縁は結ばれる

「……きて」


 何か、声が聞こえる。


「んぅ……?」


 意識が朦朧としたまま、半ば条件反射でカナはそれに返答した。

 何を言っているのかわからない。というか、俺はそもそも、今何を──


「起きて」


「!」


 意識が回復する。

 衝撃のままカナは飛び起きようとしたが、激烈な痛みに襲われてそれはできなかった。遅れて、カナは瞼を開ける。


「お早う。よく眠れたみたいだね?」


「……貴女、は」


 星空のような暗黒の瞳が、真っすぐに彼を見つめていた。

 絶世と呼んでもさし使えのない程の美貌が目の前にある。


「!?」


 見惚れていた本能を超えて驚愕が訪れるが、彼女押し退けようと伸ばした手は再び激痛によって蝕まれる。その様子を見て、女は小さく笑った。


「暴れない方が良いよ。体はまだ休めてない」


 女が言った通りだった。

 覚醒した意識とは裏腹に、寝起きのような無力感が四肢を支配している。その上、動かそうとすれば激痛が走る。

 動くのは得策ではない様だ。


 それを理解したカナは、一度落ち着くために息を吐いた。

 そこで、微妙な違和感に気が付いた。


 カナの息が当たったはずの女の髪が、揺れなかった。

 というか、カナが横たわっていて、その上に顔が在る形、つまり覗き込んでいるというのなら、重力によって長髪はカナに垂れるはずだ。

 実際目ではそうなっているのに、何の感触も感じない。激痛を抑えながら女の髪に手を伸ばせば、虚空かのように手が素通りする。


「これは」


「ん、気づくのが早いね」


 流石、と言わんばかりに女は人差し指をカナの額へと接近させる。

 触れるはずだった其れは、何の感触も無くすり抜けて行った。


「この現象の解説ついでに、半端で終わっちゃった取引の説明をしよう」


 妖艶に笑った女を目の前に、思わずカナは歪んだ愛想笑いを浮かべる。

 彼女との取引という言葉に、生物としての本能が、全力で警鐘を鳴らしているのが分かった。命の危機であると叫んでいる。

 でも、それとは裏腹に、彼は落ち着いていた。


 思い返せば、迷宮の中で、俺は彼女と取引している。

 彼女が俺を助けてくれたことで、それは成立してしまったのだ。対価だけ受け取っておいて「はい、じゃあさようなら」なんて虫のいい話が転がっている筈もない。

 何かを得るにはには何かを払う。幼子でも知っている、世界の常識だ。


 何を求められても死ぬよりかマシだ。

 そんな、自分でもわかる程の希望的観測を浮かべながらカナは女の話に耳を傾けるのだった。



 ◆



 曰く。

 彼女はある場所に住んでいた生物であった。人間ではないと言っていたが、どんな種族であるのかは聞くことができなかった。


 平穏に過ごしていた彼女だったが、ある日人間に攻撃され、反撃する間もなく追い詰められた。

 彼女は何とか逃げ仰たものの、必死になってたどり着いたのは、迷宮の奥底。現在、下層と呼ばれている場所。

 人間が生きられないとまで呼ばれる地獄。


 そこに治癒をしてくれるような存在もいるはずがなく、彼女は永い眠りについた……


「ってのが、の話かな」


「数百っ……!?」


 さらっと告げられたのは、人間と乖離しすぎた時間間隔。

 カナの驚愕をしり目に、女はなおも話を紡ぐ。


「何とか意識を回復するまでには行けたんだけど、体が回復できなくてね」


「……呪い?」


 ぽつり、とカナが呟く。

 特に意図したわけでもなかったその言葉に、次は女が瞠目した。


「え、なんで?」


「いや、回復できないってなるとそうかなって。間違ってました、かね」


「いや、合ってるよ。予想外で吃驚しただけ」


 呪い、というのは俗称である。

 その根本は結局魔法にたどり着くため、正式に言うならば呪い属性の魔法となるのだが……この際それはどうでもいい。

 重要なのは、呪いに対抗できる属性が限られているという点だ。


「私は聖属性が使えないからね。どうにもできなくて、だから意識だけで迷宮を彷徨ってたの」


「でも、俺も聖属性は得意じゃ」


「わかってたよ。見つけた時からね」


 カナの弱音を食い気味に否定し、でもと話を続ける。


「欲しいのは聖属性じゃなかったの。だって、体があるのは下層だから」


「戦力が欲しかったと?」


「五十点だね。戦力だけなら、もっと手段はあった」


 それこそ下層近くを探検している冒険者なんかに声を掛ければいい。

 なら何故、カナを選んだのか?その問いに、女はゆっくりと返答する。


「英雄が欲しかったんだ」


「……は?」


「強いだけなら誰でもなれる。でも、それはいつしか破綻する」


 身に余る力を得るのは、常人の精神には重たすぎる。

 驕らず、謙虚に理外の力を遣う。それはつまり、英雄の素質だ。


「あの迷宮で君は臆病だった。でも、立ち向かった。でしょ?」


 そんなことはない、とカナは放ちかけた。

 彼女が助けてくれるまで、俺は諦めていたんだから。


「そんな顔しないでよ。私が求めてるのは、そこじゃないんだから」


「?」


「一度も折れないってのは、英雄の素質じゃない。それは蛮勇だけを持った愚者か、才能しか持たない賢者にしかなれないんだから」


 必要なのは、敗北をしないことではない、と彼女は語る。

 何度折れても、何度負けたとしても。光射せば立ち上がるのが、彼女が求めているものだ。


「君にしか頼めない。……私を、助けてほしい」


「っ……!」


 カナと、女が目を合わせる。その一瞬、木の葉が舞い散るよりも短いその一瞬で、カナはそれを見てしまった。

 深淵のような瞳の奥で揺らぐ何かを。


 それは慟哭のようで、寂しさに近いものだった。カナには、それは何と呼ぶ感情なのか言語化することはできなかった。

 けれど、確信があった。その瞳は、いつしかの鏡の奥、自分が宿していたものであったと。


 独りきりで抱え続けた者だけが見せる、虚しくて、触れたら壊れてしまいそうな瞳だ。底知れなく感じた彼女の中に「それ」があることを感じて、カナは自分の考えを改める。


 魔物と相対している訳じゃない。相手は、一人の女の子だ。


 死ぬかもしれないだとか、何を考えていたんだ。

 正面から話せ。それが、礼儀だ。


「俺は、弱いです」


「うん」


「戦えないし、まともに剣も振れない。今だって、助けてもらったのにこのざまです」


「……うん」


 訥々と、自分の短所を語っていくカナ。

 けれど、その顔に弱気や恐怖の類はなく。


「でも、それでも何かできるって言うのなら。誰かを助けられるって言うなら。俺は、それを選びたい」


 最初から選択肢はなかった。取引を受けている時点で、これは拒めなかったのだ。

 でも、違うと彼は言い切る。これは自分で選んだ道なんだと、歩く道は自分で決めるのだと。


「……一つだけ、条件を付けさせてください」


「何?」


「貴女を救えるようになるには、多分強くならなきゃいけない


「そうだね」


「その力は、人を助けるためにも使いたい」


 仮に他人から受け継いだ力だとしても、自分の善意の為に行使する。その不遜を真正面から受けて、女は笑った。


「傲慢だね。でも、そのくらいのほうが好ましい」


 口を開きかけたカナを遮って、女は指を一本立てる。


「一つ質問させて」


「はい」


「君は、?」


 その意思を利用したおかげで要求を呑ませることができたとはいえ、その異常を彼女は知りたいと願った。

 ただの善意ではない。何かに強制されるように、彼は人助けを望んでいる。


「……特別な理由があるわけじゃないです。でも」


 カナの瞳が遠くを見つめる。

 幼い頃の自分を、慰める様な口調で語る。


「俺みたいになって欲しくない。失うのは、もうこりごりだから」


 燃えた過去の中で泣き叫ぶ自分が、昨日の事かのように思い返される。

 あんな無力は、絶望は、誰にも味合わせたくない。


「……そうか。わかった。名前を訊いてもいい?」


「カナです。カナ・トーラド」


「良い名前。私は……そうだな。ネロ、って呼んで」


「これからお願いします、ネロさ」


「敬語禁止」


 こどもっぽく笑うネロが、カナの唇に人差し指を当てる。

 もっとも、感触は感じないが。


「長い付き合いになるんだから、最初から普通に話そう」


「わかりま、わかったよ。ネロ」


「それで良し。宜しくね?カナ」


 二人しかいない──はた目からはカナが一人で喋っているようにしか見えない──病室の中で、彼らの取引は成立した。

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