第11話 かけがえのない日常

「リズ! 進路はどうだ?!」


 竜巻の行方を観測していた僕たちのもとにオルガが帰って来た。無事に怪我をした男性を避難所に送り届けられたようだ。


「よっぽどアリアは魅力的な街らしいよ」

「冗談言ってる場合かっ……!」


 僕がそう言うと、オルガは怒ったようにツッコミを入れた。

 やはり真面目モードの彼には冗談が通じないらしい。

  

「これを止めるってか。冗談キツイぜ……」


 改めて対峙した竜巻に彼は恐怖と焦りの色を浮かべた。


 半刻前まで澄んでいた空は、黒点から入り込んだ不気味な雲に占拠される範囲が広がっていき、竜巻はますます育っていく。その大きさたるや、アリアをまるまる飲み込んで余りあるほどだ。周囲には時折稲妻が現れて、僕たちに牙を見せつけるようであった。


「策はあるのか……?」


 オルガの声は震えていた。勇猛果敢な彼が、不安を明らかにしたのは出会ってから初めての出来事だった。


「あるにはあるけど……成功率は10%未満ってとこかな……」


 少しでも高い可能性を示したいところではあったが、これぐらいが限界だ。

 先刻「やってみないとわからないだろ」と言い放ったオルガは、青ざめていた。

 

 ガラス鉱山では、失敗してもやり直すだけの猶予があった。

 ――が、今回はそれがない。

 さらには、失敗即ち、アリアが吹き飛ぶという、とんでもない重責を担っている。

 この状況でビビるな、という言われる方が無茶だ。


 だが、カノンの解釈は違っていた。

 

「じゃあ、やる価値があるね。……ねっ、オルガ!」


 彼女は芯が強い。そして、嫌味や驕りがない。

 故に内に秘めた逞しさが顔を覗かせた時には、行動や発言で周囲を感化する。元来、カリスマ性を備えた人格なのだろう。


 カノンの迷いのない意思表示に、オルガはやむなく顔を上げる。渋い顔で短く溜め息をつくと、覚悟を決めたのか両の拳を「おしっ!」と打ち付ける。すると、顔つきがガラッと変わった。


 すでに街に人影はない。崖に設けられた避難所の大扉は閉められていて、避難が完了したことを示していた。天然の砦が破られなければ――もちろん、その保証はないが――人的被害は錬成士に限られるだろう。

 

 街は大事だ。だが、それよりも当然命の優先度の方が高い。

 ここで二人が逃げ出したとしても誰も文句を言うことはできないはずだ。

 

 しかし、それでもカノンとオルガは背を向けなかった。


「二人ともありがとう……」


 心の底からの感謝を伝えると、カノンはいつもの優しい笑顔を浮かべ、オルガは指の甲で鼻を擦った。



「お。そういや頼まれてたモノ、持ってきたぜ」


 彼は思い出したように腰に巻いていたベルトを外した。

 そこには二丁の口径が太い銃がホルダーに固定されている。


「中身は指示通りだ。まさかこれで対抗するわけじゃないよな……?」

「さすがに、ね。でもこれが、アリアと僕たちの命運を決めるかもしれない」



 僕はそれを受け取ると、二人にはここで待つように言って、半円状に街を囲む崖に続く丘陵を駆け上がっていった。


 間もなくして崖の上に到着すると、息つく暇もなく小高い場所を求める。

 これから打ち上げる信号弾の視認距離を少しでも稼ぐためだ。


 辺りを素早く散策して想像と近しい場所を見出すと、それは奇しくも両親の墓の前であった。およそ一カ月前、旅からの帰還をユナと約束したあの場所だ。


 僕はユナとの会話を思い出しながら二人の墓標を背にすると、二丁の信号銃をホルダーから抜いた。


 片手で引くには重い引き金を精いっぱいの引き絞ると、銃口から一直線に煙が伸びていった。

 その色は黒と緑。普通は信号弾として使用しない、意味を持たない色だった。


「きっと、届くよね……」


 青空と黒雲のせめぎ合い中へ割って入った二色を見上げてから、その場を後にした。



 


 迫りくる竜巻を横目に、息を切らして二人のもとへ戻ると、補助スタッフのニーナが到着していた。


 オルガが錬成したのだろうか、いつの間にか風をしのぐ為の囲いができていて、そこに根源石クリスタルを運び込んでいた。


「リズ君。信号弾、あれでよかった?」

「うん、ばっちり!」


 彼女の問いにそう応えると、ニーナは嬉しそうに笑った。

 避難所に向かうオルガに信号銃と根源石クリスタルの手配を依頼したのだが、向こうで差配してくれたのがニーナだったのだろう。


 用意してもらった根源石クリスタルは三等級と四等級。

 二等級もお願いしてみたが、やはりアリアの備蓄はひとつしかなく、ヴィレス所長たちが運び出したとのことだった。が、そもそも僕たちのレベルで扱えるかは不透明だったので、大きな問題ではない。


「それとね……、助っ人を連れてきました!」


 ニーナがそう言うと、根源石クリスタルを運び出した馬車の荷台から、数人の錬成士と街人ちょうにんが姿を現した。その中にはなんと、義母かあさんとユナの姿もあった。


「どうしてここに!?」


 僕は困惑した。避難所で安全を確保していたはずの人たちが、ここへ出て来る理由がわからなかった。


「この人たちはみんな、錬成光マナ移譲が出来る人たちなんだ。三人であれに対処するのはちょーっと酷かなって思ってね」


 その差配は非常にありがたくはあったが、やはり危険すぎる。人的被害が拡大する可能性もある。


 僕が避難所に引き返すべきだと口を開こうとしたその時、声をあげたのは意外にもユナと義母さんだった。


「お兄ちゃん、私たちにも手伝わさせて!」

「リズ。ここは私たちの街なんだ。指を咥えて待ってるだなんて、できやしないさ」


 その言葉に街人は一様に強く頷いた。

 僕は彼らを守るべき対象だと考えていたが、それは間違っていたようだ。


「……わかった。でも、危ないと思ったら必ず逃げるんだよ」

「私を誰だと思ってるの? 前司祭ノーテ・ヴェアトリクスの妹よ!」

「ははっ、そうだったね」


 調子に乗った義母さんの台詞が、今はとても心強かった。


「おっ。クラビアじゃねーか! なんでアリアにいるんだ」


 錬成士の中に知り合いがいたようで、オルガが声をあげた。


 姿形はあまり印象には残っていなかったが、確かクラビアという名は特務のひとりだったはずだ。加えて、オルガが序列じょれつで錬成した斧を欲しがったという変わり者だ。


「おばあちゃんちがここなんです。私たちのアーミエは一度それぞれがの街へ戻ったので」

「わりぃが力を貸してくれ。俺たちだけじゃ守り切れないかもしれねぇ」

「もちろんです。こんな綺麗な街を壊させやしません」 


 クラビアはオルガと並ぶと頭二つ分ぐらいの差があった。カノンと比較してもやや小さいぐらいだろう。

 眼鏡に三つ編みという見た目は、彼女の背格好と合わさって文官の印象を強くしていた。だが、それには反してこの場面でも挫けない屈強なメンタルの持ち主のようであった。



「じゃあ、そろそろ作戦を伝えるね」


 僕がそう切り出して概要を説明すると、オルガが素っ頓狂な声をあげた。


「……はぁ?!」


 驚き方は違えど、カノンも他の街人も同様であった。


「そんなことできるのか?!」

「じゃないと、マチルダの説明がつかない」


 正直、僕もこれには半信半疑ではあったが、理論的には合っているはずだ。

 

「でも、錬成の方法がわからないよ……?」

「大丈夫。布石を打ってある」


 カノンは実現性に疑問を呈したが、僕はそれを受け流して続きの説明に入る。

 ここで議論を重ねれば、かえって不安を大きくしてしまう。


 これを抱えるのは僕だけでいい――。


「こっちの準備が整うまで、あらゆる手段で竜巻を足止めする。もちろん、破壊できればそれに越したことはない。具体的には……」


 ペラペラと話してはみるが、正直成功するビジョンは見出せずにいた。

 兎に角、やれることを全力でやってみるしかない。


 破壊という観点では理論上、地表の温度を下げて消滅させる。もしくは相当程度の破壊力をもって散らす、ということになるだろう。


 どちらも非現実的ではあるが、前者はより一層困難だ。いま世界エイリアは冬だというのに、目の前に竜巻があることを考えれば、地表付近を全て氷で覆うぐらいのことが必要になるだろう。水の特異錬成士でもいれば可能性はゼロではないかもしれないが、現状こちらは実現不可能だ。


 やはり最初から最高の技の全てを組み合わせて、足止めするしかない――。


「よし。じゃあ準備にかかろう!」

「「「おお!」」」


 僕の号令に、錬成士と街人が一斉に応えた。


 その光景はなんだか奇妙であった。

 少し前まではこんな風に人前に立って話すなんて、僕にはできないと思っていた。それなのに今は、できるかわからない作戦を如何にも成功するかのように語っていた。


 詐欺師のようで複雑な心境ではあったが、必要であることに間違いなかったので、結局まあいいかと思い直すことにした。


 守るべきものがあれば、人は強くなれるということなのだろうか――?



「オルガ……」


 僕はクラビアと作戦会議をしていた彼を呼び寄せた。

 最後の手段を伝えておこうと思ったからだ。


 人選の理由は単純。

 この方法で最大火力を出せるのは、オルガで間違いないからだ。


錬成光マナを温存しておいて欲しい。…………。」

「……わかった」


 オルガは了承した。が、できればこの手法は使って欲しくなかった。


 僕は世界エイリアのおける、あの科学者になりたくはなかった――。





 竜巻はガラス鉱山付近にまで迫っていた。

 街までの距離はおよそ二キロメートル。デッドラインはすぐそこだ。


「カノン、義母さん。頼むっ!」

「任せて!」「はいよ!」


 僕が指示すると、二人は迅速に錬成に入った。

 それぞれが錬成光マナをアクティブにすると、あたりに竜巻のものとは質の異なる風が入り込んでくる。


 カノンが錬成するときは春のような暖かさを感じることが大半であったが、今回流れ込んできた風は冬の凍えるような冷たさであった。


 しかし、真に驚くべきは義母さんだ。

 僕は義母さんが錬成するところを見たことがなかった。故に得意ではないのだと勝手に思っていたが、実際はそうではなかったらしい。

 身体に纏う錬成光マナは、カノンのそれよりも厚みと強度を感じるぐらいだ。


 二人が命じると、風たちは竜巻に向かっていき、その行く手を遮るように強く吹き荒れる。

 竜巻の進行速度がわずかに遅くなり、こちら側に吹く風が一時的に弱くなった。


「今だっ! オルガ、クラビア!!」

「おう!」「はい!」


 馬に跨っていた待機していた二人は、一直線に竜巻に突撃していき、数百メートルまで迫る。


 素早く馬から降りると、錬成を発動。まもなく、二人の背中越しに高さ十数メートルの分厚い鋼鉄が壁のように生えていく。

 前方からの強度が上がるように鋼鉄の後ろには支柱が斜めに設置されていた。


 錬成光マナのアクティブ状態を解除して、二人は再び馬の飛び乗るとこちらへ退避する。


「物理防壁に風を付与して、錬成光マナの制御を解除っ!」


 オルガとクラビアが安全圏まで来たことを確認してから、僕はカノンと義母さんに指示を出した。


 風を長時間コントロールしていた二人は、息を荒くしている。かなり錬成光マナを消耗してしまったようだ。


 しかし、物理防壁を中心に風の保護を拡張した、広い範囲を防御できる混成防壁を錬成することができた。


「全員錬成光マナ移譲を受けて! 補給部隊、お願いします!」

「「「はい!」」」


 錬成を行なった四人のもとに、見習い錬成士と街人で構成された補給部隊が駆けつけて、錬成光マナの移譲を始める。

 それぞれの錬成光マナがアクティブになると、蛍のような光が四人の中へと吸い込まれていっていた。


 視線を前方に戻すと、物理と風の混成防壁と竜巻が接触するところであった。

 3……2……1……。


「いけるっ!」「耐えてるっ!」


 補給を受けながら、状況を見守っていたそれぞれが声をあげる。


 風と風がぶつかる音は、まるで巨大な獣がうめき声をあげているようだった。そこかしこで、竜巻に巻き込まれた木枝がバキバキと折れる音が響いて、衝突の猛烈さを物語っている。


 しかし、防壁とせめぎ合っていた竜巻の外周部の風が、密度の高い中心部の風に押し込まれるようになってくると、その圧力に物理防壁が変形を始めてしまう。

 オルガとクラビアが錬成した二枚の防壁の間をこじ開けられると、風の防壁への負担が大きくなり、まるで伸びきったゴムが切れてしまうように、最後は効力を失ってしまった。

 耐えることができたのはおよそ数十秒。絶望的な数字だった。


「まじか……」「うそ……」


 錬成士の間に落胆が広がっていく。


 このメンバーの最大の錬成を組み合わせて造った防壁を軽く突破されたことで、再び僕の中の焦りが強くなっていった。

 

 街の向こうを振り返るが、変化はない。

 くそっ……! 間に合わないのか――?!


 思わず外套をギュッと握りしめると、その瞬間何かが手に当たるのを感じた。

 外套を捲ってみると、それは未だ腰に装着されていたままの信号銃だった。


「使えるかも――」


 僕は素早く錬成光マナをアクティブにして、右手に収束させたそれを握りしめるように圧縮すると、銃口へと装填。そこに根源石クリスタルを投げ込んだ。


 錬成光マナに付与したイメージは爆発。

 カノンを救い出す時に造った鍵の工程を応用して、すぐには錬成が発動しない様にしてある。これがうまく設定されていなければ大惨事であったが、問題なかったようだ。


 僕は信号銃を両手で構えて竜巻の中央へと照準を合わせる。

 トリガーを引き絞ると、粉塵を打ち出したような不思議な発射音がした。


 錬成光マナだけを打ち出したガラス鉱山の時とは異なり、重厚な反動が僕を襲ったが、それと比例して打ち出された一撃は高火力であった。


 青白い炎を纏った光の塊は風をものともせず、竜巻へと侵入する。

 しかし、弾が見えなくなっても何も起きず失敗したのではないかと思った直後、竜巻の内部で大爆発が起こった。


「す……すごい……」


 その爆発音が止むと、誰かがそう言うのが聞こえた。


 爆風で渦を巻いていた風が吹き飛ばされて、竜巻の向こうの景色が目に映った気がしたが、それは一瞬のことであった。


 健在だった竜巻の上部から風が降りてくると、途切れた箇所が再生されてしまう。


 『それならば』と思った僕は、二丁の銃に同じ処理を施そうと錬成光マナを両手に収束させる。が、その最中、急な吐き気を催した。


 僕はその身体的な反応を我慢できず、何かが喉を無理やりり上げるのを感じると、それを口から吐き出してしまった。


 気が付けば、目の前の緑が鮮やかな赤に染まっていた。


「リズっ!」


 異変にいち早く気付いたカノンが悲鳴交じりに僕の名を呼んでいた。 


 視界が点滅するように途切れる中で走り出そうとしたカノンに見つけると、僕は笑みを浮かべて左右に首を振る。


 カノンは悩んだ末に僕の意思を汲むと、制するのを諦めたようであった。


 途切れそうになる意識をなんとか保ちながら、信号銃に根源石クリスタルを投入すると、その切っ先を竜巻の上部と下部へと向けた。


「吹き飛べえぇぇぇっぇぇっ!!!」


 僕は絶叫と共に引き金を引き絞り、二つの錬成物アーティファクトが真っ直ぐに打ち出される――はずだった。


 だが、一発目に使った銃だろうか、弾が放たれた瞬間に銃口が崩壊してしまう。

 僕が意図した方向へは射出されず、あらぬ方向で爆発を起こしてしまった。


 幸いにも竜巻の上部へ向けていた銃であったため、仲間や街への影響はなかったが、全身全霊を込めた一撃は先ほどと同様、一時的に竜巻を消したに過ぎなかった。


 打ち出した衝撃で左右の腕が後方に弾かれて、僕はうずくまってしまった。

 余りの痛みに呼吸が上手くできない。もしかしたら両肩とも脱臼してしまったのかもしれない。


 吸って、吐いて。吸って、吐いて――。


 息をしようと必死に意識はしてみるものの、いっこうに上手くいかない。身体がいうことを聞かないのだ。


 冷汗が体中からわき出すのを感じる。だんだんと途切れ途切れだった意識のブラックアウトする時間が長くなっていった。


 これで……終わりなのか――。


 僕が絶望へと吸い込まれそうになったその瞬間、誰かが僕の身体をそっと包んだ。


「カ……ノン……だいじょ……うぶだ……」


 なんとかそう言って顔を上げると、そこにいたのは――。


 オルディン司祭――僕の叔父さんだった。


「リズ、よくやった……。後は任せろ」


 ぐちゃぐちゃの意識の向こうに浮かぶ叔父さんの顔が妙に懐かしく、体中から安堵が湧いてきた次の瞬間。


 僕は意識を失った――。






 男は窓の外を眺めていた。


 L字型の机に散乱する資料や、今にも崩れそうな積みあがった本を片付けることもせず、ひとり窓辺に佇んでいる。


 その景色は至極優美で、木々や芝生の緑を基調に、屋根瓦のオレンジがアクセントとなって、まるで絵画のようであった。空は随分近くにあるように感じて、手を伸ばせば青を漂う雲を掴むことができそうだ。


 そんな世界エイリアの景色は、男を癒す唯一のものであった。


 男は腕に付けた端末から一枚の写真を投影する。

 そこには楽しそうな笑みを浮かべる三人の錬成士と小さな男の子が映っていた。


「シュラーク……なぜ私だったのだ……」


 写真に目を落としながら彼はそう呟いた。


 男と似た特徴を持つ写真の中の人物は、彼よりもひとまわり小柄な男と肩を組んでいて、兄弟のようによく似た笑顔を浮かべている。

 

 長年、その疑問への答えを得ることができていないのだろうか。発せられた言葉には強烈なもどかしさと深い悲しみが込められていた。

  

「すまない、リズ……」


 武骨な指を握った十はいかないであろう写真の中の男の子に、男が指を伸ばそうとした、その瞬間――。


 窓から強い光が入り込んで、晴天の空に雷鳴が轟いた。


 獰猛な動物でさえも怯むであろう形相で男が窓の外を凝視すると、やがてある一点を見つめて、その目つきをさらに鋭いものへと変えていった。


 机の引き出しを勢いよく開けて、いくつかの箱の中からひとつを選び取ると、その中には美しい球に整えられた根源石クリスタルが納められていた。


 それを小箱ごと懐へと放り込むと、掛けてあった外套を雑に掴んで扉を出ていった。



 男が地上階へと降り立つと、ひとりの錬成士が昇降機の到着を待っていた。


「今ご報告に上がろうとしていたところです、司祭」

「アドレーニか。特異点はすでに視認した。対象の錬成士はどうなっている」

「ベンジャミン・アルテミスと、マリエル・エウロスへの通達部隊はすでに中央神都シンシアを出発。事後処理には間に合うかと……。所属の主要錬成士は外壁にて待機」


 司祭は歩みを進めながら報告を聞くと、その手腕に感心を示した。 


「指揮はお前が取れ。俺はしばらく静観する」

「よろしいのですか……?」

「あぁ。今回は歴史が参考にならんからな」


 アドレーニは小さく頭を下げると、それから思い出したように報告を追加する。


「アリアの錬成士が丘で待機しているとのことです」

「ヴィレスか。こちらを回避した場合は拠点を丘へ移行。アリアへ向かう前に潰せ」

「御心のままに……」



 二人は地下への退避が進む街を横目に、外壁へと向かう。

 強い風に打ち付けられてガタガタと音を鳴らす馬車の窓からは、色を失いつつある赤の信号弾が風に流れていっているのが見えた。


 大門に馬車を止めると司祭とアドレーニは外壁内部に設置された階段を登っていく。やがて現れた、暗がりに差し込む光の扉を潜ると、一気に視界が開ける。


 そこからはオーデンヴァルの森を越えて、オルレアン街道の遥か向こうまで見渡すことができた。街道の終点であるゲルニカの街さえ、ぼんやりと浮かんでいるのを見て取れる。


 しかし、その景色に異様なものが存在した。


 黒雲がつくった風の渦だ。

 それはゆっくりと、しかし着実に地面へと先を伸ばしていた。



 四半刻もすると、付近で観測していた偵察部隊からの報告が入り、中央神都シンシアを回避する見込みであるとのことだった。それを受けて、アドレーニは拠点を丘へ移行する判断を下す。


 その最中、一人の錬成士がアリアとの丘陵の向こうに何かを見つける――。

 

 黒と緑の信号弾だった。


 報告を受けた司祭がそちらに目を向けると、迫る脅威にも動かさななかった表情を崩し、しばし立ち竦んだ。


 彼の中でその衝撃が止むと、激高するように叫ぶ。


「ゲオルグ! ガイヤ! 付いてこいっ!!」


 司祭は根源石クリスタルをひとつ手に取り、外壁を一気に駆け下りて行った。自身で馬車の手綱を取って、名前を呼んだ二人が乗り込むのを確認して急発進させた。


 居室がある塔の上層階まで逆戻りすると、司祭は瞬時に衝撃的なまでの錬成光マナを肉体へと蓄える。そして、根源石クリスタルを軽く放り投げると、それに思い切り右の拳をぶち当てた。


 根源石クリスタルは拳と当たった瞬間に吹き飛び、その衝撃で陽炎ノ塔の壁を破壊する。が、衝撃波が止むと、ただ壁を壊したのではないことが明らかになる。


 道ができていたのだ。

 その傾斜がついた空中道は遥か東へと続いていて、まるで滑り台のようであった。


「いくぞ」


 司祭は二人に短く告げると、腰に装備していた錬成石からスノーボードのような錬成物アーティファクトを三つ同時に錬成する。何気ない錬成に見えたが、上級錬成士でも言葉を失うような技だった。


 言い終わるや否や、司祭は自身がつくった空中道にボードを乗せると、それに飛び乗った。


「これ本当に行くの……?」

「…………」


 司祭について来た二人はしばらく躊躇していたが、渋々ボードの先をその道に置いた。







 僕の意識が回復したのは、竜巻が綺麗さっぱりなくなった後であった。


 夢での出来事だったのではないかと思ったりもしてみたが、ぼやけた視界にも竜巻の跡や爆発による痕跡はしっかりと残っていたので、現実で起きたことであるのは間違いないようであった。


っ……つつ……」


 起き上がろうとした僕は、体中の痛みに耐えかねてそれを途中で断念する。

 頭を地面に打ち付けると思って身体を固くした瞬間、後頭部は何か柔らかいものへとぶつかった。


「……?」


 瞬きで視界を調整すると、次いで耳も聞こえるようになってきた。

 気が付けば、頭上にはカノンの上半身があった。


「リズっ!!」


 僕が目を覚ました安堵からなのか、彼女の瞳には涙がこみあげてきていた。


「よかった……本当によ゛がっだ……」


 こぼれ落ちそうになる涙を何度も何度も拭おうとしていたが、次々とあふれ出すそれを受け止めきれずに、いくつかが僕の頬へとあたった。その涙は温かく、僕が、カノンが、生きているんだということを強く実感させてくれた。


「心配かけてごめん……」


 自分から出たはずの声は随分掠れていて、別人のようであった。


「ううん。私が……私の力が足りなかったの! だから……だからっ……」

「そんなことないよ。それに、カノンは僕を止めようとしてくれた」


 再び頭を上げようとすると、カノンは流れる涙をそのままに僕を助け起こしてくれた。

 あちこちがめくれ上がった地面にようやく起き上がると、座ったままカノンのことを抱きしめた。


「カノンがいたから僕は頑張れた……。叔父さんが来るまで踏ん張れたんだ」


 そう言うと、僕の肩で彼女は「うん……うん……」と何度も言って鼻を啜っていた。


 カノンを抱きしめながら空を見上げると、世界エイリアには晴天が戻ってきていた。黒雲も、黒点も、もうどこにもない。


 ガラス鉱山――だったものがあった方向には竜巻が歩んだ痕跡が痛々しいほどに刻まれていて、木々や草原、僕たちが錬成した線路や荷車、その全てが原型を保っていなかった。怪獣が全てをひっくり返してしまった後のようだ。


 叔父さんが全てを解決してくれたのだろうか――。


 事の顛末に想いを馳せていると、クラビアとオルガの声が聞こえてきた。


「オルガさん! オルガさん……! しっかりしてください!!」

「あぁ……大丈夫だ……。だいぶよくなってきた……」


 そこには座り込んでいるのがやっと、というオルガの姿があった。


 カノンは落ち着いてきたのか僕の肩から顔を離すと、彼の活躍を教えてくれた。


「竜巻を消滅させたのはオルガなんだよ」

「えっ? 叔父さんじゃなくて……?」


 彼女は首を振る。


「司祭は空を修復して、黒点を先に消滅させたの。だけど、それでも竜巻は消えなくて……。司祭は反動でしばらく動けなかったし、どうしようってなったんだ」

「それでオルガが……?」

「うん。根源石クリスタルの圧縮技法を応用して竜巻を吹き飛ばしたんだ。だけど、想定よりも近くで爆発したみたいで、オルガも爆風で吹き飛ばされちゃったの……」


 その技法は作戦前に僕が伝えたものだった。

 根源石クリスタルは等級が高くなるほど、サイズが大きくなる。そうなると持ち運びが困難になるため、錬成の効力はそのままに根源石クリスタルのサイズのみを小さくする技法が開発されていた。

 これには多量の錬成光マナが必要になることから、拡縮の錬成士があたることが大半だ。故に、拡縮の『縮』はここから来ている――と、言われている。


 しかし、世界エイリアにはこの処理をされていない根源石クリスタルの方が圧倒的に多い。


「…………。それなのになんで僕より軽傷なの?」

「ふふっ。それはオルガが頑丈だから、かな」

 

 そう言って、カノンは笑った。

 

 後に聞けば、みんなを巻き込むまいと単独で前に出たオルガを、彼女と義母さんが風で守ったのだそうだ。

 それでも、地面へ激突する前にクラビアがクッションとなる錬成物アーティファクトを錬成していなければ、大怪我は免れなかったらしい。それはとんでもない早業だったと、みなが口々に言っていた。


 僕たちは仲間の錬成と機転のおかげで、無事でいることができた。




 あの竜巻――悪魔を退けてなお、こうして笑っていられるのは、もしかすると太陽神シンシアしんの加護というやつなのかもしれない。


 僕は平和にもそんなことを思った。


 街の方を見れば、崖の扉が開いて街人ちょうにんたちが少しずつ外へと出てきていた。彼らは自分たちが住む街が健在であることに驚き、そして喜びに満ちた歓声をあげる。


 ここは彼らの街、アリア――。

 僕たちが全てを賭けて守り切った、かけがえのない日常だった。

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