第3話 リズとなら平気かも……

 僕は錬成石クリスタルを強く握ると、その腕を胸の前に構える。

 

 祈りの言葉を呟いてから目を閉じると、早速錬成光マナの気配を探り始めた。

 見つからなかったらどうしよう、などと一瞬考えたりもしたが、意識すれば錬成光マナはいつも通りそこにあって体中を循環していた。


 その流れは血液と同様に無意識下に置かれているのだが、一度捉えてしまえば磁石で金属を操るようにコントロールできるようになる。なんとも不思議な存在だ。


 チョロチョロと流れていた錬成光マナをアクティブにしてから、全身の毛を逆立てるようにするとガタンと身体のどこかの扉が開いて、次々と錬成光マナが溢れだしてきた。


 心臓の音が早く強くなっていく。身体が熱い。


 胸の中心に小さな透明の球を想像して、グラスに新鮮な水を注ぐように錬成光マナを集束させれば準備は完了だ。



 他方、僕は錬成物アーティファクトイメージに入っていく。

 

 錬成はイメージが八割と言われている。細部まで緻密ちみつに想像すればするほど、錬成石がそれに応えて細かい造形を造り上げる。大きさや重さはもちろん、色や材質、密度、手触り、模様といった全てが反映されるのだ。


 今、イメージしなくてはいけないのは、中が見えないこの鍵穴の形状に合った鍵だ。


 だとすれば――。


 僕はイメージを一粒のしずくに変えて集束した錬成光マナの中へと落とすと、コーヒーに注いだミルクのようにふたつは混ざり合っていった。


 一呼吸混ざり合うのを待ってから完成した光の球に、僕は根源石クリスタルを握った手を静かに当てる。

 

 すると、根源石クリスタルは手の中で狂ったように暴れ出し、熱く、熱く、どんどんと熱くなっていく。手の中で燃えるようになって、根源石クリスタルだったものはドロドロした手触りに変わっていった。


 そして、それがこぼれ落ちそうなぐらいの粘り気が弱くとなった瞬間――僕は目をカッと開き拳を縦にした。

 

 そのを鍵穴へ流し込んだのだ。


 ドロドロの周りには高密度の錬成光マナをまとわせて隙間をつくり、最後の数滴がこぼれ落ちる瞬時、鍵穴へ素早く小指を近づけて指の先を囲うようにを生成。


 そのままの状態で錬成光マナの効力が弱まるのを待ち、ドロドロが固まった頃合いをみて、錬成光マナから意識を遠ざけてアクティブ状態を解除。これで鍵穴に入れ込んでいた錬成光マナ霧散むさんさせる。


 最後に目を開いて意識を散漫さんまんにさせると、意識的に増幅させていた湧き出る錬成光マナも普段通りに戻った。これで一連の工程は完了だ。

 

 ――できた、はずだ。


 小指には金属のひんやりとした感触が確かにあった。目視しても金属らしい見た目の輪が引っかかっている。まずは一安心だ。

 

 だが、鍵穴にうまく嵌っているのか、くっ付いてしまっていないか、といった不安は鍵を回してみるまで解消されない。僕の緊張はさらに高まっていった。


 鍵の先をつまんだまま、僕は女の子に話しかけた。

 多分、少しだけ時間が欲しかったのだろう。


「終わったよ。腕、熱くなかった?」

「すごく熱く感じましたけど、一瞬だったので大丈夫でした」

「ならよかった……。じゃあ、いくよ?」

「はい。お願いします」


 女の子は錬成の成功を信じて疑っていないようであった。


 僕は天を仰いでから、ゆっくりと、慎重に、鍵をひねった。


 が――。


 鍵が回らない。


 最悪のケースが頭を過り、冷汗が一気に噴き出してきた。


 だが、慌てた僕が少し力を込めると、途端とたんに引っかかる手ごたえがして、「カチャ」という音とともにじょうが開いた。


 意識が遠くなるような感覚があったが、自分のことは二の次だ。


 汗で張り付いた肌着の感触も無視して、拘束具を外すと女の子は「あっ」と小さく声を出した。拘束具から解放されて自由になったのだ。


 今やそれによって支えられていた女の子がバランスを崩して倒れそうになるのを、なんとか肩を抱いて助け起こす。


「大丈夫?!」

「――なんとかっ!」


 痛そうに顔をゆがめながらも気丈に振舞う女の子に、僕は『強いな』っと素直に感服する。


「よし、とにかく脱出しよう。腕はなるべく動かさないように気を付けて」


 うなずいた女の子を支えながら、僕は幌を開けて馬車から離脱した。もちろん、拘束具を脇に抱えて。



 

 人攫ひとさらいはオルレアン街道を第一都市ゲルニカ方面に向かっていたようで、今は森を回り込むところだった。なんとか歩いて四半刻しはんこくと離れていない所で脱出することができたようだ。


 僕が森を指差すと、女の子は目で了解を示した。

 

 この森は木々の密集度が高く、少し奥に進めば光苔ひかりごけのランタンを持っていても遠くまでは明かりが届かない。逃げ込むには最適な場所だ。


 森の入り口から二十メートル程度進んだところで、休む場所はないかと探すと、立ったままちた巨木の足元に窪みが見えた。近づくと中には大木の太い枝が長椅子のように横たわっている。


 大木に乗っていた葉とほこりを手袋で払うと、ポケットに突っ込んであった小さいハンカチを敷いて女の子を座らせる。


「ヤツらが離れるまでここでやり過ごそう」

「……ありがとうございます」


 腰を下ろすと、僕たち二人が入るのにちょうどよい空間だった。

 

 世界エイリアは冬真っただ中で、日中はまだしも夜は随分と冷える。風でも抜けようものなら寒気が止まらない。

 しかし、この自然の隠れ家は日中の気温を保温しているのかほんのりと温かい。


「腕は……動きそう?」


 少し落ち着いた頃合いをみて、僕は質問した。


 女の子はその問いを受けて、震える腕を慎重に動かそうと力を入れる。まずは指、次いで手、そして腕……。


「痛っ……いですが、動かないところはなさそうですね」


 その回答に力が抜けて後ろに倒れこみそうになるが、背もたれがないことを思い出す。


 痛いのはもちろん可哀想だが、意思がかよっていればまず大丈夫だろう。


「よかった……。であれば、後遺症の心配もしなくて平気そうだね」


 そう伝えると、女の子は唐突に身体ごと僕の方へと向き直った。女の子は、申し訳なさと嬉しさが共存しているような複雑な表情を浮かべている。


「助けていただいてありがとうございました。 私、カノンと申します」


 女の子は座ったまま上品なお辞儀じぎをした。その様子から彼女が貴族階級の家で育ったことを確信する。


「カノン、さん……。僕はリズと申します」

「リズ様……」


 女の子が僕の名前を胸に刻むようにする様を見て、なんともいたたまれない気持になる。しかも『様』付けとは……。


「同い年だし呼び捨てでいいよ。あと言葉づかいも楽にしよ」

「じゃあ、リ……リズって呼びますね。私のことも――カノンと呼んでください」

「あ、う……うん」


 出会ったばかりの女の子を名前で呼ぶのは正直躊躇ためらいがあったが、自分のことを呼び捨てで呼べと言った手前、断ることができなくなってしまった。盛大なブーメラン……。


「同い年ということはリズも序列じょれつに?」

「うん。昼に中央神都シンシアに着いたんだ。カ……カノンはどこから?」

「私はゲルニカから、です」


 すんなりと名前を呼べなかったからか、彼女はクスクスと笑いながら応えた。その何でもない笑みが僕の胸の奥をこそばゆい気持にさせる。


「途中、怖い思いをさせてごめんね」

「ううん。そもそもリズが来てくれなかったら、私ここにいなかったから……」


 そんな他愛もない話をしばらくしていると、気が付いた時には陽炎ようえんとうの先端はさっきとは異なる星を指していた。馬車も相当遠ざかったことだろうし、そろそろ街に戻っても大丈夫だろう。


 僕は話が途切れたところで、その辺りに拘束具を埋めるとカノンに言った。


「そろそろ戻ろっか」

「――うんっ!」


 その返事は堅苦しさが取れた同い年の女の子のものだった。





 木の陰から頭を出して馬車がいないことを確認すると、僕たちは中央神都シンシアへ向けて歩き始めた。


 念のため道中も警戒は怠らないようにしていたが、しばらく何もなかったことから僕たちはおしゃべりを再開して、気が付けば大門の目の前まできていた。

 

 警備隊が人攫ひとさらいに買収されていた場合も考えると正攻法に行くか悩ましかったが、大門をくぐらないことには街へ入れないため、結局は警備隊の一人をつかまえて状況を話すことにした。


 すると、彼はどんどんと青ざめていき、大慌てで脇の通用口に案内される。その様子から買収されていたわけでないとわかったので、僕は胸をで下ろす。


 連絡を受けた隊長と思わしき人物が僕たちを出迎え、謝罪とともに宿までの警備を買って出てくれた。が、かえって目立つのでとやんわりお断りしてから、代わりに地味なマントを2枚もらった。


「仲間が街に隠れてるかもしれないから、顔を隠せた方がいいかと思って」


 カノンが不思議そうな顔をしているので、趣旨しゅしを説明。彼女には少しサイズが大きかったが、わずかな間だから我慢してもらおう。


「どうしよう……。私、宿に戻らない方がいいよね?」

「うん……。僕の親戚みたいな人がやっている宿があるからそこへ行こう。必要なものを用意してもらえるようにお願いしてみる」


 僕はメリナさんを思い浮かべる。あの人ならきっと力になってくれるはずだ。


「いいの……かな?」

「ん?」

「そんなにいっぱい迷惑かけちゃっていいのかなって……」

「いいよ。見かけたのはたまたまだったけど、今はしたくてしてるから」

「――ありがと」


 僕はカノンのフードを目深まぶかかぶせて、それから彼女の手を優しく握った。

 まだ震えは残っていたが、カノンが痛みを訴えることはなかった。 





 僕たちは酒盛り帰りの人々に紛れて大通りを歩いていく。


 カノンが宿泊する予定だった宿屋は念のため避けて、大回りでメリナさんの店――オルレアンの酒場兼宿屋に向かうことにした。


 万が一に備えて右手はナイフの柄に置きながら、左手は顔を上げないように伝えてあるカノンの道標みちしるべとなっている。

 

 何事もなく宿屋の区画に到着して曲がり角からしばらく通りの様子をうかがっていたが、目に付く人物は特になかった。例の宿屋も静かなものだ。


「行こうっ」


 短く言ってカノンの手を引く。

 

 不自然ではない程度で足早に通りを突っ切り、メリナさんの店の前まで来ると素早く扉を開ける。


 朝と同じようにカランカランと来客を知らせるベルが鳴り、中からは柔らかい明かりと酒の匂い、ガヤガヤとした話し声があふれ出してきた。


 その日常的な光景に思わず安心してボーっと突っ立っていると、ベルの音に気付いたメリナさんがキッチンから顔をのぞかせる。


「リズ君! 遅いからどうしたのかと思ったわ!」

「ご心配おかけしました。色々ありまして……」


 前掛まえかけで手をきながら慌てて出てきた酒場兼宿屋の店主は、僕の後ろに隠れていたカノンの存在に気付く。


「あら、そちら様は?」

「えっと、実は――」


 そう語りだすと、僕は一連の流れをメリナさんに説明した。

 彼女が人攫ひとさらいにあったところを偶然見かけて助けに入ったこと。その宿屋に戻らない方がよいと考えていること。生活道具がないこと。などなど。

 

 話を終えると、メリナさんは僕とカノンを抱き寄せる。


「二人とも、よく無事だったわね……」


 しばらくそのままにされていると、ずっと張っていた奥の奥の緊張の糸までが緩んでいくのを感じた。

 

 メリナさんは静かに僕たちから離れると、一転してテキパキ行動しはじめる。


「部屋はリズ君の隣が空いているから使ってもらうとして……。はい、カノンちゃん。これ鍵ね。服と生活道具は困るわね。ちょっと待ってて」


 そういって、カウンターの中へ入っていくと、従業員と何やら話してしぶしぶうなずかせて戻ってきた。


「しばらく店を任せてきたから行きましょう」


 そう言うと、さっさと酒場の奥にある階段を登っていってしまった。

 

 客室へ向かうのかと思いつつ後を追うと、メリナさんは二階の階段裏手で壁と向き合っている。何をしているのかと不思議に思っていると、おもむろに壁に手をかざす。


 次の瞬間、音もなく壁に四方の線が入り扉が現われたかと思うと、その扉はあっという間にスライドして壁の中へと納まっていった。


 結果、人がすれ違えるほどの空間が目の間にぽっかりと空いたのであった。


 「ようこそ我が家へ」


 呆気あっけにとられている僕たちに、メリナさんはニッと口角を上げて、さっさとその空間へと入っていってしまった。


 さっきまで壁だった空間に足を踏み入れて階段を上っていくと、そこには客室より広い居間があった。


 「なにこれ……」


 見渡せば、キッチンやダイニングテーブル、ソファなどの生活具が整然と並んでいる。一人で暮らすには十分すぎる充実具合で、部屋も広すぎるぐらいだ。


 あの扉、そんなに凝る必要あったのかな……?


 そんな感想を抱いているうちに、メリナさんは奥の部屋――おそらく寝室に向かい、すぐに服やブラシ、化粧道具などを抱えて戻ってきた。


「さてと……まずは自己紹介かな。私はメリナ。この店の主人をしているわ」

「あの、私はゲルニカから参りました、カノン=S=アルテミスと申します」


 カノンが名乗るとメリナさんは何かを思い出すように口に手を当てた。


「ゲルニカのアルテミス……。アルテミス商会長ベンジャミン様のご息女ということかしら?」

「――はい。おっしゃる通りです」

「なるほど……」


 メリナさんは合点がてんがいったように大きくうなずくと、必要品をまとめてポンとカノンに渡した。

 

「ぅわっと……。あ、ありがとうございます」

「向こうがシャワーになってるから浴びておいで。お湯も出るわ。嫌なことは流してしまうのが一番よ」


 そう言って、ぐっと親指を立てながら笑顔を見せると、カノンは申し訳なさそうにしながら頷く。

 それから、カノンは僕に「行ってくるね」と言ってからトコトコと浴室へと向かっていった。

 

 扉が閉まるや否や、メリナさんはニヤニヤと意地の悪い顔をして僕の顔をのぞき込んだ。


「ずいぶん信頼されてるんじゃない?」

「うわっ! メリナさん、すっごい悪い顔してますよ?!」

「ウフフ……。そりゃとっても楽しいもの」


 その後、好き放題――若いっていいねだの、隅に置けないだの――言われて、背中をバシバシと叩かれた後、ようやく変な発作おっさが落ち着いたのか、メリナさんは食卓に付いた。


「で、どういう状況だったのかしら?」


 話の切り替えが早すぎて何を聞かれているのか一瞬戸惑ったが、すぐに人攫ひとさらいのことかと理解すると僕は滔々とうとうと話し始めた。


 馬車に飛び込んで大男をぶっ飛ばしたこと、ナイフで手かせを壊せなかったこと、カノンが持っていた根源石クリスタルから鍵を錬成したこと、脱出してからのここまでたどり着くまでのこと。


 そのひとつひとつで、メリナさんは目は見開いた。


「リズ君……。あなた、普通なら生きてないわよ?」

「ですよね……」


 僕は乾いた笑いを浮かべると、メリナさんはハァとため息をついた。 

 

「過去に錬成の経験は?」

「ちゃんとしたのは一度だけ。さっき話した――これです」


 腰につけていたナイフをホルダーごと外してテーブルの上に置くと、メリナさんはさやからやいばを抜いて端から端まで視線を走らせる。


「加護は後付けとしても……上物ね」


 そう言ってからナイフを戻すと、机の上にあった煙草たばこに火をつける。


「リズ君の錬成はね、すでに上級錬成士の域に入っているわ。二回目にしてね」

「まさか……」

「あなたがやってのけたその錬成は、何年も修業をしてようやく出来るか出来ないという技術よ。一生かけても習得できない錬成士だっている……」


 そう言ってから、メリナさんはどこか遠くを見ながら押し黙るので、僕は何も言えずタバコの火がジィィっと先端を燃やしていくのを見つめているしかなかった。


 メリナさんはもう一度煙草に口を付けて、煙を吐いてから口を開いた。


「あなたは……やっぱり特別よ。必ず錬成師になりなさい。そして、カノンちゃんのこともしっかり守んなさい」

「――はい」


 最後の一言は余計だった気がしたが、いつになく真剣な表情を浮かべるメリナさんに僕は反射的に返事をしてしまう。


「よろしい! じゃあ、遅くなっちゃたけど夕飯を作るわ」


 そう言ったメリナさんは、いつもの様子に戻っていて、さっそく鼻歌交じりに食材を吟味ぎんみしている。

 

 僕はモヤモヤした感情を抱えたまま、座り心地の良さそうなソファに倒れ込むと、人攫ひとさらいの出来事を思い起こした。


 メリナさんはカノンの家名かめいを聞いて身代金みのしろきん目的の誘拐と推測したはず。僕もそう思った。

 

 だが、それだと一つ説明がつかないことがある。あの拘束具だ。


 錬成士は今、人手不足で、錬成物アーティファクトは市場で手に入りづらくなっている。そんな時世に、あんな代物をどうやって人攫ひとさらいが……?


 答えが出ない堂々巡りをしていると、やがて良い匂いが鼻孔びこうを突いて、すべての思考がシャットアウトされる。


 僕はソファから起き上がると、次々と出来上がる料理を誰に言われるでもなく率先して運び、食卓へと並べていく。

採れたて野菜のサラダ、トマトベースのマカロニスープ、鮎のフライ、鶏肉の塩釜焼しおがまやき、自家製バケット……。どれもこれも魅力的なメニューばかりだった。


 タイミングよくシャワーからあがったカノンも席に着くと、「いただきます」を言ってから食事を始める。さすが酒場の店主。どれもこれも絶品だった。


 食事の後で僕がシャワー浴びるのを待って、メリナさんは店へと戻っていった。シャワーを浴びている間、カノンとメリナさんは楽しそうにおしゃべりしているのが聞こえていたので、随分急だった気がするが……。

 

まあいつまでも店主が遊んでいるわけにはいかないということだろうか。


 おのずと僕たちはそれぞれの客室へと戻っていき、部屋の前でカノンにおやすみを言って別れた。





 アリアを出たのは今朝だったんだよな……。


 客室の真っ白いベッドに寝転がると、今日の出来事が次々と浮かんで消えていった。懐かしさすら感じるアリアからの出立しゅったつの記憶を辿たどっていくと、結局は一刻前いっこくまえの錬成にきついた。


 未だに成功を実感できないあの錬成は、現実ではなかったのではないかと、くうに手を伸ばして目を閉じてみると、先ほどと同様にあっさりと錬成光マナを捉えることができた。

 しかし、出力を上げようとするが上手くできず、そうこうしている間に集中力が途切れてパチンと意識が離れてしまった。

 

 伸ばした腕を額に下ろすと、ふとメリナさんの言葉が浮かんできた。


 「あなたは――特別よ」


 その意味を考えていると――不意に扉をノックされた。


 僕は反射的に跳ね起きると、立てかけていたナイフを素早く手に取って、扉の脇に背中を付けた。そして、慎重に扉を開ける。


 と、そこには寝間着姿のカノンが立っていた。

 

「どうしたの?!」


 何かあったのかと声を大きくした僕であったが、カノンはしばらく何も答えずにモジモジとしている。その間に冷静になると、彼女がなぜか枕を持っていることに気付いて、頭の周りにはたくさんの『?』が浮かんできた。


 そんな僕の様子を察してか、カノンは意を決したように口を開いた。最後は消え入るようではあったが……。


「夜遅くにごめんなさい! 一緒に寝ても……いいかな?」

「へっ……?」


 その唐突とうとつな申し出に、間抜けな声が出たのを認識した頃には、カノンは早口で付け足した。


「あ……あのね、一人になるとまた襲われるんじゃないかって不安になっちゃって。でも、リズと一緒なら平気かもって思ったの。でもでも、迷惑だったら本当に本当に大丈夫なの! ごめんね変なこと言い出して……」


 カノンの顔が赤い。きっと勇気がいる行動だったと思う。言いたいことはわかった。よくわかったが……。


 感情を整理できないままに「いいよ……」と言うと、カノンは嬉しそうな表情を浮かべて、トコトコと部屋に入ってきた。

 

 僕はバカみたいにナイフを握ったまま、さっきまで寝ていたベッドにカノンが枕を並べているのを見ているしかなかった。


 カノンはベッドに入り、毛布で顔のほとんどを隠しながら、空いている方の枕をポンポンと叩く。それにつられて僕は操り人形のように緩慢かんまんとしながらベッドに入った。


 お世辞せじにも広いといえるベッドではないので、首を傾ければカノンの顔がすぐ隣にある。僕がかたくなに天井を見上げていても、どうしても彼女の息遣いが聞こえてきてしまい、本当に本当に本当に落ち着かない。


 ゴソゴソと布団が擦れる音がした後。


「ね。なんで助けてくれたの?」


 と、眠りを誘うような穏やかな声でカノンは語りかけてきた。僕はドギマギしながらも、なんとか落ち着き払って同じように静かなトーンで応えた。


「あの大男が馬車に乗り込む時、ブーツを落としたんだ。それが妹のブーツと同じような色で……気が付いたら追いかけてた」

「そっか……。リズはお兄ちゃんなんだ」

「うん。カノンは?」

「私もね、兄が二人いるの。リズみたいに良いお兄ちゃんじゃないけど……」


 そう言うと、カノンは悲しそうに笑った。


 そんな顔をさせたくなくて気のいた言葉を探したが、ほぼ脳死している僕に浮かんできたのは、大したことはない台詞せりふだった。


「でも、妹がさらわれたって聞いたらさすがに心配するんじゃないかな?」

「そう、かな。多分……そんなことないと思う……」


 その言いっぷりが心配になり、到頭とうとう僕はカノンの方へと身体を向けた。

 

 少し寂し気な表情を浮かべていたが、目が合うとカノンはすぐに穏やかな、優しい表情に戻っていった。


「リズ……今日は本当にありがとう。明日、一緒に錬成士になろうね」

「うん、一緒になろう」

「それからね……ううん、やっぱりまた明日にする。おやすみ」

「おやすみ。カノン」


 さっきまでのドギマギはどこへやら、優しい声が呼び水となって、僕はあっさりと眠りに落ちる。

 意識が途切れる寸前までカノンの温度と息遣いを感じながら、至福の眠りを享受するのだった。



 カノンの悲しみを想像すらしないで――。

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