訓練日記

 神官と話した後、審判室の外でカナを待っていたのは初対面の男だった。赤と黒が入り混じった髪色が特徴的で、鍛え上げられたその肉体からは男の受難と、努力が見受けられる。

 歩き出した男にカナはつられて歩き出すが、男は寡黙だった。何処に向かっているのか、何をするのかすら伝えようとはしない。


 かつ、かつと堅い足音が廊下に響く。

 ギルド内部をある程度回ったところで、一際大きな扉にたどり着いた。


「この先だ」


 男が、その扉を押し開けた。


「うおぉ」


 開いたドアの向こうの景色に、思わず声が漏れる。

 出迎えるように広がる地面にはびっしりと瑞々しい雑草が生えていて、空には雲一つない青空がある。そこは、田舎の草原のようだった。しかし、ここは構造上ギルドの一室のはずだ。


 つまるところ、部屋の中に、自然が広がっていた。


 目の前の風景を受け入れられないカナに、男が不愛想に言葉をかける。


「空間術の応用だ。まぁとにかく、修練の為の空間があると思えばいい」


 男は草を踏みしめ、数歩歩いたところで振り返った。

 鋭い眼光を携え、カナに向き合う。それだけで、彼の強さを知るには十分だった。


 カナが思わず生唾を呑むほどの威圧感。

 普通に立っているだけだというのに隙の無いその立ち振る舞い。どれをとっても、常人のものではない。


「自己紹介だの、基礎を教え込んだりだの俺がするべきことは多いだろう。だが……」


 男が両の掌を広げると、そこから青白い糸が発生する。

 バラバラだった糸は集まり、紡がれ、形を成していく。そしていつの間にか、半透明な二振りの剣へと成っていた。


「冒険者になるのだろう。なら、流儀を知っておくことも必要だ」


「……成程」


 手渡された剣を見て、カナは全てを理解した。

 荒くれ者が多い冒険者で名をあげると愚かにも言い放つなら、腕を示せと。そう言いたいのだ。


「一撃を許す……来い」


 男が下段で構える。

 溜息をつきそうな程そこに隙は無く、許すと言われても斬り込める未来は浮かばない。だが、やるしかない。弱音を振り切るようにカナは息を吐き出した。


「彼は強いよ。でも、その分越えれない壁になってくれる」


 ネロの言葉に悲壮感はなく、喜ぶようでもあった。

 どれだけ工夫を凝らしても、気合を入れても越えられない実力差は、自分を鍛えるにはうってつけである。数百年積み重ねたのであろうその価値観には、相応の重みがあった。


「胸を借りてきな」


「了解、ネロ」


 最初に力で示す冒険者流にはなれないが、やらなきゃいけないんだというのなら、進もう。道がそこにしかないのなら。


「ふっ!」


 体を前傾まで倒れ込ませ、一気に踏み込む。そして、剣を振るった。


 切り上げ、突き、横なぎ、袈裟斬り。

 とめどないカナの連撃を淡々と防ぎながら、男は語る。


「想像、以上だな」


 男の表情には、驚愕と期待が半々で存在していた。


「剣の振り方や攻撃の嗅覚は粗が多いが、眼が良い」


 体重移動や腕の予備動作から次の行動を予測する。文字で語れば単純な事だが、それを咄嗟に出来る人間は多くない。その点、カナはそれに優れていた。


「だが……」


「!?」


 カナの攻撃をすり抜けるように男がステップを踏み、肉薄される。

 瞬間、腹に衝撃が駆け抜けた。カナの体が草原を転がり、数回転した後に停止。


「っ、かは!」


 詰まった気管を再起動させるため、咽る。

 カナが苦しんでいる最中にも、男は接近してきていた。


「殺意が感じられない。攻撃しながらも消極的だ」


「殺意、って」


「殺す気で来いとは言えない。だが、目の前にいるものが敵であるという感覚は持っておけ」


 風が裂ける音と共に、男の体が加速する。

 カナの右目が、昏く光る。


「っ!!」


 意識の隙間を縫うような一瞬の突きを、ネロによって強化された視界が捉えた。

 剣で突きを防ぐが、二撃は早い。


 逸らされた剣先が、次はカナの首を狙って切り上げへと移行する。恐怖からか、カナは大きく横に飛んで回避した。


「はぁ!」


 男の連撃は続く。

 一発が致命傷になりかねないその応酬を、カナは寸での所で躱し続ける。


 跳んで、転がって、また跳んで、防いで。

 醜くても、格好がつかなくても、一秒先まで戦う。そんな覚悟が見て取れる戦い方だ。


 男の袈裟斬りを防ぐ。そして、弾くのではなく、僅かに刃の角度を変えて受け流した。


「!?」


 男が驚愕する。素人にできる様な動きでは到底ない。これは、幽鬼との戦い、死地に於いて身に付けた技だった。

 カナが踏み込んだ一歩は、隙を晒した男に攻撃をねじ込むには十分な距離を稼ぐ。そして、もう一度剣を振りかぶった……


「う゛っ!」


 そこで再び、腹部に衝撃が走る。

 視界が吹き飛び、体が転がった。


「大振りすぎる。ここは、打撃を選ぶべきだったな」


 空いた左手での正拳突き。

 騎士ではないからこそ取れる、邪道の一手だ。だが、カナは将来的にそれにも備えなければならない。だからこそ彼はここで負けるのではなく、強さを誇示した。


「一旦休憩とする。無茶をさせたな、カナ・トーラド」


「そんなことは……えっと」


「ガラン・ケイレスだ。ガランでいい」


「はい、ガランさん」


 カナは差し伸べられた手を掴み、立ち上がった。



 ◆



「一度手合わせした所感だが」


「けほっ、けほっ!……はい?」


 男が渡した携帯食を頬張っていたカナが、それをのどに詰まらせる。急に話しかけられて驚いたらしい。

 実は、その隣にいたネロがカナに対して「死ぬ!?死なないでよ!?」とわたわたしていたのだが、それはガランには見えていないので省いておこう。


「カナは素人と聞いていたのだが、それは本当か?」


「練習をしたことも無いですし、ましてや教えてもらったこともありません」


「そう、なのか。それにしてはあまりにも筋がよくてな」


 ガランが困惑するが、それに対してネロが胸を張った。


「カナは私の技術をある程度受け継いでるからね。剣ぐらいなら使えるんだよ」


 まだ馴染み切ってないみたいだけど、と言葉を付け加えて。


 カナが受け継いだのは、魔法だけではない。ネロの長い人生の中で培った経験や、肉体に残った技。それらを継承している。といっても今は「筋が良い素人」程度だが、これからどんどんネロの技術はカナのものになっていくだろう。


 肉体と技術の乖離によるけがの危険や、ネロが眠っていた期間に生まれた技に付いては一から覚えなければならないというデメリットはあるが、それも些細と言えよう。便利な副次効果であった。


「この調子なら技術の教え込みはすぐ終わりそうだ。問題は……」


「迷宮、ですか?」


「そうだな。いくら剣筋がよくても、迷宮ではそれが役に立たない状況もままある」


「……そう、ですね」


 痛い程経験している。そう語るカナの表情を見ると、ガランは何故か納得したように首を縦に振った。


「だからか」


「だから、っていうのは?」


「十七層を経験しているんだったな、カナは」


 まだ話を理解できていないカナに、ガランは「経験則だが」と枕に言葉を置いてから話を始める。


「最初にトラブルやミスで深い階層に落ちた冒険者は、大抵強くなる」


 深い階層のほうが、魔物は強い。

 それだけでなく、空気中に満ちる魔力も多いのだ。人間の体は魔力を吸って成長するため、迷宮は人間が強くなるのに適した環境である。というのはカナも噂程度に知っている。


 だが、ガランが言いたいのはどうやらそういうことではないらしい。


「あー、例えばだが。カナは農村に居たんだよな?」


「そうです」


「じゃあ、大雨が降った時に川に近づくか?」


「いや、行かないです。危ないので」


「そうだよな。そういう事だ」


「?」


 首を傾げるカナに、ガランは真っすぐに目を合わせて言葉をぶつける。


「お前は、命の危機を体験している。迷宮の恐怖を知っている。そうだろ?」


「……はい」


 迷宮だけでなく、彼は過去に一度だけ死にかけている。


「それが、迷宮を経験したヤツの強みだ。そう簡単には驕らないからな」


 一度怖さをしれば、どれだけ鍛えても足りなく感じる。そこに在るはずのゴールが、どこまでも遠く感じるのだ。だから、一般人と比べて努力を怠ることが少ない。


「お前は強くなれるぞ、カナ。ま、俺が強くしなきゃいけないんだけどな」


「だって。喜んでもいいんじゃない?カナ」


「うーん……」


 カナが軽く唸る。

 死にかけた経験を褒められてもあまり嬉しい事ではないのだが……。と思いつつ、少し喜んでいる内心があるのも、本当の事だった。

 ガランとは初対面だが、いいや、だからこそ、公平な視点で自分を判断してくれていることを感じられた。その無骨さが、カナには好ましかった。




 ◆




 一日経って、カナを強くするための訓練が始まった。カナはギルドで寝泊まりすることになった。神官が手を回してくれたらしい。


 最初にガランが行ったのは、武器の選定だ。


「ここが武器庫だ」


 埃っぽい、いかにも倉庫と言わんばかりのいで立ち。

 訓練用の武具だったり、何の特異性も無いなまくらばかりが置いてあるここは、碌に手入れもされていない。


「ここのものを使って、お前に合う武器を探していく」


「はい!」


 倉庫から武具を取り出し、いくつか草原に並べてみる。そして、その中から最初に選んだのは槍だった。


 手に持つと、使っていた剣よりもずっしりとした感触が伝わってくる。それに、その長さから重心も不安定だ。

 だが、数回軽く振ってみると、その違和感が消えていく。ネロの記憶が、体に馴染んだ。


 ちょっとズルい気がするな、とガランに見えないように微笑んだあと、カナが素振りを始める。


「ふっ!」


 突く。

 一歩進んで切り上げる。切り払いながら下がる。

 脇腹に抱えるように槍を持ち、突貫。


「これ、ぐらいか」


「うーん、いいね。流石私の知識」


 ネロは満足そうにしているが、ガランは眉間に皺を寄せている。


「やはり、あまり合わないかもな」


「そうですか?」


 剣と比べて大きな違いがあったようにも思えないが……。


「振れてはいるが、カナはお世辞にも筋力があるわけではない。槍に振り回される形になるのは危険だ」


 標的のない素振りであるのと、カナの知識という外付けの能力を使っていたから、カナにとっては動けているように感じた。

 しかし、これが魔物や人相手となれば、カナでは気づかないほどのズレが致命的になり得る。振り回されているようでは、簡単に防がれたり、逆に勢いを利用される危険性もある。


「それに、カナの武器は身軽さだろう」


「確かに」


 ネロが賛同する。

 槍では、その長所を潰すことになってしまう。


「次に行こう」


 槍での反省を踏まえて選ばれたのは短剣。

 しかし、素振りしてみた後のカナの反応は、余り優れたものでは無かった。


「どうした?」


「なんというか……使いやすいんですけど、無茶ができない、っていうんですかね」


 カナが使っていた長剣に比べればリーチも無く、相手の攻撃を防御する頑健さも無い。その分素早く動き回れるという利点はあったが、それもカナには合いそうになかった。

 身軽と、俊敏は異なる。


「じゃあ、次……」



 ◆



 そして、色々な武器を試した後。


「結局これになるんだ」


 呆れたように息を吐いたネロの視線の先には、カナが握った長剣ロングソードがあった。


 ある程度の身軽さを保証し、リーチもある。そして、無茶を通せる頑健さと、片手を空いたまま運用もできる。

 やはり、カナに合っているのはこの武器のようだ。


「よし。これで下準備は終わったんだが……正直、俺もこれからどうすべきか決めあぐねている」


 申し訳なさそうに語るガランが、その理由を話す。


 カナは基礎ができている。

 数多の技を見てきたガランが、対応するものがわからないということで流派のものではない。けれど、素人のモノにしては積み重ねがありすぎる。


 おかしな動き、と彼は呼称した。


「教えるというより、対症療法のような形になるな」


「問題点を指摘する、ってことですか?」


「その通りだ」


 ガランは地面に並んだ武具に紛れて置いてあった人型の模型を取り出し、地面に置く。

 人間を模しているから、それを立たせるのは矮小な二本の足だ。それでは体重を支えることができず倒れてしまう……かと思えば、透明な何かに支えられるように自立した。


「魔力で自立し、修復される木偶人形だ。俺が魔力を注いでる限りそう簡単には壊れないさ」


「ありがとうございます」


「感謝すんな。仕事だ」


 不愛想につっぱねながらも、僅かに照れているのがカナにはわかった。

 だがそこを突っつくと怒られそうなので、いったん放置する。


「練習台としてはそこそこ、かな?」


 ネロが練習台に近寄って触れる様な動作をする。

 勿論、質量として実在しない彼女が触れても模型が反応することはなかった。


「斬り込んでみるといい」


「わかった」


 素直に、大上段の構えをとる。

 脳内にある「ネロの動き」を再現することを心掛けて、攻撃を開始する。


「ふっ」


 踏み込み、斬る。それだけでも、イメージとずれているのが分かった。力や速度が足りないのはわかっていたが、何よりも技術が追いついていない。脱力が足りない、重心制御が足りない。


 こんなんじゃ、誰も救えない。


「もう一回……」


 カナが構えなおす。そして、何度も模型に斬りかかっていった。


 それを少し離れて眺めていたガランは、またまた感心した。


(真面目だな……)


 何度か若手の育成をしてきた経験上、模型を使った訓練を真面目に取り組んだ奴は見たことが無い。或る程度はするが、一発一発に意識が籠められていないなんてざらな事だ。

 けれど、カナは一発目の集中を保ち続けている。


(何があったんだか)


 脅迫観念に苛まれているように見えるその姿に、多少の危うさを覚えながら、師匠として立ち振る舞う。


「もう少し力抜け」


「はい!」



 ◆



 一日が終わろうとする。

 この部屋は外の時間経過に風景が対応するようで、夕焼けがカナを見つめていた。

 数回の休憩を取りつつ訓練を続けていたカナだったが、そこに声がかけられる。少し気だるげな、女性の声。少なくともガランのものではない。


「怒られてて遅れた~!調子はどんな感じ?」


「リミア、さん?」


 薄黄色の髪をそよ風で揺らしながら、リミアが現れた。


「誰……あぁ、救護隊の」


 思い出した、と言わんばかりにガランは手を打つ。


「保護者として参上しました」


「俺以外からの視点のアドバイスも必要だろう。教えてもらうといい」


「わかりました!」

「リミアさんにまかせなさーい」


 怠惰に見えるリミアも、カナの特訓に対しては意欲的であるようだった。

 カナの隣、すなわち模型の正面に立ち、リミアは立つ。


「カナはさ、何が足りないと思う?」


「何が……」


 何もかも、と答えたいところだったが、そういう事ではないのだろう。

 カナは思い返す。ネロの力で、自分の未熟な点、その多くは覆い隠されている。技術も、動体視力もある。なら、足りないのはカナに無く、ネロでも補えないものだ。そうなると


「瞬発力、ですかね」


「ふむふむ」


 動き始めだったり、反応した瞬間に動く力が足りない。

 ガランの打撃だって、眼で捉えられていたのに躱せていなかった。


「それなら私の得意分野だ。一回貸して?」


 長剣を手渡すと、数回素振りする。

 それで感覚は整ったのか、力を抜いて模型に向き合った。


「勘違いされがちだけど、瞬発力を求める時にすべきなのは力を入れる事じゃなくて……」


 だらん、と崩れ落ちるようにリミアが屈みこんだかと思えば


「脱力だよ」


 轟、と風が唸り。

 彼女の姿が消える。


「!?」


 続くように、鈍い音が響いた。


「おいおい……魔力は入れてたはずだが?」


 模型が、両断されていた。

 流石にガランも想定外だったようで、眼を丸くして驚愕している。すれ違いざまに斬って、走り抜けた。それはわかる。

 だが、一つ一つの挙動が洗練され過ぎている。


 ガランの魔力によって模型はなんとか修復され、もう一度草原に立つ。

 それを見送った後、リミアが話し始めた。


「こんな感じ。今のは魔力使ってないし、カナもできるはずだから」


「それは流石に無茶じゃ……」


 ガランの窘めも聞かずに、リミアはカナの目を見つめる。

 挑発するように、期待するように。


「ここまで言われたら、黙ってるわけにはいかないよ。カナ」


「確かに」


 リミアが長剣を返却し、カナはそれを強く握った。


「助けた方が良い?」


「大丈夫」


 ネロの提言を断る。

 リミアはできるといったんだ。それが本当でも、誇張したものであったとしても、応えなければいけない。

 命を救ってもらった、せめてもの礼だ。


「ふぅっ……」


 吐き出した息と共に、力を抜き去っていく。

 リミアの動きは女性特有のしなやかさも入り混じったものだと見えた。なら、そう簡単にまねはできない。

 だから、混ぜ合わせる。ネロの技と、リミアから見て盗んだ技術を。


 風の音が聞こえる。

 それに追いつくように、カナは踏み込んだ。


 一歩目の踏み込みは全力で、だが、そこから力を抜く。

 勢いに任せ、ただ前に。


 剣が模型に当たる、その、一瞬。

 そこに、全てを込める。


「っ」


「……マジかよ」


 両断はされていない。

 だが、今まで傷一つ付かなかった模型に、確かな斬撃痕が残っていた。


 幽鬼の魔力を取り込んでいるからこそできたのだと、リミアは知っていた。だが、それにしてもすさまじい。ここまで吸収が早いとは。


「リミアさん!」


 満面の笑みでカナが振り向く。


「すご〜い!」


 その才能の行く末に期待しながら、今はこの純粋な少年を、褒めたたえることとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る