3rdアルバム エアリアル・ローズピンクより三人称単数

その事件の収束は、早かった。人々の熱が冷めないうちに終わった。警察が有能だったのかもしれない。誰かが告発したのかもしれない。どちらにしろ、終わったものは終わったのだ。


 犯人が判明した。

                 ***

 警察が犯人を公表する六時間前、午前八時。手塚は警察署に赴いた。山城警部が勤務している警察署だ。


 手塚は、三人のうち、二人は釈放してもいいと話した。


「分かったのか。犯人が」


 手塚は静かに頷いた。山城はすぐに手配をし、昼頃には釈放できるよう、手はずを整えた。たった一人を除いて。


 山城は、二人に深々と頭を下げた。


「ほうら、やっぱり私の言ったとおりじゃ無いの」


 八島未來は、上機嫌で言った。


「良い経験にはなった。飯が少ないこと以外、何の不自由も無かったよ」


 ドズール・アナハイムは、笑って言った。


 佐渡真央は、まだ、留置所の中にいた。佐渡真央は、女性の警察官に付き添われ、取調室に入った。ここに来てから何回目だろうと彼女は思った。なぜ二人は釈放されているのに、私だけ残されているのだろう。


 彼女にとって、留置所の中は、退屈そのものだった。寝て起きて、同じ質問をされて、飯を食って、また寝る。目覚めると、昨日と同じ壁が目に入る。あぁ、また一日が始まるのか。今日も、そんな朝だった。


 取調室に入ると、昨日来た、昭和の漫画家のような風貌の男が座っていた。彼女は、その男を知らないが、危険視しなければならない男だと言うことだけは感じていた。


 男は言った。表情は和(にこ)やかだった。


「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」


 佐渡真央は言った。


「全然よ」


 男は、「そうですか」とだけ言った。表情一つ動かさなかった。顔に入っているしわの数さえ変わらなかった。真央は、能面を連想した。


 沈黙がその場を支配した。長い長い無音の時だった。外から、大型車の走る音がした。


 男が口を開いた。しかし、声は何も発しなかった。ただ、形として口を開けただけだった。彼女は待ちきれなくなり、「あの」と言った。


「何をしているんですか?私に、聞きたいことがあるのでしょう?」


 男は、思い出したように言った。


「あ、えぇ、そうです。最後の確認をしに来ました」


 最後の確認と男は言った。つまり、私の返答一つで、犯人が分かると言うことだ。


 真央は、生まれて初めて背筋が凍った。


「よろしいですか」


 真央は、静かに頷いた。


「貴方は、何年前から、ν・rhythmに勤めていましたか?」

                 ***

 ここは、レジデンス宮城という名のアパート。ここに元ν・rhythmのメンバーが住んでいることは、大家さん以外誰も知らない。きれいな人が住んでいるな程度の認識である。


 宇野泉は午前八時に起きた。風呂に入ったり、昨日作っておいた朝飯を食べたりした。終わる頃には九時を回っていた。毎朝のルーティーンワークとして、部屋の掃除をしていると突然、スマホに電話がかかってきた。誰だろうと思い、応答ボタンを押した。


「もしもし」


 柔らかい声をした男の声がした。


「起こしてしまいましたか」

「いいえ、全然」


 確か、この男は手塚と名乗っていた事を思い出した。


「すみませんが、迷惑で無ければ今から」


 テレビは、朝の情報番組をやっていた。今日は何かの祝日だった。彼女はそれを見ながら電話を耳に当てていた。


「警察署に来ていただけませんか?」

                 ***

 午後二時。昼のニュース番組から一件の情報が発表された。


 警察が、重要参考人として留置していた佐渡真央を、器物損壊、殺人の容疑で逮捕した。佐渡真央は、ν・rhythmの照明スタッフであり、佐渡真央の私物であるカッターナイフで、ライトのケーブルを切っていたことも分かった。海山桜を殺害した動機については、警察が慎重に捜査を進める方針だ。


 どのSNSでも、この話題で持ちきりだった。しかし、誰よりもこのニュースに歓喜していたのが、井中立香である。


 井中立香は、本当に嬉しかった。憎しみのベクトルを向ける対象が出来たことで、幾分か、彼女の心は楽になった。彼女は、久しぶりに音楽を聴いた。ν・rhythmの、「三千世界のカラス」。彼女は、本当にν・rhythmを愛していた。


 彼女は、飽き足らずまた両国国技館に足を運んでいた。最初の頃よりは、人は少なかったが、それでも、尋常では無い人垣に立香は圧倒された。


 犯人は見つかった。これから、新しいν・rhythmが始まるだろう。それを推すことが、一人のファンとして出来ることだ。立香は、満足したらしく、帰ろうとした。


 すると、歩道に、赤いベレー帽をした男性が立っていることに気づいた。彼女は、あれからこの男性が明確に嫌いになっていたので、無視していこうとした。しかし、男性は、こちらに気づき「立香さん」と大声で言った。彼女はうんざりした。


 二人は、あのときと同じコメダに行った。彼女は、この店に良い思い出は無かったが、手塚があのことについて丁重(ていちょう)に謝ってくれたお陰で、渋々行くことにした。


 二人は、右手に窓がある席に座った。装飾の凝られた照明が、二人を上から照らしている。後ろの席には、若い女性とそのお父さんらしき人が座っていた。


 手塚さんが最初に話した。


「今日が祝日で良かった」


 立香は特に反応せず、思ったことを言った。


「もう、犯人は警察が捕まえてくれましたから、貴方の捜査は無駄骨って事ですね」

「まぁ、そういうことかもしれない」


 立香は、手塚のそういう飄々(ひょうひょう)とした態度が、気に食わないのだと思った。


「君に話しておきたかったんだ。この事件の真相を。確かに、海山桜は佐渡真央が殺した。でも、それだけでは無かったんだ。そのことについて話そうと思ってね」


 立香が、何かを頼もうとした。しかし、手塚はそれを手で制した。


「長い話にはならない」


 立香は何も言わなかった。店員さんが、水を持ってきた。


「僕はまぁ、一応この事件を捜査していたんだ。警察には追い抜かれちゃったけどね。君と話していたのも捜査の一貫のつもりだったんだ」


手塚は続けた。


「僕は最初、この出来事を事件では無く事故だと思った。これ自体は大多数がそう感じていたから、何も不思議では無い。だから僕は、君が一種の興奮状態にあったんだと思った。まぁ、実際事件だったし。よく現場を見ているなと思った。だけど、不思議に思ったんだ。なぜ、桜は何もしなかったんだろうって。普通、頭上からものが落ちてきたら、避けるなり、頭を守るなりしていたはずだ。なのに、桜はライトに潰されるまで、その場で直立していた。君は、桜が蛇に睨まれた蛙のように、動けなかったのだろうと思うかもしれない。けど、人間はそんなヤワな生き物じゃ無い。例えば、揚げ物を作っているとき、たまに油がはねるだろ?それが肌についたら、人体はすぐに身を引く。危険を察知してね」


 そこで、手塚は止めた。水を少し飲んだ。立香は、テーブルの下で、両手を握っていた。目線は、手塚では無く、手元にある水に注がれていた。


「僕は、トリカブトと、カンタレラについて君に話した。覚えているかな。あの時は、あまり説明できなかったけど、カンタレラを摂取すると、急激な倦怠感に襲われる。すると、こうは考えられないだろうか。


 桜は何かしらの原因によってカンタレラを摂取した。ライブの途中で急な倦怠感に襲われ、落ちてくるライトをよけることが出来ずに、死んでしまった」


 立香は口を開こうとしたが、麻痺したみたいに動かなかった。後ろの席の女性は、パンケーキが出されているのにも関わらず、じっと座っていた。


「そうすると、ライトを落とした犯人とはまた別に、犯人がいるはずなんだ。佐渡真央とは、また別のね」


「そんなの、ただの発想の飛躍じゃないですか」


「確かに、そうかもしれない。けどね、僕も捜査を色々してね、両国国技館の、入場者控え室に行かせてもらうことが出来たんだ」


 急に話が変わった手塚に対して、立香は不信感を募らせた。手塚は、気にしていないように、和(にこ)やかに、ゆったりした口調で話した。


「ν・rhythmの控え室は、残念ながら事件と発覚する前に片付けられていた。けどね、ゴミ箱の中までは処分されていなかったんだ。これは僕にとっては朗報だった」


 手塚は持っていたカバンから、透明なファイルを出した。A4サイズに印刷された写真が挟まっていた。それをテーブルの上に置いた。


「ゴミ箱の中にこんな物があった。中身はなくなっていたけど、破片からビスケットかクッキーだと分かる」


 写真には、床に置かれたジップロックが大きく写されていた。その中には、茶色い破片がいくつか散らばっていた。立香は絶句した。


 名前を書く欄には、マッキーで書かれたような字で、「三千世界のカラスより」と書かれていた


「これの成分を調べたら、カンタレラが出てきた。間違いない」



























「井中立香、君が桜を殺したんだろ? カンタレラによってね」









 立香は椅子にもたれ、天井を仰いだ。そして呼吸を、手順を確かめるようにゆっくりと行った。


「三千世界のカラスは、七年前に五人体制になったν・rhythmが初めて発表した曲だ。宇野泉から海山桜にセンターが変更された、初めての曲。そして、君はν・rhythmが地下アイドルだった頃から知っていると言った。ν・rhythmが地下アイドルだったのは、十年前までだ。だとしたら、スキャンダルの話は知らないはずが無い。ここからは推測になるが、君の本当の推しは宇野泉で、君は宇野泉が引退した後、海山桜を推している人間としての皮を着た。そして、桜を殺す機会をずっと狙っていた。スキャンダルの話を知っている者は、そうなってもおかしくは無い」


 手塚は、諭すように言った。


「本当は自分が殺すはずだったのに、佐渡真央が彼女を殺してしまった。だから君

は、僕に殺人事件として依頼して、一刻も早くその犯人を見つけようとした。違うかい?」


 手塚は終始穏やかに言った。立香は仰ぐのを止め、向かいにいる彼を見た。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「宇野ちゃんは、私に、ν・rhythmを知るきっかけをくれた。当時小一だった私には、神にも等しい存在だった。そんな女神様を奪われて、冷静でいろって言うの?そんなの無理!私には宇野ちゃんしかいないの!私は、宇野ちゃんがいない

ν・rhythmなんて耐えられない!だから、仇討ちがしたかった。宇野ちゃんもそれを望んでたはず。天罰を下したかったの!ずっとずっと、宇野ちゃんが居ないところで有名になっていくν・rhythmが気持ち悪かった。桜ちゃんを殺そうとしたのは、私なりのケジメなの。これで、ν・rhythmの推し活も終えるつもりだった。けど、桜ちゃんが私じゃ無い人間に殺されて、訳がわかんなくなって、この感情をぶつけるところがどこにも無くなって……」


 立香は涙を流し始めた。手塚は静かにそれを見ていた。その目には、恨みも哀れみも無く、ただ、他人の動作としてそれを見て、聞いていた。


「思い出したわ」


 不意に、後ろにいた女性が立ち上がった。


「地下アイドルだった頃、毎週末に来ていた、小学生の女の子。それが貴方だったなんて……」


「泉さん、口は挟まないでくださいと言ったでしょう」と、手塚が言った。

「宇野ちゃん……?」


 かつて、小学生だった少女は涙を拭わないまま、後ろを向いた。宇野は、彼女を 抱擁(ほうよう)して、頭をなでた。


「ごめんねカラスちゃん、ごめんね。もう大丈夫だから。私は桜ちゃんを恨んだりしてないから。もうこんな思いしなくて良いんだよ」


 そこには、アイドルと、それを推している人という括りでは無く、親と子のような、人としての温もりがあった。ずっと二人は、抱きついて離さなかった。


 手塚は、なんとかそれを止めようとしていたが、二人の輪の中には入れなかった。


「山城警部も、何か言って下さいよ」


 手塚は、宇野の向かいに座っていた父親らしい人に語りかけた。よく見るとその人は、山城警部だった。


「他人の愛に言葉を挟むのは、野暮ってもんだよ」

                 ***

 数分後、立香は、宇野と共にパトカーに乗せられ、警察署に向かった。山城警部と手塚は、二人でそれを見送った後、二人で町を歩いた。


「まさか、高校生まで犯罪に加担するとはなぁ」


「警察が甘いんじゃ無いですか」


「馬鹿言え、これでも必死にやってるんだよ。それにしても、何でお前あの時二人を止めようとしたんだ。その為に宇野を連れてきたんじゃ無いのか?」


「いや、泉さんを連れてきたのは立香の告発を聞いてもらうためですから、あそこまで行くのは予想できませんでしたよ。しかも、山城警部は何もしないんだから」


「いや、何もしないのも警察官の役割だから」


「なんですか、それ」


 街路灯に明かりが灯り、午後六時を知らせる町内放送が流れた。少しの風が吹き、山城警部はタクシーを呼んだ。


「海山のことは、残念だった」

「もう、いいです。終わったことなんですから」


 白いタクシーが、二人の前に止まった。山城は乗っていくかと誘ったが、手塚はそれを断った。


山城警部は言った。「おそらく彼女は、何かしらの形で処罰を受けるだろう。だが、やり直しのチャンスは与えられるはずだ。日本はそんなに厳しくない」


「僕も、それを信じています」


 山城警部は運転手に行き先を伝えた。ドアが閉まる。


「またな、アイドルの彼氏さん」


 手塚は何も言わず右手をヒラヒラと振った。薬指には、指輪がはめられていた。


 後日、手塚のスマホに電話がかかった。取ると、宇野からだった。


「彼女、とても反省してるわ。だから、この件は公表されずに、犯人はこれまで通り佐渡真央が行ったことになる。不服かしら?探偵さん」


「いや、僕は有名になりたかったわけでは無いです。ただ、自分は好きな人と幸せに暮らしたかっただけですから。僕の中で、結論が出ればそれでいいんです」


「そう」


「そうだ、指輪の件、返してくれてありがとうございました」


「いいのよ。両国のライブの前日に桜ちゃんから送られてきた物だから。その子の彼氏さんになら喜んで返すわ」


 窓から、隙間風が入ってきた。下手なリコーダーのような音を出しながら。手塚は窓をきちんと閉めた。リコーダーは、さっきよりも一層高い音を出し、消えた。


 手塚は「ありがとうございました」と言い、電話を切った。椅子にもたれ、机の引き出しを開けた。


 一対の指輪が、日光に照らされキラリと光った。


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推し殺害事件 @tunemura_ichi

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