Chapter8 舞台の外、深淵の先
「──最近のまどろみ町は、なんだか落ち着きがない気がするんです」
ひとりの女性が、おずおずとそう言う。美しい装飾が施された、薄暗い教会に集まる老若男女。彼らの中心に立つのは、まるで天使がこの世に顕現したような──麗しい顔立ちをした男性だ。女性の言葉に彼は「……続けて?」と甘い声を転ばせる。
「は、はいっ。あの、治安が悪くなったっていうか──この間も、大きな火事が起こったりして」
「フラワレットのビルでしょう? 私もそのニュース、見ました」
「怖いですよね……あんなに近くで事件が起こるなんて」
ざわざわとざわめく群衆たちを見定めるように見ている男性。
うち、一人が面白いことを言い出した。
「でも……メモリアの女の子が、巻き込まれたヒトを助けたっていう話題もありましたよね」
「ああ! それ、ちょうどテレビに映ってるのを見ましたよ! メモリアが、服が燃やして裸になりながら……男の子を助けてて。とっても素敵。うちのメモリアもそれくらい勇敢でいてほしいなって思っちゃう」
「メモリアはあらかじめの指示がないと動けないというのが不便ですよね。そのメモリアの女の子には、そういう命令が設定されていたのかしら」
「あ……あの……この前、メモリアの女の子がひったくられた私の荷物を取り返してくれて」
「そうなの? 素晴らしい! メモリアの発展は目まぐるしいですね。とても喜ばしいことです……ねえ、神父さん!」
教会のステンドグラスに、明かりが差し込む。美しい模様に照らされて、“彼”の姿がより鮮明に浮かび上がる。長いまつ毛を伏せ柔らかく微笑むその姿はひたすらに、神々しくて。
「へえ。……女の子のメモリア、ですか。」
もう一度、甘い声がそう言う。隠しきれない欲望を、滲ませて。
舞台の外、深淵の先
「めッ……“メモリア狩り”??」
そんな物騒な噂話を聞いて、ヒガンみたいな気弱な少年が怯えないはずがない。伺うようにレンを見るけれど、彼も同様に怯えた顔をしている。
「そうなんだよ~、ヤオトメ知らないの? いや、俺もサクラから聞いたんだけどさぁ……。まどろみ町で多発してるらしいぜ? メモリアの窃盗……」
曰く、白昼堂々と犯人はやって来て──持ち主から容赦なくメモリアをもぎ盗っていくらしい。その手法も、犯人の見てくれも、何もかも明らかになってはいないのだけれど。被害者だけはどんどん積み重なり、小さな町であるまどろみ町を覆う、大きな噂話となっていて。
「無差別らしくってさ、世代とか機種とか、男か女かとか、一切関係ないんだって。ヤバすぎるだろ……これ聞いてヒマワリ、怯えちゃって……。お前んとこのサユリちゃんも、気を付けた方が良いぜ。おつかいしてるメモリアとか、なおさらヤバいって!」
「ウ……!」
お、おつかい、最近お願いするようになった。でも今日はお、お留守番、お願いしておいてよかったぁ~。ココロから安堵する。自分の思考に一挙一動するヒガンを見て、緊張が解けたようにレンが笑う。
「……お前、メモリアのことすっげー大事にしてるよな」
「ンッ!? な、なにっ、急に……」
「いや! 前から思ってたんだ。サユリちゃんがあんなにお前に懐いてるのも、やっぱお前がいいヤツだからなんじゃね? そういうのって大事だよな~、ほら、最近話題になってるやつ。“人機婚姻法”だっけ? ヒトとキカイがココロから分かり合える可能性って、バリバリにあると思うんだよな、俺!」
わははと楽天的に笑うレンの言葉で、心臓がバクバクしたのは事実だ。
……だって、最近のサユリと来たら、なんというか、すごいのだ。先日なんて──
「ひーがん! お背中お流ししまーす!」
「ワ゛ーーーーッ!?」
僕が入浴中だというのに、タオル一枚で風呂場に突入してきた。ヒガンがめったに出さない大声を出してシャワーヘッドを取り落としていると、サユリがぽかぽかした状態で「だって、わたしヒガンのメモリアだもん。ヒガンのお背中くらい、流してあげられないとだめだめだよねっ」なんて謎の理論を口にする。
「イッ……いいから……! じ、ジブンで出来るからッ……」
ああ、目線をどこにやったらいいかわからない! あどけない顔立ち、まつ毛に彩られた翡翠の瞳、色づいた頬、甘い髪色。柔らかな肌色、なだらかな曲線、しっかり肉付いた要所要所。“LILLY series”作った人って、実はヘンタイなんじゃ……?
目をぎゅーっとつむって、サユリの背中を押して彼女をお風呂場から出す。ただでさえおんぼろアパートで、狭い浴室なんだ。ふたりでずっと密着してたら、息が詰まって窒息死しちゃうかも。
「ちゃんと服、き、着替えておいてッ……お風呂入りたいなら、あとで、洗ってあげるからッ……」
また、あきらかにしょんぼりするサユリを見ないように頭をぶんぶん振りながら、ヒガンはそう口にする。メモリアのやつ、憎いことに防水加工がしっかりしている(ユウ曰く、防水がしっかりしたのは体温が実装された二世代かららしい。首周りだけはしっかりカバーの有無を確認して、なんて言っていた)。
じつは、彼女をお風呂に入れてあげたことは数回ある。この世で過ごしている以上、放っておいたら汚れてしまうのは当たり前だったからだ。サユリは不器用な個体だから、自分で体を拭くこともままならず。だから、代わりに何回か拭いてあげたこともある。だけど、彼女の裸には慣れない。慣れないことはしょうがない──
まだドキドキする心臓を暴れさせながら頭と体を洗い、お風呂から恐る恐る出ると、サユリはすっかり彼女のものになったヒガンのおさがりパジャマをしっかり着込んで変わらずしょんぼりしていた。自身も着替え、ヒガンは恐る恐る言う。
「サユリ……さ、さっきは、お、怒ったワケじゃないから。び、ビックリしただけで……」
「……ううん。ヒガンの言うとおりだよ。わたし、お嫁さんになりたくて……急いで行動しちゃった」
“お嫁さん“。最近のサユリは唐突に(もしかしたらキバナとショーコに出会ったことがきっかけかもしれないけれど)目標をそれに定めたようだった。ご飯作りにも積極的に参加してくるようになったし、苦手なお裁縫にも挑戦しているようで。
ただ、彼女は今までの通り、かなりのドジっ娘なので──加えて時間がかかる事の方が多いのだけど。
ヒガンだって、人機婚姻法に否定的なわけじゃない。なんたって、初恋の相手がメモリアだったのだから──もし彼が存命していたなら、憧れていたことだったかもしれない。でも、ヒガンにとって重要なのはそこじゃなかった。“お嫁さんになりたい”、サユリのこの願いをはじめて聞いたときが。
『わたし、……ヒガンのお嫁さんになりたい。それがいまの一番の夢!』
彼にとって生まれて初めてのキスをした日でもあったからだ。
***
「ひーがん! お背中お流ししまーす!」
「ワ゛ーーーーッ!?!?」
そして、今日もそれを繰り返した。サユリは諦めが悪い個体なのかもしれない。ヒガンはまた立ち上がり、慌てて掛け湯用の桶で大事なところを隠す。サユリはまた身体をぽかぽかさせている。
「今日こそ遠慮しないで! わたし、いっぱいイメージトレーニングした! 気持ちよく流して見せるから!」
「ホッ……ホントにいいからっ!! で、出てったら……!!」
また彼女を外に押し帰そうとして、──ヒガンは派手に転んだ。
「きゃっ」
巻き込まれて、サユリも転倒する……まるで、押し倒したような姿勢になって……ヒガンは「ゴゴゴゴッゴメン……!!!!」と声を裏返すけれど。
「っ…………」
初めて出会ったときのように、サユリが動揺している。自身の体を抱いて、不安げな瞳を伏せていたのだ。途端にヒガンはサユリが心配になり、「だ、ダイジョウブ……?」と彼女をあやしてあげることしかできなかった。
立ち上がり、少しして落ち着いたサユリが「ごめんね」とちいさく呟いた。
「わたし、ヒガンのメモリア失格だね……」
「ううん……」と口先でもにょもにょ言いながら、ヒガンは下着を履いてパジャマを羽織ると、未だタオル一枚のサユリにも肌着を渡してあげる。
「……あ、あの。ああいうこと、む、ムリにしなくていいんだよ……。お、お風呂くらい、自分で、入れるし……」
「……でも。メモリアは、なんでもできないとダメなんだよ。なんだってお伴したいの」
「……そ、そゆのは、好きなヒトと……」
「わたし、ヒガンが好きだよ。……何回も伝えたのに」
「………………ハイ、スミマセン……」
いつのまにかサユリはどんどん積極的になっていて……置いて行かれているのはいつもヒガンの方だった。
しょぼくれるサユリを見ていると自分の胸も切なくなるようになったのは、いつからだろう。
気づけば、自分の中でイバラとサユリはすっかり分離していた。ヒガンにとって、いつの間にかサユリは。メモリアである以上に──異性だったのだ。
***
「今日もお留守番?」
サユリがそう尋ねるから、ヒガンはシャツに腕を通しながら「う、ウン」と答える。
「め、“メモリア狩り”ってヤツ。怖いから……が、ガイシュツは、しばらく僕と一緒にしよ? ね。……ねっ?」
「でも……お米、そろそろなくなりそうだし、お味噌もあとちょっとだよ。ヒガンがいない間、ささっとお買い物するくらいなら……」
「だ、ダメっ」
いつになく強い口調でヒガンが“指示”を出すから、サユリは「わかった……」と口ごもる事しかできなかった。ヒガンだって、ただただ怯えてそう言っているわけじゃない。こんなふう強く伝えてしまうのには、理由があった。
「……ミサキぃ、あんまり凹むなよ……ダイジョーブだよ、絶対見つかるって!」
一年A組の教室の扉を開けると、しょげているクラスメイトとそれを励ますレンの姿が映る。なぜなら、このクラスから出てしまったのだ、“メモリア狩り”の被害者が。
「……ヒビヤも、ヤオトメもさ……気をつけなよ? いつも一緒にいるメモリア、いなくなっちゃったら……どうしたらいいか……わからなくなっちゃうから」
ミサキさんが力なく笑ってそう言う。今日はどんよりと、暗い空だった。
***
雨が降り注ぐまどろみ町。授業を終えたレンが大きく伸びをしながら言う。
「ヤオトメ、傘持ってきた?」
「ン……ウウン……わ、忘れちゃった」
「マジ? 俺折り畳みだけど、一緒に入るか?」
「イ……イイヨ。走って帰るから……」
そうか? と心配そうに聞いてくる彼と共に階段を下り、下駄箱のある玄関まで降りる。すると、見覚えのある萌葱色のスカートが映った。
「あ。ヒガン!」
にへ、と笑うサユリ。ヒガンはびっくりして、祖母が作った洋服を着た彼女の元に駆け寄る。
「さ、サユリ!? ど、どうして夢見が丘に」
「雨が降ったでしょ? ヒガンに傘を持ってきたの。へへ、一緒に帰ろ?」
「サユリちゃん、危ないぜひとりで……最近物騒なことが起こってんだから」
ビニール傘を見せて微笑むサユリにレンはそう言うが、彼女は「“メモリア狩り”だよね」とつぶやき、力こぶを作る。
「大丈夫! わたし、腕力あるってメイドさんが言ってたもん。悪いヒトがいたら、ちぎってぽいするから!」
「め、メイドさん? ちゅーてもなぁ……」
彼女が自分の判断で傘を持ってきてくれたのは、すごく嬉しいことなのだけど……なんだかイヤな予感がして仕方がない。
「……んじゃ、俺こっちだから。ヤオトメ、サユリちゃん、またな。気をつけて帰れよ! 絶対だぞ」
雨がしとしと降る町の中を歩き、交差点でレンと別れる。
サユリは「今日は商店街に寄る?」と無邪気に尋ねてくる。
「ウウン……商店街には、今度、ひとりで行く……よ。明日は、ちゃんとお留守番……してて?」
「ヒガン……わたしが約束破って、お外に出て……傘持ってきたの、怒ってるの?」
「ンッ、そうじゃなくて……! それは嬉しかった。じゃなくて……心配……なんだ。君のコト、」
言いながら、少し気恥ずかしくなる。あんまり、サユリに自分の気持ちを明かしていない僕だ。こんなこといきなり言い出して……気持ち悪くないだろうか?
「アッ、それも、違くて……イヤ、違くないけど……」なんてもごもご言っていると、サユリがにへ、と笑って見せる。
「ありがと、ヒガン。でも大丈夫! ヒガンのことも、わたしが守ってみせるから!」
本当に守ってくれそうなパワフルな声に、ヒガンは思わず「アハ……」と声を漏らす。その瞬間だった。
「やっと、見つけた。」
甘い声が聞こえたかと思うと。
二人の間に、形容しがたい“■■”が、ぬるりとまろび出た。
***
だけど、それはもしかしたら夢で。
当たり前だ、この世界に■■なんて存在しなくて。
「探しましたよ、サユリさん」
「…………え?」
おとぎ話の中の天使のように微笑む男性が、ぎゅ、とサユリの手首をつかんでいる。それは、細身の彼の体からは想像できないくらい強い力で。サユリのCPUが大きな音を立てて、危険信号を発するほどで。
「帰りましょうか」
言葉少なく、彼は言う。サユリは「うあ、」と音声を絞り出すけれど。体が、きしむ。思ったように動けない。
「ひ、ヒガンっ」
かろうじて漏らせたのは、大好きな彼の名前。だけど、彼からの返事はなくて。振り返ると、ヒガンはまるで時が止まったかのように呆然としている。
「や、やだっ……離して、ください、」
サユリはそう言う。ヒガンの元に駆け寄りたかった。だけど、足は勝手に男性の後へ続く。まるでそういうふうに“プログラム”されているみたいに。
「何故?」男性は言う。「あなたは僕のメモリアだったじゃありませんか」
「ち、違う……わたしは……ヒガンの、メモリアで」
「それは現在の記録。思い出せませんか? 前回の記録を」
ぜんかい? ぜんかいって、何? サユリのハードディスクが音を立てて唸りだす。度々よぎる、白い手のひらが彼女の唇をなぞる。
「ああ、そうだ。抵抗しても意味はないですよ。僕が次元を切り離しましたから」
言われて気付く。言葉通り、ヒガンだけじゃなくて──男性の周り全てが、止まっているのだ。無数に降り注ぐ雨粒でさえ──
ぞ、とサユリのCPUが悲鳴を上げる。彼は確実に、自分に害をなす。“直感”がそう告げていた。
「や、やだ……やだ、やだぁ……」
「そう、拒まないで。“次はもっとうまくやりますよ”」
彼の声には抑揚がない──それは機械的なものとは違う──ヒトではないという、そんなニュアンスで。サユリの視界が塗りつぶされていく。揺らめく、■■で。
──なにが起こったのか、わからない。だけど、ヒガンの視界には白い男性に連れていかれるサユリが確かに映っていた。
待って……行かないで。その娘は僕のメモリアだ。
目の前に、イバラが映る。彼は真っ直ぐ、翡翠の瞳をこっちに向けていて──不意に、その手で僕の頬を叩いた。
『…………動け、“彼岸”!!』
──雨が降り注ぐまどろみ町。傘を取り落としたヒガンは……正確には手放したヒガンは。男性の腕を、両の手でつかんでいた。
「あ、アナタ、誰、ですか…………」
泣きそうな顔をするサユリが映る。男性は「おや」と囁いた。
「すごいですね、“八乙女 彼岸”くん。端役の癖に、よくここまでがんばりました」
ヒガンの背筋に、感じたことの無い悪寒が走る。だけど、ここでこの手を放したらいけない気がした。がちがち、勝手に歯が鳴る。だけど、目をそらさずヒガンは言った。
「離して、ください。この娘は、僕の、です」
「そうですか」
男性は微笑みを絶やさず、そう言った。
■■が、不意にヒガンの腹を貫いた。
──サユリが何か言ってる。泣きそうな顔して、翡翠の瞳を大きく見開いて、僕に何かを叫んでる。だけど、それだけだ。■■の■が彼女の■■を遮って、男性と彼女は雑踏の中に消えていく。なにが起こったのか分からなかった。僕は、鈍く痛む自身の腹を抑えて──手のひらが、真っ赤に染まっていることに気づいて──倒れ込んだ。きゃあああ、と響く女性の悲鳴が、僕の眠りの合図だった。
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