するけどさ」
ネロの注目は次に道行く人々に移る。
「何か、冒険者が多い?」
剣を携えた者や、弓を背負った者。何も武器を持たずとも、体運びや魔力の総量から強者であることがわかったりする者など、多様な武芸者が集まっている。
「迷宮が近いから」
「成程、前哨基地ね」
世界迷宮に挑む者達は必然的に、この街を利用することになる。
だから冒険者が多い訳で、それに適応するように街は変化する。
「安いよ!!」
「品質は保証するよぉ!!」
「貴方の人生、占います!!ツボもあるよ!!」
道行く冒険者を引き留めるように、屋台の声が響く。ならず者も大部分を占める冒険者を相手にするから、高級感や作法は必要がない。
安く、美味いものを大量に提供する。そんで大声を上げれば商売の完成だ。そんなこんなで、この通りには屋台が増えた。
並び立つ屋台の中には明らかな詐欺もある。人間は怖い。
「……」
そわ、そわ。
屋台を見ながら、ネロが挙動不審になる。そしてふらふらと屋台の方に近づき、通りの真ん中から逸れたあたりで立ち止まった。
自分では移動したことも自覚していないのか、未だそわそわとしている。
「屋台、見たいの?」
「え、なんでわかったの」
「いや、わかるよ……」
ネロはどうやら、人間の営みに眼が無いようだった。
「見てく?」
そう聞かれたネロは一瞬顔を輝かせ、しかし何かを飲み込むように顔を伏せた。
「でも、カナの買い物だし、私は食べたり着たりできないしょう?」
精神体の状態であるネロは、屋台を堪能することができない。
それでも、カナは微笑んだ。
「見て回るだけで楽しい、でしょ」
「ん~、そう言われると……」
カナは、ネロの事を良く知らない。
だからこそ、彼女の主張は受け止めてあげたいと思うのだ。もっと知るために。
「わかった、行こう」
「よし、どれから行く?」
「う~~ん」
ネロは数多の選択肢に頭を悩ませながらも、幸せそうだった。
「まずは食べ物で」
「食べれなくない?」
「カナが食べてるのを見るから」
「食べずらそう」
ネロが只管見つめてくる中で何かを食す姿を想像し、カナは一つ溜息を吐いた。
◆
軽食を腹に入れた後も、カナたちは散策した。
ガランのメモに書かれたものを買ったり、名所らしき場所を見て回っている内に、時間はぐるぐると回り、いつの間にか昼である。
昼食を食べれる場所を探そう、と歩き回っていたところで、見覚えのある女性に気が付く。
「あ、リミアさん」
「お、カナ。休み?」
「そうですね」
ギルドで会っていた時は迷宮に潜る為の戦闘服だったため、リミアの私服を見るのは初めてだった。お洒落は損なわず、動きやすさも兼ね備えた服装は実に彼女らしい。
「リミアさんも休みですか?」
「ん~?休職処分だよ?」
「え」
さらり、と告げられたのは恐ろしい事実。
「カナを助けた時に命令を無視したのが良くなかったらしくてね」
「……それは」
「謝んないで?私がいつもさぼってるせいもあるしさ」
「んん、でも」
「命の恩人特権使うから」
悪戯っぽく笑ったリミアに、カナは口を閉ざした。
当人が欲しくない言葉はかけない方が良いのだろうと、判断したから。
「話題変えよ、今日は何買ってきたの?」
リミアが指したのはカナの手に持った革袋だ。
ガランのメモに書いてあった品であり、今は購入品を仕舞っている買い物袋としても用いていた。
「冒険者になるなら買っておけってものを一杯」
「まだ買うものは残ってる?」
「それが……武器が買えてなくて」
「あ~」
リミアは深く頷く。彼女にも覚えがあるらしい。
武器、と一口に言っても、冒険者たちにとっては生命線そのものだ。信頼できる作り手や、素材を選ぶ必要がある。
だが、一番それが必要な初心者になる程横のつながりがない、というのは往々にして冒険者の問題である。
その問題に、カナも直面した。
何個か武器屋を見て回ってみたものの、いまいちピンとくるものがない。つい先日まで農民だったカナに、武具の良しあしがわかるはずもないのであった。
それも含めてガランはお使いとしたのだろうけれど。
「じゃ、私がいつもお世話になってるとこ紹介してあげようか?」
「え、良いんですか?」
「ん、暇だったしね。でも、ただじゃないよ?」
ぴっ、と指さした先には、ある屋台があった。
香ばしい肉の香りを漂わせるそれは、串屋であるらしい。
「あれ、一緒に食べよ?」
「……」
カナは、一瞬ネロを見た。彼女は柔らかく笑った。
やはり、リミアは貸しだと思って欲しくないらしい。わざわざ廉価なお店を選んで、それを対価とすることで罪悪感を薄れさせようとしている。あとついでに昼飯も済ませようとしている。
強かというか、無気力に見せかけて気の回る人だ。
「駄目?」
「いや、それでお願いします」
「交渉せいりーつ!じゃ、行こう!」
勢いよく立ち上がり、彼女は大股で屋台へと向かっていく。
最速の所以は行動の速さにもあるのかな……なんて、カナは思ったのだった。
◆
「んぐんぐ、ここだよ」
肉串を頬張りながら、彼女がそう言う。
目の前に現れたのは、無骨な外装の建造物だ。外に立てかけられた看板から辛うじて鍛冶屋ということは理解できるが、リミアさんが案内してくれなければ気づくことはなかっただろうとカナは思う。
「おいしょ、やってる~?」
肉汁で汚れた口を拭った後、リミアさんが声を張り上げつつ鍛冶屋に入店する。
「お、今日も短剣の手入れか?」
「いや、違うかな」
「ん?」
リミアに続いてカナが店内に入る。
そこで、筋骨隆々の男が自分を見つめていることに気が付いた。
「この子に武器を見繕って欲しくて」
「おぉ、『純白』とはまた珍しいもんを連れて来たな」
「純白?」
首を傾げるカナに、リミアと鍛冶屋の男が話している間にネロが解説をする。
「カナは髪と目が白だよね?」
「うん」
厳密に言えば右目が黒く染まっているのだが、以前はそうだった。
「それは魔力に混じりけが無くて、属性をもってない事を示すんだ」
「……それは、良い事?」
「カナにとっては良い事かな。私の魔力がなじみやすい」
リミアが風を操る魔法を得意とするように、人間にはその個人に合った属性というものが存在する。それが無い、というのが純白だ。
プラスにもマイナスにもとらえられがちなそれだが、ネロというイレギュラーを抱えているカナにとっては、どうやらいい事であるらしい。
「カナは知らなかったの?」
「魔法を使える人なんていなくて」
「文明力というか教育の発達というか、現代も難儀だねぇ」
老人めいた眼差しをし始めたネロの横から、リミアが現れる。
「ちょっと持ってみて」
リミアが持っているのは、長剣だった。
無駄な装飾は無いが、カナの素人目から見ても研ぎ澄まされた一級品なのがわかる程に素晴らしい状態のものだった。促される儘、カナはそれを握る。
「うおっ!?」
それに合わせ、淡く刀身が光った。
「やっぱりな。純白にはシンプルなのが合うんだよ」
「さっすがぁ!」
「これは、何を?」
「難しい話になるから一旦置いとくけど、気に入られたと思えばいいよ」
「そうだ、兄ちゃんの魔力は相当美味いらしい」
口ぶりから察するに、カナの魔力を吸ってこの剣は光っているらしい。
意識すれば、カナの体から何か抜けて行っているのが感じられた。
「買うなら大事にしてやってくれ。気に入られた以上、あんたは飼い主だ」
飼い主。
ただの武具じゃない。そう思うとこの剣は重たく感じて、それでも、温かくも感じた。
「その子と一緒に来るといいよ。私のところまで」
「おいおい、武器も買いたてのやつになんてことを……」
冗談を飛ばしかけた男の口が止まる。
リミアの目は、本気だった。勿論それに相対するカナも。
「頑張ってね」
「勿論です」
熱気の籠った言葉をぶつけ合う二人を見て、男は溜息を吐いた。
これはリミアと同じ──武器が何故かすぐボロボロになる──タイプの人間が増えたと。
だが、裏返せばお得意様に成り得るという事なので、今回だけは値引きしてやることにした。
◆
カナとリミアは並び、帰路についていく。
カナの腰には、買ったばかりの剣がぶら下げてあった。
「この時期に買い物ってことは、やっぱりそろそろ迷宮行くの?」
「そう、かもしれないですね」
カナは、リミアの言葉で気が付いた。
ガランも迷宮を見据えて必需品を買わせたのだろう。
「忙しくなるんだね~。私は無職だけど」
「どれくらいまで休むんですか?」
「そんなに長くは無いよ~?そろそろ仕事が忙しくなるし、私をフリーにはできないでしょ」
忙しくなる、という言葉にカナは首を傾げ、それに気づいたリミアが答える。
「魔物が活発になってきたらしくてね。引っ越しを始める可能性もあるんだとかないんだとか~。ま、もうちょい後の話だけど」
「それは大変……いや、俺にも関係あるのか」
「そうだね」
噂半分程度で聞いていた話が他人ごとではないと気づいて、冷や汗を流す。情報収集もするようにしないとな……
「あ、私こっちだから」
分かれ道に差し掛かり、リミアがカナから別れていく。
逆光で光るその姿は、夕焼けに呑まれていくようにも見えた。
「じゃあね~」
「さようなら〜!」
過ぎ去っていくその影が見えなくなるまで、カナは軽く手を振っていた。
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