第4話 カノンの苦悩
「馬車を停めてもらおうか、コバヤシ」
銀色の短髪をかきあげた
「おや、リフューズ様。こんなところで奇遇ですな」
馬車を
「とぼけるな! そこにカノンが乗っていることはわかっている。素直に従えば、お前の処罰を軽くするよう父上に進言してやってもいい」
「お
目つきを鋭くしてコバヤシが言い放つと、銀髪の若者は一気に怒りを
「貴様……従者の分際で私を
「ほっほっ……。あなた様にできますかな?」
コバヤシはそう言って傷一つない黒塗りの杖を持ち
二人はしばし向かい合うと、じりじりと時間が過ぎていく。
どこかで馬の
リフューズの凄まじい剣撃を軽やかにコバヤシが受け止める。それがしばらくの間繰り返された。
そして、ある時、攻め手がバランスを崩した瞬間、コバヤシは隙を逃さずに杖の先を相手のあばらへと差し込んだ。
「ぐぅ……」
リフューズは
だが、やがて痛みが引いていったのか再び立ち上がると、何やら右手を真っすぐに上げる。すると、路地の陰から外套のフードを深く被った数人が現れて、コバヤシを取り囲んだ。
そんな状況下でも執事は隙を見せずに目の動きだけで敵を確認すると、不敵にも口角を
受け身だった姿勢を一気に変えると、風の如くリフューズに襲い掛かっていった。
★
翌朝、僕とカノンは酒場のカウンター席で朝食をとっていた。
昨晩の大盛況は嘘のように静まり返っていて、酒場は僕たちの貸し切りになっている。それもそのはず、この時間帯は宿泊客にしか提供されていない朝食タイムなのだ。
メニューは、トースト、サラダ、オムレツ、ベーコン、
店主兼朝食の料理長でもあるメリナさんは既に皿を運び終えて、紅茶を注いだりしながら会話に参加している。というか、主な話し手はこの人だ。
その昔、僕の義母さんが無銭飲食をしようとした客を片手で
大富豪の娘として生きてきたカノンからすると想像もできない話ばかりが並んでいただろうが、目尻から涙が
メリナさんの話が途切れると、表の通りがザワザワと騒がしくなっていることに気付いた。
窓に近づいてみると、店が面している通りは警備隊が行きかい、物々しい雰囲気になっている。加えて、事件の臭いを嗅ぎつけた野次馬も相当数集まってきているようだ。その中心となっているのは――やはり例の宿屋だった。
カウンターへ戻ってくると、騒ぎの中心人物はカップを傾けて空にしたところだった。
「カノン。確認したいことがあるんだけどいいかな?」
「――うん」
僕がそう言うと、カノンは何かを感じたように
僕は単刀直入に言った。
「
あの拘束具は、やはり
では、それは誰か。風の加護を付与できる高度な錬成ができて、かつ
一瞬の沈黙の後、カノンは口を開いた。
「どうして、わかったの?」
「風の加護……。カノンが家名を名乗った時は驚いたよ」
僕がそう言うと、彼女は「そっか」と小さく呟いた。
アルテミス家は風の錬成を得意としていて、エイリア
一方で、他の貴族や錬成士がカノンを狙ったという可能性は限りなく低い。狙ったことがバレてしまえば宣戦布告と受け取られるのは
「馬車で『鍵は依頼主が持っていると考えるのが自然だ』って、カノン言ったよね?」
話の続きを促すように彼女はコクンと
「その予想は正しいと思った。けど、そこまで考えてる余裕なんてあるのかなって……。助けを求めたり逃げようとしないのも違和感があった。それで思ったんだ。
カノンは悲しい笑みを浮かべて何も言わなかった。だが、その表情は予想が正しいことを告げていた。
「でも、どうしてそこまでしてカノンを……?」
カノンは先ほどまでとは別人のように暗い顔をしていた。
「少し……昔話をしてもいいかな?」
僕とメリナさんが
「昔々あるところに、風の錬成を
短くため息をついてから、カノンは話を続ける。
「
僕は鳥肌が立っていくのを感じた。
自分が暴いてしまった事の大きさを段々自覚し、その罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
僕が聞かなければ……。
そんな後悔が押し寄せてきた。
「絶望に沈んだ女の子の境遇を哀れんだ従者たちは、ある晩主人に無断で女の子を屋敷から連れ出しました。『錬成士になるチャンスは一度きりだから』と言って……。そうして
瞳いっぱいに涙を溜めている
だが、もう聞かなかったことにはできない。
「理由は私にもわからないの……。でもこれが、私の物語なんだ――」
そう締めくくろうとしたカノンが言い終わる前に、僕は彼女を抱きしめていた。
その身体は僕のものよりもずっと細く
「カノンの物語は、これからだよ……!」
あまりの
「そうだと、いいな……。でもね、これ以上リズに……」
カノンの
「僕は僕がしたいことをしてるだけ、だよ」
僕も彼女の穏やかな口調を真似て、そう伝えてからそっとカノンを離した。
「心配しないで。僕は――ヴェアトリクス家の人間なんだ」
オルレアンの酒場兼宿屋が面した通りは未だに人が
僕とカノンはある人物を探して、メリナさんの自宅である三階の窓辺から通りを見下ろしていた。
「あの人がコバヤシよ」
カノンはすぐに目的の人物を探し出して指を差した。その名を不思議に思ったが、今は考えることをやめる。
僕はまさしく執事という格好――
メリナさんの店を出て
それを確認してから酒場の裏口へ向かうと、ちょうど大通りの方からメリナさんが帰ってくるところだった。メリナさんには馬車の手配と、カノンの儀式用の服を仕入れてもらうようお願いしていたのだった。
「リズ君……人使い荒くない?」
普段は寝ているだろう時間に活動しているためか、メリナさんは眠そうにしながら不満を漏らした。半分本気半分冗談と思われるそれを適当に
カノンの話によれば、アルテミス家は
なので、僕たちはそれを退けるための準備をしたというわけだ。
一方で、カノンの父や
メリナさんの情報網によると、リフューズの取り巻きは人攫いのようなはぐれ者たちが多く、錬成士や貴族の仲間は数えるほどらしい。
昨晩の事件が
二人の話を
内容はこうだ。カノン専属執事のコバヤシに馬車を
たったそれだけの作戦だ。だが、カノンが
早速適当な理由を付けて執事のコバヤシが馬車を出発させたのを確認すると、僕たちは酒場の裏口から大通りへと抜ける。待っていた馬車に素早く乗り込むと、さっとカーテンを閉めた。
「コバヤシには大変なことを押し付けちゃったかな……」
「あの人はすごく強いの。だから、リフューズ兄さん
僕は独り不安を
兄さんを如き呼ばわりするお嬢様にはタハハと笑うしかなかったが……。
いつか自分も妹に同じことを言われないようにしようと、心の中で誓う僕であった。
徐々に馬の足音が遅くなり、やがて馬車が止まった。
作戦通りコバヤシの方に引っかかってくれたのか、僕たちは何事もなく
「私、塔をこんなに近くで見たの……初めて……」
誰に言うでもない
雲一つない青空や光輝く太陽でさえも塔を
塔に向けられたカノンの視線が戻ってくるのを待ってから、「行こうか?」と声をかけると「うん!」と歯切れよい返事が聞こえてきた。
僕が歩き出すと、カノンは後ろからそっと僕の手を握った――。
いつ
貴族間ではこういったルールは非常に大切にされるため、犯すにはそれなりのリスクがある。どこでも人の目というのは抑止になるということであろう。
女神ノ間の前に設置された臨時の検問をあっさりとパスすると、大きく伸びをした。
「ぅ~ん、はぁぁー……。 これであとは儀式だけだ」
「リズ、ありがとう」
すると、カノンはペコリと頭を下げる。
そんなつもりで言ったわけではなかったので、慌てて話を切り替える。
「それより儀式はこれからだし頑張らないと……」
「ううん……リズは心配しなくて大丈夫だよ!」
はっきり言われた僕は驚いたが、カノンも驚いている僕に驚いていた。
僕は何か儀式について勘違いをしているのだろうか……。
若手の錬成士に先導されながら建物の三階にも
女神ノ間だ――。正面の祭壇には、
いつここへ来ても、表現しがたい神聖な気配に満ちている。
変わってないな――。
昔のことを思い出しながら、すでに着席している儀式の参加者たちの間を抜けると、中央前方の三列目に案内される。三人で座っても余裕があるほどのよく手入れされた
「まもなく開始されますので、ご着席のうえお待ちください」
先導した錬成師は、探るような視線を残して去っていった。その様子にカノンは不快そうに眉を
「なんだか嫌な感じだね……」
僕は彼女に申し訳なく思って、苦笑いをするしかなかった。
「ゴーン……、ゴーン……」
髪が薄くなりつつある中年の錬成師が、女神像の前に
「これより
錬成士はそれだけ言うと、そそくさと舞台を降りていった。
「え?
そう呟くと、隣でカノンはクスクスと笑っていた。僕は
気を取り直して講義に
赤茶の短髪を真ん中で分けた青年だ。やや鋭い目付きと口元の表情から彼が自信家であることが伺える。
「それでは、錬成について説明します」
「錬成の根幹を成すのは知っての通り
若い錬成士は握りこぶしにすっぽりと収まる透明な石を親指と人差し指で挟んで
「これに
彼は持っていた根源石を懐にしまってから説明を続ける。
「そして、最後が
さすがはお嬢様。伸びた背筋と真剣な表情が崩れない。その横顔の美しいこと……。
ひとり静かに感心していると彼女は僕の視線に気付いたらしく、そのままの姿勢で少し首を
上品さと可愛さを兼ね備えたその仕草に僕は
「では、講義はこの辺にして実践と行きましょうか。しかし、ふむ……私が実演するのでは面白くありませんね。どなたかにやっていただきましょう!」
講義をしていた錬成士は、満面の笑みで
いくら五等石以下の
僕が驚いたのと同様、会場にもどよめきが走った。壁際で儀式を見守っている錬成士たちも何やらヒソヒソと話している。その様子には困惑が見てとれた。
まさか……他の錬成士たちも知らされてないのか?!
そんな会場の動揺すらまるで無視をして、前に立つ錬成士は狙いを
「中央ブロック前から3列目の男性。ご
そう――。女神像の前に立つ彼が指差したのは、僕だった。
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