海の星

 テレビの前でぐだっとなっていると、ドアのチャイムが鳴った。夏の暑さと室内のエアコンの温度差にやられた重い体を頑張って動かす。出ると本屋さんが来ていた。

「こんにちは。一昨日、近くの海に浮き花が来たと聞きました。その浮き花は水に咲く星と言われているんです。よければ行きませんか。昼間でもよく見えるそうです」

 海かぁ。海の中は長時間入っていると冷えるけど、砂浜に出ると暑い。でも凄く気持ちいい温度差だ。エアコンでガンガン冷やされてぐったりするより良いかもしれない。

「すぐ準備してくる、待ってて」

「はい」

 体の向きを変えたら母が扉の前で眠そうな顔でこちらを見ていた。

「どこか行くの?」

「うん。海に」

「んー海かぁー。いいね、私も行く。久々に海の家でお酒飲みたいわぁ」

 母はそう言って背伸びをした。ついでに首も曲げていて凄い音が聞こえる。




「それじゃ、私はここにいるから。あんたたちはいつもの場所にいるんだよね?」

「うん。お腹すいたら戻ってくるよ」

 夏にしかやっていない海の家に行きつけというのも変な感じはするが、行きつけの海の家にお金を支払い荷物を預けた。

 話し終えて母はすぐにお酒を持ち、ビーチチェアに寝転がった。そういえば、小さい頃から海に来ているのにビーチチェアで寝た事がない。いったいどんな寝心地なのだろう。いつか寝てみよう。

 本屋さんに案内され舗装された道を歩く。膨らました浮き輪を持っているので少し歩きにくい。

 隣で兄があくびをした。勉強して煮詰まっていた所を母に誘われたそうだ。兄も寝たらいいのにと思うが、兄曰く運動する事がリフレッシュになるとのことらしい。

 海の端から端まで海の家があるのだが、なぜか真ん中の一部にはない。中の海の水は特に他と変わりはないが、海の家がないので全く人がいない静かな場所だ。

「ここです」

 ちょうど人がいない部分で本屋は止まった。

「わぁ、キレイ…」

 海1面にたくさんの星が散りばめられていた。空を見ても明るくて星は見えないのに海の中には星が見える、なんとも不思議な光景だ。

「じゃ、俺はさっそく遊んでくるよ」

 と、兄は準備運動を始めた。

 私と本屋さんは海の中に入って花に近づいた。

 黄色や白や稀に赤色もある。光っているのか、よく見ると花とは色の出方が違う気がする。

 花びらは随分と小さい。花びらは5枚で、真ん中のおしべやめしべは菊のようになっている。

 ゴーグルをつけ海中から見てみた。花のすぐ下に葉がありその下は小さく白っぽい根っこがある。葉は太陽を浴びようと花びらより外側にあるが、根っこは縦に伸びている。根っこが絡み合っているのかと思えばそうではなく、離れては近づいてとゆらゆらしている。

「ぷは、こんな風になってたんだ!」

「そうですね…んむ…あまり美味しくないですね。蜜もあまりなく…鑑賞に向いてます」

「え!?た、食べて大丈夫なの!?」

「毒はないと聞いていたので。これは料理しても美味しくなさそうですね」

 本屋さんは目をつむってふむふむとしていた。美味しくないと言っているが、めったに花を食べる事なんてない。花を見てゴクリと唾を飲んだ。

「やめておいたほうがいいですよ。お口直しがないと…うむむ…持ってきたらよかったです…」

 出していた手をすぐに引っ込めた。触らぬ神になんとやらだ。

 息をためもう一度潜る。

 上から見ると花びらがあるので花に見えるが、下はあまり色がなく根っこもあるので全く別のものに見える。生き物みたいだ。指でつつくと、隣の花にぶつかるが絡まる事はなくすぐ離れる。

 呼吸を整えるため頭を出した。

「初めてみたよ。この花って流れているの?」

「いえ、普段は赤道付近の海に住んでいて他の場所には移動しないはずなのですが…」

「なんでここに来たんだろう…潮の流れでも変わったのかな。火山が噴火??」

 指で横からつんと押してみる。行ってはまた戻ってきた。

「おや?」

 本屋さんが砂浜を見るので見てみたらよぼよぼとゆっくり歩いている誰かがいた。二足歩行で白い薄い夏用の上着を肩にかけている。犬のシュナウザーに見えるような気もする。杖を使っているが砂なので歩きにくそうだ。躓いたりしているので何か手伝えないかと思い向かった。

「どこまで行かれるんですか、もし良ければ手伝います」

 慣れない敬語を使い、横にそう。

「ちょっと波打ち際までね…ここに浮き花が来ていると聞いて…」

 そう言って着くと、ほう…と声を出して眺めていた。

 すると浮き花が何かを空中に出し始めた。それがホタルが飛んでいるようでとても幻想的だ。

「ああ…懐かしい…」

 そう呟いては涙を流していた。

「いやねぇ、年をとると涙もろく…ごめんなさいねえ」

 慌てて涙を拭うが、涙は次から次へと流れ出てくる。何もできることはないので本屋さんと一緒に背中に手をあてた。

「昔ね、主人とまだ付き合ってた頃に旅行に行った事があってね。あの頃は夢もあって仕事もあって、少ないお金から頑張って旅行に行ったのよ。そして浮き花を見たの。見た時は感動したわ。なんだってできる気がした。

 そのうち私達の夢は叶ってね、忙しくなったけど充実していたわ。またあの花を見に行こうねって。…けど、年には体は抗えないものね…主人は仕事ができないくらい体がぼろぼろになってね…私は私で病気になって。悪い事は立て続けに起こるものでね、ついこの前、主人は事故で先に行ってしまって…。私ももうすぐなの。

 向こうへ行く前にひと目見る事ができたら、主人へのお土産に見る事ができたら…そう思っていたんだけれども、この体じゃあ稼ぐことはできなくて。

 そうしてただ向こうへ行くまでの時間が過ぎていったの。でも、また見る事ができた。それも珍しい受粉光景も。ガイドさんが言っていたのだけれど、ああして空中に浮かせて受粉して、潮風に飛ばしてもらって別の場所に落ちるんだそうよ。大昔はそうとは知らずに、よく告白する場所として有名だったみたい。それに1年に一度で、日付も決まっていなくて大変だったそうよ」

 そう話し終えると彼女はそのまま大事そうに景色を見ていた。昔の事を思い出しているのだろうか。主人に会ったら何を話すか考えているのだろうか。彼女の目にはいったい何が写っているのだろう。

 浮き花が来てから何日か経っているので他にもちらほら見に来るものたちが来た。先程の私達のように海の中に入って遊んだり、味見にと食べているものもいる。

 浮き花は話はしなかったが、もしかすると彼女の願いを叶えにきたのだろう。本屋さん曰く、赤道付近以外には行かないという事だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る