迷宮一層を往く

 それから、数日訓練の日々を過ごしたカナだったが、それはこれまた突然に終わりを告げた。


「今日から迷宮に潜ってもらう」


 ガランが言うには、体や技を磨くことは重要である。

 けれど、それ以上に大事なのが迷宮に潜ることなのだと。魔物を討伐し、迷宮の深くまで進んでいくことで、魔力を取り込み肉体は強化されていく。

 達人になったとして、迷宮に潜らないままの肉体では魔物とは渡り合えない。


「お前ならそう簡単には死なないだろう。だから、少し高めの目標を設定する」


 そう言ってガランが懐から取り出したのは、一枚の紙だった。


「魔物?」


 紙には魔物の姿が精密に描かれ、その大まかな性質や生活についても解説されている。それはまさしく、図鑑と呼ぶべきものだった。


「この魔物は……知ってはいるだろうが、オークと呼ばれている」


「噂程度ですけど」


「それでいい。大抵のことはこれに書かれているからな」


 カナを見据え、ガランは言い放つ。


「これを討伐してくるのが、宿題だ」



 ◆



 オーク。

 世界中に遍在するありふれた種であるが、やはり代表的なのは世界迷宮第一層の個体である。緑色の肌と、筋骨隆々の肉体を持つ。その巨体と膂力から、世間一般的には……


 引用 魔物百科事典



 ◆



 門番による軽い検閲を越え、迷宮の門をくぐればそこは別世界だ。


 石畳の通路から一転、目の前には木々が乱立している。朗らかに鳥は囀っており、遠くからは獣が駆けまわる足音が聞こえる。建物の中だというのに射しこむ光は、日光とはまた違った温かみだ。


「世界迷宮第一層、久しぶりに見た気がするなぁ」


 数百年ぶりだー。とはしゃぐネロを一旦置いておいて、カナは気合を入れなおす。いくら一層と言えど、迷宮は迷宮だ。いつ死の危険が迫ってくるかわからない。


 長剣に触れる。

 いままで使っていたなまくらと違い、リミアが選んでくれた本物の武器だ。重量はさして変わらない筈なのに、体が沈みそうになるほど重く感じる。


 心強い重みだった。


「……行こう。ネロ」


「元から一蓮托生、カナが望むなら奈落の底だってついてってあげる」


「その時は止めてほしいかなぁ」


 まだらに見える冒険者たちとは反対の方向へ、カナとネロは歩き出した。



 森の中を進んでいくと、様々な原生生物に出会う。

 迷宮の環境に適応した虫や獣は外とは異なる進化を遂げており、目が眩むほどの色彩を持つものも珍しくはない。


 また、変化するのは色だけでなく。


「あ、三首蜂ケルビーロス


「何だそいつ……なんだそいつ!?」


 首が三つ生えてる蜂が平然と空を飛び回っている姿に、カナが思わず大声を出す。

 針は一つなのに頭が三つあってどうするんだ。何に使うんだよその頭。


「意外と馬鹿にならないんだよ?頭の分感覚が多くなってるんだから、こんな風に……」


 がさ、と茂みが揺れる。

 その瞬間三首の蜂は飛びさり、その残像を追うようにこん棒が走り抜けた。


「危機回避能力が高い」


「俺も頭三つあった方が良いかな……」


 カナが気づく前に虫が気づいていたことに軽くショックを受け、軽口程度に言う。そのまま、力を抜きつつ長剣を構えた。


 蜂を襲った犯人が、現れる。


「ゴブリン、だね。初戦としては良いんじゃない?」


 緑色の肌、長く、尖った耳。

 幼子のような体躯に、醜悪な顔が乗っかっている。


 最も一般的で、中々に悪辣な魔物。それがゴブリンだ。カナにとって、戦った経験はないが見た事ならある。

 その時は石でできた手斧を持っていたのだが、今回はこん棒であるらしい。


「緊張しないでね。カナが手こずる相手じゃない」


「応」


 草むらから飛び出したゴブリンは、品定めするようにカナを見つめる。

 そして、鳴き声と共に襲い掛かった。


「遅い」


 隙だらけの、飛び掛かり攻撃。

 カナはそれを体を右にずらしながら回避し、すれ違いざまに斬撃を叩き込んだ。


「GA!」


 一瞬ゴブリンは空中で動きを止め

 そして、絶えた。


「……あれ?」


「おめでとう!初勝利!」


「なんか、あっけなくない?」


 きょとん、と首を傾げる。

 すれ違いざまに一閃で勝利、というのがカナにとっては違和感であるらしい。


「それはまぁ、最初が悪かったかもね」


 聞く人が聞けば死にたがりかと思う発言だが、カナの感性は致し方ない事だと言えよう。


 人生の中でも最初に戦ったと呼べるのが「幽鬼」。次が練習とはいえ冒険者である「ガラン」だったのだから、魔物との戦闘にそれに並ぶ死闘を想像してしまうのも道理だ。


「でも、大抵はこんなものだよ?長引いたらそれこそ他の魔物が来たりして危ないからね」


 基本的に、戦いは手早く仕留められる状況で行う。

 たまに例外はあれど、自分から戦闘を行う時は不意打ちが基本だ。


「そんなもんかぁ……」


「そんなものだよ。ほら、採取しな」


「うーえ……」


 カナはあらかじめ買っておいた短剣を取り出し、遺体になったゴブリンに当てる。

 魔物の心臓部、魔石を取り出すためだ。肉や骨は持ち帰ることは少なく、換金のために提出するのも魔石だ。


 価値のあるもの。

 そうわかっていても、カナの手は進まない。


「気色悪……」


「初心者の内に慣れないとね」


 生物とは根本的に構造が違うんだと頭では理解していても、心がついてこないのは所謂「迷宮あるある」だ。

 なので、多少スパルタでもやらせておかなければならないとネロは心得ていた。


「うぅ……」


 苦い顔をしながらゴブリンを解体する。

 それが終わるのには、中々の時間がかかるのであった。



 ◆



 森が、静まり返っている。

 その巨体が一歩を踏み出すごとに、世界が揺れているような錯覚を覚える。一層の中でも異常な存在感を放つそれがオークだと理解するのに、そう時間はかからなかった。


「流石に、格が違うな……」


は伊達じゃないね」


 魔物百科事典からの引用には、続きがある。

 その巨体と膂力から、世間一般的には「迷宮の番人」と呼ばれるのだと。


 これから迷宮へ挑んでいく、数多のひよっこたちを叩き潰す。一層では圧倒的な暴力を誇るオークが、その役割を担うのは当然の摂理だった。


「……でも」


「あんまり怖くなさそうだね」


 恐怖は感じている。

 だが、真に迫らない。今まで感じて来た生命の危機に届いている感じがしない。あれくらいなら普通に……


「っ、駄目だ。落ち着け」


 剣を持っていない方の手で頬を叩き、カナは気合を入れなおす。

 怖くないからって、自分が強くなるわけじゃない。冷静に推し量れ。


 全長は周りの木々よりも少し高い程度。

 なら、攻撃が届く範囲は?一歩でどれくらい踏み込んでくる?


 周囲の環境と照らし合わせて、どう動くべきかを考えていく。

 どれくらい役に立つのかはわからないが、しないよりは生存率が上がるはずだ。


「っし、行こう。ネロ」


「カナの体も考えると、私はそう簡単には手伝えないからね。気を付けて」


「うん」


 音を立てずに、カナはオークの死角へと回り込む。

 対「オーク」戦、開幕。


「ふっ!」


 カナが駆けだす。

 その巨大故、頭や胴体には剣が届かない。なら、初手は


「脚!」


「GUOOOO!?」


 人間でいうところのふくらはぎの辺りを狙い、切り上げる。

 何処からか現れた痛みに、オークは絶叫した。


(効く。行ける)


 筋骨隆々の肉体だが、刃物が通らないわけではないようだ。なら、どうとでもやりようはある。

 カナはオークが手出ししずらい足元を駆けまわり、小さな動作で脚に傷を刻んでいく。いくつも、いくつも。


「GU……!?」


「流石に、そうするよな」


 オークが飛びのく。

 鈍重な動きだが、巻き込まれたら死んでもおかしくはないため、カナはそれを見送った。


 空いた距離。

 カナは届かず、オークは戦える距離は、カナの苦手な距離だ。


 だから、もう先手は打ってあった。


 駆けだすカナ。隙だらけのその獲物に、オークが拳を振り上げる。

 圧倒的質量、槌のような破壊の象徴は、持ち上げられたところで不意に動きを止める。オークの喉から唸り声が漏れた。


 そして、ぐらりとその体がふらつく。


「動けない、だろ!」


 オークは魔物だ。だが、それ以前に人型である。

 歩くのにも動くのにも、立つのにだって足を必要とする。その足をずたずたに切り裂かれ、果てに拳を振り上げようとしてしまったなら、その破綻は致命的なもので。


「GU、GUOOO」


 よた、よたと彷徨うように数歩動き。

 オークは、その場に倒れ伏せた。


「今だよ、カナ」


 ネロの号令に突き動かされるように、カナが加速する。そして、オークの下半身を飛び越すように跳躍した。狙うは、頭部。


 思い出せ。ガランさんから教えてもらったものを。リミアさんから盗んだ技を。ネロの、知識の全てを。


「はぁっ!!」


 全身全霊を懸けた突き。

 地を貫くように放たれたそれは、空気を裂き、そしてそのまま、オークの首元へと前進する。頭部と、首のその隙間を縫うように放たれた斬撃。


「GUOOOOOO!!!!!!!!!」


 ずぶり、とカナの手に生々しい感触が帰ってくる。

 幽鬼と戦った時にも感じた、会心の手応え。


「勝……った?」


 念の為、もう一度剣を振り下ろす。

 オークはもう断末魔を上げる事すらなく、物言わぬ肉塊としてそこに在るだけだった。


「大丈夫、死んでるよ」


 端的なネロの言葉。

 勝利の勝鬨にも似たそれを訊き、カナはようやく脱力した。


 正直なところ、苦労は感じない。

 オークの巨体と構造を知っていた時からこうしようというのは決めていたし、物事は大体想定通りに進んでくれた。

 でも、心臓は踊るように跳ねているし、運動した量よりも息が上がっているのがわかる。


 これが、命を取り合う事なんだと痛感した。

 練習よりも何倍、何十倍も。それも、自分の実力だけで戦うとなれば尚更だった。


 でも、越えたんだ。

 実力で優っている相手とは言え、自分の力で。


「おめでとう、カナ。目標はこれでいいはずだよね?」


「うん。これで魔石を取ればいいはず」


 弛緩した肉体を動かし、短剣を取り出す。

 勝利の余韻に浸りながら、オークを解体しようとした……


 その時だった。


「うわああああああ!!!!!!」


 男の叫び声。

 それに続くようにして響き渡る、幾つもの足音。


 平穏な森の中に響き渡った凄惨なそれらは、まるで水たまりに落ちた絵の具のようだった。小さなノイズなはずのそれは、少しずつ、階層全体に広がっていく。

 静かだったはずの空間がざわめきはじめ、少しづつ、尋常が異常へと変化し始める。


 落ち着いたカナの心の奥底に、不安が芽生えていく。予感が、体を走り抜ける。


 カナが感じたのは、所謂嫌な予感という奴だった。

 魔物達や動物たちが、慌ただしく走り去っていく。危機探知能力に長けた三首蜂が、追われるように必死に飛び去っていくのが見えた。


 つーっ、と。カナの首筋に汗が走る。

 それを拭うこともしないまま、氷水にも似た悪寒に押され、カナは森を眺め続ける。


「何が、起きてるんだ?」


 得も言われぬ恐怖を心の奥底に感じたまま、そう呟いた。

 頭の中で、ずっとリミアの声が反響している。


『引っ越しを始める可能性もあるんだとかないんだとか~』


 狂騒は、すぐそこに。

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