救護班のさぼり魔

 世界迷宮第一層にて、一人の女が佇んでいた。

 短く切り揃えられた薄黄色の髪が、その足元から吹き付ける風で揺れている。水晶のように美しい水色の瞳が、驚愕と困惑の間で揺れ動いていた。


「サボってた筈なのになぁ〜」


 ため息をつきながら、間延びした口調でそう宣う。

 彼女がこうも気分を沈ませている理由は、目の前に存在する、大きな穴だった。人が落ちるどころか数十人流し込んでも詰まらないだろう規模だ。


 女は恐る恐るといった様子で、魔法を紡ぐ。


「【サラド響空エコリア】」


 女の掌から、鈴のようなか細い音が響き渡る。


 その魔法は、音を出す魔法だ。勿論それだけではなく、発生した音が反響し、地形を術者に伝えることができる。

 女は、それによって縦穴の深さを推測した。


「十六……いや、十七階層かなぁ?」


 どちらにせよ、深すぎる。


 縦穴と言っても、滑り台のように湾曲しているようだ。

 つまり落ちたとして、全身が擦り傷だらけになるか、運が悪くても骨折ぐらいの怪我で済みそう……だが、問題は辿り着いた先だ。二桁階層、常人には到底たどり着けない領域である。


 そこに、もし一般人が落とされてしまったら?

 結果は、言葉にするまでもないほど明確で


「……一応報告しとこうか」


 めんどくさそうに息を吐き出す。

 そして、懐から何かを取り出した。それは、水晶の取り付けられた箱としか表しようのない物体であった。

 それは「魔力波形通信型交信機」と呼称されるもので、俗に言う通信機である。


「あー、あー、聞こえますか」


「こちら本部。接続は良好だ」


「了解。こちら救護班リミア・レストレング。地形変動の報告です」


 淡々と言い切る彼女、リミアの言葉に、通話相手である男が驚愕を示す。


「!本当か!?」


「縦穴型ですね~。恐らく行き先は十七階、不安定さも無いのでできてから数十分は経ってるでしょ」


「場所は!」


「一階層、森林の……あれだ、泉近くです」


 救護班。

 迷宮内部の負傷者を救助したり、迷宮の変動によっての被害を調査したりと迷宮探索の縁の下の力持ちとして活動するものたち。


 その本部に、リミアは報告を伝える。


「……成程、了解した。すぐに増援を送る、待機を」


「わかりました~」


 ぶつ、と糸が千切れる様な音と共に、通信が途切れる。

 再び静けさだけが支配した空間の中で、彼女は息を吐き出した。僅かに残っていた怯えを吐き出すように。


「知ったこっちゃないよね」


 待機しろと言われて、ああそうですかと黙ってられる程お利口ちゃんじゃない。

 誰かが巻き込まれていたら、増援なんて悠長な事は言ってられない。それに


「私が命令無視するの何て、いつものことで、しょっと!」


 彼女は故郷の道を歩くかのような自然さで、縦穴へと足を踏み入れる。

 奈落へ、体が落下していく。




 ◆




「うっ、へっ、ぐわっ!?」


 ごろごろ、と縦穴から転がるように、リミアが現れる。

 だが、彼女の体に傷はなかった。迷宮に潜っていくことで、人間は少しずつ超人になっていく。それによって上がった肉体強度と、魔法による衝撃緩和で彼女は縦穴を無傷で落下した。


「いったた……」


 何度か服に付いた煤を払った後、リミアは大きく息を吸い込む。

 そして、息と共に、魔力の波長を放出した。青白い膜が何十にもなって迷宮を駆け抜けていく。


 それは簡単に言えば、生物を映し出す探査機レーダーである。

 生物は皆、体内に魔力を保有している。それを探知することで生物の居場所を把握する、基本技能だった。


「……くっ!」


 数秒停止していたリミアだったが、突然弾かれるように迷宮の中を駆けていく。

 それは、非常に微細な反応が探査機にひっかかってしまったから。


「「「QYA」」」


 彼女の眼前に大量の虫が現れる。

 悪趣味に笑うように羽ばたく虫を目の前に、リミアは腰に掛けた短剣を引き抜いた。


「邪魔」


 彼女が短剣を振りぬいた瞬間、風が吹いた。

 草原に吹き付けるそよかぜのように穏やかで、静かな風。それは絡めとるように虫たちを撫で、そして、殺戮した。


 足が千切れる。翅が両断される。体が細断される。

 方法は様々だが、向かう末路は同じだった。地面に死骸が落ちて行く音が響く前。最早彼女は動き出していた。


 滑るように走り出した彼女が、迷宮を進む。


 彼女の歩法は、特殊だ。

 早馬に並ぶほどの速度を誇りながらも、一切の音を立てない。その理由は、風を使った魔法にあった。彼女は厳密には地面を踏んでいない。地面スレスレで吹き荒れる風の上を、滑っているにすぎないのだ。


 彼女は滑り込むようにその現場にたどり着く。


 最初に眼に入ったのは、見るも無残な姿で倒れ伏している少年だった。

 質素で、迷宮に挑むしては頼りなさすぎる服装から察せられるのは、彼は望まずしてここに訪れたのだという事実。

 手には砕け散った剣が握られていて、どれだけ困難な旅路を彼が歩んだかを示している。


「息……!」


 口元に耳を近づけ、手首を掴んで脈を確認する。

 そのどちらも、弱くはあるが働いている。魔力の反応も消えていない。


「もうちょっとだけ、待っててね」


 少年を担ぎ上げ、リミアは前傾姿勢を取る。

 一刻も早く手当てしたいところだが、この階層は危険すぎる。自分一人ならどうにでもできる深さではあるが、彼を守り切れるかはわからない。だからまずここを離れて……


 ぴた、と。

 彼女の動きが停止する。


 少年の対面、壁によりかかるようにして、それは倒れていた。高名な騎士のように立派な甲冑、それを血と土で装飾し、剣を握ったまま異形の剣士が、息絶えている。

 胸に、斬撃痕を残して。


幽鬼グリオーガム!?」


 瞬時に彼女の頭を通り抜けたのは、一番ありえないだろう可能性。冒険者複数で囲うならそう苦労しない相手だが、一対一なら上層の中で幽鬼は上位の戦闘能力を持っている。

 その相手を、殆ど素人であろうこの子が倒したかもしれないという世迷言。


 ありえない。

 でも、それしかないだろう。


 胸に刻まれた斬撃痕。少年の右腕に残る、痛ましい傷跡。

 お互いに命を削りあってつけたとしか思えないその二つを見比べて、リミアは思案を繰り返す。


 無力で不運な何者かだったと思っていた少年が、得体のしれない異常であることに、否応なく思考は辿り着く。


 彼女は溜息をついた。彼を持ち帰ることによって生まれる不都合を天秤に乗せ、それは、片方に大きく傾いた。即ち、救わない理由にはならないと判断。


 そして、通路を真っすぐに駆けだしたのだった。


「面倒ごとに頭突っ込んだ気がする~」


 口ではそう言いながらも、リミアの表情に一切の後悔はなかった。


 命令よりも人命を。

 組織に属する上では非常に厄介なその特性は、迷宮に於いて人を助けるのに何よりも必要なものだ。命を救うために吹き荒れる救いのそよ風。


 それが、迷宮救護班、班員。

 リミア・レストレングという女なのだ。


「ふっ!」


 魔物達の攻撃を危なげなく回避し、リミアが進んでいく。


 少年、カナ・トーラドは、二つ幸運があった。

 一つは、リミアが命令を無視したことによって彼の命が尽きる前に助けの手が差し伸べられたこと。

 二つ目、彼女に追いつけるような魔物は、この階層に存在しないことだ。


 時に加速し、減速する。

 担いだ人間に負荷を与えないようにしながらも、攻撃も喰らわない、まさに達人技としか形容のできない挙動。それが、「最速にして最遅の救護班」と彼女が呼ばれる理由である。


 最遅とも呼ばれている理由は普通に命令を無視するからだ。

 たいていの場合、現場に到着するのは彼女が最後になる。


「……やるしかない、かぁ」


 彼女が目の前にするのは、迷宮に生まれた縦穴。

 降りてくるだけならいざ知らず、上るとなればそこには多大な危険性が付きまとう。

 地形を無視してくる魔物、迷宮の活動によ?縦穴の修復に巻き込まれたり……などなど、上昇中にそれらが発生すれば、少年はおろか自分も死ぬ。


 だが、それでも彼女は迷わない。


 自らが生み出した、風を踏みしめて。

 天空へ、体を登らせていった。



 ◆



 リミアの働きによって、カナは迷宮を脱出した。普通なら不運な少年が助かった、素晴らしい出来事であろう。


 だが、カナ・トーラドは最早普通の少年ではない。


 異常を背負った彼は引き寄せられるように、地獄へと踏み入れていくことになる。それが、背負った宿命であるから。

 恩人を、友人を、自分に思いを寄せる誰かすら巻き込んで、狂騒へと続く道。


 それが、彼が進む道こそが。

 英雄の道。

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