第10話 悪魔の再来

「八年前と同じじゃ……」


 少しずつ空を黒く染める穴から目を離せなくなっていると、誰かが呟くのが聞こえてきた。その聞き覚えのある声に顔を向ければ、トレードマークのぎの外套がいとうけた商人が立っている。


「トトさんっ!」

「危機は去っていなかったのじゃな……」


 僕の呼びかけが聞こえていないのか、トトさんは幻を見ているかのような精気のない表情でそらにあいた穴を見上げていた。彼の肩を揺らしてやると、ようやく正気を取り戻してきたらしく、開き切った瞳に光が宿る。


「トトさん、しっかりして!」


 泣きそうになるカノンが呼びかけると、トトさんはようやく僕たちに視点を合わせた。


「おや。リズ君……カノンさん……」

「みんなシェルター……じゃなくて、崖の方に避難してるから早く逃げないと!」

「おおっ! そうじゃったそうじゃった」


 その様子を心配したオルガが避難を呼びかけていた補助スタッフを一人連れてくると、トトさんを避難させるように依頼する。


「三人とも気を付けなされ。あれは悪魔が来る前触れじゃ……」


 忠告を残すと、トトさんは錬成士の補助スタッフに支えられて去っていった。

 

 オルガは離れていくその姿を追ってから、耳にした内容を疑うように僕たちに言った。


「悪魔……って言ったか?」

「うん……」

「どういう意味、かな……?」


 カノンも耳を疑うようなセリフに困惑していた。





 トトさんと同様に空を見上げたままほうけたり、頭を抱えてうずくまっている街人ちょうにんに補助スタッフが声を掛けては誘導するのを、僕たちは幾度いくたびも目撃しながら詰所へと向かった。


 いつもの待合室には依頼主は一人もおらず、アリアに所属している錬成士がこれほどいたのかと驚くほど、白の制服をまとった人物たちが集まっていた。


 意見を交わす者、地図を見ながら何かを議論する者、あちこちを駆け回る者。様子はそれぞれだったが、誰しもが不安そうな表情を浮かべている。


 僕たちが世話になっている補助スタッフのリーダー的な立ち位置のニーナを見かけて、喧騒けんそうに紛れない様に声を張った。


「どういう状況っ?!」

「上空に黒点こくてんを確認! 竜巻が発生しているとの情報があるわ!」

「竜巻……だと……?」


 オルガが目を見開いて反芻はんすうする。


「偵察隊が向かってるから報告があるまで待機っ!」


 世界エイリアの天候は安定している。もちろん多量の雨や雪が降る日も、強風が吹き荒れる日もあるが、外に出られないような日はそう多くない。人々はこれを『太陽神シンシアしんの加護』と呼んでいて、節目節目で日々の感謝を伝えに祈りの間へとおもむく。

 だが一方で、平穏が崩れた時には加護が破れたと解釈する人もいると聞く。大いなる災いが訪れるという伝承が残っているのも影響しているのだろう。


 ニーナの報告に僕たちは顔を見合わせていると、偵察隊と思わしき錬成士たちが、まさしく息を切らして詰所の入り口に現れる。中にいた錬成士たちは気付いた者から口を閉ざし、詰所には異様な静けさが訪れた。


 注目を集める中、偵察隊の一人が震える身体を押さえながら報告する。


「南西十五キロに竜巻の発生を確認。北進の兆候あり!」 


 錬成士たちには、一気に緊張が走った。


 南西から北進となれば中央神都シンシアへの直撃もあり得るため、アリアの防衛優先度は必然的に下がる。となれば、陽炎ノ塔から応援が派遣されないかもしれない。


 動揺の広がりとともに、詰所の喧騒はより大きなものへとなっていった。統制が取れなくなるのではないかと危惧するほどに混乱が広がり始めたその時――。

 

狼狽うろたえるな!」


 ゴンと床を鳴らす音と共に、一喝いっかつする声が響いた。

 

 声のする方に注目すると、その音の正体が明らかになる。

 ヴィレス所長の強化杖ロッドだった。

 

「アリアは我らが住む街。誰かの助けを当てにしてどうするっ!」


 普段の穏やかさからは想像もつかないほどの迫力と、街への想いが込められたその一言に、誰もが自らの動揺を恥じて口をつぐんだ。


「非常時こそ我ら錬成士の真価を問われる時! 叡智えいちを結集し、これに対処する!!」

「「「はいっ!」」」


 その短い言葉で、バラバラだった錬成士たちの心を一つにしたヴィレス所長の器量きりょうには、感嘆かんたんするしかなかった。


 錬成士たちは深く息を吐いたり、頬を手のひらで叩いたりして、己を奮い立たせるようとしていた。


「上級のアーミエ以外は属性を優先して上級・下級錬成士で混成部隊を編成。拡縮かくしゅくは物理防壁、特異とくいは属性防壁の錬成。精錬せいれんは防壁の脆弱部ぜいじゃくぶふさげ! 錬成士見習いは取れ残された街人の探索、保護だ! それでは、散開さんかい!!」


 所長の指示を受けると錬成士たちは一斉に準備に入った。


 非常事態が宣言された場合は、詰所に備蓄している三等級以下の根源石クリスタルの無条件使用が許可される。これは等級ごとにまとめて現地へと運ばれて、必要な分をガンガン使っていくような形だ。事前に設置する防壁は主にこの辺りを使用していくだろう。


 一方で、本命兼最終手段となるのは二等級の根源石クリスタルによる防壁だ。錬成士の技量にもよるが、こちらは竜巻から街を防御できるほどの錬成ができる可能性を秘めている。

 が、その大きさから前線への配備に時間がかかり、なおかつ数に限りがある。おそらくアリアのような主要都市でさえも、一から二個しか備蓄されていないはずだ。つまり、ほとんど一発勝負といえる。


 等級の高い根源石クリスタルは鉱山でも滅多に発掘されない。二等級以上ともなれば年にひとつ発見されれば良い方だ。


「僕たちも下級錬成士同然だ。それぞれの錬成部隊に加わろうっ!」


 カノンとオルガの実力を知る僕としては、部隊に加われば二人の活躍は間違いないと思っていた。ゆえにその方針を示すが、カノンとオルガは初めこそうなずいていたが、僕を見ていた視線がやや上へとれていった。


「リズ殿――」


 不意に名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのはヴィレス所長だった。


「リズ殿のアーミエは街人の保護に当たってください」

「――どうしてです?! 僕たちも部隊に参加させてくださいっ!」


 僕は賢明に訴えたが、所長はかたくなに首を縦には振らなかった。


「街人を保護した後は……崖の避難所に身を寄せて補助スタッフの手助けをお願いします」

「な――っ?!」


 僕たちは愕然がくぜんとした。こんな時に錬成士としての力を発揮できないなど、名折れもいいところだった。


 納得がいかないまま所長に連れられて部屋の隅に収まると、あたりの騒音に紛れるように声を小さくした。


「お三方とも、落ち着いて聞いてください」


 所長はそう切り出した。

 その様子にどこか嫌な予感がよぎって、僕はゴクリと唾を飲んだ。


「今後、世界エイリアには相次いで災いが訪れます」


 その確定的な言い方には明らかな違和感をはらまれていたが、それを笑い飛ばせるような状況に僕たちは置かれていなかった。


 カノンが眉尻まゆじりを下げて聞いた。


「どういう……意味でしょうか……?」

「つまり、竜巻は始まりでしかないということです。私はこのアーミエに可能性を感じています。今、皆さんを危険にさらすわけにはいかない」


 その言い分に抵抗すべく発言しようとしたが、所長の方が早かった。


「残念ながら議論している時間はありません。これは所長としての命令です」

「……わかりました」


 納得せざるを得なかった僕たちは、渋々あごを引いた。

 所長はそれを見て自身も頷いてから、僕の方へと向き直る。


「リズ殿の両親は素晴らしい錬成士でした。あなたもいつか、お二人に肩を並べる錬成士になっていくのを期待していますよ」


 そう言って所長は微笑むと、錬成士たちを引き連れて前線へと向かっていった。





 僕たちが詰所を出て、真っ先に向かったユークリッド食堂はもぬけの殻だった。義母さんとユナは既に避難したようで、食堂の一番手前の机には『シェルターへ行く』とユナの字が書かれた紙だけが残されていた。


 安堵した僕たちは荒れ狂う風の中へ出て、残された街人ちょうにんがいないかを探して歩いた。

 ある民家の脇で風に倒された建材の下敷きになった女性と子供を助け出すと、足を怪我した女性を負ぶって、避難所に向かうことにする。


 その道中、オルガが言った。

 風の勢いが激しく、かなりの大声でないと会話が成立しない。


「今思えば、八年前の事故の前にも今日と同じようなことがあった気がしないか?」

「ごめん。実はあの頃の記憶が曖昧なんだ……」


 僕は両親を失ったショックからか、事故付近の出来事を断片的にしか思い出すことができない。丘の上から見た中央神都シンシアの光景もそのひとつだ。


「いや、すまん。思い出したくないこともあるよな」


 気まずい雰囲気が流れると、子供と手をつないだカノンが助け舟を出した。


「私、コバヤシから聞いたのを覚えてるよ。確かマチルダって街の付近で竜巻が発生して壊滅的な被害があったんだって」

「それだ! やっぱりあったんだな」

「うん、オルガの記憶違いじゃないよ」



 風に抵抗しながら避難所に着くと、駆け寄って来た補助スタッフに二人を預ける。

 中は洞窟のような雰囲気だったが、高さも奥行きもあり、奥には長テーブルと椅子も用意されていた。避難した街人ちょうにんはそこで家族や知り合いの安否を確認し、無事を喜びあっている。


「私たちもここで待機だね」

「だな」


 そう話している僕たちのもとへ、補助スタッフの一人が男性を連れてやってきた。


「親父を見ませんでしたか?! ここにいないんです!」


 不安と焦燥の入り混じった必死の訴えだったが、カノンは冷静に応対する。


「落ち着いてください。その人はどんな見た目でしょうか?」

「つなぎを着ているガタイのいい男です。歳は五十前半」


 それを聞いた僕はハッとする。

 おそらく僕たち全員が同じ人物を思い浮かべただろう。 


「――っ?! その方ってガラス工房を営んでいませんか?」

「どうしてそれを――?」


 男性は不思議そうに聞いたが、オルガはそれには取り合わず質問を重ねる。


「おい! まさかガラス鉱山から戻ってないんじゃないだろうなっ?!」

「昼に工房を出たのですが、どこへ行ったかまでは……」


 アリアの街は勘で探すには広すぎる。それにあの男性なら多少の事なら自身でなんとかしてしまうだろう。やはりガラス鉱山に行き、何かしらの理由で戻れなくなっていると考えるのが妥当かもしれない。


 だが、この予想を外して他の所で救助を待っているとすれば、かなり時間を失うことになる。

 僕たちが避難してきたときには、風がかなり強くなってきていた。竜巻が襲来するまでにどのぐらい時間が残されているのか……。


 行動を起こすには何かしらの確信がほしい。


「レールだっ!」


 そう思っていると、オルガがひらめいたように声をあげた。


「荷車が街側にあるか、鉱山側にあるかで判断できるんじゃないか?」

「オルガ、ナイス! すぐに向かおう!」



 男性を避難所に残るように説得してから、僕たちは東の街外れに設置した運搬用のレールへと向かった。


「おい……荷車がねぇぞ!」

「やっぱり鉱山に取り残されてるのかも……」

「どうする?! 走っても往復で四半刻はかかるぞ」


 南西方向を見れば、そらにあいた黒点から黒い雲が入り込み、竜巻が地面へと伸びているのが確認できる。時間はあまり残されていないようだ。


「任せて」


 僕は短く言って、腰に付けたポーチから五等級未満カケラを取り出した。

 すぐに目をつむって錬成光マナをアクティブすると錬成を開始する。


 ここ一カ月の錬成の中でも強く印象に残っているイメージなので記憶は鮮明だ。はやる気持ちを押さえながら足回りの細かい箇所まで造りを思考すると、五等級未満カケラ錬成光マナに融合させた。


「よしっ」


 目を開ければ、この間造ったのと瓜二つの荷車がそこには出来上がったいた。

 ちなみに荷台に乗り込みやすように、脇にもステップもつくってみた。


「さすがだぜ……。俺が押す。乗れ!」


 僕とカノンはできたばかりの錬成物アーティファクトに飛び乗ると、オルガは荷車を勢いよく押し始めた。



 オルガの走力とパワーは凄まじく、いちキロ強の距離をあっという間に消化してガラス鉱山に到着した。


 素早く荷台から降りて状況を確認すると、積み上がっていたガラス片があちらこちらで雪崩なだれのように崩れている。


「これはまずいな……。どこかに巻き込まれてたら骨が折れるぞ」


 僕は短時間思考に落ちると、すぐに答えを出した。


「指笛!」

「それだ!」


 オルガはすぐに指で輪つくり強く吹いた。が、反応はない。

 少し間を開けてもう一度吹いてみるが、やはり変化はなかった。


「やっぱり街に戻ってたのかな……?」

「しっ!」


 カノンが不安を口にした瞬間、オルガが人差し指を立てた。

 耳を澄ませると、かすれた様な甲高い音が聞こえてきた。


「聞こえる……?」

「あぁ。そんなに離れてない」


 オルガは定期的に足を止めて指笛を鳴らすと、それに返事をする音がだんだんと大きく聞こえるようになってきた。鉱山の奥の方ではなく、外周部に近いようだ。

 吹き荒れる風に危機感を感じて、男性は脱出を試みたのだろう。


「この辺りだ」

「かなり崩れてるね……」


 オルガが足を止めたところは、通路として使っていた箇所までびっちりとガラスが崩れていて、中まで侵入するのが難しい状況であった。


「おっさん!! どこだ!!!」


 ビリビリと響くようなオルガの声が辺りに響く。

 すると――。


「おい、おまえら!」


 と、目当ての人物の声が聞こえてきた。

 姿は見えないが、わずか数メートルの距離だと思われる。

 

「おっさん! 無事だったか!」

「無事だが、身動きがとれねぇんだ!」

「ちょっと待ってろ!」


 オルガは男性にそう告げると荷物袋から五等級未満カケラを取り出した。


「俺がやる」


 そう宣言してからオルガは目を閉じると、すぐにあのマグマのような錬成光マナたぎらせた。

 右手に集約した錬成光マナに左手で五等級未満カケラを落とすと、バチバチという音とともに錬成物アーティファクトが姿を現す。


 それはオルガしか扱えないような軽金属製の巨大なシャベルで、先端部分がいちメートル四方程もあった。カノンではおろか、僕でも持ち上げることは困難だろう。


 オルガは錬成の疲労も感じさせずに、間髪入れずそのスコップをガラス鉱山に差し込もうとした。が、カノンがそれを止める。


「ちょっと待って」


 スコップを地面に寝かせるように指示すると、カノンは荷物袋から五等級未満カケラを取り出した。


 カノンも僕たちと同様に目をつむった。

 錬成光マナが発光を始めると、吹き荒れる風とは異なる性質の温かい風が僕たちの周りに流れ込んできて、遊ぶように辺りを旋回せんかいすると、やがて彼女を中心に風の球をつくった。

 それを合図にカノンはパッと目を開けて右手を前に出すと、彼女を包んでいた風たちが一斉にスコップへと流れて込んでいった。なんとも不思議な光景だった。


 カノンの錬成光マナが静まっていくと、フワフワと浮いていた彼女の髪が再びいつもの所へ収まっていく。


「風が力を貸してくれる。オルガの力と合わされば山ごと動かせるかも!」

「助かるぜ。……うおっ、軽っ!」


 オルガがスコップを持ち上げようとすると想像以上に軽くなっていたようだ。力の加減を誤って、その先を空へと向けてしまう。


 改めて構え直すと、男性が埋まっていると思われる場所から少し離れた位置へと縦にしたスコップを差し込んだ。

 その意図は恐らく、崩れたガラスを山ごと横にズラすということであろう。


「さすがに無理でしょ! もうちょっと現実的な――」


 その無茶なやりように口を挟もうとしたが、その瞬間わずかにガラスの山が動いた気がした。僕は口を開けたままフリーズする。


「無理かどうかは、やってみないと…………わかんないだろぉぉっ!」


 と、力こぶを隆起りゅうきさせたオルガが雄叫びを上げた。コメカミの血管が切れてしまうのではないかと思うほど力を込めると、五メートルは積みあがっているガラスの山が、左右に崩れながらもゴゴゴゴという音と共に横にスライドしていく。 カノンの付与した効果なのか、シャベルの先が拡張されてガラスの山ごと押し込むことができていた。


「まじで……?」


 僕が驚愕を示している間に、男性が生き埋めになっているガラスの山が、無理やり空けたスペースに崩れ落ちていった。


 ガラスの雪崩が収まったところで僕たちが駆け寄ると、崩れ落ちたガラスの中から男性を見つけ出すことができた。身体が切り傷だらけで、土煙にケホケホと咳き込んでいたが、意識はしっかりしているようだ。


「おい……もうちょっとマシな救出方法があっただろ……」


 と、開口一番に文句が出る辺り、命に別状はなさそうだった。


「助け出してやれただけいいと思ってくれ」


 オルガが安堵を浮かべながらそう言ってやると、男性は力ない笑みを見せた。


「オルガって言ったか。お前さんには助けられてばかりだな」

「俺だけの力じゃねぇ。仲間がいてこそだ」

「そうか……」


 オルガの回答に男性は白い歯を見せる。すると――。


「では。お三方に対して感謝申し上げる」


 と大きく声を張り上げた。

 男性の今までの口調からは想像もできないような、礼をもっての対応だった。


 その言葉に僕はジーンと来るものを感じていたが、オルガの返答の方が一枚上手だった。


「じゃあ今度、炒飯ちゃーはんごちそうしてくれよな!」


 その秀逸しゅういつな回答に僕たちは笑ってしまった。

 さっきまでのカッコよい彼はどこへやら。オルガはどこまでいってもオルガのようだ。



 笑いが収まると「街へ戻ろう!」と声をかけて、急ぎ帰りの準備に取り掛かった。


 足にも深い傷を負っていた男性を介助しながら、なんとか荷車に乗せるとそちらはオルガが押すことなった。

 一台に全員が乗るのはキツイということで、依頼の時に錬成した荷車にカノンを乗せると二台で街へ向かうことにする。


 向こうに見える竜巻はまだそれほど接近しておらず、なんとか避難所に送り届けることができそうだ。


 もしかすると、すでに防御作戦が始まっているのかもしれない――。


 そんなことを考えている最中、後ろから突如、ゴーッと突風が吹き荒れ始めた。さっきまでの強風とは異なり、しっかりと立っていないと飛ばされてしまいそうなほどの暴風だ。


「何っ?!」


 悲鳴のような声をあげるカノンを荷台の中にしゃがませると、間もなくその暴風は収まっていった。

 無事にやり過ごせたことに安堵した僕たちだったが、事態は好転したわけではなかった。むしろその逆だ。


「ウソだろ……」


 オルガがワナワナと身体を震わて見上げた方に視線をやると――。


 アリア南西の黒点とは別の空に、ひびが入り始めていた。

 

 始めの黒点が現れた時と同様、青空がガラスのようにバラバラと割れて新たな黒点が今にも発生してしまいそうな状況だ。

 

「おいおい。こっちからも竜巻が起きたら……」

「大丈夫。まだアリアへ向かうって決まったわけじゃない。とにかく一旦避難だ」

「そうだな……。いくぞ!」


 僕たちは不安を胸にアリアへと急いで向かった。





「大丈夫か! しっかりしろっ!」

「すまねぇ……」


 男性はあちこちから出血しているからか、街に着くころには衰弱しはじめていた。街の東に荷車を乗り捨てると、オルガが肩を貸して男性を避難所に送り届けることにする。


「ちょいと行ってくる」

「うん、お願い。僕たちはここで竜巻の発生と進行方向を観測するね」


 先ほど確認した黒点からは少しずつ渦が巻いた風が地面に向かいつつある。空の罅割ひびわれも広がり、黒い雲が世界エイリアに流れ込んできている。


「気を付けろよ」

「大丈夫。観測するだけだよ」

「すぐ戻る!」


 そういってオルガは男性と避難所へと向かっていた。


 オルガを見送ってから、僕とカノンは街を囲う崖に伸びる勾配を登ることにした。視野を確保するためだ。


 丘陵きゅうりょうの半分程度の所で足を止めて黒点の方を観察していると、やはり竜巻が発生する前兆が起きていて、渦を巻いた風が地面まで伸び始めていた。おそらく南西の黒点発見から竜巻発生までを比較すると、かなり早く感じる。


 向こうより風が集まっているということは、規模もさらに大きくなるのでは――。


 そんな嫌な考えが頭を過ったが、杞憂きゆうであってほしいと祈ることしかできなかった。


 しかし、二つ目の竜巻が本当にアリアへ向かうのであれば、かなり絶望的な状況だ。今、アリアの錬成士はほとんどが南西の竜巻対処に向かっている。こちらに割く人員は残っていないだろう。


 いずれ二つ目の黒点の存在に気付いて部隊の一部を戻すかもしれないが、その時には錬成光マナが枯渇している人員も多くいるはずだ。下手に分割すれば共倒れになる可能性もある。


 そうなればマチルダの街よりもひどいことになるかもしれない……。


 正直、他の街には申し訳ないが、アリアへは向かってきてほしくないという気持ちが芽生えている。育った街が壊滅する姿を僕は見たくない。



 手ごろな木の根元に寄りかかるように座ると僕はカノンに聞いた。


「体力は大丈夫そう?」

「うん。私、この一カ月で相当鍛えられたみたい」


 彼女が笑顔を浮かべるので、僕は安堵して目じりを下げた。

 すると、カノンは不意に僕の肩に寄りかかり、眠る前のように穏やかに言った。


「旅をするって決めた時は、こんな風になるなんて思わなかったな……」

「そうだね。いろんな街を見て、錬成をして。そんな風に暮らすんだと思ってた」


 僕もカノンの頭に顔を寄せてささやくように話をする。


「あのね、変なことを言うかもしれないけど……今回のこと、リズがアリアにいる時で良かったと思うんだ」

「そう、かな?」

「だってね。いない時にこんなことがあったら、リズ、きっとすごく悲しむし、後悔すると思うの……」

「そう……かもね。そういう意味ではよかったのかも」


 向こうでは竜巻は到頭とうとう地面にタッチダウンしたようだ。

 竜巻は進むべき方向をアリアへと定めたようで、先ほどまで僕たちがいたガラス鉱山の向こうで、草木を巻き込みながらみるみるとその勢いを強めていった。


 現実とは思えない、この世の終わりのような光景が僕たちの前には広がっていた。


「それにね。きっとリズだったらなんとかできるんじゃないかなって、私思ってるんだ」

「どうかな……。望み薄だよ?」

「じゃあ二人で逃げちゃう?」

「うーん。そうしたい……かな……」


 僕はカノンの黄金色の髪を撫でてから、その魅力的な提案を受け入れた。

 ――が、立ち上がってから台詞を付け足す。

 

「でもそれは、やっぱりアリアが平和であってこそ、だね」


 全力の笑顔で僕がそう伝えると、カノンは天使のような微笑みを返してくれる。




 悪魔が街へと迫っていた――。

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