第15話 迫りくる罠、やがて絶望Ⅴ
「うん。この子は友達のクリスで、その隣にいる人は先輩のアセビさんだよ」
よろしくね、と笑顔を交換し合う。ひとまず、彼女の表情は元に戻っているようで安心できた。
深呼吸を挟み、イリーナは少し大きな声で話を切り込む。
「バレーナちゃん。今日はね、貴方にどうしても聞きたいことがあって来たの」
「……なあに、おねえちゃん?」
要らぬ鳥肌が立ってしまう。大丈夫、変な聞き方をしなければ怒ることは無いからと自分を奮い立たせる。
「貴方の家族について。私たちは、姿を消してしまったリーヴァさんの行方を探してるの」
互いの呼吸が一瞬止まる。滲み出る緊張と、それでも進まなければならない恐怖がイリーナの心を包んだ。
大丈夫、ルヴェルの時のようにきっと彼女も救えるはず。
「私たちには、バレーナちゃんのお父さんやお母さんに何があったのか分からない。でも、できることがあれば力を貸してあげたいの」
振り払われても諦めない。意を決して手を伸ばしたが、彼女は思った通りに顔を俯けてしまう。
「へえ。もしかしておねえちゃんは、おとうさんについて知りたいからわざと私にちかづいたの?」
「違う。そんなつもりじゃない……私はただ!」
何がバレーナをそうさせているのか分からない。だから、近付こうとしても二人の距離は遠ざかってしまう。
解けない難問を抱えたまま、イリーナの言葉は途切れた。
「……だったら、難しいはなしはこれでおしまい。そんなことよりおねえちゃん、私といっしょにあそぼうよ?」
わざと優しく振舞う彼女の表情が痛々しかった。幼い少女にかけられた鍵を、どうしても開けることができない。
「辛いことをかんがえるより、楽しいことだけでいきるほうがしあわせだよ。さ、私といっしょに」
バレーナはおいでとこちらを誘い込む。夢が解ける数秒前のように、現実に戻ることを頑なに拒んでいる。
本当は、ちゃんと真っ直ぐ向き合わなければいけないのに。
「違うの、そうじゃなくて……」
話を終わらせまいとイリーナが口を開こうとしたその時、一同の表情がふと歪み始めた。
「……ん? 氷のおねえちゃん、どうかしたの?」
「まさか、あれは……!」
無機質だった壁が波のように揺らぎ始める。最初は気のせいだと思っていたが、波形は徐々に大きくなっていく。
間違いない、昨日見失ったはずのストーリアの気配。
「そこから逃げて、バレーナちゃん!」
イリーナが彼女を抱えて右に飛んだ刹那、灰色の壁から牙を構えた異形の存在が飛び出してきた。
「くうっ……!?」
「大丈夫、おねえちゃん?」
庇った拍子に腕が少し傷んだ。心配しないでとバレーナに微笑みかけ、視線を移しながら静かに立ち上がる。
「今のをよけるなんて大したもんだね。そういうの、カンイッパツっていうんだっけ?」
無邪気な子供のような声。魚……というよりも、頭に突起物のあるコバンザメのストーリア。
昨日負った深手は、もうすっかり元通りとなっていた。
「ひさしぶりだね。あの時の借り、しっかりかえしてあげる」
唸るような雷撃が、ストーリアの顔面を僅かに掠めた。
「性分が戦い方に出ているぞ、卑劣漢め」
「ごめんね。難しいことば、わかんないんだよなぁっ!」
イリーナに代わり、前に出て杖を構えたクリスの懐にストーリアの牙が一気に近付く。
すると、アセビの持つ大剣が目前でその攻撃を捌いた。
「今度こそ逃がさない。絶対に倒してみせるからね!」
轟く雷と、吹き荒れる風。緊張の高まる場に、ふとアセビは身構えながら振り返った。
「ここは私たちに任せて。バレーナちゃんの避難をお願い!」
「……わ、分かりました!」
一歩動けば狙われる威圧感と、指一本触れさせまいと戦いを始めるアセビたち二人。
「くう……そっ、こそこそと隠れないでくれるかなっ!」
「ひいっ……!」
鋭い視線がバレーナに向けられる。だが、一歩先に放たれた雷魔法が再度の襲撃を許さない。
「こっちの台詞だ。サンダー・ムルバ!」
爆発が起き、ストーリアは向こうまで弾き飛ばされていく。
アセビたちの声も徐々に遠くなっていくのを見届け、イリーナは隣にいたバレーナの肩を優しく掴んだ。
「怪我は無い、バレーナちゃん?」
庇ったお陰で目立った傷は無い。だが、その表情は驚きと恐怖で少し崩れかけているようにも見えた。
「大丈夫……だけど、あのおさかなは?」
初めてストーリアを目にした時、イリーナでさえもその異様さに一瞬動けなくなった経験があった。
なら、自分より幼い彼女はそれよりずっと怖いのだろう。
「ストーリアっていう怪物だよ。今はアセビさんとクリスが引き付けてくれてるから、安全な場所に逃げよう」
「本当……? また、おそってきたりしないの?」
膝を曲げて目線を合わせる。魔法使いは嘘をつかない。他でも無いイリーナ自身が告げた言葉だった。
「安心して。私たちは何があっても、絶対に負けないから」
微笑みかけると、バレーナの方から手を伸ばしてきた。
自分よりも小さくて、震えていて……それでも生きたいという願いに満ちた、暖かい手のように感じられる。
「……分かった。私、おねえちゃんをしんじてみるよ」
「よし、そう来なくちゃね!」
爆撃は遠い。きっと今のうちに退避すれば、ストーリアの攻撃がこちらに届くことは無いだろう。
「じゃあ早速……えっ?」
だが、二人で歩き出そうとしたイリーナの足が停止した。
「……そいつから離れて、イリーナ」
ミシェルが鋭い視線を向け、二人に杖を向けている。
しばらく事態を飲み込めなかった。現実に引き戻されると、イリーナは両手を振って困惑の表情を浮かべる。
「ちょ……ちょっと待ってよミシェル、どうしたの?」
「最初から、ずっとおかしいと思ってたんだよ」
よく見ると、杖の狙いはこちらではない。彼女の隣にいる人物を真っ直ぐに捉え、攻撃の意思を向けている。
「イリーナは騙せても、私の目は誤魔化せないよ?」
そう、その標的は悪とは最も程遠いはずの幼い子供。
敵意をむき出しにするミシェルの視線の先には、共に逃げようとするバレーナの姿があった。
「……ストーリア」
彼女の口から飛び出たのは、にわかに信じ難い言葉だった。
「えっ……?」
「何を言ってるの? ストーリアなら今あっちに……」
輝く杖を向けられたバレーナの表情が、思わず凍り付く。
だが、そんな彼女の恐れ慄く姿を目にしてもミシェルの込められた魔力は衰えなかった。
「ストーリアは最初から二体いたんだよ。一体は指示を受けて動く、さっき現れたコバンザメのストーリア」
標的をぐっと掴む険しい表情。浮ついた視線、何か言い訳を考える隙さえ、今のミシェルは与えなかった。
「そして……もう一体リーダー格のストーリアがいる。あいつに指示をしていたのはバレーナ、貴方だよね?」
「私が、あのカイブツの?」
額から一筋の汗が零れ落ちる。極限状態に陥っているからなのか、それとも図星だからなのか。
自慢の金髪を大きく揺らし、バレーナは一歩後退りした。
「やだなあ、何を理由にそんなこと……」
「スカーレさんが襲われた診療所だよ。私たちは最初、あの人をさらったのはコバンザメの方だと思っていた。でも、一つだけ疑問点が残っていたんだよね」
繋がれていた手がゆっくりと離される。最初は止めようとしていたイリーナでさえ、次第にバレーナを追い詰めていくミシェルの姿に釘付けとなった。
「壁や床に潜れる能力があるのに、どうして壁に大穴を開けて逃げたのかってね……一番の手がかりになったのは、イリーナが昨日現場から拾った黒いリボンかな」
はっきりと言葉にされて、イリーナはようやく雷に打たれたかのように自身の懐を探っていく。
まさか、特に意味は無いと思っていたはずの落し物が。
「そっか、このリボンって……」
「そう、バレーナがずっと探してた黒いリボン。どうしてスカーレさんの部屋に、貴方の落し物があったのかな?」
黒のリボンと、そして二人の表情を交互に見比べる。バレーナの表情には、先程までの恐怖とはまた違う焦りの色がくっきりと現れていた。
「ど……どうしてだろうかな。私にはわかんないや」
太陽が雲に隠され、一時的に辺りの景色が暗くなる。
だが、これだけでは決め手にはならない。最後の足掻きと言わんばかりに、彼女は両手を振ってイリーナに縋り付いた。
「……氷のおねえちゃんは、私のことしんじてくれるよね?」
「えっと、その……」
懇願するバレーナの表情が、助けを求めるルヴェルと再び重なってしまう。それでも、という言葉が喉に引っかかって胸がずしりと苦しかった。
「本当に、自分がストーリアと認める気は無いんだね?」
そんな気持ちが分かるからこそ、ミシェルが彼女の代わりに一歩前に出る。
「じゃあ……最後の質問。どうして初対面の私たちのことを、氷のおねえちゃん、炎のおねえちゃんと呼んだの?」
「はっ……!」
やってしまった、とバレーナが両手で自身の口を覆う。
何気なく放ち続けていた言葉。それこそが、彼女が普通の存在では無いことを何よりも物語っていた。
「口を滑らせたね。ボストレンの住人は、その大半が魔法の使えない一般人。普通なら、私たちの使える属性魔法を見抜けるわけが無いんだよ」
退路が断たれた彼女を容赦無く睨みつける。親友を騙したこと、その良心に付け込んだこと、絶対に許せない。
「大人しく白状しなさい。貴方は呪術師の手先で、最初から私たちを殺すために罠にはめようとしたんでしょ?」
静まり返り、先程まで轟音が鳴り響いていた戦場は恐ろしい程の静寂を迎え入れる。
凍り付くイリーナ、怒りに燃えるミシェル。彼女は……
「……あは、はははっ、ははははっ」
仕掛けていたいたずらが暴かれてしまった。彼女の無邪気さに満ちた笑い声は、反省の色など微塵も現れない。
「炎のおねえちゃんは頭がいいねえ。そこの頭のわるい、かわいくてバカな氷のおねえちゃんとちがって」
「そんな……嘘でしょ、バレーナちゃん?」
黒い靄がバレーナの体を包み込む。突き刺さるように伝わってくる異様な気配は明らかに人間のものでは無い。
だが、そんな中でもイリーナは諦めずに必死に訴えかける。
「全部、何かの間違いなんだよね? こんな……こんなの有り得ないよっ!」
一方的な思い込みだと笑われても構わない。それでも、それでも私はずっとあの子を信じ続けて……
「いい加減に夢からさめなよ、おねえちゃんッ!」
「……うあっ!?」
そんな彼女を振り払うように、黒い靄が衝撃波となって二人に向けて放たれた。
ミシェルの魔法は力無く掻き消され、吹き飛ばされていく。
「炎のおねえちゃんの言ったとおりだよ。私は呪術師……リューズさまの指示で、あの子といっしょに魔法使いをたおすためにストーリアにされたの」
取り落とした黒いリボンの埃を払う。大切な誕生日プレゼントを、白いリボンの反対側にゆっくりと付けた。
「どうしてそんなに、私たちのことを……」
倒れた衝撃で腕の傷が滲む……腕だけじゃない、向こう見ずに彼女を信じてしまった、心さえもズキズキと。
「だって大きらいなんだもん。自分のことしかかんがえずに、いつも私たちから幸せをうばう魔法使いなんて」
奪ったことなんて一度も無いのに、一体私たちが何を。
そんな視線で見上げてくるイリーナに舌を出し、バレーナは立ち止まって静かに空を見上げた。
「……あの日から、ずうっとね」
バレーナは幼少期から、魔法使いに対していつも強い憧れを持っていた。
「ごめんね……今日のご飯、これくらいしか無いの」
だって、いつも暖かい布団とご飯と、友達がいるから。
「お母さん、明日から働きに行かないといけないのだけど、ちゃんとお留守番できるかな?」
周りに気を配らなくても良い、自分だけの人生があるから。
「大丈夫。がんばってね、おかあさん」
今の自分に特別な力は無い。でもいつか魔法の力に覚醒すれば、私や家族は幸せになれる。
バレーナはそう信じて、暗くて狭い部屋に閉じこもった。
「……本当に、私はかわれるのかな?」
しかし、一人での生活は厳しく寂しかった。どれだけ必死に頑張っても、誰も振り向いて手を差し伸べてくれない。
「大事な話があるの、バレーナ」
だが、ある日を境に彼女の人生は大きく変わった。
母に導かれて歩みを進めていくと、そこには自分よりも一回りは幼い少年の姿があった。
「今日から貴方の弟になる子よ……自己紹介できるかな?」
はいと元気の良い返事が聞こえてくる。自分がかつて忘れてしまった夢に向かう情熱を、少年は持っていた。
「ヴェ―ネットです、よろしくおねがいしますっ!」
「……バレーナ。よろしくね」
疑いの無い綺麗な手と、緊張に震える手が交わり合う。
新しい父と弟が来た。孤独と寂しさに包まれていた彼女にとって、それは大きな転換点となった。
「寝ないの、おねえちゃん?」
片目を閉じて天井を見上げていると、暗がりからヴェ―ネットが話しかけていた。
「うん、ちょっとね」
「さむいなら、僕のおふとんもいっしょにつかう?」
「いらない……ヴェ―ネットが風邪ひいちゃうじゃない」
両親は隣で寝息を立てている。小さい声で話せば、恐らく起こしてしまうことも無いだろう。
バレーナは意を決して、固い口を徐々に開いていった。
「これから、どうすればいいのかなって。昔は魔法使いになりたかったけれど、どれだけがんばっても私なんかがなれるわけないし」
笑われるだろうか。いいや、いっそ笑ってくれた方が良い。叶わない夢を持ち続ける自分を、何も持たない自分を。
「どうして、なれないっておもうの?」
「私にはわかるんだ。くだらない夢をいつまでももってたら、おとうさんと、おかあさんにわらわれちゃう……」
言葉にしているうちに涙が滲んできた。ヴェ―ネットよりも弱くて、可愛くない私に輝く資格なんて無い。
だが、弟からの言葉は苦笑いとも侮蔑とも違うものだった。
「そんなことないよ。夢をもつのはかっこいいこと。おとうさんがいつもいってたから」
どうしてだろう。灯りはとっくに消えているはずなのに、目の前にはヴェ―ネットの輝く笑顔が確かにある。
「そういうの、イッショウケンメイっていうんでしょ?」
互いを信じ合う心に、血の繋がりなんて関係無い。
癖も好きな食べ物も顔つきも違う彼は、たった一人の弟としてバレーナを励ました。
「一生懸命……そうか、そうなのかもね」
ゆっくりと彼の布団に近付き、その手を握る。この子はやっぱり偉い、自分よりも小さくて幼いのに。
「……やっぱりつめたいじゃん、おねえちゃん」
「うるさいなあ。それならこうしてやる、えいっ!」
頬を膨らませながら、バレーナは精一杯の力でヴェ―ネットの体に抱きついた。
ずっと、こんな平和で暖かい日々が続いて欲しい。
「ありがとう……だいすきだよ、ヴェ―ネット」
だが、そんな夢色の毎日は文字通り音を立てて崩れていく。
「おい、とっとと滞納してる借金返せや! どれだけ待たせるつもりだゴラァ!」
子供二人の生活費も次第に賄えなくなってきたバレーナの家族は、次第に借金に頼るようになってきた。
そしてある日、スカーレと名乗る男が家を訪れた。
「待ってくれ、来週までは待ってくれる約束だったろう!?」
「うるさい……こっちにも生活が懸かってるんだよお! 開けてくれないなら、俺が強引にでも入るからな!」
鈍器で扉を殴る音が聞こえてくる。父が玄関を守ったが、破られるのは時間の問題だろう。
「……バレーナ、お前だけでも逃げて助けを呼んでくれ。あっちの窓から外に出れば、あいつもきっと気付かない!」
やがて振り返った父は、バレーナを素早く抱きかかえて窓の方へと運び出した。
できない。まだ家には母とヴェ―ネットもいるのに。
「やめておとうさん……私はやだよっ!」
「みんなは俺が絶対に守る。だから、早く逃げてくれ!」
半ば突き飛ばされるような形で、バレーナは裏の窓から外に逃げることができた。
だがその直後、扉が破られる音が彼女の耳に届く。
「おとうさん、おとうさぁん!」
戻ることはできなかった。家に押し入った暴漢を止める力も術も、今のバレーナには無い。
「……くうっ!」
自分の無力さを突き付けられながら、バレーナは助けを求めて走り出した。
本当は、行くあても家族が助かる保証も無いのに。
「おねがいします……たすけて、ください」
ボロボロの姿で助けを求める少女に、手を差し伸べる者はこの街には誰もいない。
みんな、自分や家族の生命を守るのに精一杯だから。
「どうして、どうしてなの?」
空腹と疲労が限界に達した彼女は、やがて前に進む力さえ失って倒れてしまう。
「私たちが、何をしたっていうのっ……?」
ああ、この何もできない感覚が死というものなのだろうか。
せっかく家族が守ってくれた命なのに、最後のチャンスさえも棒に振ってしまったのか。
「おいおい……ここは年端もいかないような子供が来るところじゃないぞ?」
だがそんな時、バレーナの前で足を止める男が現れた。
「……これなら、あの魔女たちに地獄を見せられる」
朧げな視界に映ったのは、黒い本を持つバーテンダーの男。
弱い者に力を与え、強き者に制裁を加える、呪術師という集団の一人だった。
「君に呪術の力を授けよう。だがほんの少し、僕たちのちっぽけな夢に付き合って貰うよ」
リューズと名乗る男は、衰弱したバレーナとヴェ―ネットにストーリアの力を与えた。
「おとうさん、おかあさん……」
だが、強大な力をもってしても死だけは覆せなかった。
家に戻り、スカーレと家族の様子を見に行ったバレーナが目にしたのは、生々しい血痕と両親の残骸。
「私は、一体どうすれば良かったの?」
満足な生活を送りたい、家族を守りたい。誰もが持つ願いを抱えた彼女が相対したのは、誰も味わったことの無い地獄。
「それは魔法使いのせいさ、お嬢ちゃん」
「……えっ?」
バレーナと共に現場に駆け付け、その惨状を目の当たりにしたリューズが耳元で静かに囁く。
かつて憧れだった存在が、地に落ちていく苦い感覚がした。
「君の家族を殺した連中に復讐した所で、争いの大本は決して消えない。本当に争いを無くしたいのなら、この差別を生んだ魔法使いを潰していけば良い」
「差別……」
そうさ、と彼が頷くのが分かる。言葉の一つ一つで、離れていた二人の心が交わっていく。
「彼らは君たちのことを吹き溜まりと呼ぶ。魔法を使えない人間は、この世界で生きる資格さえ与えられないのさ」
悲しみがすうっと収まってきた。代わりに湧き上がってくるのは、留まる所を知らない怒りの炎。
「だが呪術師はそうさせない。僕たちの目指す永遠の救済に、君は力を貸してくれるかい?」
「分かり、ました……」
失った家族は戻ってこない。だが大切な二人のために、生き残った者が未練を晴らすことならできる。
ヴェ―ネットと一緒なら、どんな敵でも怖くは無い。
「……ゆるさない、ゆるさない、絶対にゆるさない!」
その瞬間、バレーナは自分たちを見捨てた全ての存在への復讐を決意した。
「これで分かったでしょ、氷のおねえちゃん?」
全ての過去を語り終え、バレーナは小さく息を吐く。
倒れたまま動かないイリーナを覗き込むと、その全身は小刻みに震えて視界さえも覚束無い状態になっていた。
「魔法使いはみんな自分勝手で、うそつきで、いつも私から大切なものをうばう。おねえちゃんはね、生きているだけでじゃまなんだよ」
「そんなわけない……私の知ってる魔法使いは、そんな悪い人じゃないっ!」
涙を流しながらの絶叫。だが持てる力を振り絞っても、今のバレーナに届くことは叶わない。
「みんな、強くて、優しくて、いつも自分以外の誰かのために戦ってる。誰かが犠牲になることなんて、望んでるわけ無いよぉ……!」
代わりに与えられたのは、精一杯の侮蔑と怒りの視線。
そこにはつい先程までイリーナが思い浮かべた、穏やかで優しい少女の姿は微塵も残っていない。
「しらないよ。おねえちゃんの勝手なおもいこみなんて」
吐き捨てた負の感情に呼応するかのように、黒い靄がバレーナの姿を徐々に変化させていった。
「ねえ……かえしてよ。私の夢を、おとうさんを、おかあさんを、幸せだった毎日を、かえして」
綺麗だった金髪は散り散りになり、ドレスは黒ずみ、傷一つ無かった肌は薄汚れていく。
恐怖に怯えるイリーナの頬を強引に掴み、まるでその姿を見せつけるように自身の額を押し付けた。
「ひいっ……!?」
「どう……ひどいでしょ、こわいでしょ? これが今まで、おねえちゃんがみないふりをしていたものだよ?」
目を背けられない。目を瞑っても、彼女の怨嗟は頭の中に刻み込まれて決して離れない。
「かえして、かえして、かえして、かえしてっ……!」
そして、その身体は徐々に異形な存在へと変化する。
建物を飲み込む程の巨体。大きく開いた口は周りの風を吸い込み、嵐のような叫び声を轟かせた。
「私からうばった全部、かえせェェェッ!」
バレーナは満を持して人の擬態を解き、巨大なクジラのストーリアへと変貌を遂げた。
「……僕たちの目的は、誰にもジャマさせないよっ!」
一方コバンザメ……ヴェ―ネットの変身したストーリアは、地面に潜ってクリスたちの攻撃を掻い潜った。
「もう……また逃げる気!?」
「奴の手法は概ね把握した、ここはボクに任せてくれ」
壁が波打ち、地面が盛り上がる。だが気配は見当たらない。
雷の槍を地面に突き刺したクリスは、微弱な電気信号を頼りに敵の潜伏先を辿っていく。
「見えた。南南東のレンガの中……」
静かに目を開ける。一切の躊躇無く、腕に精一杯の力を込めて掴んだ槍を壁に投げつけた。
「サンダー・ランス!」
「なっ……ぬぐぁぁっ!?」
彼女の読み通り、壁を抜けた槍は潜伏する敵を捉える。
真正面から電撃を受けたストーリアは、逃げる術を失って空中に弾き出されてしまう。
「どうして……どうしてなんだ。あの方からもらった呪術のチカラが、こんな奴らにぃぃ!」
倒されまい、と唸り声を上げて鋭い視線を向ける。だが、宙に投げ出された今の彼はあまりに大きな的。
「ストーリア……ボクたちにはお前の歩んできた人生が分からない。もしかするとお前には、力を振るわなければならなかった理由があるのかもしれないな」
最期の時、クリスはほんの一瞬だけ憐みに近い瞳を見せた。
だが、その感情は次の瞬間に怒りへ切り替わる。自分の運命から逃れ、何度も逃げ果せてきたことへの。
「……しかし、それは人を殺す言い訳にはならない。無関係な者を巻き込んだ時点で、貴様は立派な悪人だっ!」
「だったら、何だっていうんだァッ!?」
ビリビリと辺りの空気が痺れる。クリスが魔力を溜め込む中、最初に動いたのは隣に立つアセビだった。
「ウインド・エル・ムルバ!」
竜巻がストーリアの全身を包み込み、前後左右へと震わせながらその大きさが増していく。
わざわざ言葉には表さない。とどめなら今だよ、と。
「観念しろ。サンダー・エル・ムルバ!」
嵐のような竜巻に雷が加わる。ストーリアが縛られたその中心を、クリスは槍で一閃した。
「……お前みたいな奴、ジブンカッテって、いうんだよ?」
「自分の軸があると、そう言って欲しいな」
振り絞った声で放たれた怨嗟さえも跳ね返し、怪物に背を向けて獲物を地面に突き立てる。
「おねえ、ちゃんッ……!」
巻き起こった爆風は、熱くもどこか哀しみが混じっていた。
違う選択をしていれば、こんな未来は訪れなかったのかもしれない。そう思い浮かべながら、目を瞑る。
「……ありがとう、クリスちゃんのお陰で助かったよ」
「別に君を助けたつもりは無い。たまたま、立ち向かう敵が同じだっただけのことさ」
アセビが駆け寄って無事を確かめる。あとは、バレーナを連れて逃げているイリーナたちとの合流だけ。
「もう、素直じゃないんだから」
軽くクリスの肩を叩いて、二人で戻ろうとしたその時……
地響きと共に、この世の者とは思えない怪物の雄叫び。
「な、何だ……!?」
咄嗟のことで体勢が崩れる。音が聞こえてきたのは、つい先程彼女らを逃がした場所のように思えた。
「まさか、新手のストーリアか?」
「そんなはず……だって、今倒したはずなのに!」
必死に考えを巡らせるアセビは、今まで徐々に溜まっていた違和感の正体にようやく気付く。
先程、あのストーリアは死の間際に何と言っていた?
「おねえ、ちゃん。あっ……まさか!?」
クリスの一歩前に出て走り出す。そうだ、自分は大事なことを一つだけ見落としていた。
「あのコバンザメは下っ端かもしれない。もしかしたら、操ってたストーリアが別にいたのかも!」
「下っ端!? しかし、そのような気配は微塵も感じ……」
違う、とそこでクリスも勘付いた。いたではないか、誰よりも事件の中心にいた重要人物が。
「まさか、あの子供か!」
間に合ってくれ。アセビは天に祈るような思いで、箒に乗って後輩たちの待つ場所へと急いだ。
だがそんな願いも虚しく、爆音は再び辺りに響き渡る。
続く
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