第5話 序列ノ儀とリズの隠し事
舞台の上の錬成士は、僕を差した指の向こうでニヤリと笑った。
儀式の参加者たちは指名された相手の
カノンの家族であるアルテミス家による嫌がらせか、はたまた我が家ベアトリクス家への
僕には苦手なことが二つある。
ひとつは早起き。もうひとつは――注目されることだった。
苦手な場面設定に
「リズ――」
彼女が
カノンの心配を引き受けたのだから困らせてはいけない、と自分を奮い立たせようとするがうまくいかない。
そんな僕を見たからか、カノンは
「私、あの人――大っ嫌いっ!」
カノンの声はそれなりのボリュームであったため、近くに座っていた参加者たちも身体をプルプルと震わせている。笑いを堪えているのだろう。
「ぷっ……あははっ! カノン、だめだよ。先輩にそんなこと言っちゃ……ふははっ」
僕が吹き出したせいか、周囲もつられて笑いのダムが決壊する。緊迫した雰囲気は一気に和らぎ、なごやかな空気が伝染していった。
しばらく笑いを止められずにいると、カノンは恥ずかしさを誤魔化すためか、さらに頬を膨らませた。その愛らしい表情を眺めていると、当てられた悪意が小さくなっていった。
こみ上げてくる衝動が一段落したところで、カノンに頭を寄せてその優しさに感謝すると、満足気な彼女はそれ以上何も言わず元いた位置に戻っていった。
「さて……売られたケンカは買わないと、ね」
そう独り
舞台に向かう間に一度だけ振り返ると、周囲の詮索にも澄まし顔をしていたが、耳だけは真っ赤だった。
また助けてもらっちゃったか――。
反省交じりにそう思ったが、僕の心は羽のように軽く今ならなんでもできる気がしていた。
僕が登壇すると、壇上の錬成士は澄ました顔を浮かべて会場へと呼びかけた。
「勇気ある彼に称賛の拍手をっ!」
張り上げた声に
彼の呼びかけは、ほとんど無視されたといっても過言ではなかったが、「うんうん」と何度も頷いていて満足そうにしている。どうにも友達にはなれそうもない。
「ではまず、名乗っていただけますでしょうか?」
「……リズム・ベアトリクス」
が、それは気にも
「そういうあなたは誰なんだ?」
「おや、
彼が
オルディン家は、過去に司祭を何人も
オルディン司祭は、錬成士を大量に失った八年前の大事故を生き延びた数少ない錬成士であり、
錬成の腕も確かで、水や風といったものを扱う特異錬成以外においては、司祭の右に出る者はいないとまで言われている。
「そういうことか……」
この自信過剰な態度と奇抜な行動は、その後ろ盾があってこそなのだろう。
しかし、そのオルディン司祭の子息の評判は決して良くない。
虎の威を借る狐――。
それが息子ゾルガに下された世間の評価だった。
「では、早速錬成をしていただこうと思います」
彼は
「お好きなタイミングで始めてください」
そう言い残すと、ゾルガは再び歪んだ笑みを僕だけに見せて舞台を去っていった。どうやら右往左往するのを観客として楽しみたい、ということらしい。
一人残された僕は、
純粋に失敗してほしい、ってわけか――。
どうやったかは知らないが、ゾルガはおそらく僕が視線を苦手としていることを知っているのだろう。その怒りを買った覚えはないが、相当に嫌われていることだけは間違いない。
「はぁ……」
彼の思惑通りに舞台に立ってしまったからには仕方ない。
いっそのことあの自信過剰な表情を打ち砕いてやればいい、と前向きに捉えることにする。
負けん気を
理想は高く掲げたのはよいものの、やはり苦手なものは苦手なままで、一段高くなっている舞台からでは嫌でも儀式の参加者たちが目に入ってしまう。思考にはどこか霧がかかっているように冴えなかった。
集中を欠いて
カノンの美しい髪だった。彼女は
これは……相当怒ってる――。
今にも槍でも錬成して投げ込みそうな雰囲気だったが、ふと僕の視線に気付くと睨むのをやめて、可愛らしく小さく手を振ってきた。
そんな彼女との小さなやり取りの中で、唐突に
素材はシルバー。トップは網目状で、
「うん、いいね。カノンに似合いそうだ」
僕は思わず笑みを浮かべると、すぐに錬成に入る。
素材は単一で規模も大きくないため錬成の難易度は高いわけではないのだが、手元の
昨晩使ったような高度に圧縮した
「ふぅぅ――」
あまりこねくり回さない様にと意識しながら、いつものように
間もなく見つかった
意識の中でも緑に感じるのはなんでだろう――。
そんな場違いなことを考えながら、昨晩と同じように
必要量まで達しかけた
才があると分かって錬成の練習を始めた頃、僕は上手く
もっと分かりやすくと
「スプーンを思い浮かべてみて。大きさも重さも手に取るようにわかるでしょう?」
「うん。わかるよ……」
「大きさはどうかしら。先は細長い? それともまん丸?」
「おっきくてまん丸!」
「重さはどう? 模様はどんなかな?」
そんな風に母は優しく、僕に
その経験が今の僕には活かされている。
あとは、
「――っ!」
そららの距離が限りなくゼロに近づいていくと、ある瞬間バチっと電気のようなものが身体中を駆け巡る。
それに耐えていると、
少し……体力をつけた方がいいかもしれない――。
連日の錬成にくらっと意識が歪んだ時、僕はそんなことを考えていた。
さっきまで持っているのがつらいほどの熱さだった
素材の変化が上手くいっていることを認識して僕は安堵する。
握っていた指を慎重に開いていくと、そこにはキラキラと輝く首飾り――ネックレスが出来上がっていた。
トップは桜色の波を入れた球状に仕立て、銀のチェーンは二面だけを平たく加工して、光を細かく反射するように設計した。球状部に僅かなマナを吸わせれば錠が開き、中には小さなものを収納できる。
僕が参考にしたのは、ガムランボール。
かつて、旅した時にお土産として買ってきたものだ。
うん、部分的な崩壊なし。開閉機能も良好。デザインも想像通り――。
「あっ……」
出来上がった
近づいてきた
「リズ・ベアトリクスを錬成士として認めるっ!」
「完全な
「あんなにキラキラした首飾り、初めて見たわ!」
各所から上げる賛辞に、僕は錬成前よりも戸惑っていた。
だが、かつて母がそうしていたのを思い出して、
すると――、会場には突き抜けるような歓声が響いた。
そんな中、ひとりの男が舞台にあがってくる。ゾルガだ。
彼は小ばかにするようにゆっくりと手を叩きながら、暗い笑みを浮かべて舞台の中央へとやって来た。
僕は緩んだ顔を引き締めてゾルガと対峙する。
が。次の瞬間、彼は僕から視線を逃がした。
「皆様にもリズ殿のような素晴らしい錬成を期待しています。では――、早速始めていきましょう。舞台に向かって右のブロックは……」
ゾルガは
「緊張で漏らすんじゃないかと思ってたが、残念だ。くっくっく……」
その物言いに食ってかかりたくなるが、女神ノ間での揉め事はゾルガにのみ責任を帰したい。そう思って、僕は無言を貫く。
ゾルガはそれ以上を発しなかったが、その態度はこれは始まりに過ぎないことを告げていた。
重圧から解放されて舞台から降りると、僕は儀式の参加者たちから次々に称賛受けた。
慣れないながらそれに対応して、ようやく席の近くまで来たかと思うと、今度は
「ベアトリクス殿、こちらへ…」
その錬成士は女神ノ間の
『またか……』とげんなりした僕であったが、一方でその錬成士の洗練された所作がそうさせるのか、従うことにあまり抵抗を感じなかった。敬称付きで呼ばれたことも、印象を良くしていたのかもしれない。
僕はその錬成士に向けて
それから、カノンの方に向き直って「あ・と・で」と口の動きだけで伝えると、きちんと内容を理解したらしく、彼女はゆっくりとした
錬成士に従って女神ノ間から出ると、塔の外周に沿って続く通路を進む。
そして、古い扉の前で立ち止まると、彼は腰に掛けたいくつもの鍵の中から、かなり古いそれを取り出した。
重い錠が上がる音とともに開いた扉を
正面には床が一段高くなっている部分があり、その
僕はその
「これは昇降機というもので、長い階段を使わずとも塔の中を移動できるので重宝します。おそらく
促されて柵に囲われた中へ入ると、その錬成士は床から
地上階から見えないところまで昇降機が上昇すると、錬成士はフードを外す。
現れたのは整った顔立ちの若い男だった。色素が薄いのか女性のように色白で、髪は暗い青。前髪は目にかかり、
「私は上級錬成師のアドレーニ。オルディン司祭の秘書をしています」
「…………」
「そんなに警戒しないでください。ベアトリクス殿には司祭に会っていただきます」
「司祭、ですか。どのようなご用件なのでしょう?」
そう問うとアドレーニは首を横に振った。
これ以上は司祭に直接聞くしかないと理解して、昇降機がいくつかの乗り場が通り過ぎていくのを無言で見つめていた。
やがて、とある乗り場に向けてゆっくりになっていった昇降機は、チンッと軽い音を鳴らして完全に停止する。
再びアドレーニが先導して扉を開けると、そこには女神ノ間とは全く違う景観が広がっていた。
まるで野原のようだ。神殿のような
日差しがある――。
それに気付いて見上げると、天井の大部分が透明な素材で日光を取り込める設計になっていた。調整機能も備わっているのか適度に温かい。
遠くから
中庭をぐるりと囲う回廊を歩いていくと、アドレーニはある扉の前で足を止める。
「こちらです」
「
無言で扉を
「司祭、お連れしました。ベアトリクス殿でございます」
紹介を受けて一礼すると、司祭は持っていた書類から目を外して僕を視界に入れた。
僕も頭を上げるのと同時に司祭を観察する。
顔には何日も寝ていないような深いクマが浮かんでいて、半分ほどを覆う皮膚の
やがて、司祭は興味が尽きたとでもいうように再び視線を書類に落としてしまった。
「他の該当者は講義室に集めておけ」
「承知しました」
アドレーニはその指示に素早く応じると、キビキビと部屋を出て行った。
それからしばらくの間は、遠ざかっていく足音と書類を
「おまえも錬成師になったのだな」
手にしていた書類を机に放り投げると、司祭は背もたれに深く寄りかかった。
「……オルディン叔父さん、お久しぶりです」
昔の呼び名を呼んでも、彼はわずかに頷いただけだった。
オルディン叔父さんとの間に血縁関係はない。昔、叔父さんがよく両親と行動を共にしていたことから、懐いた僕が『オルディン叔父さん』と勝手に呼ぶようになっていたのだ。物心ついた頃から毎日のように夕食を囲んでいれば、そうなるのは必然かもしれないが……。
僕の記憶の中では、今浮かべているような厳しい表情を見せることはなく、父さんとふざけてばかりの、優しくて楽しい人だった。
「下で錬成したものを見せてみろ」
「見たことがないデザインだ……。思い起こせば、お前は昔から独創的な
何と答えればよいのかわからずに押し黙っていると、ひとしきり観察を終えて満足したのか、叔父さんは革張りの椅子を鳴らしながらそれを返してよこした。
そのまま机の上で指を組むと、再び口を開く。
「かねてから、お前が錬成士になったら質問しようと思っていたことがある」
「……なんでしょう?」
僕はどんな質問が飛んで聞くるのかと身を固くした。
「
「………………?」
その質問が発っせられた時、真っ先に
しかし、その鋭い眼光は
さて、どう答えるべきか――。
一般論に
あまり間を開けるわけにもいかない。僕は逡巡すると、結論を出した。
「空は海の青を反射しているから青いのではないでしょうか」
僕は惚けることを選択した。
すでに錬成士の認定は受けている。ここで何かあったとしても、それはかわらないはず。下手に知識をひけらかす方が危険だ。
しかし――、その答えは叔父さんの想定内だったようだ。
「やはり、な……」
叔父さんはそう言って、深いため息をついた。
僕は混乱した。あえて間違った回答をしたというのに、それがなぜ『やはり』になるのか、全くわからなかった。しかし、僕は自問自答を重ねていくうちに、その事実に気付いてしまった。
「
この質問は罠だったのだ。
オルディン叔父さんは、試したのだ。
僕がこの世界の正しい住人であるのか、を――。
「やはりお前は……外から来た人間だったのだな!」
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