第6話

 朝飯を食べ終えて、忘れそうになっていた。ストークを確認すると昨日の夜に湖鷹から連絡が来ていた。

 ――明日、午後二時、今沼駅の改札前集合。

 日時と集合場所だけ送られても、困る。今日暇?に強制力を付けたようなものだ。

 まあ、別に栖原さんに昨日詳しい場所とか時間も言われていないし、湖鷹の方を優先するか、と思って、集合場所に向かった。

 集合時間は二時だったが、どうも朝から起きたせいか、落ち着かず、一時に早く来てしまった。とはいっても今沼周辺は、家に帰りたくない俺にとって暇つぶしには最適だったためかだいぶ制覇している。

 東石橋も今行くとなると絶対遅れるから、結局ここ周辺で時間を潰すしかない。

 本屋でぼーっと海外小説を漁っていると、見覚えのある人を見かけた。――烏山さん?

 一瞬誰か分からなかった。黒パーカー、黒スキニー、黒ワークキャップ。前にも遊んだことがあるのだが、あんな、さも自分は著名人ですよ感を出している服装ではなかった。誰かと遊ぶ約束をしているのだろうか。それとも、ただ一人で出かけているのだろうか。

 どういう理由にしても、プライベートで鉢合わせはしたくないはずだ。昨日のこともあったし。そうだ。湖鷹に会ったら、昨日のあのこと、聞かなくちゃいけない。

 そう思って、彼女の動向を見ながら鉢合わせしないように海外小説コーナーから出ようとしたら、まさか彼女がこちらに来るとは思わず、俺の足が止まる。海外コーナーは一番奥にあったため逃げ場がなく、仕方なく他人のふりをしてできるだけ、顔を見られないように振舞ったが、それが祟った。

 烏山さんは俺を不審に思い顔を少し覗いてきて、そして、うっわ、と嫌悪感丸出しの声を出していた。湖鷹、お前はいったよな。烏山さんは俺に気があるらし。嘘だったみたいだ。

「なんで、環野君がここに……」

 いつもの高い声は酷く沈んで、あれが作り物の声だったのだと悟る。本当に女子というのは末恐ろしい。時と場合によって、声色を簡単に変えるのだから。

「いや、ちょっと待ち合わせで」

 額の冷や汗が頬に伝う。異様に熱い感覚だった。夜は落ち着けるだろうか。

「え、どこで、待ち合わせしてんの?」

「今沼」

「あっそう……あ、じゃあ私はこれで」

「ああ、うん」

 俺も本屋を出たかったのだが、ここで一緒に出ることになるとついてきている思われるので、それから十五分ほど時間を潰した。結局、約束の十分前には駅前に着くつもりだったのと、烏山さんに鉢合わせしたくなくて、行きたいところには行けなかった。

 約束の十分前に駅前に着いたが、妙だ。珍しく時間に余裕を持ってくる湖鷹が来ない。前なんて三十分前からいたというほど、相手よりも早く来るというのに、確認のため、ストークを開くと湖鷹から連絡が来ていた。

 ――ごめん、午後二時、新今沼駅集合。

 あと十分しかない。流石に着いたら、怒っておくか。俺は新今沼まで走る。別会社の駅で、歩いても五分程だ。とはいえ、遅れる訳にはいかないから走るしかない。

 体力がないなか、なんとかスマホを確認しながらも、間に合った。時間は一時五十六分、ぎりぎり。

「ふざけんなよマジで……」

 膝に手を着いて、息を整える。さすがの俺も今日はイライラポイントが上限を達しそうだ。

「あ、来た」

 昨日聞いたこと、いや一昨日も聞いた。顔を上げると、遠くで栖原さんが誰かを盾にこちらを見ていた。

「どこいるのよ。ていうか、なんで会わなくちゃ」

 膝から手を離し、体を上げて、栖原さんが盾にしている人を見ると、先ほどあったばかりの烏山さんだった。

 丁度、目が合ってお互いが固まる。多分お互いが同じことを思っただろう。

「なんで環野君が」

「なんで君が」

 変な表情で固まっている烏山さんを見て、栖原さんは焦ったように説明をする。

「あ、あのね、私が合わせたいっていう人は、そう、環野君なの」

「ごめん、私……」

 聞き取れなかった。烏山さんは俺をじっと見て離さない。しかし、しばらくして、栖原さんを押し退かして、背を向けて走り出した。

 瞬間、栖原さんがすぐに烏山さんの腕を掴んで無理やり引き留めた。そのせいか、烏山さんはツルツルの床に足を滑らして、でこ強く打って転んだ。

 その痛そうな状況に俺は思わず目を伏せる。そして、烏山さんはでこを抑えながら全身で悶える。そんな状況を作りだしたであろう栖原さんは謝罪を連呼するのかと思ったが、

「すぐ逃げる癖本当に直した方がいいと思うよ」

 真顔でそんな辛辣なことを言った。

 まるで、これがいつも日常のように――栖原さんが低血糖で倒れたとき、烏山さんが苦しそうに目を見開いて、腕を伸ばしたの。昨日、あのグループに詰められていて、言葉を詰まらせていたのも、全部。

 納得というよりは、安心した。本当に心の底から、自分のやったことに、後ろめたさも罪悪感もなくなっていた。

 もし、俺があの時、栖原さんを見捨てていたら、あの時、烏山さんの代わりに俺が栖原さんの悪口を言っていなかったら、俺はこの二人の関係が壊れていくのをどこかで見ていたのかもしれない。

「あ、あの、ごめんね。昨日急に呼び出して」

 そう言って栖原さんは困ったように笑みを浮かべる。その後ろやっと落ち着いたのか、でこを抑えながら、こちらを睨みつける烏山さんが少し怖かった。

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