5日目:電話
いつも通りの桜の木。
もうこの感覚にも慣れてしまったし、不思議にも思わなくなってしまった。
しかし今回晴が立っているのは、桜の木の下。
今まで自分以外の人物が立っていた場所に、今自分は立っている。
下から見上げる桜の木は傍から見るよりも壮大だ。
よく目を凝らすと枝の先に蕾があることがわかる。しかし咲く様子は全くない。
いや、蕾自体は普通の蕾なのだが、これは咲かない。となぜか悟ってしまう。
――――チリン
鈴の音が鳴った。お迎えだ――そう思って、蕾から視線を離し、目を閉じる。
目を開ける。今は何時だ? 母親は仕事に行ったあとなのか? と考えながら起き上がると、リンは昨日の昼間と同じように静かに絵本を読んでいた。相変わらず準備はバッチリだ。
晴が起き上がる音に反応し、リンが絵本を丁寧に置いて駆け寄って来る。
「おはよう! ハル!」
「おはよう。母さん、もう仕事行ったか?」
「うん! でも……なんかハルのお母さん元気がなかった」
「……そうか」
悲しそうな表情をするリンを視界から離し、そっぽを向く。
先日の母親の言葉が頭を巡るが、勢いよく頭を振って追い出した。
「そうだ、ハル! 今日はちゃんとおへや、でなかったよ!」
ドヤァと自慢げな表情をする。すごく褒めてほしそうだ。
「あ~、はいはい。偉いな」とリンの頭を撫でる。そう、撫でてしまった。
しまったと思い、すぐに手をひっこめた。
リンは撫でられたことが夢なのではと言いたげに放心した様子で自身の頭を撫でる。
そして撫でられたことを理解すると瞳をキラキラさせた。
「……!! ハルがなでなでしてくれた! ねぇもういっかい! もういっかい!」
「あぁ! もう! 今日は遠出するんだから、早く準備するぞ!」
不服そうなリンを尻目にそう言っていつも通りの支度をする。
今までは想像もしなかったような、今では日常と思えてきてしまった不思議な感覚だった。
***
現在の時間は1時26分。
母親が帰ってくる前に北風町の聞き込みを終え、家に帰ってきた。
リンにしては珍しくこんな夜遅くまで起きて、北風町の案内ガイドをニコニコと眺めている。
駅に無料でお取りくださいと書いてあり、リンが欲しいと言ったので貰ってきたものだ。
そんなにいつもと違う場所に行けて楽しかったのか。
それともただ遊びに行った感覚なのだろうか。そうであるなら少し思うところはあるのだが。
それはいいとして、今回は思ったよりも情報が手に入ったのだ。
まず『くきさき』という家は北風町にあった。
漢字は、柊に長崎の崎で『
町中では有名な資産家の家であり、家族そろって温厚で心優しい人達だったらしい。
しかし、突然姿を消してしまい、家はすでに空き地になっているそうだ。
それと別の人から『柊崎家は十年前に起きた強盗事件で既に亡くなっている』とも聞いた。
かなり年配のおばあさんだったため、ただの噂を誇張しているだけの可能性もある。
真意は分からないが、もし本当であれば、この柊崎はリンの家とは別と考えるのが妥当だ。
――ただ、これまでで引っかかる違和感がいくつかあるのだ。
明日は北風町の強盗事件や柊崎の家について調べることに専念しようと、今はパソコンの修理をしている最中だ。
今の時代スマホでも調べることは出来るのだが、空き時間は有効に使うべきだ。
それにパソコンの方が慣れているし使いやすい。
幸い修理にそれほど時間はかからなそうだ。それでも徹夜にはなるだろうと少し憂鬱になる。
頭では色々と考えつつも、晴の手は止まらず修理作業を続ける。
リンのこと、柊崎の家のこと、北風町のこと、事件のこと、そして、家族のこと――。
晴の頭に家族がチラつき、一時的に作業の手が止まる。
しかしすぐにブルブルと頭を勢いよく左右に振る。まるで思考を放棄するように。
「ぴゃっ!」と傍らで声がしてそちらを見ると、リンがすぐそこまで近づいて来ていて、晴が急に勢いよく動いたことに驚いたようだった。
「あぁ悪い。どうかしたか?」
「あ、あのね。ハルのでんわ、なってるよ」
そう言いながら床に置いたまま放置していたスマホを持って晴に手渡してくる。
どうやら修理に集中しすぎて気が付かなかったようだ。
素直にお礼を言うと嬉しそうに頭を差し出してきた。撫でろということなのだろう。
拒否するように受け取ったスマホでリンの頭をコツンと優しく叩く。
頬を膨らませて拗ねたように太もも部分をポカポカと叩かれるが、全く痛くない。
気にせずスマホの画面を見ると、兄の名前が表示されていた。
一瞬躊躇するが、意を決してリンに静かにするよう伝え、通話開始ボタンを押す。
「……なに」
『あぁ、お前が素直に電話に出るなんて珍しいな』
嬉しそうな声色にムカつくようななんとも言えない感覚がするが、胸の奥に押し込んだ。
リンの様子をチラッと見ると、興味津々というように近くで漏れる音を聞いている。
「で? なんの用?」
『いやお前全然メッセージ見ないし、心配だったんだよ』
「……スマホ壊れてたから」
『なんだ、そういうことか。ならよかった』
電話越しに安堵したことがわかる。声しか聞いていないはずなのに表情が想像できてしまう。なんともいえない気分だ。早く電話を切りたい。
「で、用はそれだけ? なら電話切るよ」
「あぁ! ちょっと待てって!』
何も話さず次の言葉を待つと、兄の声色が真剣になる。
「……母さんから聞いた。最近外に出てるんだって? ……何かあったのか?』
想像していた通りの話題だ。イライラする。
「だから母さんには関係ないって言った。勿論兄貴にも関係ないから」
『関係ないわけないだろ。家族だぞ! みんなお前が心配で――』
「うるさい!! ……もうほっといてくれよ……!! あの時だって誰も助けてくれなかったくせに、今更心配なんて……聞きたくないんだよ!!」
兄の言葉を遮り、声を荒げる。近くにいたリンが驚いて肩をビクッとさせたのが横目で見えたが気にも留めず、泣き出しそうになるのを抑えながら声をぶつけた。
そして兄の言葉を待たずに電話を切る。
ついでに再度電話がきても気付かないようにスマホの電源すらも切って床に放り投げた。
いつの間にか強く握りしめていた晴の手にリンがそっと触れ、徐々に力が緩んでいく。
いつもだったらすぐに離れようと手を引くのだが、今はその温もりが自分を抑える枷となってくれている気がした。
「……悪い、また。怖かったよな」
「ううん。だいじょうぶ。いまの人は?」
「……俺の兄貴。今は家を出て別のところで暮してるんだ。仕事の都合でな」
だんだんと自分の視線が下がっていくのがわかる。
「……ねぇ、ハルは……お兄ちゃんやお母さんたちのこと、キライなの?」
「……嫌いだ。……って断言できたら良かったのかもな」
リンは晴の返答に不思議そうな表情をする。
視線はリンに合わせず、晴は顔を沈ませながらポツポツと内に隠していたモノが漏れ出していくように語り出した。
「……俺、高校でイジメられてたんだ。一般的に酷い部類に入るのかはわからないけど、つらかった。今はもうどうも思ってないけどさ。……でも、当時はつらくて、その頃から学校に行かず部屋に引きこもって、外に出る回数も減った」
「家族には心配かけたくなくてイジメの事、黙ってたんだ。そしたらどうして学校に行かないのかって聞かれるようになってきて、それがまたつらくて……なんで気付いてくれないんだって……段々何もかも嫌になってきて、そっからこの調子」
「自業自得なのも、話せば違ったのかもしれないも、わかってる。でも、もうどうすればいいのかわからなくて、その頃にはもう信じられなくなってた」
「……嫌いだ、家族なんて……。なのに、なのに嫌いになりきれない……くそっ……!」
誰にも言えず、自分の内側に閉じ込めてきた思いや感情が溢れて止まらなくなる。
自分と倍以上歳が離れている女の子にこんな話をするなんてかっこ悪いな、と嘲笑する。
リンは何も言わず晴の頭を数回撫で、ギュッと晴を抱き締める。
早く離れなければと考えるが、縋りたくなるような温もりに負け、リンの肩に頭をうずめる。
そのまま少ししてリンが離れると、晴と目を合わせた。
「ハルは、家族のこと、だいすきなんだね」
ニコッと満面の笑みを晴に向ける。
――――チリン、と鈴の音がやけに耳に響いた。
家族のことが好き?何を言っているのだろうか。リンはちゃんと話を聞いていたのか? 自分にとって家族は憎くて、つらくて、いない方がいい存在……のはずだ。
否定の気持ちしか浮かばないはずなのに、否定する言葉が出てこない。
リンも晴も何も言わず、ただただ時間が過ぎていった。
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