4日目:失言

 枯れた桜の木の下。

黒い髪の少年が独り、座り込んで耳を塞ぎ、泣いている。

膝や腕、頬には暗い痣が広がっていた。

周りには反響したように聞こえる、耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言。

聞き慣れたソレに晴は表情を変えず、「またか」と声を零す。

――――チリン

「……今日は早いお迎えだな」

鈴の音が聞こえた。自分を呼ぶ、道しるべの音。少年の泣き声は、止まない。




ゆっくりと目を開く。カーテンからの日差し。いつの間にか眠っていたらしい。

「……懐かしい夢……」

夢に出てきた、泣いていた少年――昔の晴を思い浮かべる。

昨夜母親と話したからだろうか。きっとそうだろう。

ベッドの方を見る。そこには布団の抜け殻しかなく、リンの姿は見当たらない。

寝ぼけた頭が覚醒し、状況を理解した瞬間、飛び起きる。

「リン……?!」

部屋を見渡してもリンの姿は見当たらない。

バンッと部屋の扉を開け、二階を捜し、一階へ駆け降りる。

他に人がいるかもなんて考えはなく、リンを呼びながらリビングの扉を勢いよく開ける。

「リン?!」

「わ! びっくりした……ハル! おはよう!」

笑顔で挨拶する様子に拍子抜けと安堵でその場に座り込みそうなのを我慢してリンに近寄る。

「はぁ……勝手に部屋から出るなよ」

「えっと……ハルのお母さんおしごと行ったから、いいかなぁって……」

「確かに母さんが出たら基本は誰もいないけど、父さんとか、もしかしたら兄貴とか……他に誰がいるかわからないし、何があるかわからないんだから、これからは勝手に出るなよ」

「うん……ごめんなさい……」

『……ごめんなさい』。昨夜の母親の言葉が重なる。

「……まぁ、わかればいい。早く準備して捜しに行くぞ」

そう言うとリンは「うん!」と元気に返事をする。



***



14時ほど。まだ空は明るいし、母親が帰ってくる時間にもまだまだ余裕があるが、公園での聞き込みを終えてそのまま家に帰って来た。

やはり世間的に受け入れにくいのか、ほとんどの人から奇異な目で見られた。

男の子を連れた女性にあからさまに不審者を見るような目をされて逃げられたときは流石に傷ついた。いや、当たり前の反応なのだが。

しかし残っていた公園で眠そうにしていた中年くらいの男性から有力そうな情報が聞けた。

リンの苗字である『くきさき』という名前を北風町きたかぜまちに住む友人から聞いたというのだ。

男性本人からは一度聞いただけで曖昧であり、記憶違いかもしれないとも言われたが、進展がない以上情報が不確かでも、あるだけマシだ。

それと『北風町で前に物騒な事件があったから気を付けるように』と忠告された。

町の名前に聞き覚えはあるが場所は知らない。

恐らくネットで見たか、行ったが忘れているか。どちらにしろ情報なしで行ける自信がない。

リンには悪いが北風町に行くのは明日にして、今日はスマホの修理に集中することにした。

これまで少しずつだが進めてはいたので、今日中には直るだろう。

リンには部屋で絵本を大人しく読んでもらっている。

リビングに置いてあった昔家族と読んでいた絵本だ。まだ残してあったのか……と少し呆れたが、今は助かったので良しとしよう。

――――家族……か。

「……なぁリン。お前の家族さ、なんというか……イヤな人、じゃないのか……?」

晴は修理をする手を止め、リンの方を見ずに聞いた。

絵本をめくる音が途絶えると、不思議そうに「なんで?」と聞いてきたのでリンの方を見る。

「いや、だってお前が迷子なのにこんなに捜しても見つからないんだぞ。警察に捜索願出してる様子ないし……お前もしかして捨てられ――」

そこまで言ってから手で口を塞ぐ。

手は金属で汚れていたが、そんなことは頭にないくらい反射的に塞いだ。

「……ごめん。それは言い過ぎた……」

そう言いながらまたリンを視界から離す。俯きながら不安に襲われる。

――そんなわけがない。服も髪も、大切に育てられていないとあんなに綺麗にはならないだろう。それにリンは親が見つからないと悲しい顔をする。食事が全く喉を通らないほどなのだ。

そんなリンの家族が、リンを捨てるとは思えない。

もし仮にそうだとしても、こんな小さな子に言うべきことではない。

そんな不安が一気に晴を襲う。

暑くないのに汗が垂れる。呼吸が荒くなる。胸のあたりがぐるぐるして気持ちが悪い。

どうしよう、どうしよう。リンが、もし俺みたいに家族を信じられなくなったら。

こんな辛い思いをリンにさせてしまったら。

……そしたら俺はもう、この先一生自分を許せない。許す事ができなくなる――――。


「リン、お父さんとお母さんのこと、だいすきだよ!」


――――チリン、と鈴の音が鳴った。

晴がその言葉に顔をあげると、リンが笑顔で笑っていた。太陽のように明るい笑顔だ。

不安に駆られていた晴の思考は瞬間的に停止する。

「お母さんは毎日おいしいごはんを作ってくれるし、ねる前に絵本読んでくれるんだ! 毎日ギュってしてくれて、やさしく名前を呼んでくれるの! お父さんはおしごとでいそがしいけど、おやすみの日はあそんでくれるし、リンがカゼをひいた時はずっといっしょにいてくれるんだよ。 あとね、リンもう少しでおねえさんになるんだ! おとうとができるの! だから、あなたのお父さんとお母さんはやさしくてステキな人だから、あなたもきっとだいすきになるよって、お母さんのおなかの中にいるおとうとに、いつもおはなしてるの!」

笑顔で、楽しそうに話すリンの瞳はキラキラと輝いていて、眩しくて目をそむけたくなった。

しかしなぜか目を離せなくて、その瞳に吸い込まれるようにリンの目を見つめていた。

「まだまだ言えるよ! お母さんね、お花をあげるとすごいよろこんでくれるの! あ! トランプでババ抜きもしたよ! お父さんがね、毎回まけちゃうの! それにね!――」

リンは楽しそうに家族とのエピソードを話し続ける。

これは終わるのか? と逆に不安になるほどの勢いだ。ただリンが、家族が大好きなこと、家族がリンを大切に思っていることを証明するには充分だった。

正直安心した。リンが自分の失言を気にしていなかったのもそうだが、リンの家族を疑っていたことは事実だ。

でもこんな楽しそうに、嬉しそうに話すリンを見て、そんな疑いは杞憂であったと悟った。

やはり、リンは眩しすぎるのだ。自分が灰になって消えてしまいそうになるくらい。



それから母親が帰って来る直前までずっとリンは家族について話していた。

今は話疲れたのかリンは寝てしまっているため、先程とは比べものにならないくらい静かだ。

現在の正確な時刻はわからないが、修理に予定よりも時間がかかっていることはわかる。

「これをこうして……あとはこうすれば……できた」

スマホの電源をつける。急に目に画面の光が直撃して眩しいが無事に電源はつくようだ。

データも特に損傷はないようで安心した。

連絡などを確認すると、兄から数回「元気か?」というメッセージと電話が数件来ているくらいだった。仕事という名の依頼の連絡もないし、ひとまずは安心だ。

スマホの時間を見ると、デジタル時計で1時を表示していた。

やはり思った以上に時間がかかっている。明日は遠出をするのだから早く寝てしまおう。

布団に包まり、目を瞑る。静かな部屋の中。自分の寝息だけが鮮明に聞こえるような気がした。

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