Chapter10 舞台の外、君の鼓動

舞台の外、君の鼓動




「──あなたの立場も随分と面白いことになっていますね、ドクゼリくん」

「ん? アンタ、俺のこと知ってるのか? 万屋はじめてまだ半年なんだけどな。悪評が広まっちまってる、ってのなら嫌だが」

「いいえ。なんでもありません──何か御用でしょうか? できれば、邪魔しないで頂きたいのですが」


 サユリの姿、絡みつく■■を見たドクゼリは、わずかに眉を動かす。


「こりゃ酷い。あんた、本当にニンゲンか?」

「もちろん。僕はこの場の誰より“ニンゲンらしい”自信がありますよ」

「おじさん、大丈夫……って、なによ、この状況ッ」


 駆けこんできたアジサイが、辺りに撒き散った赤黒い液体と、メモリアたちの肢体に顔をゆがめて見せた。

 ──彼女にフォローされるように教会に踏み込んだヒガンは──その光景が、訳が分からなくて……全身の血が沸騰するくらい──激情を感じた。


「……いいか。ヤオトメクン、感情に任せて行動するな」


 ドクゼリはトオルから目線をそらすことなく、言う。


「冷静に、クールに考えろ。まだあの娘は動いてる。壊れてない──」

「彼女を取り返しに来たんでしょう?」


 ドクゼリの言葉を覆い隠すように、トオルが甘い声でヒガンに問いかける。


「大丈夫。あなたが危惧するようなことは何もしていません。彼女は“サユリ”さん、あなたを慕う健気なメモリアのままです」


 朦朧とするサユリの頬を撫でるトオル。


「……ねえ、ドクゼリくん。せっかくですから、ネタばらししちゃいましょうよ。あなたが受けた依頼、大切なプログラム、僕の正体──“観客”に向けて意味ありげに言葉を話すのにも、飽きてしまいました」


 ドクゼリは一切の警戒を解くことなく、「……あんたの言ってる意味はよくわからんが。まあ、それもそうだな。どのみちこうなった以上、ヤオトメクンには話そうと思ってたんだ」そう言うと、手にしたナイフを握りしめすぎて、拳が白くなっているヒガンの肩を叩き、告げた。


「……前、話したよな。サユリチャンには特別なプログラムが隠されてる。それは、“ココロプログラム”と呼ばれるシロモノで──」


 ヒガンはドクゼリを見上げる。彼は振り向くことなく、今も柔和に微笑むトオルに向き合うように、続ける。


「政府が秘密裏に開発した──ロボットが持てる、“ホンモノの感情”だ」


***


「──僕はある日、ニホン政府から依頼を受けました。それは“研究者が持ち出し、失踪してしまったココロプログラムの捜索”でした。僕の仕事は、そうですね。いうなれば“観測者”、そんな感じで大丈夫です。神父の生業は、カモフラージュのためのものです。……政府は秘密裏に人工知能に入れ込む感情を研究していました。メモリアは爆発的に普及し、ニンゲンの生活になくてはならないものになりましたね。ですが、ニンゲンは業が深い生き物なので──精密さの先に、ニンゲンのような“感情”……“ココロ”を追い求めたのです。面白いですよね。ニンゲンに従順でいてほしいのなら、ココロなんて不必要なはずです。ですが、一部の研究者たちはまるで“新たなイノチを誕生させたい”かのように、この研究に打ち込むようになりました」


 迷えるヒトビトに教えを説くかのように、トオルは言う。ドクゼリがその言葉のバトンを受け取り、ヒガンに言う。


「それを指揮していたのが俺の雇い主──ヒトハナ レイ博士だ。彼女のもとで“ココロプログラム”は生まれた。プログラムが日々情報を吸収し、育っていくその姿に──奴さんは、“哀れみ”を感じたらしくてな? このまんまじゃ、政府にどう利用されるかわからねぇ。ウワサじゃあ、ココロプログラムを用いた大規模な実験が予定されていたそうだ、……俺たちも流石にその中身までは聞いちゃいねえけどな。だから、博士はそれを奪い、失踪した」

「そうして、彼女はココロプログラムを隠しました。……ヤオトメ ヒガンくん。あなたのよく知る花屋の店長さんは、それをどこに隠したと思います?」


 頭が、うまく回らない。ヒガンが言いよどむと、トオルは今もぼんやりと虚空を見つめる“ロボット”を撫でながら言った。


「“メモリア”の中です。彼女は“リーリ”と“ロザリオ”の中に、それを割って隠した」

「……ココロをもった“LILLY series”と“ROSARIO series”の一機ずつは、本当のヒトのように生まれ変わった。店長サンは、そいつらを本当の息子と娘のように育てたんだ」


『ココロを持った“双子のメモリア”……その正体に迫る』

 いつだったか、ユウが見せてくれた画面を思い出す。

 ココロを持った双子のメモリアは、……実在したんだ。


「ここまで言えばわかるよな? なんたって、ここからキミが深く関わってくるようになるからな。キミが慕うソイツこそ、“ココロプログラム”の持ち主の片割れ」

「……イバラ……」


 いつも花屋の軒下に立ってた、生意気だけど優しいメモリア。

 僕をいじめっ子から守ってくれて、いつでもいろんな話を聞かせてくれた、たったひとりのヒューマノイド。

 彼には、本当のココロがあったんだ──


「……わからねぇのはこっからだ、白い兄ちゃん」ドクゼリが疑問を投げかける。

「俺が店長サンから依頼を受けた時、“ROSARIO series”はもう機能を停止していて──守るように言われたのは“LILLY series”のみだ。そいつも、ヤオトメクンのところでノーテンキに過ごしてた。なにがどうなって彼の手に渡ったんだ? その様子だと、テメェも一枚噛んでんだろ?」


 ドクゼリの言葉に、トオルが思案するように顎に手を添えた。


「そうですね。それじゃあ、ここからは僕がしたことをお話ししましょうか」


***


「先ほど言いましたよね。僕は政府から依頼を受けていた。ヒトハナ博士の所在を突き止めた僕にとって、慣れない彼女の甘いセキュリティから双子を奪うなんて造作もないことだったんです。けれどね、恥ずかしい話──僕はココロを持つ機体は一機だと当時思っていました。なので、サユリさんを頂いたんですね」


 名前を呼ばれたからか、■■に囚われた彼女の指が、ピクリと動く。「サユリ、」思わずつぶやくヒガンをドクゼリが制した。


「彼女、人懐っこい性格でして。僕にも無邪気に話しかけて来たんです。なんだか愛おしくなっちゃって。折角なので、政府には渡さず、僕の《玩具》にすることにしました」


 玩具。ヒガンの頭の中に、強烈に残っている一言があった。それはサユリの説明書に無造作に書かれていたあの文言だ。


『“うまく起動しないかもしれないけど、そこはそれ。適当に扱ってください、それこそ、《玩具》みたいに──”』


「……あ、あなたがっ……」


 気づけば、喉から声が出ていた。トオルは話を聞くそぶりを見せるように「はい」と相槌を打って見せた。


「サユリの、前の、持ち主、なんですか?」

「──うーん。まあ、それに近いかも知れませんね。いろいろなことをしてあげたなぁ。懐かしいです」


 ゴミ捨て場に無造作に捨てられていた彼女。体中を傷だらけにして、眠っていた彼女。時々なにかに苛まれる彼女。機能が欠落した彼女──

 彼女がココロを持っていることを知って、この人はそんなことをしたのか。そうして、彼女を捨てたのか。


「……よくわかったよ。お前さんが、悪趣味なのもよーくわかった」

「あら、光栄です。ドクゼリくんのような、──猟奇的な方にお褒め頂けるなんて」


「お話は終わりですかね」とトオルが言う。

「ああ、終わりだな」ドクゼリもそう言って、ナイフを構える。

 だけど、この緊迫した空気の中叫んだのは。


「ふざけんな……っ」


 ヤオトメ ヒガン、そのヒトだった。 


「サユリを返して!! 返せよッ!!!」

「……おっと。そういえば、どこで激情のスイッチが入るかわからない子でしたね、あなたは」

「待てッ、早まるな……!」


 ドクゼリの制止をよそに、ヒガンは今もてる渾身の力をもって……ドクゼリに持たされたナイフを振りかぶる。トオルはそれを少ない動作で躱すと、彼の手を取りナイフをはたき落とし、組み敷いて見せた。


「んぐっ……!」

「いきなりヒトにナイフを向けてはいけません。憎しみは段階をもって育てて、ここぞという時にぶつけるんです。分かりましたか? “八乙女君”」

「離してッ……離せ……!!」


 ち、と舌を打ったドクゼリがナイフを投擲するが、■■がそれをはじき、蠢く。


「おーおー……絶対お前はニンゲンじゃねえ。バケモンだ!」

「それはどうも。誉め言葉です」

「お、おじさんっ!! どうするの!? このままじゃっ……」


 はたき落としたナイフを■■で拾い上げるトオルは、「こういった展開は面白いものですね」と微笑み、その刃をヒガンの喉元にギリギリの距離で突き立てる。


「どんな気分です? ヤオトメ ヒガン君──あなたったら、不幸の星に生まれているみたい。あなたが好きなヒトは、もういないか中古の二択。いっそ誰も愛さない方が、あなたのココロの安寧が保たれるでしょう?」

「…………違う…………! イバラとサユリが、いなかったら……今の僕は、ここにいないんだッ……だから……ッ!!」

「うーん。なんだか面白みに欠けましたね。僕としては、僕が知っているあなたの方が“ぶっ飛んでいて”好きです」


 ナイフを振り上げるトオルは、残念そうに言う。


「申し訳ないけれど、このお話はここで幕切れ──次の世界が楽しみですね?」


 ヒガンの細い首にそれが突き刺さる刹那──

 何かが、ナイフを薙ぎ払い。その刀身が、パキリと折れた。


***


「……あら。」


 トオルはまたしても、面白くなさそうにした。

 涙で滲むヒガンの視界には、あの火事の時と同じように──美しい肢体を持った彼女が、そこに立っていた。


「さ、ゆり──」

「ありがと。ヒガンの声、聞こえてたよ」


 髪をなびかせ、彼女は聖女のように微笑む。蠢く■■は、彼女に近づく前に燃え尽きてしまう。彼女の瞳は見開かれ、ハードディスクが唸っている。光の輪が、彼女の頭上で輝く。

 その瞬間を見計らったドクゼリがトオルに蹴りかかる。トオルはヒガンを手放し、後ろに下がった。ヒガンの体を抱えるドクゼリの後ろでアジサイがわめく。


「オーバーロードしてるっ」

「なんだそりゃッ」

「おじさん知らないの?! 機械が限界を超えて稼働している状態のことよ! いまのあの娘、自分のCPUの限界を超えて動いてる!」


 ──天使の輪のような光を輝かせるサユリは、トオルを見つめて言った。


「ごめんなさい。わたし、ヒガンのお嫁さんになりたいの。あなたの玩具には、なれない」

「──はあ、やれやれ。結局こういう役回りですか」


 トオルはそう言うと、両手を上げ降参のポーズをとる。そのまま、大きな十字架の真下に立ち、宣教師のように言った。


「タイムオーバーになりました。この世界線も楽しかったですよ」

「……お前、何言って……」


 ドクゼリとアジサイが訝るより先に、ヒガンがサユリの微笑みに見惚れるより先に、トオルは■■を動かし言った。


「ではまた、次の世界で。」


 ビッ、と吊り下げられた鎖を■■が断ち切り──辺りに赤黒い液体が飛び散る。

 落ちて来た十字架に潰され、トオルは絶命したのだった。……光の輪を失い、膝から崩れ落ちるサユリを起き上がったヒガンが受け止める。


「っサユリ……! サユリ、ダイジョウブ!? しっかりして……ッ」


 生まれたままの姿で目を閉じるサユリは、やっぱり、本当のニンゲンのようで。


「ったく……エラい幕引きだったな。最期にとんでもねぇモノ見せて逝きやがった」


 かかった黒い液体をぬぐいながら、ふたりに駆け寄るドクゼリとアジサイ。


「さっきの……白いアイツの言葉を信じるなら──サユリは、オーバーロードして、強制終了しただけのはずよ。診てもらいに行きましょ!」

「み、診てもらうって誰に……」

「おいおい、話しただろ? ──この娘さんの“親御さん”にだよ。……もしサユリチャンに大ごとがあったら、俺たちまとめて終了かもしれないけどな」


 そんなニュアンスをにじませて、ドクゼリが親指で首を切る仕草を見せた。


「だけど──まずは通報だ。こっから先は、ケーサツさんのお仕事だぜ」


***


 “メモリア狩り”は無事、収まった。

 警察の人によると、十字架が落ちた先に、死体は無かったらしい。滴る赤黒い液体だけが、トオルの存在を示していた証拠だった。

 壊れていたメモリアたちは順次、修理工場に送られ、所持しているデータはそのままに、新品同然となって持ち主の元へ帰ったという。


「うちのメモリアもね、帰ってきたんだ! よかった!」と笑うミサキさんは、本当に嬉しそうだった。


 そうして、ヒガンはサユリを背負い、ドクゼリとアジサイを連れ……立て直された「フラワレット」を訪ねていた。

 迎えてくれたイズルとレイは、異色な彼らの組み合わせに何かを悟ったようで「どうぞ」と店内を案内してくれた。


「はい、ヒガンくん」


 イズルから、そっと暖かいハーブティーを机に置かれる。「クビを切られるかもしれない」なんて言っていたドクゼリはすでに堂々とソファーを占拠しており、何食わぬ顔でハーブティーを飲んでいる。あんなことがあったあとなのに、面の皮が厚いヒトだ……なんて、ヒガンは思った。

 そのうち、レイが別室から戻ってきて……掛けていた眼鏡を外し、テーブルの上に置いた。


「レイさん! サユリは……」

「大丈夫よ、ヒガンくん。サユリちゃん、過度な稼働で機械が疲れていたみたい。もうしばらく休んだら、また今まで通り動けるようになるわ」

「よ…………よかった」


 ほ、と胸をなでおろすヒガンに微笑みかけながら、レイはドクゼリとアジサイに言う。


「話は聞きました。サユリちゃんのことを助けに行ってくれて、最悪の事態を防いでくれて。お礼は言います……けれど、こんなことにならないように、あなた達に依頼をお願いしたはずなのだけど」

「悪いな、店長サン。相手はずいぶん規格外だったんだ……たまには、こういうこともあるさ」

「“依頼人への誠実な態度”はどこ行ったのよ……」


 にしし、と笑って悪びれず手を振るドクゼリに、ぼそりと呟くアジサイ。レイはヒガンに向き直る。


「ヒガンくん。聞いたのよね? “ココロプログラム”のこと──サユリちゃんと、イバラくんのこと」

「は……はい」


 思わず背筋が伸びる。あんまり伸ばすと、まだお腹の傷が痛むけれど。レイは「あのときはごめんなさいね」とヒガンに謝る。


「イバラくんはもういない、なんて冷たく言ってしまって。あなたがイバラくんのことを大事に思ってくれてるのは、わかっていたのに」

「ンッ……い、や。そんなコト……」

「……イバラくんはね。いなくなったわけじゃないの、けれど……もう稼働できない状態にあるのよ」


 レイはぽつりぽつりと話し出した。ココロプログラムを持ち出した後のこと。

 第四世代まで出ていた当時、なぜ第二世代の“LILLY series”と“ROSARIO series”を選んだのかは、型落ち品で比較的入手しやすかったからだと彼女は言う。

 リーリは16歳くらいの型を、ロザリオは14歳くらいの型を利用した。ココロプログラムを分け合い、稼働した彼らは本当のヒトのように動き、レイは自身が……政府が開発したものの素晴らしさと恐ろしさを身をもって感じた。

 “サユリ”と“イバラ”という名前を付け、自分が彼らを守ろうと決めた矢先、サユリはトオルに奪われてしまった。


「でも、イバラくんとサユリちゃんは同じプログラムを分けたから、リンクしていたの。サユリちゃんの居場所を突き止めようと、イバラくんも全力で協力してくれたわ。けれど、イバラくんは苦しむようになった。……サユリちゃんが受けていた虐待の痛みを、イバラくんも感じるようになっていたの」


 イバラは徐々に稼働にぎこちなさを呈するようになっていった。それでもサユリとの接続を切らなかったのは、彼にも片割れに情があったからだろうとレイは言う。ある日、サユリは暴走するほどの痛みを得てしまった。それを感知したイバラは、レイの元へ来て、言った。


『母さん、サユリが苦しんでる。……痛がってるんだ、だから──ボクがアイツのココロを受け持つよ』

『イバラくん──でも、それにあなたのCPUが耐えられるかわからないわ。わたし、嫌よ。サユリちゃんだけじゃなく、あなたまでいなくなってしまうなんて……』

『母さんなら必ず、サユリのことを見つけられる。あんたの役に立ちたいって気持ちを、サユリを助けたいって気持ちを。作ってくれたのはあんただ、“ヒトハナ博士”』


 ココロを持つイバラが選んだことを、レイは受け入れた。イバラはサユリの感情を肩代わりし、その感情はデータの許容量を超え、機能を停止したのだ。レイはサユリが無事であることを信じて──探し続けた。どのタイミングで、トオルが彼女を手放したのかはわからない、だけど──


「そうしてゴミ捨て場に捨てられていたサユリちゃんを、拾ってくれたのがあなた。ヤオトメ ヒガンくん」

「……」

「それを知ったのはあの火事のとき。わたしたちを助けに来てくれたあなたを、サユリちゃんは助けに来たでしょう? わたし、感動したわ。ヒトを自発的に助けられるほど、ココロプログラムは成長したんだって。──でも、ヒガンくんに任せていてはいけないと思ったの。いずれ、わたしのお家に戻ってもらうつもりだった──」


 ドクゼリたち何でも屋の根回しもレイによるものだった。それにより、ユウたちの襲来からは助かることができたのだ。その報告を聞き、レイはますます自身の元にサユリを置くことにこだわった……だけど。


「あなたたち、度々フラワレットに顔を出してくれたでしょう? それを見ていて感じたの。サユリちゃんは、本当にあなたのことを好いてた。それはココロに基づいた本当の感情で──ヒガンくん、あなたもサユリを決して悪いようにはしなかったわ。もしかしたらって、思ったの。わたしが望んだものが、ヒトとキカイの形が、ここにあるんだって。……ねえ、ヒガンくん?」


 改めて、ココロからのお願いよ。


「サユリちゃんのこと、守ってあげて。幸せにしてあげてほしいの」


 ドクゼリも、アジサイも、イズルも。みんなヒガンを見ていた。ヒガンは深く息を吸うと、胸元をギュっと握りしめ、答えた。


「……ハイ……!」


***


「ん…………」


 ゆっくり、スリープモードが解除される。まぶたを開くと、瞳の液晶に知らない天井が映って。自分は、可愛らしいお洋服を着ている。


「あ、」


 そう言って、心配そうに自分を覗き込むのは、大好きなヒガンだ。


「サユリ……平気?」

「う、うん……わたし……ヒガンに傘を届けに行って……それから?」

「ウン……えと……だ、ダイジョウブ。ちょっとだけ、メモリが飛んじゃったんだって、でも、直してもらったから」

「そ、そっか……」


 しばらく、手のひらを見ていたサユリだったけれど、ヒガンがどこか潤んだ瞳で自分を見ていることに気づく。サユリはいつもどおり、お茶目に振舞おうとして。


「ん……なーに? もしかしてわたし、ヒガンを心配させちゃ」


 った、と言い切る前に、サユリの体はすっぽりヒガンの腕の中に収まっていた。

 かああ、とハードディスクが熱くなるのを感じる。


「ひっ ヒガン? どうしたの?」

「心配した!!」


 またしても、彼特有の空気の読めない大きな声。

 でも、そこには特大の感情が乗っていて。


「君まで、いなくなっちゃったら、僕、どうしようって……思って!」

「ひ、ひがん」


 いつの間にかヒガンの身長はちょっと伸びていて。

 心拍数が聞き取れて、サユリの頬も熱くなる。

 そっと体を離したヒガンは、潤んだ赤い瞳を真っ直ぐこちらに向け、……やさしく、サユリの甘い髪を払う。


「……君はただのメモリアじゃなくて。ヒトでもないけれど。……僕にとって、イチバン大事な。お、女の子だよ……!」


 そう言い切る彼は、すごく格好良くて。サユリは“きっと”ないはずの“ココロ”が高鳴るのを感じて。どっ、どっ、どっ。頬に触れる手に、目を閉じた。

 まるで、年頃の女の子みたいに──


「ヤオトメクン、そういうわけだから……」


 ガチャリ、と扉が開きドクゼリがぶっきらぼうにそう言うけれど。目を閉じたまま固まっているヒガンとサユリを見て、ニヤリと笑った。


「……先に帰るわ。なんかあったら変わらず名刺から頼むぜ。ごゆっくりー」


 バタン! と閉じる扉の音。ヒガンもサユリも、まるで紅葉した椛のように、真っ赤に染まっていた。


***


「──時は満ちたね」


 薄暗い部屋の中で、黄色の遮光グラスをズラし初老の男性が言う。


「キミはボクたちが思うより、立派に、素晴らしく成長してくれた。これなら、我々の目的も達成できるだろう」

「そりゃあどうも」


 男性の言葉に答えるように少年の音声が発せられる。

 その声は落ち着いていて、どこかニヒルで。


「当たり前でしょう。僕は完璧なAIだ。そこらのメモリアと比べないでほしい」

「ははは、それは確かに。」男性は愉快そうに笑い、言った。


「それでは頼むよ、“HAL”。キミの“ココロ”が、我々の総意だ」

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