湖沼
あるまん
静かなる癒し
「湖沼」が好きである。
以前それなりの大きさの滝を見て、死を考えるほど落ち込んでいた気分が晴れた。
其の侭滝好きになるのが本筋だろうが……生憎自分の住む町は平野部で、隣町との境まで行かねば殆ど滝という物がない。加えて車を手放すという不幸があり、今の自分では購入・維持する事が出来なく、猶更遠ざかってしまった(滝自体は好きである)。
そこで水繋がりで、平野部にもあり足腰の弱い自分でも何とか見学に行ける湖沼、という訳だ。
まず我が町の端には県内有数、いやこの国でも五指に入る大河が流れている。この川は開拓時代から大雨の度に氾濫し、田畑を荒らし大凶作を引き起こしてきた。
その為国や県が全力を挙げ、曲がりくねった河川を出来る限り真っ直ぐにするという河川改修工事が行われた、らしい。
その様な工事で……工事が行われなくても余りに蛇行が激しく、自然短絡と言って川が自然に真っ直ぐになる過程で残された水の滞留も多い(うちの近くはほとんどそうらしい)。
それらは河跡湖、馬蹄湖等ともいうが、個人的に馴染みの深い三日月湖としよう。我が町だけでも4つ程、近隣の自治体には何と8つも存在している所がある。名無し沼が多い湿地がある町を除き県内有数の湖沼数だろう。
何故か近隣の三日月湖は全て「〇〇沼」と統一されている。湖や湖沼には明確な区別がなく、その大きさや深さでの曖昧な違いしかないようだ。沼は水深5メートル以内の水域を示す様で、自分も慣れ親しんでいるので沼、という事にする。
慣れ親しんでるといっても写真を趣味にし始めた数年前迄に近辺で存在を知っていたのは地名にもなっている「白鷺沼」位で、他にもこんなに沼がある事自体知らなかった。
湖沼が好きになったきっかけというのも、数年前なのに合間にしか思い出せない。
多分に滝の威容に感動し写真を撮りたくなり、中古だがコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)を購入、いざ何かを撮影と思った際に偶々思いたったのが隣町に上記大河の水量調整の為造成? された「遊水池」だったせいかもしれない。池、と名がついているが1.5×800mほどあり威容は湖だ。
まず風の強い日は波が立つ。水辺に行くとコンクリート製の岸壁? に波が打ち付ける。
夏場の休みとなれば好事家のヨットや水上オートバイが走り、反対側の湖岸には何本も釣り糸が垂れる。冬場は凍り付き、ワカサギ釣りが盛んになる。
船でしか行けない中島もあり、ほぼオブジェながら小さい桟橋に灯台まで建っており、これで水が塩辛ければちょっとした内湾だ。
此処は観光地化しており、遊水池の管理をする建物や流れ込む川の流量調整する水門は中世の城や城壁を参考にした造形で、それらを含めた遊水池全域の写真は素人の自分の撮影でもヨーロッパ旅行をしたかの様なそれなりに見栄えのいい写真になった。
それを以前開設したまま半分放置していたブログに載せてみると、それなりの反響があった。それで嬉しくなり、風景中心の写真趣味が現在まで至る、という訳だ。
自殺を考えるほど堕ちていて観光のかの字もしていなかった奴が、ブログの反響に喜び承認欲求を満たす為各地に赴く様になる……冷静に書くと不純な動機だが……それでも生きるってのはこういう喜びを見つける為なのかもしれない。
少し話がずれたな。上記遊水池もそれなりに撮影したが、人工的に作られた場所なので護岸のコンクリは勿論灯台やら城やら「建築物」を写している感じである。美しいが自然の癒し空間というにはちと別な感じだ。
幾つか我が町の沼を紹介しよう。
車があった時頻繁に訪れていたのは、上記遊水池から2kmも離れていない
「夢美沼」
という所だ。ここは遊水池が出来る以前から夢美公園として今も定期的に除草や花壇の植え替え等されている。1km四方程の公園の半分を占める沼の周囲に桜や白樺を中心とした数100本の様々な木々……古い公園らしくぱっと見10~20mはありそうな大木も数本立っている。年一度それなりに著名な演歌歌手を呼んで開かれる祭典の会場であるイベントステージやドッグラン、枯山水の日本庭園もあり個人的には遊水地より見所は多い。
沼畔にカヌー等の倉庫もあり、夏はそれらを小学校の課外授業で児童に貸し出し乗せたりしているらしい。最近は立ち漕ぎのカヌー(サップ)も始めたとか。
この様な公園として整備された湖沼だけじゃなく、ほぼほぼ自然の侭の湖沼も魅力的だ。
我が町北東部にある
「江緋沼」
は田圃の真ん中に鎮座ましましてある。沼に流入・流出するコンクリート製の農業用水路もあり当然自然沼とは言えないのだが、真四角に整地された田圃事情など関係無いが如く不定形な形を保ち、砂利の農道からほんの数メートル横がもう沼だ。無論柵などなくトラクターが落ちたりしないのか心配になる。
だがこの沼畔には、我が町に和人が住み着くだろうずっと前から住んでいただろう人々の石器が見つかっている。当時小中学生の少年達が探し当てたというが、自分も少年らがしただろう、我が町の開拓時代よりも遥かに前、この沼がまだ大河の一部だった頃の人々の暮らしに思いを馳せる……。
柔らかにそよぐ風に揺れる大小の木々、時折飛来してくる鴨や鴈、白鳥、白鷺達……今と違いそれらは食用狩猟の対象だったのかもしれぬ。
他にも鹿や猪、川を遡上してくる鮭を獲り、熊に怯える日々……まだ稲作文化もないだろうしその石器では果物や木の実などを集めていたのだろうか?
毎年の様に荒れ狂う川に住居を流され、それでもそこに住み木を切って枝を組み新しい住居を建てる……その中で自然への信仰心も培われていったのやもしれぬ。
そこまで考えていると、またその沼へと行きたくなってきたな……車ならほんの5分程で行けるが徒歩の自分では余程体調が良い時期に、折り畳み式の椅子を持って休みつつ行かねば途中でばてる距離だ。
それでも今度の休みに、久し振りに行ってみようか……。
何度も行った所だし、正直既にブログのネタにする様な驚きもないであろう。
それでも沼を求めてしまうのは、若しかしたら自分の前世は彼らの様に沼畔で暮らしていたのかもな……。
湖沼 あるまん @aruman00
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