初恋

 私は恋愛というものはずっと来ないんだろうなと思っていた。憧れることもあるし、キュンとする事もあるし、恋愛漫画や恋バナだってする。それにそういう事にも興味がある。だけど恋に落ちるという事がなかった。そんななので、中学の美術の授業中に突然恋に落ちるとは思わなかった。いや、恋なのかは分からない。分からないが、気になり始めたのは多分授業中からなのだろう。

 2年生に入って5月のことだった。私の住んでいる所ではもう暑いけど寒くもなる微妙な気温をしている。なかなか面倒な時期だ。

 美術の授業で学校内で好きな所に行って模写をするという内容だった。もちろんクラスの近くでは邪魔になるからそれはダメだ。

 私は人が居ない所じゃないと集中しにくいのでどこかないかブラブラしていた。鯉や桜やイチョウあたりは人気でどこも埋まっていた。そういえば、と思い外廊下へ向かった。

 この学校の外廊下には食い込むように成長している木がいくつかある。あの木達は何の木かわからないけど、外廊下にあるのをいつも素通りされているので気づかれていないのかもしれない。

 向かってみると誰も居なかった。名前も知らされていない、年中緑に茂っているが誰も見向きもしない木。何ていう名前なのだろうか。季節によって変わる事もないので話題になる事もない。

 近づくと、廊下に食い込んでいるので葉が間近で見られる。

 急いで描く準備をする。基本絵の具でいいらしいのだが、描くならなんでも良いという事なのでどれにするか迷っていた。

 パステルを開き色を見てみるがなんだか違う様な気がする。クレヨンを開き、この前に学んだばかりの塗り方を思い出し、これだなと思って決めた。

 さて、描こうとしたらガサゴソと音が聞こえた。見てみたら、廊下の柵をこえてこっちに乗り出している葉の裏から小さな子がこちらを見ていた。ところどころ隠れて見えないが人の形に似ている。小人か妖精の類なのだろうか。

「何をしているの?」

「美術の授業でね。絵を描こうとしているの。この木を描こうと思って」

 と言うと、ふーん、と言って葉から出てこちらに近づいた。

 皮膚はよく日焼けした色をしていて、あちこちが白く抜けている。ボブカットの黒色が艷やかでとても美しい。藍色より少し薄い色をした薄手のパーカーを着ていて黒い短ズボンをはいている。浮いてはいるが羽の様なものは見えない。

 いつの間にか手に持っていたメガネをかけてその子は覗き込む。

「.........」

 恥ずかしくてなかなか描かないでいるとこちらを見ていた。

「み、られていると恥ずかしい」

 分かったと言って少し後ろに下がるが視線は感じる。それでもまあいいかと思って描こうと手を当ててみるがうまく進まない。ここには来たもののどこからどこまで描くか決まっていない。そうしてジっと止まっていたら、その子は前の葉に座った。

「またここに来て見たらいいのに、なんで絵なんて描くの?」

「ううん....絵を描く事が好きだったり、見に来れないかもしれないからかな...」

「心のなかにずっとあるのにね...」

 そう言ってまたこっちを見ていた。

「...こっちを見ているけど、珍しい?」

「うん。珍しいよ。皆素通りしていくから。木がこんなに綺麗な葉や枝を見せているのに皆見ない中で人が来たから。考えても不思議でしかないよ」

 見向きをしなかったうちの一人なので言葉に詰まった。たしかに夏は涼しげに見えるが、他の色がつく木の様に眺める事はしない。

 なんとなく木に触れてみたくて葉をつついてみた。人間の力ではつつくだけでも強いみたいで軽く隣の葉も揺れた。それが面白いらしく、その子は少し笑っていた。

「ねぇ、絵が終わったらもう来ないの?」

 そうだろうなとは思ったけどなんだかそれは悲しくなったから、また来ると言った。

「あ、ねぇ、メガネかけてるけど目が悪いの?」

「いや、なんか賢く見えるかなって」

 理由が可愛くて思わず笑ってしまった。相手も自覚あるのか恥ずかしげに笑っていてそれがとても可愛かった。なぜだか分からないがその笑顔が強く印象についたから、クレヨンを直し授業に使っている絵の具を取り出した。念の為水を汲んでいて良かった。

「あなたって名前あるの?」

「なまえ?それって何?」

「うーん。相手を呼ぶのに使う?個体名?」

 その子は少し考えて

「あなた達って集団だもんね。この木に住んでるからケヤキって呼んで」

 と言った。

 話しながら水彩色鉛筆で薄く輪郭などを描いていく。これが終わったら絵の具の出番だ。今描いている時も楽しいけど次の事を考えるとまた別の楽しさが増えて、楽しさで心が満たされている。

 見ながら描いているのでケヤキの姿も見えるのだが、ケヤキもなぜだか微笑んでいた。それもまた楽しくて、楽しさが三つ巴で大変だ。

「いつから住んでいるの?」

「んーここに木が立ってからかな。たしかこの学校ができてから」

「随分と長くいるんだね。ここの木が好きなの?」

「みたいなものかな。親も好きでね、この木の親の木に住んでたんだ。ケヤキが生まれてすぐこの木も生まれてね、兄弟姉妹みたいに育ったんだよ。それから成長するとこの木が人間に連れていかれるというので、ケヤキも巣立たないといけない時期になったからついていったんだよ」

「へええ。じゃあここに来た時驚いた?色々な木や人や慣れない音とか」

「そりゃ驚いたよ!住んでいた所は知っている子の子供だから比較的落ち着いていたけど、ここは知らない子ばかりで最初は喧嘩ばっかで。おまけに学校全体に響くあの音ったら...人間が居ない所に住んでいたから人間の声も凄くて...慣れるまで大変だったよ。でもね、この学校を見ていると将来どんな風に変わってくるか気になってきてね。他の木も落ち着いてもう今じゃ家族みたいになって、楽しいよ」

「そっか。慣れて良かった...故郷に...帰りたいとかはないの..?親とかかつての友人とか」

 ケヤキは数分悩んでから口を開いた。

「ないかなぁ。あそこの自然の空気も好きだけど、今じゃこっちの賑やかで目まぐるしくかわっていくのが気になって仕方がない。それに親とずっといたらあれこれ衝突したり時間が被ったりして大変だよ。それに知らなかった事を知らないまま過ごす事になる方が嫌だなあ...」

「ここってそんなに変わるの?」

「うん。作った当初は存在しなかった七不思議がここ最近でできたり。できた理由が、定期的に学校新聞作るのに、娯楽部門で作ったんだって。あの時は七個より多く不思議を発信していたよ。なのに七不思議って言ってたのが不思議、それにどれも幽霊の話をしていて幽霊の仕業だって知っているのに不思議って言っていたんだ。それでね、それを今でも本物として語り継がれているんだよね」

「作られていたんだ.....。私もそれは不思議だって思ってた。...あ、イタズラ好きな子が来たら更に新しく作られてまた盛り上がりそうだ...と思うとちょっと来てほしいかもしれない」

「そうなんだよね。ケヤキも誰か来ないかなって思ってる。あ、一つ答え知ってるのがあるんだった」

「七不思議の?」

「うん。夜な夜な学校中の銅像が歩いているっていうのがあるんだけど...あれ、ただ工事に撤去してただけなんだ。でも人間達は銅像がいつの間にか移動しているのを見て騒いでたよ」

 物語の裏側を見てみたらなんて面白いのだろうか。騒ぎに乗っかっている人もいるだろうが、周りから見たらこんなに面白い喜劇はないだろう。

 会話をしながら描いていると時間はあっという間に過ぎていった。時間までに描き終わる事はできたのだが名残惜しい。それから休み時間に会いに行って話して過ごした。時には話さずにぼーっとしている時もあるがその時間も楽しかった。


 日々が過ぎていくにつれ授業やクラスメートとの会話に身が入らなくなっていった。それは友達としてか好きだからか分からない。ずっと他愛もない話しかしていないのだがどこで気になり始めていたのか。最初に出会った時なのか、友達として話しているうちになのか、これでは誰かと恋バナする時に何も話せないだろうなと思う。なのでずっと心のなかに秘めているのだろう、あの時の美術の授業の時からの思い出は。


 一ヶ月ほど経った頃だろうか。朝は苦手でいつも遅刻寸前だったが、ケヤキに会ってからは朝早くに起きては早く学校に行っていた。そして朝礼までケヤキと住んでいる木と過ごすのが日課になっていた。木は何を話しているのかわからないのでいつもケヤキが翻訳してくれている。話す事はない時は気温が暑くなっている中三人で風を感じていたものだ。

 たしかにこの木は色が変わる訳でもない。それでも見ていると、同じ緑系統とは言え少し色が違ったりして美しいものだ。そして近づくと更に面白いのだ。一つの木なのにたくさんの命があって、それぞれの考え方や物語がある。

 例えば、誰よりもてっぺんを取る事に精を出していたり、かわいそうだからと日陰を作ってあげようとしていたり、鳥と話したいから乗りやすい枝になったり、自身の葉の美しさを見てほしかったり。

 そして落ち葉になったら次の人生を楽しむのだそうだ。


 お昼休みに早く行けるように急いで食べて次の授業の用意を机の上に置いておく。

 時間になったら早歩きで向かった。その頃には楽しみなのか好きなのか分からないドキドキがそういう行動をさせていた。

 着いたらまだケヤキは出ていなかったので、木に挨拶をする。ついでに触っていいのか分からないけど、枝をそっと撫でた。

 会話が出来たらいいのに、と思っていたらたくさんの葉の揺れる音が聞こえた。何事かと見ていたらケヤキが前に枝葉があってもお構いなしにつっきっていた。

「ご、ごめんて、ちょっとまにあわな...そうだけど、手こずって...」

 と木に話していた。木も痛そうだなと思っていたらそうらしく怒っていたみたいだ。

「えっと、これ」

 と言って見せてきた物は枝葉だった。

「住んでいる木の枝...好きな人に渡すんだ.....」

 木に何か言われたのだろう。分かってるよ...この木の一番の枝葉なんだ、と言っていた。

「ありがとう」

 友達のプレゼントに嬉し泣きをしそうになりながら受け取ろうとしたら、何故か遠ざけられていた。何か勘違いしたのか疑問に思って見てみたら、ケヤキも不思議そうにこちらを見ていた。

「ケヤキの事も好きだったら受け取って」

 そこでやっとこの気持ちについて考える事になった。好きということ。いつからドキドキしていたのか、これは何なのか。はっきりとはしなかったが、人生をともにするという事を考えたらずっと一緒に暮らしたいと思う。結婚している両親や姉夫婦の事を考えてああいう風になりたいと思う。

 頷いてからそのケヤキを手に取った。

 それからと言うものの、一緒にお出かけをしたり、喧嘩した時には木に仲介を頼んだり毎日が楽しかった。



 そうして3年の夏休みの事だ。

「....また知らない所にいくみたい...」

 とケヤキは泣きながら言った。突然いなくなるという事に頭が追いつかなくて、え?と聞いたのを覚えている。

「外廊下の木...邪魔って...む、虫が...」

「外廊下の木が虫がいるから邪魔だって話になって木を移送するってこと?」

 と聞くとケヤキは頷いた。いったい誰がそんな事を言ったのだろうか。遅れてから自分も涙がボロボロとこぼれた。ただ涙だけが先行しているので心も頭も追いついていない。空っぽのまま泣いていた。

 泣き終わった後にお互いで涙を拭いあった。

「ここの廊下を知った1年の親達が怒ってね...こんな危険な物を放置するなって...毛虫とか危ないから。その意見が大量に来たのと署名活動も行われて...移送先があるものは移送して、ないものは殺すって...」

「そんな勝手な...それで勝手に連れてきて勝手に殺すの?それにまた皆知らない所に行かされるの?」

「....そういうものだよ...ね...」

「...そういうものは無理に割り切らなくていいと思う...割り切れるものじゃないよ」

「ごめんね...ケヤキはこの木からずっと栄養をとっているから行かなくちゃいけなくて...」

「.......そっか....」

 ずっと居るのだと思っていた。ケヤキも外廊下の木達もケヤキの見たかった事も皆。こんなにあっけなく終わるものなのだろうか。

「ね。向こうでも元気でね」

 ケヤキは、うんと言って私達は軽くキスをした。そして友人の木の枝と葉にもキスをした。この短い間のドキドキや楽しかった事は忘れたくない。誰にも話せない、恋だったのかも分からないけどせめてこの思い出は誰にも取られたくない。歳をとってもこれだけは薄れないでほしい。

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