1stアルバム 三千世界のカラスよりシンのギルティ
「これが、事件の顛末(てんまつ)です」
私はあの事件があった翌日、近くの探偵事務所に足を運んだ。
革張りのソファが、向かい合って並んでいる。間には木目調のテーブル。さっきまで飲んでいたであろうコーヒーのシミがついていた。いかにも応接セットという感じだった。
向かい側には、事務所の所長であり、探偵の手塚さんが座っている。
「えっと、貴方の依頼は、この事故の犯人を見つけて欲しいと言うことですか?」
「事故じゃないです。事件です」
私はすかさず訂正した。手塚さんは、困ったような表情を見せた。
「ですけどねぇ、これだけで事件と断定するのは、ちょっと……」
「これは確実に事件です。だってあり得ないじゃないですか。急にスポットライトが落ちてくるなんて。しかもセンターに、ピンポイントで。絶対誰かがやったんですよ。絶対」
手塚さんは何も答えなかった。その代わり、ソファーから立ち上がって、コーヒーを入れた。私にも誘ってきたが、断った。
「仮に事件だとして」
探偵は、マグカップをテーブルに置いた。
「貴方に依頼料を払うお金は、あるんですか?」
イライリョウ。私は頭の中でその言葉を反芻(はんすう)させた。
そうか。お金がいるのか。ドラマでは、お金の話は出てこなかったけど、冷静に考えたらそうだよな。
「え、いくらなんですか。その依頼料」
探偵は少し間を置いて言った。
「難易度にもよりますが、大体五十万円ほど」
五十万か。確かに、女子高生のポケットマネーで払える金額ではないよな。
私は、探偵に依頼することを諦めた。ソファーから立ち上がり。玄関に行った。悲しくは無かった。怨嗟(えんさ)よりは軽い、失望よりも重い感情が渦巻いていた。
私は、102号室を出た。
テレビでも、ツイッターでも、この話題で持ちきりだった。けど、不思議なことにその多くは、事故として扱われていた。物事を正しく理解できていないことに、滑稽さを感じた。
昼飯を食べた後、私の部屋に閉じこもった。これからどうしようかと考えた。探偵に期待するのは止した方がいいだろう。いろいろ考えたら、ぬいぐるみが目に入った。ν・rhythmのメンバーがデフォルメされたぬいぐるみだ。私は、桜ちゃんと、メグちゃんのを持っている。
私は、ぬいぐるみを抱きしめた。縫い目にしわが寄った。離すと、空気を入れた風船みたいに元に戻った。桜ちゃんの手を握った。
もう二度と見られなくなるのかと思うと、胸が苦しくなった。
ぬいぐるみを膝において、一緒にスマホを見た。YouTubeを開き、ν・rhythmのニュースを見た。
ライブの映像が最初に流れた。といっても、今回のでは無く、ネットに上がっている三年前の映像だ。
五人が仲良く踊っている。もちろん息はぴったり。
見ていると、急に視界がぼやけた。涙だと分かったのは、しずくが頬
を伝ったからだ。絶対に敵は取るからね、とつぶやいた。
翌日、私は学校を休んだ。さすがにあんなことがあった直後に、学校には行けない。私は熱が出たふりをして、自分の部屋から出なかった。
親が働きに出る時を見計らって、私は寝間着から普段着に着替えた。時間は九時。今なら、登校中の生徒とかち合うことは無い(たぶん)。持って行くポシェットには、財布とスマホだけ入れた。私は玄関で黒色の靴を履き、玄関を出た。ちゃんと鍵は閉めておいた。
私は、探偵に依頼することは諦めた。だから、自分で探偵をすることにしたのだ。とりあえず私はタクシーを呼んで、両国国技館に行くことにした。事件が起きた現場だ。タクシーが来て、私が行き先を伝えると、運転手は何も言わずに車を走らせた。無愛想だなと思った。二十分ほど、後部座席でスマホを弄っていると、両国国技館に着いた。私は料金を払って、車を降りると、タクシーはどこかへ行ってしまった。運転手は終始無言だった。
私は、とりあえず近くにあった自販機で、ペットボトルのお茶を買った。もう一本もらえるルーレットは、外れた。
武道館の周りには、普段は見ない数のパトカーが止まっていた。私は少しドキドキした。入り口には、ドラマでよく見るキープアウトと書かれた黄色いテープと、大きすぎるカメラを持った人が数名、その前でマイクを持ちながら何かをしゃべっている人が同じくらい。残りは野次馬らしかった。
この中で、この事件を真面目に追っている人は何人いるだろうかと考えた。ほとんどが、仕事と、知的好奇心で、この場に集まっているのでは無いかしらと思った。まあ、いいわ。私が、警察よりも先に事件の真相を暴いて、桜ちゃんの敵を取るんだと、堅く決めた。
私は、建物の周りを歩いてみた。白い外壁と屋根の形は、なんとなくスーツを着たサラリーマンが、浪人笠をかぶっている姿を連想させた。そこには、恐ろしい数の警察官が、警備に当たっていた。多分中では、捜査官か何かが、指紋を採ったり、遺体を確認したりしているのだろう。入りたいと思ったけど、止めておいた。その代わり、現場写真を二十枚ほど撮っておいた。外見だけ。
周りをうろうろしていたら怪しまれてしまいそうだったし、収穫も無いと思ったので、回れ右をして帰ろうとした。その時、人混みの中に、赤いベレー帽が浮いていることに気づいた。誰かがかぶっているんだろうけど、遠目ではよく分からなかった。誰かと思って近づいて見ると、昨日行った探偵事務所の、手塚さんだった。
「手塚さん!」
と大声で呼ぶと、赤いベレー帽をかぶった手塚さんは、びっくりした様子でこちらを見た。
「君、学校行かなくて良いのかい?」
「大丈夫です。多分」
「多分て……」
手塚さんは呆れた様子で言った。赤いベレー帽は、余所行きの帽子らしい。依頼人と待ち合わせをする場合もあるから、目立つ帽子をしているという。しかも、探偵事務所ではかけていなかった丸眼鏡もかけていたので、ザ・昭和の漫画家という感じがした。
近くのベンチに、二人とも腰掛けた。手塚さんは白いワイシャツに、灰色のスラックスをしていた。ネクタイはしていなくて、第一ボタンはあいていた。
不思議なことに、汗染み一つ無かった。
「どうしてここに?」
手塚さんは、今一番聞いて欲しくない質問をした。現役の探偵に、探偵をしているなんて言ったら、私が馬鹿みたいになる。手塚さんが引き受けないから悪いんだけど。
「あぁ、いやー、どのくらい話題になってるかなーとか、どのくらい警官がいるかなーとかを見るため?ですかね」
嘘では無いが、本当でも無いことを言った。
「て、手塚さんは何でここに?」
私は無理矢理話題を変えた。
「僕?まぁ、事件の調査のためだね。桜……さんが殺された事件を、自分が解決したならまぁ、僕の知名度が上がるしね」
私は驚いた。昨日はあんなことを言って依頼を断ったくせに、今更事件を探偵するのか。しかもこの人は、事件を知名度アップのために利用するつもりだったのか。私は腹が立った。腹が立ったところで、ぐぅとお腹が鳴った。そういえば、朝ご飯何も食べてなかったや。
手塚さんは呆れた顔で、近くにコメダがある、と言った。
コメダ珈琲店には、人がまばらにいた。ほとんどが、両国国技館の話をしていた。多分、野次馬集団の中にいた人たちだろう。
私は二人席を見つけたので、そこに座ろうと言った。手塚さんは、なんとなく居心地が悪そうだった。
私は、サンドイッチと、メロンソーダを頼んだ。手塚さんは店員に、「紅茶 レモン」と言っただけだった。サンドイッチが来る間に、手塚さんに断ってトイレを借りた。
特に何も考えずに用を済まして、手を洗って戻った。手塚さんに対す
る、やんわりとした敵意はあった。けどそれは、明確化していない感情だった。
戻ると、私のは来てなくて、手塚さんの紅茶だけが来ていた。まだ、手を付けていない風だった。カップには、うっすら水滴が浮いていた。私は、テーブルに置いてあるお冷やを飲んだ。手塚さんは何もせずに、ただ私を見ていた。私を見ていると言うより、私越しに景色を見ている感じだった。
「ねぇ」と、不意に手塚さんが話しかけた。けど焦点は私に合ってはいなかった。まるで、遠くの山に話しかけているみたいだった。
「トリカブトを、知っているかい?」
今度は間違いなく私に語りかけていた。私は「まぁ、はい」とだけ言った。私の知っているトリカブトは、多分手塚さんの知っているトリカブトじゃ無い。私の知ってるトリカブトは、パズドラに出てくるトリカブトだから。
「まぁ、知っていて当然だよね。一番有名な毒草と言っても過言では無いくらいだからね」
その一番有名な毒草を知らない人間なのか、私は。
「なら、カンタレラは知ってる?」
私が本当に知らない単語が出てきた。
「また、毒草ですか?」
「いや、そうではないけどね。よく分かっていないんだ」
どういう意味か聞こうとしたら、私のサンドイッチと、メロンソーダが来た。長靴を模したようなガラスのコップに、メロンソーダが入っている。かわいい。インスタ映えしそう。
私はポシェットからスマホを取り出し、写真を撮った。それを、イン
スタに投稿した。手塚さんの服が映り込んでるけど、まぁ、いいよね。
私は、カンタレラについて聞くことを忘れ、サンドイッチにかぶりついた。葉っぱの歯ごたえが、食パンの歯ごたえに包まれて、とてもおいしかった。メロンソーダを飲んだ。緑色だった長靴は変色して、真ん中くらいまで透明になってしまった。手塚さんは紅茶を一口飲んだ。
「そういえば、手塚さんって毒物に詳しいんですか?」
「え、まぁ、まだ勉強中だけどね」
「勉強中?」
「僕は大学生だよ」
メロンソーダを吹き出してしまいそうなほど驚いた。若くはあるが、とても大学生には見えない。
「年齢って……」
「二十八」
「二十八……?あぁ、大学院か」
「いや、大学院には入っていない」
「え?」
初めて、手塚さんが恥ずかしそうな表情をした。
「一体、何年留年して……」
手塚さんは両手を出して、指折りで数えていった。右手の指がどんどん曲がってゆく。ついに五本の指が曲がりきり、左手に突入した。
「もう、もういいです」
そう言って私が止めなかったら、一体どこまで行っていたのだろう。
「ありがとう」と手塚さんが言った。続けて、「そういえば」と言って、A4サイズの茶封筒を取り出した。
「君が探偵事務所で言ったように、あれは事故なんかでは無かった」
私は思わず驚きの声を上げた。
「スポットライトのワイヤーに、刃物で切り裂いたような跡があった。誰かが故意に殺したんだ、桜さんを」
「……!」
「あのとき、信じなくてすまない。君に会えたら、こう言おうと思っていた」
私の、手塚さんに対するやんわりした敵意は、メロンソーダと一緒に希釈されていった。
サンドイッチはもう無く、食パンの粉だけになっていた。メロンソーダの入った長靴は、完全に色が抜け落ちていた。手塚さんも、ご馳走様と言ったので、伝票を持って、会計に向かった。手塚さんは奢ってくれなかった。
***
「ところで君は」
行く当てもなく歩いていると手塚さんが言った。
「どうしてこの事件を追っているんだい?」
私は隠す気もないので、正直に言った。
「私の、ファンネーム知ってます?」
手塚さんは興味が無いといった風に首をかしげた。
「『三千世界のカラス』って言うんですけど、桜ちゃんが初めてセンターに立った曲なんですよ。その頃はまだ売り込みの時期で。でも、私この曲が大好きで。私、ν・rhythmが地下アイドルだった頃から知っているんです。私の推しなんです、桜ちゃんは。だから、殺したやつは、絶対に許したくないんです。私にとって、推しは神なんです」
手塚さんは、私の話を黙って聞いていた。話が終わったことを確かめ
ると、一言だけ言い放った。
「推しは神じゃ無いよ」
私は立ち止まった。手塚さんは続けた。
「人形。もっと言うならおもちゃと一緒さ。飽きたら捨てる。スキャンダルが起きて、熱が冷めたら捨てる。ピン芸人とさほど変わらない。『鉄は熱いうちに打て』って言うけどさ、鉄は打ちながら冷めていくんだよ。加熱しなければ、段々冷えて固まってしまう」
私は、さっき食べたサンドイッチを戻しそうになった。
「自分を俯瞰(ふかん)してみてみろよ。そんな一時の熱に浮かされて、流行だとかそういうのに乗せられて。馬鹿みたいじゃないか」
手塚さんは哀れむような目で私を見ていた。まるで、動物園にいる猿を見るような目で。私は膝から崩れ落ちた。やんわりとした敵意は、明確な感情へと変化を遂げていた。
手塚さんは、何も言わずにそこから離れた。私は一人、歩道の真ん中で泣いていた。
2ndアルバムに続く
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