第10話
家に帰ると美優さんがリビングから出てきた。
「どこ行っていたの?」
冷静を保とうとして、それでも怒りが抑えきれていないようだった。階段の前で仁王立ちする美優さんに俺はふと、視線を逸らした。その時、トイレから真優ちゃんと目が合った。帰ってきた俺を見て少し不安そうに胸のあたりで手を組んでいる。――今日の朝。
「すみません。友達と遊んでいました」
いつもは、放っておいてくれ、なんて言っていた俺が素直に謝る姿に、美優さんは少し意外そうに眼を見開く。しかし、すぐに眉を顰めて、
「遅くなるなら、連絡ぐらいって言ったよね。昨日も結局降りて来なかったし」
「すみません」
これで、空気がよくなるのなら謝ってやろう。別にプライドなんてないし。
「もう、少し何とかならないの?あなたはどうでもいいって思っているかもしれないけど、こっちは迷惑なの」
「すみません」
目を逸らしていたからだろうか、俺がずっと謝っていると、
「あのね。その場しのぎの謝罪なんかいらないの!私達のことがなんで、分からないの」
嗚咽を吐くように苦い表情をする美優さんに、俺はどうすることもできなかった。真優ちゃんは、もうやめて、とポツリと呟く。
やはり、俺が家族としてなんて、入れるはずがないのだ。この長年空いた異質な距離を埋めるなんて不可能に等しい。
真優ちゃんは歩み寄ろうとしている。美優さんは俺の認識を改めようとしている。じゃあ、俺は――本物ではないと背を向けている。
「あなたが苦しんでいることはわかっている。確かに血が繋がっていないし、小学校の時のあの自殺した子のことも気に病んでいるのも、それで、女の子を恨んでいることも」
泣き崩れていく美優さんの背中を真優ちゃんが撫でる。俺はやはりそこにはいられない。寄り添うなんてできるはずがなかった。
「ごめん、夕飯後で食べるよ」
そう真優ちゃんに一言置いて、自室へと戻る。部屋に戻った瞬間昔の記憶が大勢のシャッターを切るように脳内に流れる。脳に圧迫感を感じて、意識が遠のいていく。
目が覚めると、放課後になっていた。もうクラスの皆は帰ったようで、夕暮れ時の太陽がまぶしい。その光を遮るように何やら変なポーズをしている子がいた。見覚えなんてない。多分別のクラスの子だと思う。
寝起きは機嫌が悪いのだけど、今回は幽霊でも見た気分だった。というより、突然目を覚ましたかと思えば、目の前に変な奴がいるのだから、勘違いしても可笑しくない。
「ふっんっん、我が名はグラスマキナ。童に選ばれるとは中々の物だな貴様、眷属にしてやろう」
面倒臭い奴に目を付けられた。こいつ、三年三組で話題の頭のおかしいやつだ。
即座にランドセルを背負って、教室を出ようとしたところで、腕を掴まれて止められる。
「離してくれる?僕そろそろ帰らなくちゃ」
「ふん、残念だったな。貴様はもう童から逃れられない」
見なくてもわかる。多分、嬉しそうにニマニマとおもちゃを見つけたような笑みを浮かべているのだろう。遠目でも目立っていた。ガイジ、なんて呼ばれていたから、この子の本名なんてわかるはずもない。知りたいとも思えない。
仕方なく、その子に振り向くと、やはり予想どおりの表情を浮かべていた。ボブカットの目が大きく、丸っぽいが太ってはいない、そのガイジと呼ばれている奴は、逆光を背にしているせいか、陰に落ちており、僕が光で照らされていた。眩しい。
「貴様は今日から、童の表の存在、デウスエクスマキナだ!」
よく分からないが、僕は勝手に変なキャラ認定されたのだろう。なんとなく、アニメを見ているから言いたいことは理解できないことはない。表の存在から、裏の存在が生まれるのが物語のキャラ作りとしての定石だと思うのだが。ちゃんと設定作り込んでいるのか甚だ怪しい。
こんなヤバイ奴に絡まれるなんて最悪だ。溜め息を一つ吐いて、僕は目を細める。
「で、えーと、僕に何か用?」
そう聞くと、その子は待っていましたかのように、腕を組み、目を瞑る。
「ふっんっん、今日も童が真なる絶対悪に立つ邪魔をする組織を探していたら、貴様を見かけてな。その膨たいな魔力を見てな、童の仲間にしたいと思ったまでだ」
目を瞑った時点で逃げようとしたのだが、その複雑な設定に鼓膜がもどかしくなって、思わず耳を塞ぐ。その様子を見たのか、大丈夫か?と僕の背中に手を添える。
「まさか、貴様、童を邪魔する組織に狙われて」
「ああ!とりあえず気持ち悪い言葉を止めてくれ!」
僕がその初めての気持ち悪い感覚に耐え切れず、怒鳴ると、その子はすぐに身を引かせ弱弱しく、ご、ごめんなさい、と呟いた。
思ったより早い引き際に困惑して、その子を見る。
こちらから目を逸らして、両手をせわしなく擦っている。どこを見ているのかよくわからない、顔の動かし方に、それこそ先ほどのキャラとは違った異様な人間らしからぬものを感じた。
「いや、別にそこまで否定したかったわけじゃ」
「あ、ぼ、ぼく、そ、そ、そんな、つも、りじゃなく、て、ただ、いじめと、か、ない、かな、てさがして、て……」
言葉を連続で詰まらせながら話す、彼女に僕は慣れずに眉を顰める。そんな姿も見てすらない。
「いじめを探してる?」
「ぼ、ぼぼ、ぼく、みんな、みたい、あたま、よくない。だから、ぼぼぼ、く、の、できる、こと、さがそ、て、思って」
えっと、つまり、僕がいじめられていると勘違いしていたのか。迷惑だ。
「だからって、あれ何なの?」
少し語気が強くなると、その子は体をびくりと震わせて、さらに体を丸める。
「だからって?ううん、と、あれって?」
「あのキャラだよグラスマキナとかっていうやつ」
「グラスマキナは、ぼ、ぼぼぼ、ぼくを、しはい、している、やつ、で」
文節ごとに区切る話し方どうも気持ち悪い。しかも、言っていることもよくわからにない。
先ほどまで、あんな生きのいいしゃべり方だったのが、今では五六歳児が怯えながらもなんとか話しているように見えた。ていうか、明らかに怯えている。そこまで強く言ったつもりはないのだけど。
「いや、な、きもちに、したら、ごごめん」
「あいや、そういうつもり」
「ごめんなさい」
何だが調子が狂う。結局、僕は目頭を押さえて、
「もう、わかった。そのグラスマキナ?ていうやつと変わってくれる?」
そういうと、いや、でも、と言葉を詰まらせる。
「いいから、グラスマキナ、ほら童って言って」」
そう押し込むと、その子は深呼吸を数回してから、目を大きく見開いた。
「ふっんっん、あやつは日常の仮の姿でな」
さっさと、満足させて帰ろう。
「で、いじめっ子を探しているっていうのは?」
「ふっんっん、その組織が最近、童を嗅ぎまわっていると聞いてな。それならこちらから行ってやろうと思ってな」
「君は、どっちが本物なの」
そう聞くと、その子は黙る。正直、気になっていないと言われれば嘘になる。せっかく話掛けられたのだ。その化けの皮を剥いで、すっきりしておこうとも思った。
違和感、というものがあった。鬱陶しさとか、人目とかそんなことよりも、この二面性がどこまで偽りなのか好奇心が孕んできた。
「ガイジって言われている君は、そのグラスマキナなのか、それとも仮の姿とかいう奴なのか、教えてよ。そうした、眷属でも、表の存在にもなってやるよ」
「グラスマキナは、ぼ、ぼぼくのゆい、いつの、ともだちで、ぼくを、まもって、くれる、そんざいなの」
どっちと聞いているのだけど、まあ、たぶん仮の姿とかいう奴がやはり本性なのだろう。多重人格なんて、疑ったけど、それにしては、なんか起伏が激しすぎる気がする。だからやはり、そのグラスマキナとやらは、作られた友達なのだろう。
「あっそ、じゃあ僕は帰るから」
そう言って、教室をでる。なんか腑に抜けた感覚だった。
「まって!」
また、腕を掴まれた。あまりのしつこさに、流石に声を荒げそうになったが、その子の顔を見て、そんな感情が最初からなかったかのように、消え失せてしまった。
「ぼく、の、こときらい、かな」
何を突然言っているのだろうか。あって数十分も経っていないというのに、好き嫌いなんて言えるはずがない。どこかで、聞いたことがあるが、これはメンヘラという奴ではないかと、思った。
いや、まあ、と少し唸って、
「嫌いではないかな」
と曖昧な返答しか出来なかった。
しかし、その子はそれで充分だったようで、顔を大きく広げて、満面の笑みになる。どこか、その表情が見たことないほど透き通った氷のようで、僕の心を心地よく冷やしていく。
「じゃあ、トモダチになって!」
やはりお、突然であった。夕暮れが沈みかかり、教室を溶かしていく。うん、とは言えなかった。
黙っていう僕に、その子は言った。
「がっこうが、おわったら、トモダチ!」
え、と息を吸う。まあ、それなら、てどうも釈然しない感覚だった。でも、頷く。
「うん!」
その子は頷き返すと、ばいばい、と言って教室を去っていく。
一瞬、その子の首元に何か赤く太い線が見えた気がした。
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