Chapter4 自分に正直であれ

「これを、こうして……こうっ!」


 ボン! と音を立ててトースターが煙を噴く。


「あ、ああ……!? ダイジョウブ!?」


 何がどうしてそうなったのかはさっぱりだけど、黒煙をもわもわ噴き出すトースターにつられて、サユリもすすけている。ヒガンはびっくりしてサユリの顔を見るが、彼女は大丈夫なようだ。でも、トースターは大丈夫じゃないかもしれない。

 数刻前、ユウが来襲して、帰って行って……時刻は十九時過ぎ。晩御飯の後片付けをして、一息ついて……といったところだ。サユリが突然「ヒガンの朝ごはんを作れるようになる!」と言い出したのだ。

 確かに前、そんな話をした気がする。でも、どうしていきなり……なんて思っているとサユリは「ヒガンのメモリアらしくなりたいの! ヒガンの役に立てるようになりたいの!」と続ける。さっきのユウの言葉に、不安になったのかもしれない。


「べっ……別にいいよ……パンくらい、じ、自分で焼けるから」

「だめ! メモリアはね、持ち主の喜ぶことをできるようになるのが大事なんだよ。わたし、ヒガンの足引っ張ってばっかりだもん……まだ、ひとりじゃ充電うまくできないし……お洗濯も、失敗しちゃったし。……ヒガンが喜ぶこと、なんにもできてないけど……とにかく、これから出来るようにならないといけないのっ」

「そんな……コト」


 ふと、火事の日のサユリを思い出す。あの時の彼女は最高に頼もしくて、最高に格好良かった。まるで、イバラみたいな……いやいや。なんでも、サユリとイバラを結びつけるのは自分の悪い癖だ。サユリはサユリ。サユリと同じ顔をした、ユウが持っていた“LILLY series”がユウに従順なのを見て、ヒガンはそう思うようになっていた。そのユウは、サユリを諦めてくれたのだろうか。爽やかに去っていった彼を思うと、まだなにかありそうな気がして……

 気づくと、サユリが勝手にパンをトースターに入れている。そして、冒頭のシーンに続く。

 ボン! なんて言っていたトースターだけど、どうやらまだ何とか動くらしい。ただでさえカツカツの生活費なので、余計な出費は避けたい。ヒガンが安心していると、サユリはしょぼくれたように「ごめんなさい……」とつぶやく。


「あのね……わたし……ほんとは、もっといろんなことできるんだよ。ボタンだって留めれるし、充電だって一人でできるもん。指示されたことはちゃんとできるように造られてるはずなのに……」


 ぐー、ぱー、と手のひらを握ったり開いたりしながら、サユリは不思議そうに自分の体を見ている。イバラしか身近なメモリアを知らないヒガンは、イバラが一等優れていただけで、普通のメモリアはこんな感じなのかな、とサユリを見ていたので──ふきんを濡らして、サユリのすすけた顔を拭く。


「ほ、ほら。じっとして……」

「うう~っ」


 やわらかくてぷにぷにのほっぺをぬぐってあげながら、また「捨てないで」といわんばかりの表情をするサユリにほだされる感覚がする。これは、ちゃんと伝えてあげないといけない……ヒガンは咳を払う。


「あの、ね。ぼ、僕、君を捨てたりしないよ。も……もう、君は、同居人だし。火事のとき、僕たちを助けてくれた、い、イノチの恩人」

「……ひがん」

「い、いろんなことは……少しずつ、出来るようになろう。ね? ……ね?」


 出来る限り優しく微笑んでみる。けど、もとよりコミュ障の僕だ。一生懸命はにかんでたら、「何で顔ひきつってるの」と言われたことがある笑顔だ。サユリにどう映っていたのかはわからないけど……すると、呼び鈴が鳴る。


(え……誰だろ……おとなりさん?)


 今日は訪問者が多い日だな……なんだか感動しているサユリは置いておいて、ヒガンは「はあい……」と返答しながら、玄関の鍵を開ける。

 扉を開けた先に立っていたのは、メイドさんだった。


「エッ……??」


 いわゆる、クラシカルな雰囲気をまとった侍女の格好をした少女。

 頭にはヘッドドレス、胸元には大きなリボン。靴元までかわいらしく、抜かりない。それになにより、驚いたのは。

 翡翠の瞳に、甘い髪色。彼女はどう贔屓目に見ても、“LILLY series”だ──


「夜分遅くに恐れ入ります、ヤオトメ ヒガン様」


 ぺこり、とお辞儀をする彼女に釣られ、ヒガンも「ど、ドウモ……」とかろうじて返し、お辞儀をした。くすり、と微笑む姿もサユリにそっくりで。……サユリがメイド服を着たら、こんな感じなんだろうか。可憐な雰囲気に、ヒガンは圧倒される。

 すると、彼女はおもむろに手を突き出し──


「ゴシュジンサマからのご命令ですので……サユリさんを、頂きに参りました」


 そう言ったのは聞き取れた。でも、手のひらから高圧のエネルギー弾が出たことで──ヒガンは一瞬その記憶を飛ばすことになる。




自分に正直であれ




 どおんっ!!! ……おんぼろアパートの壁に、焦げ跡がついていた。


(な、なに? 何ッ なに なに……?!?)


 突然の現実離れした光景に呆然とする。シュウ…と手のひらから煙を放つメイドさん、確かにこの事態を起こしたのは彼女のようだ。ヒガンが状況を理解する前にサユリががば、とヒガンの前に躍り出る。


「いきなり何するのっ?! ヒガンがケガしたらどうするつもりなのっ!」

「──あなたがサユリさん。わたしと同じ、“LILLY series”ですね」

「き、きみは誰っ? きみも“LILLY series”なの?」

「ええ。わたしはユウのメイドさんです」


 そう言い、目にも留まらぬスピードでメイドさんはサユリの腕をつかむ。「やだ! 離してよ!!」と叫ぶサユリにメイドさんが勧告する。


「言ったでしょう? ゴシュジンサマからのご命令です。あなたを連れ帰って、ユウに献上します」

「離して! わたしはヒガンのメモリアなのっ!!」


 言いながら、押し問答をするふたりの“LILLY series”。ヒガンは完全にあっけにとられていたけれど、「やだぁ!」と叫ぶサユリに我に返り、慌てて立ち上がりメイドさんの腕をつかむ。サユリの腕を離そうと奮闘するけど、機械の力には全く太刀打ちできない。必死で引っ張りながらヒガンは叫んだ。


「こ、こ、こういう強引な行動は、よ、よくないと思うッ、よ……!?」

「──そうですか? ユウはこういうの、好きなんですけれど」

「うあっ!」


 バシン、と容赦なくヒガンを弾き飛ばすメイドさんは、そのまま玄関の外にサユリを吹き飛ばす。そして彼女を追うように自分も夜の町へ飛び出した。


「きゃあ~っ!!」

「っサユリ……!」


 容赦なく薙ぎ倒されて痛かったケド、サユリの方がもっと大変だ。ヒガンは立ち上がると……少し準備をして、ふたりの“LILLY series”を追って外へ出た。


「……ユウ? いま、お願い事をこなしてるところだよ。サユリさんを連れて帰ればいいんだよね。そしたら、なでなでしてくれるんだよね」


 月明かりの下、耳元に手を添えながらメイドさんがそう言う。どうやら、持ち主と会話しているようだ。道路にばたん! と倒れたサユリだけど、流石メモリアだ。痛みなど感じていないようにすぐ立ち上がる。


「このお洋服、大事なの! 汚したりしたら許さないんだからっ……!」

「ん……ユウ、またあとでね」


 通信を切りメイドさんがサユリの前に立つ。


「あなたが抵抗しなければ、大切なお洋服も汚れないで済みますよ」

「やだよ! さっき、わたしをユウのとこに連れていくって……言ってるでしょ、わたしはヒガンのメモリアなの!!」


 振りかぶるメイドさんの拳を何とか受け止めて、サユリが言う。メイドさんの攻撃は重たいようで、サユリが踏ん張った場所には跡が残っていた。


「ううううっ……!!」

「わたし、いつもユウにカスタマイズしてもらっています。旧型機ですが、性能は第七世代に引けを取りませんよ。……その点、あなたの体はどうやら第二世代のまま。多少は改造されているみたいだけど……? わたしの足元にもおよびません、ねっ」


 メイドさんの華麗な蹴り技に少女の小柄な体躯は吹き飛ばされる。ずざざ、と道路を転がるサユリ。


「観念してください。ユウは決してあなたを悪いようにしませんよ。彼は“LILLY series”が大好きなだけの、やさしい男の子ですから」

「どこがやさしいんだよっ……!」


 悲鳴に近い声を上げながら、サユリはメイドさんの猛攻をすんでのところで避け続ける。鋭い拳を躱す度、ぴっと衣装がほつれるが、今はそれを気にしている場合じゃない。


「あなたこそ、あんなヘタレな男の子をゴシュジンサマだと言い張るなんて、変わっていますね」

「ヒガンのこと、悪く言わないで! ヒガンは……わたしを捨てないって言ってくれた……! やさしいヒトなんだからぁ!!」


 サユリが拳を思い切り振り上げ、正拳突きを繰り出す。無駄なく躱すメイドさんの後ろの壁に、ボコンッ!! と大きなへこみが生まれる。


「あら、なかなかの出力ですね。“LILLY series”は通常、同年代の女の子と変わらない腕力設定のはずなのですが」

「知らないよっ……! ええいっ!!! ……うわっ!」


 サユリの回し蹴りも少ない動作でかわすメイドさん。慣れない蹴り技でそのまま軸をぶらし、サユリは転倒してしまう。メイドさんがクス、と笑う。


「でも、戦闘経験は全然足りていないようですね。勝負ありました──」


 ダメ、メイドさんの言う通り! わたしにはいろんなメモリが足りてなさすぎる。拳を振りかぶるメイドさんに、サユリはぎゅっと目をつむる。

 がっ!! という音がして、サユリが恐る恐る目を開く。そこには──


「……あら。ヘタレさんの割に、頑張りますね?」


 メイドさんの腕がサユリに届かないように、持っていた箒の柄を絡ませて……ヒガンが踏ん張っていた。


「うぐっ……さ、サユリ、嫌がってるから……やめてよ……ねッ……ねっ……?」

「平均的な男子高校生の腕力ですね。その程度では、わたしは止められないですよ」


 余裕を見せて笑うメイドさんはぐぐ、とヒガンを押しのけようとする。だけど、ヒガンは目に涙を浮かべながらそれに食らいついている。


「ひ、ヒガン……!」

「さッ、サユリ、逃げてっ……こんなのに、捕まっちゃダメだ……!」

「や、やだ!! ヒガンを置いて逃げられないっ……!」

「ふふ、素敵な主従関係。でも、わたしとユウの方が……もっとすごいんだから」


 みし、と箒の柄に亀裂が走る。

 もうダメだ、ヒガンのココロが諦めに傾きだした瞬間。


「よう、頑張ってるな、坊主」


 この場に似合わないくらい、朗らかな声が響いて──

 メイドさんの胸元に、ナイフが突き刺さった。


***


「っ……!」


 よろけるメイドさん。だけど彼女もメモリアなので、血などは流れたりしない。なにが起こったのかわからないヒガンとサユリに──長く黒い髪を結わえた男性が飄々と近づいてくる。


「“気弱な子だから”……なんて雇い主は言ってたが。女の為に頑張る根性はあるみたいで、感心感心。」

「あっ……なたは……誰?」


 目まぐるしく変わる状況にヒガンがかろうじてそう声を出すと、男性は首を回しながら、メイドさんの胸元のナイフを引き抜く。


「俺か? 俺はドクゼリ。ドクゼリ ジョウ。──万屋やってる。いうなれば、なんでも屋さ」

「うあっ……!!」


 苦しそうな音声を出すメイドさん。胸元は刃を引き抜かれる際に軽く抉られ、ぱっくりと中身……もちろん機械だ……が露わになっている。

 ドクゼリと名乗った男性はニヤリと笑いながら続けた。


「まあ、機械をいたぶる趣味はないんだけどな。俺が好きなのはニンゲンの生身さ。血が出ないってのは、盛り上がりに欠けるねえ」


 ぐら、と倒れるメイドさんを思わず抱き留めるヒガン。サユリも立ち上がり、ヒガンの後ろに隠れている。


「……と、そんなビビった顔すんな、ヤオトメクン。それにサユリチャン、だっけ? 今回の俺たちの役割は、お前らのお守りだよ」

「お、お守り……?」

「おじさ~ん! 待ってよ……!」


 ヒガンを見て悪戯っぽく笑うドクゼリ。そんな彼の後ろから少女の声がかかる。


「アジサイ。トロいんだよお前は……もう俺がひとりでやっちまった。お前の存在意義が疑われるな?」

「おじさんが規格外なだけよ! あたしだって、本気出せばすごいんだから……こいつらがヒガンとサユリ?」


 猫耳がついたフードを被った少女が駆けてくる。

 走ってきたのに、息を一つも乱しておらず、どこか抑揚のない声を察するに──


「き、きみもメモリア?」


 サユリがその疑問を口にする。ふたりの目線に気づいたアジサイは「ふんっ」と目線をそらす。どうやら、気難しい個体のようだ。


「はな、して…… ユウ以外に支えられるなんて、クツジョク、」


 胸元をショートさせながらメイドさんが言う。だけど、ヒガンは「む、ムリしないで……本当に、こ、壊れちゃうよ」と答え、彼女をやさしく横たわらせた。


「さて……こんなやんちゃをする“サクラ ユウ”クンに、一応警告しておかねえとな。メイドの嬢ちゃん、通信してくれ」

「だ、誰があなたなんかの指示……」

「おお、機械らしからぬ柔軟な思考。サクラクンも立派な改造厨みたいだな……何にもしねえよ。ちゃんとお前も、サクラクンとこに返してやるから」


 にし、と笑うドクゼリはどこか少年のような面影を持っている。ややあって、メイドさんは観念したように通信を始める。


『……リーリちゃんに、ずいぶんひどいことしてくれましたね』

「よう、サクラクン……先にヤオトメクンたちにひどいことをしたのはキミだろ。おあいこ、おあいこ」


 けらけら笑うドクゼリに『僕に連絡を取った用件は?』とユウが淡々と尋ねる。


「キミが喉から手が出るくらい欲しがってるサユリチャンについてだよ。いいか? キミの思うように彼女は特別な“メモリア”だ」


 いつの間にかヒガンに縋るようにサユリが寄り添っている。ドクゼリの言葉に、サユリのヒガンの腕をつかむ力が強くなった。特別な、メモリア。やはり彼女は、ユウが見せてくれた“都市伝説”の主なんだろうか──?


「サユリチャンは、特別な“プログラム”を持っているんだよ。俺の今回の仕事はそれを守る事さ。頼まれたんでね。──んでな? 重要なのはその先だ。それは政府が噛んでくるレベルのエグいもんで……キミみたいな少年が抱えるにはデカいシロモノなんだよ。言ってる意味が分かるか? わかるよな。キミ、そういうのに詳しそうだし」

『……脅しですか?』

「真実を教えてるだけさ。サユリチャンを手に入れたいがために、自分のコレクションが壊れていくのは見たくないだろ?」

『……』


 ユウも黙り込む。ヒガンがドクゼリの言葉にびっくりしていると、ドクゼリはその底の見えない漆黒の瞳をヒガンに向けて来た。


「キミにも言ってるんだ、ヤオトメクン。──サユリチャンを所持し続けるってことは、今回みたいな……イヤ、今回よりも酷いかもな──とにかく、デカイ事件に巻き込まれることにつながるかもしれねぇ。大人しく、彼女を俺たちに引き渡すつもりは無いか? その方が、キミの人生は平穏でいられるハズだ」


 どきん、と心臓が鳴る。僕が、前々から予期していたこと……“な、なんだか大変なことになっちゃったぞ”……それが現実になっているのだ。サユリは、ただのイバラにそっくりな──普通の“LILLY series”ではないのかもしれないと。ヒガンは出会ったばかりのサユリの怯えた瞳を、あどけない顔立ちを、充電しようとしてコードに絡まる姿を、火事に巻き込まれた自分を助けてくれた時の勇敢な姿を、思い出す。ユウに詰められ、「ヒガンならわたしを大切にしてくれる」と啖呵を切った彼女を──


「…………」


 ぎゅう、と胸を寄せられて気付く。サユリが、不安げな瞳で自分を見上げている。その翡翠の色には寂しさが滲んでいて。


「…………」


 こんなの、拒否出来るワケないじゃないか。こんな悲しそうな瞳で自分の腕をつかみ──「わたしはヒガンのメモリアなの!」と健気に奮闘する彼女を、自分の身が危ないからという理由で「どうぞ」と渡せるほど、ヒガンは薄情者ではなくて──


「……い、い、イヤ、です……!」


 深呼吸して、一生懸命言葉を紡ぐ。大きな声にならないように、小さすぎる声にもならないように。自分にその疑似体温をすり寄せる、サユリを守るように。


「こ、この娘は、僕の“メモリア”だから……。僕のものは、僕で、ま、守ります……!」


 ドクゼリは厳しい顔をしていたけれど……「しょうがねえな。ヒトのモンを奪い取る趣味もないんでね」と言い、立ち上がる。


「依頼内容は“サユリチャンの保護”だ。そのサユリチャンの所持者のヤオトメクンも、守らないといけなくなっちまったな」

「ええ? おじさん、ホントに受け入れちゃうの? サユリを依頼主に渡せば終わりなんじゃないの!?」

「うるせぇなぁ、アジサイ。依頼はしっかり誠実に受けないと、次に繋がらねえんだよ。ただでさえお前の維持費でカツカツなんだ。大人しく従え」

「ううっ……! わ、わかってるったら! んもう……ほらっ、受け取りなさいよ」


 アジサイはポケットから黒い名刺のようなものを取り出す。それを、ヒガンに受け取るように促した。


「うちの名刺。連絡先も全部載ってるから……ヤバいことになりそうだったら連絡してよね。あたしとおじさんが解決したげるわ」

「さて、サクラクン……キミの愛するメイドさんも返還しないとな。住所は彼女に聞けばいいか?」

『……はい。リーリちゃんを宜しくお願いします』


 ぷつ、通信が切れる。アジサイがメイドさんを抱き上げ、「んじゃ、さっさと行きましょ、おじさん」と声をかける。

 しゃがみこんでいたドクゼリはしばらくヒガンとサユリを見ていたが、「俺らも面倒なことに巻き込まれちまったかもな」そう言いながら立ち上がる。


「いいか、ヤオトメくん。キミが言ったように、自分のモンは自分で守れ。それが、男ってヤツだ」


 そうして、彼らの足音が遠くなり──ぼんやりした様子でそれを見ていたヒガンだったけど。不意に、サユリがヒガンに抱き着いた。


「わぁっ……!! な、なぁにッ」

「んーん……! ヒガンはやっぱり、いいヒトだなって思って! わたし、ヒガンに拾われてよかった!!」


 ぎゅむぎゅむと抱きしめられ、息が苦しい……さりげなく頬にキスを落とされ、ヒガンは湯でダコのように真っ赤になっていた。

 ──いつだったかな。イバラが言っていたんだ。


『お前、体操着入れ取られてたことがあったろ。いつまでもあんなんじゃダメだ』

『自分の大事なもんは、自分で守れるようにならないと。泣いたっていい、しょげたっていい。でも、一度決めたことは曲げるなよな』


(……イバラ。僕、がんばるよ……)


 何の気なしに、サユリの細い体躯を抱き寄せる。サユリがどきどきしたように、自分を見上げていることに気づかないで──


***


『桐ヶ峰教授! その“Re:ココロプログラム”というのはどのようなものなんですか?』


 記者会見の中で、無知なメディアから質問が飛び交う。立派な白髭を蓄え、黄色の遮光グラスを掛けた教授は、その問いにニヒルに笑って見せた。


『それはもう。いずれ、分かるようになります。これは、皆さんの“メモリア”とも、切っても切り離せない問題ですので……』


 その記者会見のセンターには、黒髪の少年の素体が美しく鎮座していた。

 情報が切り替わったため、テレビの電源を切る。そうか、ニホン政府はこのように動いてきたのか──。


「……レイ、大丈夫かい? まだ病み上がりだし、無理はしない方が……」


 イズルがそう言う。フラワレットの店長は微笑みながら、「大丈夫よ、イズルさん」と答えた。


「彼女は──わたしの愛しい子どもだもの。どんな形になっても、必ず守って……見届けるわ」


 椅子から立ち上がり、彼女も店先へ出ていく。

 テーブルには黒い名刺が置いてあった。


***


「ヤオトメクン、先日はどうも」


 不意に声を掛けられ、振り返った先にはジャージを着こんだユウがいた。にこり、と微笑まれて、ヒガンはびっくりして、移動先の教室で行われる予定の授業の教科書を取り落としてしまう。


「お、サクラ。B組の次の授業、体育?」

「うん。僕はいつものように見学だけどね」


 ヒガンの落とした教科書を拾いながらレンが無邪気にそういう。ユウも昨日と変わらぬ柔和な笑顔を浮かべていて──それが、逆に怖い!


「ちょっとヤオトメクンに用があってさ」

「そーいえば、昨日ヤオトメんち行ったんだっけ? いいなー。俺も誘ってくれよ!」

「レン、用事があるって言ってるでしょ。ちょっと離れて」


 レンを乱雑に押しのけながら、ユウは微笑みを崩さない。ああ、どうしよう。メイドさんの弁償代とか求められたら。でもあれ、やっちゃったのはドクゼリさんで……

 ユウは軽やかにまた、ヒガンの耳元に口を寄せると……言った。


「昨日は大変だったね」

「う、ウンッ……?」

「君の決意は聞き届けたよ。それでも、僕としてはサユリちゃんが欲しいんだ」

「アウ……」

「だから、僕は今後も君たちに近づくよ。精々、掠め取られないように警戒してね?」

「ウ、ウウウ……」


 こ、こわい。この子、怖い。その黄金の瞳も妖しく笑っていて……目がガチだ。終わった。ヒガンがその瞳に涙を浮かべる前に、ぱ、と体を離したユウはくすくす笑いながらふたりに言った。


「それじゃあ、“ヒガン”、レン。またね」


 颯爽と立ち去っていくユウに「あいつ、相変わらず無駄に爽やかだな」とレン。

 だけど、彼の湿度を身をもって知ってしまったヒガンはただ、背筋を凍らせていたのだった。

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