第2話 階段ダッシュはキツすぎる!!

 夏の朝は早い。空高く登った太陽が窓から差し込む。


 あっちぃな、直射日光から顔を覆う様に腕を掲げる。枕元に置いてあるスマホを手に取ると現在が7時を少し過ぎたくらいである事を伝える。ぽこんっ、軽い音と共にメッセージが表示される。


 「今から向かうよ、か…」


 どうやら香奈が昨日言っていた通り迎えに来るようだ。家が隣というのもあり、あまり時間に余裕は無いな。身体を起こし急いで一階に向かう。リビングには既に両親が起きてきており、朝ご飯を用意してくれていた。


 「おはよう、今日は早いわね」


 眠たい目を擦りながら席に座る俺に朝の挨拶がかけられる。


 「おはよ。もうちょっとで香奈が来るってさ」


 「え!?香奈ちゃんが来るの?ちょっとぉ、聞いてないわよ!」


 そう言うと母さんは急いで洗面所に向かい化粧か何か分からないが支度し始める。父さんも急いであとを追い、髭を剃りに行く。俺は一人リビングに残され、用意されたトーストを頬張り始める。そういえば、優香の姿が見当たらないな。あ、優香は俺の中学三年生の妹だ。


 「ねー母さん、優香って部活?」


 「そうよ。昨晩に今日試合だって言ってたじゃない。あんた話聞いてなかったの?」


 そういえばそんな事を聞いた気もする。それにしても試合か…。俺も去年までは優香と同じようにテニスをやっていたのだ、というか俺に憧れてあいつが始めたのだ。ま、あいつは県のトップ選手で、俺はというと予選止まりのダメダメだったんだけどね。そんな事を考えながらトーストを食べ終わり、水を飲もうとコップに手を伸ばした所でチャイムが鳴った。


 「誠、あんた早く出なさい!待たせちゃダメよ!」


 「分かってるって」


 母さんのお叱りを受け、席を立った俺は玄関まで向かい声をかける。


 「開いてるよ」


 すると扉はゆっくりと開き香奈が家に入ってくる。見ると彼女は全身運動用のジャージ姿だった。もしや今日は走ったりするのか?


 「お邪魔しまーす。ちょっ、いつまでパジャマなの?早く運動用の服に着替えてきなさいよ。」


 「いや、運動用の服とか今聞いたんだけど」

 

 「そうだっけ?ま、どうでもいいわ。五分で支度してね」


 そう言う香奈に母さんが言葉を加える。


 「香奈ちゃんを待たせるなんて許さないわ!30秒で準備してきなさい!」


 無理な事を言う…。こちらを睨む母さんの視線から逃げるように俺は二階へと向かう。自室に戻り、クローゼットから去年まで来ていた運動服を出してくる。今日は暑くなるだろうから半袖半ズボンが丁度良いだろう。それと念のため財布も持って行くか。


 全ての支度を終え一階へと降りると母さんが怒鳴る。


 「三分経過よ!」

 

 「間に合ってるじゃねーか!!」


 それでもブツブツ文句をいう母さんを尻目に俺は香奈を連れて逃げるように家を出た。しばらく香奈の指示に従って歩いていると、大体どこに向かっているのか予測はできた。


 「瀬尾神社か?」


 「そうよ、あそこの200段階段は運動にピッタリでしょ」


 それはそうだろうが、そもそも何故俺は運動をする事になっているのだろう?


 「俺をインフルエンサーとしてプロデュースするのに運動が必要なのか?」


 俺の問いに香奈は少し考え口を開く。


 「別に必要では無いわ」


 「じゃあなんで」


 そこまで言うと香奈に言葉で遮られる。


 「でもね、私がモデルとして一番重要だと思うのは体型の維持なの。これは日々の努力の積み重ねだし毎日するのは難しい事だけど、これが出来るか出来ないかで夢に対する思いが変わってくるのよ。それに、モデルやインフルエンサーって案外体力が必要なのよ。」

 

 だそうだ。現役モデルの彼女が言う事だ、間違いではないのだろう。


 「そうか、一応は理解した。」


 「良かったわ。じゃあ早速走りましょう!」


 「え?香奈も走るのか?」


 「勿論よ。実は私、毎日走ってるのよ!」

 

 ドヤ顔で彼女がそう言いながら、袖をまくり腕の筋肉を見せてみせる。走りって足なんですけどね…。心の中でツッコミを入れながら、俺は目の前に広がる長い階段を見上げ、これを毎日走る彼女を素直に凄いと思った。やはり努力無くして結果は得られないのだろう。


 そうしてその日は何度か休憩を挟みつつ数回往復した所で香奈から終了の合図が出た。ようやく終わった……。ヘトヘトになりながらもやり切った自分を褒めてあげたい。ベンチでへたり込む俺に香奈が話しかける。


 「よく頑張ったじゃん。」


 「ああ…ハァ、俺でもハァ…やる時は…ハァやるんだ」


 息も絶え絶えに答える俺を見て香奈は笑う。


 「ハハッ、死にかけじゃん!」


 「ハァ…うるせえ」


 彼女はしばらく神社から見える町を見下ろしていたが、呼吸が落ち着いてきた俺に近づき自販機を指差しながらねだる。


 「レクチャー料だよ。ジュース奢ってよ」

 

 「俺の分も買ってきてくれるなら」


 「やった!」


 そこからしばらく、俺と香奈はベンチに座りながらジュースを飲んでいた。二人して何を話すでもなく眼下に広がる町を見下ろしていた。時折吹いてくる微風が心地よかった。誰もいない神社に静かな静寂が広がっていた。そしてその静寂を香奈がかき消す。


 「誠」


 「なんだ?」


 「細かい事は後から言うって言ってたじゃん。」

 

 「そうだな」


 「その事なんだけどさ…」

 

 そう言うと香奈は言葉に詰まる。俺は再び静寂が戻ったら何かダメな気がして言葉を紡いだ。


 「もし言えない事なら…別に言わなくても良いよ」

 

 香奈がこちらを見上げる。


 「別に言えないって事でも無いんだけど…、誠が怒るかもなって思って」


 モジモジとしながら香奈が伝える。


 「心配するなよ。香奈が俺にわざわざプロデュースするなんて言った時から厄介事になるのは覚悟してたさ。」


 「なにそれ。私がトラブルメーカーみたいな言い草じゃん。」


 笑いながら彼女が言う。俺もつられて笑いながら答える。


 「本当の事じゃん」


 「まあ、そうかもね…。じゃあさ今回も誠に迷惑かけてもいい?」


 躊躇いながらも上目遣いで彼女は尋ねる。こんな顔をされた時に俺が彼女の頼みを断れた事は無い。それは勿論今回もだ。


 「どうぞ。おてんば姫様、私はあなたの忠実な僕です故…」

 

 「そうかそうか、苦しゅうないぞ!」


 そして彼女は一息ついて話し始めた。


 「実は私、二ヶ月後に大手のネット番組に出てくれないか、ってオファーが来てて。それでね…その番組の企画が男女二人組で無人島生活をするってやつなの。全国の高校生インフルエンサーが数組出演するんだけどね…私の事務所は高校生部門を新設したばっかりで男の子がいなくて」


 「それで俺に出てほしいっていう訳か?」


 「うん。全国放送もされる番組で、これに出られるか出られないかで私のキャリアが大きく左右されるの」


 「そうか…。俺も力になってあげたいんだが…俺はインフルエンサーでもモデルでも無いぞ。顔だってイマイチだし、人に誇れる所なんてどこもないし、何より人前で何かするなんて俺には厳しいと思うんだけど」


 残念ながら俺にはそんな素質はないだろう。それだったら俺じゃなくてサッカー部の悠太あいつの方が可能性があるだろう。


 「そんなことないよっ!誠は優しいし、誰かを思って行動できるし、何より誠は別にかっこ悪く無いよ!眼鏡を外して髪の毛を整えて…それから…あー、取り敢えず見た目は私がなんとかするからさ」

 

 「それは有り難いんだけど…俺はインフルエンサーじゃないよ。企画の条件を満たしてないんじゃないか?」


 「そうだけど…今から締切まで大体四十日くらい猶予はあるもん!その間に出場条件のsns総フォロワー五万人を達成するんだよ!私が色々教えるし、私とコラボもできるし絶対になんとかなるよ!!」


 凄い熱意でまくしたてる彼女を見ていると、彼女の夢のために藁をも縋ろうとしている必死さ、真っ直ぐさが心に伝わってくる。


 …俺は自分で夢を追えなかった、いつの間にかそれを諦めていた。変われる訳ない、なにも出来ないと思っていた。でも、隣で香奈が一生懸命夢を追っているのを見て心動かされないほど落ちたわけじゃない。


 俺しか支えられないなら俺が支える。俺は夢を追えなかったけど、俺の協力で彼女が夢を追えるなら……俺のやるべき事はこれじゃないのか?きっかけが欲しかったんじゃないのか?冷めたフリしてただけで、皆んなみたいに輝きたかったんじゃないのか?


 もう迷わない、心は決まっていた


 「分かった。香奈の夢を俺にも追わせて欲しい、いいか?」


 俺の言葉に香奈は驚きの顔を浮かべる。


 「へっ…」


 「へっ、て…。俺が断るとでも思っていたのか?」


 香奈はそれを聞くと後ろを振り返り大声で返す。


 「べっつにー。あんたなら協力してくれると思ってたよ。」


 香奈の声が震えていることに気づき、俺は少し茶化す様に言う。


 「本当にー?」


 俺の言葉に香奈がこちらを向き直る。


 「あったりまえよ!感謝してあげるわ、感謝しなさい!」


 こちらにビシッと指を差しながら笑う彼女の頬が少し濡れている様な気がしたが……香奈の背後の太陽が眩しいからそう見えただけだろう。


 「そうと決まれば…早速イメチェン計画始動よ!」


 俺の手を引きながら走る彼女の後ろ姿を見る。


 

 俺はいつもこいつに救われてる。




 だから…、感謝をするのは……俺の方だ。







 こうして俺の人生は音を立てて変わり始めた。


 

 

 


 


 

 

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