歌う乙女

 晩御飯も終わり、読み終えてない本を読むかゲームの続きをするか迷っていた頃。かすかに音が聞こえた。聞き慣れない音だったので、いったいなんなのか耳をすませた。

 なんとなくわかったのはメロディーだった。歌詞はなく曲のみのようだ。よく声が澄んでいて心が洗われるような曲調で、誘われるかのようにその場所に向かった。

 近づくにつれよく聞こえてきた。賛美歌や宗教色の強いクラシックの様な感じで、あまりの美しさに意識して向かっているはずなのに無意識に歩いている感覚になっていく。ただ、聞こえる声が1つだけというのが妙に物寂しい。

 サンダルを履き、扉を開ける。

 扉の先には、鶴に似た子が居た。羽の先に行くほど半透明になっていて、それがまた布を巻いてるかのように見える。色がしっかりついている頭付近はなんだか柔らかそうな綿の様な印象を受ける。くちばしからかすかに見える足先まで全て白色で目だけは淡い水色をしていた。

 その子は驚いたようでこちらを振り返った。その様子は、薄いストールを羽織った気品のある淑女がこちらを見ている様に見えた。外は夜なので神秘性も増している。もちろん人間ではないので人間に見えるのは完全な錯覚なのだけれど、思わずため息をついてしまう程だった。

「あら、ごめんなさい。歌わないようにしてたのだけれど、つい...」

 その子の声はスッと中に染み込むような不思議な感じがした。

「いや、良い曲だったから何だろうって思って。ねぇ、それはあなた達の特有の曲なの?」

「ええ、そうよ。私達の間でずっと続いてるの。今のは、夜行性の動物たちを起こす為の曲」

「起こすため??じゃあ他にも起こしてるの?」

「ええ。起こしてるわ。季節たちのようなお寝坊さんはほぼ毎日起こしてるわ。あとは、朝が来た時、夜になる時に花や虫に知らせるのもあるわ」

「へえ。そんなに毎日歌って、1日に何度も同じ事をして面倒くさいとかならないの?」

 考え直してみると、失礼な質問だなと少し胸がチクっとした。それでもその子は変わらず答えてくれた。

「ふふ。私達はね、歌が好きなの。空を飛びながら...まるで何も縛られていないようでね。1人で静かに楽しむのも良いけど、仲間と歌っていると音楽と1つになれた気分になるの。それに、起こすのは凄くやりがいがあるのよ...どこぞのお寝坊さんは他の集団と一緒に起こしてもなかなか起きてはくれないけれど...最初はね、誰かがとある動物が起きられなくて困ってたから始めた行動なのよ。それがいつの間にかたくさんの誰かの為になっていったの。だから私はやめたいと考えた事はなかったわ...私はこの先もきっと変わらず続けていくでしょうね...」

 思えばたしかに好きなことは飽きる事を知らない。私も趣味があるのだが、今まで毎日していてやめようと思った事は一度もなかった。こんな簡単な事を質問して少し恥ずかしい。

 そして自分がしている仕事が誰かの役に立っているという事が、あまりにも仕事というのに否定的だったのと、忙しさでその考えに至らなかった。

 社会人、というものになってゆったりする時間もなくなって、時間に追われる事になって、時間がなくなって、心も余裕が持てなくなって。

 夜空を見上げてみる。

 人間の時間は早いけど、周りは何も変わらなかった。何も気にせず邪魔をさせず動いていく時間を感じていく。

 だんだん、さっきまでずっと感じていた忙しい感覚がなくなっていった。それと同時に、何か物悲しさを感じた。

 人間が自分や相手に対して求めているもの、求められているものでお互いに時間を奪い合っている。その進化しているのか進んでいないのか分からないそれが何とも悲しい気持ちにさせた。

「...そうなんだね」

 何かを返事をしようにも思いつかずにそれしか言えなかった。

 しばらくの沈黙のあと、その子はまた歌い始めた。

 それがあの話の後と私達以外誰も居ない静かな空間と相まって、忘れていた事を思い出させる。

 人との繋がり。どんなに遠く離れていても、生きている時代は違っても、その人が起こした行動が、優しさが、勇気がこちらにまで届く。

 もちろん悪い事もある。けれど、その優しさが人から人へと渡りこちらにまで届いた時、新しく学んで次へ繋げていく。

 思わぬ所で起こした行動の影響はずっと続いていく。そこから感じるぬくもりと知らない誰かへの感謝とまだ残っている悲しさで少し涙ぐんだ。

「今日はいつまでいるの?」

「朝になったら戻るわ。いつも空から見ていたら、地面からの景色がどんなものなのか見たくなっただけだから...」

 そうか、と言い、この時間を過ごしたかったので朝まで過ごせる準備をした。


「ここから見る眺めは世界がとても遠く見えるのね。楽しかったわ。それじゃあ」

「うん。私も楽しかった。それじゃ」

 朝になるとその子はそう言って飛び立った。

 朝のさっぱりした空に飛ぶ姿はまるで天使のようだった。

 あの子はただ自分のしたい事をしにここに居ただけ。ただそれだけの行動が私に忘れていた事を思い出させた。

 けれどきっとまた忘れるのだろう。人間だから。だけどまた、時間ができた時に空を見上げたら思い出すのだろう。それがどうにもはがゆかった。

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