第26話 IBD社で事件発生

第26話 IBD社で事件発生


「そのサルのことは一切話さなくなった……」

 梨本は独り言のように呟いた。


 藤野は顔を起こし、梨本にきっぱりと言った。

「ええ。じゃあ私は急ぎますので」


「お忙しい所、ご協力ありがとうございました」

 梨本はもう一度、藤野婦長に礼をした。その目には微笑が浮かんでいた。




 病院を出た梨本は、石倉に会う為にIBD社へ向かった。

 マイクロサニーほどではないが、幕張地区にある日本IBDのビルも堂々たる高層ビルだった。


 ビルは高い塀で囲まれている。近づくと、正門辺りは何やらあわただしい雰囲気だった。

 正門にタクシーを乗り付けると、奥を見ていた守衛の一人が走り寄って来た。


「アポイントはございますか? もし急用でなければ、別の日に出直してもらえませんでしょうか」

 守衛はタクシーの窓を覗き込んで、梨本にそう告げた。


 尚も守衛は後方を気にしている。その、気にしている先に、数台のパトカーと救急車が停められている。

 梨本は警察手帳を見せ、何かあったのかと訊いた。


 守衛は一人乗りのタクシーでやって来た私服の警察官に対し、あからさまな不審の目を向けた。

 業を煮やした梨本は、その場でタクシーを降りた。


「私は警視庁の梨本警視正だ。石倉恵一開発部長に会いたい」

 梨本は毅然たる態度で、そう言い放った。


 その途端、守衛は驚きの表情を見せ、

「その石倉部長が、先ほど首吊り自殺したんでさあ」と答えた。


 梨本は目の色を変え、現場はどこだと訊いた。

「二十階の開発部長室です」と守衛はビルの上方を指差した。


 梨本は足早に、ビルのエレベータへ向かった。

 慌てて受付ブースから女が飛び出して来る。


 梨本は警察手帳を見せ

「石倉部長の部屋は二十階で良いのか?」とOLに確認した。


 OLは石倉部長と聞いた途端、怯えた様にこくんと頷き、右手に持っていた訪問者用のバッジを差し出した。

「このバッジが無ければ、各階のセキュリティゲートは通れませんし、エレベータも使えませんので、必ず胸ポケット辺りに付けて下さい」

 蚊の鳴きそうな声で、OLはそう言う。

 梨本はだまってそれを付けて貰った。



 二十階の廊下の奥に、警察官達が出入りする部屋があった。

 梨本は、部屋の前で番をする警官に身分証を見せた。


 警官は最敬礼した後、部屋の奥へ向かって

「警視庁から、梨本警視正がお見えになりました」と大声で呼び掛けた。


 驚いた様子の中年刑事が

「千葉県警の中山警部補です」と言って、梨本を迎えに出た。


 よれよれになった薄手のレインコートを着た中年デカは、まるで前世紀のアメリカTVドラマに出て来る、刑事コロンボのようだ。体格はがっちりしているが、背は並の高さである。


 梨本は簡単に、石倉恵一を訪問した事情を説明した。


「なるほど、そうなるとこれは、東京本店さんのヤマですかね」

 ハスキーな声でそう言った中山は、漸く納得した感じになった。


 額に深いシワが刻まれているので、ちょっと見で老けている中山は、よく見るとまだ三十代前半位かも知れない。

 どうぞどうぞと言って、腰の低い中山は、梨本を中へ案内する。


「中山君。今ヤマと言ったようだが、私は自殺だと下で聞いた。違うのか?」


 現場の手前にも部屋があり、そこで立ち止まった梨本は、そう質問した。


 中山は、頭をぼりぼりと掻きながら答える。

「奥の首吊り現場を見てもらえば、自殺は一目瞭然ですがね。部屋も内部からカギが掛かってましたし……」


「何か引っ掛かる点があるんだな?」

 語尾を濁した中山をじっと見て、梨本が訊く。


 鋭い眼光をやんわりと受け止めて、中山は答えた。

「はい。石倉のデスクの引き出しから、脅迫状のようなものが見つかりましてね。それも、大事そうに貴重品ケースのようなものに保管してありました」


「それだけか?」

 それを自殺の理由に、ストレートに結び付けるのはどうかなと、梨本は思ったのだ。


「多分死ぬ前に、それを読み返したんだと思いますよ」


「何故わかる?」

(直前に読み返したのであれば、自殺と関係が深そうだ……)


「引き出しの中にあった、その貴重品ケースのカギが、デスクの上に放り出してありました。

 それに机の上にあった飲み物の一部が付着したと思われる、新しい染みが脅迫状にありました。染みは小さなものですが、まず間違いないでしょう」


 梨本はこの所轄の刑事を見直した。その明快な説明に納得したのだ。

「なるほど……それで遺書はあるのか?」


「ええ。走り書きのような簡単なヤツですがね。自殺の理由か、脅迫された形跡を証明するネタにはなりそうです。使用した紙は社内便箋です」


「ちょっと見せてくれ」

 中山の説明で、梨本は遺書の中身に強い興味を持った。


「おい、遺書持って来てくれ」

 証拠物件等を奥で整理している刑事に、中山は声を掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る