第2話

 結局、カラオケには行かなかった。湖鷹には苦言を呈されたが、人助けをしたところを見ていたのか。最終的に、今日、飯を食いに行くことでチャラになった。他のメンバーが何を言っていたのかは知らないが、別に興味もない。

 ところで、俺は一つ、後悔していることがある。

「ふっふっふ、貴様か妾を助けたのは。環野雫!」

 昼休み、俺がいつものように湖鷹と校舎裏で昼食をとろうと廊下に出た瞬間、髪の長い女子生徒が俺を呼び止めた。

 どこかで見たことあるな、なんてそんなことを一瞬思ったのだが、昨日助けた奴だった。ていうか、こいつ、学年内では少し有名人で、いまだに中学生から抜け出せない病にかかっている。そう、厨二病という病を未だに持った栖原晴瑠(さいばらはるる)だ。

「この子もしかして知り合い?」

 湖鷹は苦笑いを浮かべ、俺を見る。

「知らない。昨日のことは覚えていない」

 俺がそういうと、湖鷹は察したのか、ああ、あの時の子か、と栖原さんから目を背けた。行こう、と湖鷹を促して、栖原さんから背を向ける。しかし、彼女は俺の服を掴んで止める。

「おい、雫。貴様、妾を無視するつもりか」

「いやだな。無視も何も、異端人と話す勇気はありませんし、とにかくその手を放してもらえると助かります」

「環野」

 俺がそう栖原さんを遠ざけるように言うと、湖鷹が咎めるようにこちらに視線を送る。そして、栖原さんに笑みを浮かべた。

「ごめんね。栖原さん。これから、環野と昼食べに行くんだ。放課後ならこいつ空いているらしいから、その時でいいかな」

 湖鷹の勝手な言葉に、俺はつい、は?と口にでる。

「いや今日はお前と」

「暇だろ」

 湖鷹の意図が全く掴めなかった。

 湖鷹と二人になって、さきほどのことを聞いた。湖鷹とは毅然とした様子だった。笑みもない。彼がこんな表情をするのは珍しい気がした。

「恩は返してもらったほうがいいぞ」

「人を助けた記憶ない。誰一人助ける人がいなかった、仕方がなかったんだ」

 俺が弁解をすると、湖鷹は寂しそうに笑みを浮かべた。

「言い訳する必要はないだろ。お前は人助けたんだから」

 言い訳なんかしていない。なんでそうなるんだ。

 俺は湖鷹という人間が本当によく分からない。皆の前ではよくいる浅い奴だというのに、俺と二人っきりになると、変に意味深なことを言ってくる。

「そもそも、学校で厨二病を全開に振舞っている奴と関わりたい奴なんていないだろ」

「そうかな。僕は面白い人だと思うけど、とにかくどういう奴にしろ。恩返しをしたいと思う人を踏みにじるのは違うから行ってこい。もしかしたら、思っていたよりも普通かもしれないし」

 そう言って、湖鷹は軽く押すように叩くと、立ち上がった。

「そうだ、昨日お前カラオケ来なかったろ」

 そう言って、湖鷹は俺が前もって渡していた金を返して、教室に戻っていく。別に何か思ったわけではないが、

「がんばれよ」

 と湖鷹の背中に背負わせるように呟いた。


 先ほどから視線を感じる。

 放課後、昨日のグループと教室に残っていたのだが、廊下から髪の長い貞子のような女子生徒が覗いているのだ。湖鷹もそれに気づいているようで、少し気まずそうに苦笑っている。

「そろそろ、帰ろう」

「えー、まだ下校時刻じゃないじゃん」

 いつも帰りたそうにしている烏山さんが、今日は珍しく渋っていた。

「そうだ。今日は俺、妹と買いもの行く予定が」

「そっか、じゃあ先帰ればいいじゃん。妹さん待たせるのもどうかと思うけど」

 そう言って、ことごとく湖鷹の誘導が潰されていく。

 正直、このまま先延ばしにして、栖原さんと関わらないようにしたいのだけど。

「てかさ」

 一人の女子生徒が一言置いて、俺に向かってにやけた。

「大丈夫だった?昨日助けた人、あの栖原さんだったんでしょ?」

「あいつ、マジで痛いわー」

 続けて一人の男子がそうわざとらしく吐くような真似をする。

「ああ、あの人まじきもいよね。中学でもきついのに、高校でもあのキャラとか流石にないわ。烏山さん、そういえば中学一緒だったんでしょ大丈夫だった?」

 そして、矛先は烏山さんに向けられて、

「いや、あの子は……」

 と黙り込む。

「あの子、ちょっと天然ていうか。まあ、なんか、あれだよね……嫌な感じだよね」

 烏山さんにフォローを入れるように湖鷹は、言葉を濁すが、他の三人がそれを許さない。

「湖鷹君も、環野君もお昼に話掛けられたんでしょ?ていうか、烏山さんその反応やっぱなんかあったでしょ」

 詰め寄るように、烏山さんに近づいてくる。今まで彼女に興味すらなかったのだが、何故だか昨日から違和感が募ってしょうがない。

 二人の女子が俯く烏山さんの顔を覗こうとしたときに、俺はふと廊下を見た。誰もいない。多分、栖原さん自身の悪口になったとき、去っていったのだろう。なら――。

「そういうのやめた方がいいと思う」

 その声に三人が俺の方に向く。俺は一つ一つ言葉を捻り出していく。

「そうやって、悪口言って」

 別に、烏山さんを助けたかったわけでもないし、それこそ、悪口を言われている栖原さんを擁護したかったわけじゃない。

「もし、誰かが聞いたらその人は」

「環野」

 もういいと言うように、湖鷹は俺に声を掛ける。俺が静かに顔を上げ目が合うと、笑みを浮かべていた湖鷹は途端に真顔になった。

「お前さ、昨日の時もそうだけど、さすがに付き合い悪くない?」

 その重圧のある言葉は一瞬時を止めたように感じた。相変わらず、烏山さんは俯いたままだった。ただ他の三人が、俺を裏切り者のような白い目でこちらを見ている。

「いやそうじゃなくてさ俺はただもし栖原さんが聞いて、いたら、仕返しされるかもしれないじゃん。今日話掛けられたから、ほら今どこで聞いているか分からないし、俺ああいう人に呪われたくないからさ」

「いや、俺も今日の昼、話掛けられたからなー怖えんだよ。妹に手を出されたくないし。そういえば、環野、昨日の数学がやったのかよ」

「ああ、そういえばそうだった。先帰って行ってくれ」

 湖鷹は誘導して、俺もそれに乗る。皆もそっか、じゃあ、と言って教室を出て行った。烏山さんが一人俯いたまま動かない。

「環野君、私」

「皆行っているから早く行きなよ」

 烏山さんの言葉を遮る。うわずった彼女の声が気持ち悪かったから。続きを聞きたくなかったから。

 そして烏山さんは俺の方を見る。その酷く苦痛に表情を浮かべて、逃げるように走り去っていく姿が見えなくなると、俺は掃除ロッカーを強く蹴った。

 若干、歪んだロッカーが角を立ち、矛先が俺に向いているように感じた。

「環野君?」

 呟くような弱弱しい聞き覚えのある声が聞こえた。今日ではない昨日だった気がする。

 俺は目を見開き、彼女を見る。そこには、昼に俺に話しかけてきた人とは思えないほど心配そうに見つめる栖原さんがいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る