第5話
目が覚めた。気づけば寝ていたみたいだった。体が冷え切っていて、体がまだ動かない。掛布団に包まって、固まった寒さを溶かす。
「あ、あの、起きていますか?」
心臓が揺れ動いた。急に体温が上がって頬が痒くなる。呼吸が暴れ出すように震える。何故だか、体が震えて仕方がない。俺はこんなにも、怖がりだったろうか。
「あの、お兄ちゃん。起きていますか?」
あ、この子の声で起きたのか。そう理解して、肺に溜まった空気を吐き出す。寝ていたというのに、冴えている中で、どっと疲労を感じる。
「あの雫、さん?」
何を怖がることがあるのだろうか。真優ちゃんか。にしても、今日はどうしてこんな朝に。しかも、いつもなら声を少しかけて返答が来なかったらすぐにどこかへ行ってしまうというのに、今日はしつこい。
「あの、雫さん。起きていますか?」
面倒くさいが、耳障りでもあった。時計を確認すれば、まだ土曜の六時だ。早すぎる。声が聞こえなくなると、今度はノック音が聞こえてきた。このままだと、入ってきそうな勢いだ。
不安が膨らんで、俺は仕方なく扉を開けると、不安そうにこちらを見上げる真優ちゃんだった。
「あの、起こしてしまいましたか?」
そんなことを言われて、呆れる。起こしてしまったというよりは、起こすつもりだったとしか思えない。
「こんな朝からどうしたの?」
俺がそう聞くと、真優ちゃんはまた少し押し黙って、ご飯、と呟いた。
「ご飯は後で食べるから」
そう言って、扉を締めようとすると、腕を掴まれて止められた。
「昨日も、ご飯食べていないから。それに、それにお風呂も……」
思わず、掴まれた腕を無理やり引き剝がしてしまった。真優ちゃんの表情が強張る。
「ごめんなさい……触られるの嫌でした?」
自覚がないのか。
「わかったから、先風呂入るから、いったん閉めていい?」
そうか風呂に入っていなかった。自分のだらしなさに、頬が熱くなる。なんでこんな朝から感情の起伏が激しくなることが起きるんだ。
とにかく、真優ちゃんを一旦下におろさせて、着替えを持ってあとから風呂に向かう。脱いだ制服は皺だらけになっていた。アイロンかけるの面倒くさいな、と頭を掻く。
朝のシャワーはどこか新鮮で、心地がいい。とにかく精神も体も落ち着けてくれる。目を閉じた瞬間――あ。
そういえば、昨日、栖原さんが会って欲しい人がいるって言っていた。今日のはずなのだが、連絡先交換していないし。一応、ストーク確認しておくか。(※ストーク:小説内でのモバイルメッセージングアプリ)
風呂から出ると、脱衣所の制服が消えていた。
妙に感じながらも、リビングに出ると、真優ちゃんが俺の制服にアイロンをかけていた。背中に悪寒を覚えた。その不気味な光景に俺は動けずに固まってしまっていた。
真優ちゃんは俺を見ると、硬いながらも笑みを浮かべて、おはようございます、とあいさつされた。
「えっと、何してんの?」
困惑が隠せず、つい聞いてしまった。
真優ちゃんは不思議そうに、皺だらけだったので、と――そういうことじゃない。
「いや、そうじゃなくて」
こんなこと、年下の子にやらせるものじゃない。ただでさえ、仕事で両親がいないなか美優さんが洗濯だったり料理をやってくれているというのに、これじゃ、ただの居候だ。
苦い表情をして目を逸らしている俺に真優ちゃんは不安を覚えたのか、アイロンをかける手が止まる。
「私、やっぱり余計なことをしていますか?」
「余計なことっていうか、その制服は俺の物だから、自分でやるから」
いや、これは非常にまずい。何がまずいって、俺はもっと環野家を見るべきだった。まさか、男尊女卑でもあるのだろうか、女は家事がすることが当たり前だとでも思っているのだろうか。とにかく、まだ中学生の女の子がこんなことをしているのは異常だ。
ちゃんと言うべきだ。
「いや、余計なことをしている。君はそんなことをする必要はない。俺は環野家の部外者だ。だからこそ、君がそうやって気遣いする必要はないし、無理をして、俺に関わろうとするべきじゃない。だから、もうやめてくれ」
「じゃあ、そういうのやめて」
その声で彼女を見る。初めて見た表情だった。今までの気弱な表情はなく、真剣なまなざしで俺を見ている。
「気遣っているのはそっちでしょう。私、お兄ちゃんって言っている。なのに、そうやって、そっちが距離を取ろうとするから、嫌だと思っているかもとか、嫌われているんじゃないかって、不安で、近づけなくて……お姉ちゃんと言い合いしているとも、いつも、いつもいつも、私のことで。仲良くしてほしい。確かに、お母さんが再婚して、他人行儀みたいな感じだけど、私たちは、でもさ、いやだよ気まずいままって、嫌だよ。嫌ったり、嫌われたりは、それならちゃんと家族したい」
早口で、少し大きな声が段々とゆっくりと沈んでいく。本音だということは、やっと自分を出したのだということはわかっていた。でも皆、一緒に仲良くなんて、そんな本物な関係なんて築けるはずがない。だって本当の兄妹じゃないし、それこそ俺は本当に血が繋がっていない他人なのだから。
でも、この子がそれで苦しんでいるのなら、俺は今の状況を変えるべきなのだろう。
――わかった、とだけ言ってキッチンに向かう。
「昨日の残り、温めればいいか」
真優ちゃんは、不思議そうにこちらを見ながらも、頷く。
自分の分と、彼女の分を用意する。
「制服、自分でやるから、そこら辺にかけておいてくれ」
「でも」
「妹が兄の制服をアイロンかけるなんて、普通ありえないから。むしろ、俺が真優、ちゃんに何かするのが普通だから」
訝しく少し首を傾げる真優ちゃんに、俺はもどかしく、だから、と付け足して、
「ちゃんと、変えるから、この気まずい関係も少しずつ解消していくようにする」
そう言って、真優ちゃんから目を逸らす。少しして、彼女はおもむろに立ち上がって、キッチンに入る。
「手伝う」
「いやいいよ」
「妹でも手伝うことぐらいする」
「そっか、そんなもんか」
そういえば、美優さんはいつも昼に起きているのか。いつも色々やってくれて、疲れている人を起こすわけにはいかない、と少し気にしようとしたところ、くすり、と聞こえた。幻聴だろうか、でもどこか聞き覚えのある喉の鳴らし方だった気がする。
すると、二階に上がっていく足音が聞こえてきた。
変に美優さんにこんなところを見られたら、真優に何かした、とか言われて警戒されそうだ。そんなことを考えて、無意識に口角上がっていた。そんな自分に呆れる。
それにしても、土曜に朝にこんな話をするべきではないと、やはりつくづく思う。 窓の景色を見ると、ちょうど黄色の葉が一枚だけ落ちてきた。――そうでもないか。
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