Chapter2 なんてことはない、日常?
『ぴぴぴ、ぴぴぴ……』
朝日がカーテンの隙間から差し込み、時計の音が鳴り響く。ああ、いつも通りの朝がやってきた──なんだか布団の中が、いつも以上に暖かい。ヒガンは「う〜……」なんて漏らしながら、布団にさらに深く潜ろうとする。だけど、おかしい。明らかに自分以外の誰かがいる──うっすら、まぶたを開く。そこに映ったのは甘い髪色。
「ウッ……!!」
思わず、すっとんきょうな声が出る。まるで自分の腕に抱かれるように、女の子が寝転んでいる。ぐっすりと“スリープモード”に入っている彼女を起こすわけにもいかず、ヒガンはなんとか悲鳴を最小限にとどめ、ドッ、ドッと鳴る心臓をそのままに天井を見上げていた。
(えっと……? きのう、なにがあったんだっけ……!?)
ゆっくり、記憶を呼び起こす。昨日は……そう、昨日は。
初恋の人と、唐突にお別れした日だ。
なんてことはない、日常?
「おはよ、ヒガン!」
屈託のない笑顔を見せる彼女は、ニンゲンではない。彼女──サユリは人型端末“メモリア”……だけど、その作りは非常に精巧で。いまもまぶたをこすりながらあくびをする彼女を、本物の女の子と見分けられる人はどれくらいいるんだろう。
ヒガンの記憶はどんどん鮮明になっていた。初恋の人……“彼”もメモリアだ……は、故障で帰らぬ機械になってしまった。それを聞かされたヒガンは、いつも通り祖母の入院する病院に行き……さめざめと泣き。帰り道で、ぼろぼろのサユリを拾ってしまったのだ。この、初恋の人そっくりのメモリアを。
「う、ウン……オハヨ……」
「よく眠れた? さっそく“添い寝機能”を使ってみたんだけど……」
「そ、添い寝機能???」
「うん。メモリアの使い方って、色々あるんだよ。普通に電子端末として使うヒトがいれば、本当のニンゲンみたいに扱ってくれる人もいて。わたしたちがホンモノのヒトみたいにあったかいのも、そういうヒトたちの為に向けた機能なんだって。……へへ、誰が教えてくれたんだったかな? 忘れちゃった……」
説明を続けながら、もぞもぞと布団から這い出るサユリ(ヒガンは彼女を起こさないように布団から飛び出した後だったのだ)は、昨日と変わらぬ格好をしていた。ぶかぶかの上着を羽織って、緩い胸元がちらついて。柔らかな肢体とふにふにの胸を押し付けられていたことを思い出して──
ヒガンは「~~~っ」なんてへんちくりんな声をあげながら、サユリをとがめる。
「あ、アリガト……?! でも、添い寝とか、そういうのいらないから! 君用のお布団、あったでしょ。今度からは、そ、そこで寝て! ねっ。……ねっ?」
ヒガンは気付く。ああ! また余計な一言を言ってしまった。昨日反省したばかりだったのに。すると、サユリは「ごめんなさい……」としょんぼりうつむく。
「でも、その……メモリア第二世代って。ちょうど、“ヒトとの触れ合い”が重視されるようになった型で。いろんなことができるの。……そう、いろいろ。……だから、ヒガンもそれがいいのかなって、思って……」
「あああ! ご、ごめん……ごめんったら。ほ、ほら、そのお話は、置いといて……布団畳むの……手伝って。朝ごはんにしよ……ね。ねっ?」
こういうとき、どう反応していいかわからない。ヒガンは立派なコミュ障だったからだ。とにかく自分の失言は置いておいて、サユリを促す。新たな“命令”を得たサユリは元気になり、「うん!」といいながら自分用に敷かれた布団をたたみはじめた。
自分以外の誰かがいる朝って、久しぶりかも……ヒガンはなんとなくそう思いながら、自分以外の温もりが残る布団をたたみ、いつものクセで部屋の隅に足蹴する。
あ、ちょっと行儀悪かったかも……なんて思うのは、やっぱり彼女がよくできたヒューマノイドであるからで。
「あ、あれ? あれ? ……ヒガン、どうやってたたんだの?」
頭から湯気を出しながら、布団をめちゃくちゃにしているサユリ。ヒガンは「えっと……」なんて言いながら、結局彼女の分の布団も畳んであげるのだった。
***
おんぼろ部屋の小さな窓から外を見て、はしゃぐサユリを横目にヒガンはパンを焼く。マーガリンを塗って、砂糖をまぶして、パンの完成だ。良い感じの焦げ目もついて、素朴だけど美味しそう。
「えと……食べる?」
「え……わたしのために用意してくれたの?」
サユリが瞳をまたたかせる。だけど、またしょんぼりとうつむいた。
「ありがと……でもわたし、メモリアだから……ごはん、食べられない……」
「あ、……そ、そっか。い、いいよ、明日の分にするから」
「ごめんね。それにそういうのも、わたしのお仕事なのに……」
サユリが申し訳なさそうに見上げてくる。が、すぐ気を取り直し「わたしにもパンの焼き方、教えて? 次からは、わたしが準備する!」と息巻いて見せた。
「あ、アリガト……でも、今日はもう時間ないから……また、こ、今度。」
言いながら、ヒガンは自分の言葉を反芻する。朝も使った「今度」という言葉。
(ぼ、僕……サユリのことどうする気なんだろ。どうしたらいいんだろ。い、一緒に……暮らす……、のかな?)
とりあえず、朝ごはんを食すことにする。少し冷めたトーストだったけど、かじるとサク、と小気味良い音が響いた。その音は、朝であることを加速させるみたいだ。
テレビもなんにもない殺風景な部屋なので、ヒガンはぼんやり外を見ながらパンを食べ進める。スズメがちゅんちゅんと鳴いている。ここだけみたら、なんてことはないいつも通りの朝。「きゃっ」なんて、愛らしい悲鳴が響くまで。
「あうう……」
見ると、どうしてそうなったのか……充電コードでぐるぐる巻きになったサユリがいた。柔らかな身体にコードが食い込んで、サユリはわーんと、じたばたしている。ヒガンはパンを置いて慌てて立ち上がる。
「ど、どうしたの。どうしてそうなったのっ……?」
「わ、わたしも……充電しようって思って……、で、でも手間取っちゃって……」
「い、言ってくれれば、僕がするのに……」
もう何度目かのしょんぼりサユリをよそに、コードを解くヒガン。いやでも彼女の細い体躯に触れなくちゃいけないから、ドキドキしたけれど……無事コードを巻き取り、昨日と同じように差し込み口にコンセントを差し込む。
「ありがと……うう、わたし、ダメダメだね」
ひとりつぶやくサユリをよそに、ヒガンはまじまじと彼女を見てしまう。やっぱりきれいだ……機械とは思えない、という意味で。さっきの行動で胸元がさらに緩んでいる。困ったけど、そこを指摘するのも気まずい気がして……ヒガンは再び定位置に戻り、パンをかじることにした。
「ねえ、ヒガン……わたし、今日は何したらいい?」
サユリがそう言う。ヒガンは「う、」と口ごもるが、そりゃあそうだ。彼女はメモリアなのだから、指示を待つのは当たり前だった。たしか、通学先の夢見が丘学園はメモリアの持ち込みは厳禁だったはず……色々考えて、ヒガンは言う。
「ぅ、うん──お留守番、してて?」
「お留守番……うん! わかった」
頷きながら、にへ、と笑うサユリ。どうしよう。世の中、メモリアと外出するのも当たり前のご時世だ。でも、今のサユリの格好では、お出かけすらままならないだろう。お洋服、買ってあげるべきなのかな。今月の生活費、どれくらい余ってたっけ?
悶々思想にふけるヒガンにサユリがさらに尋ねる。
「お留守番中に、しておいてほしいことはある? お洗濯とか、お掃除とか」
「ン……!? と、特にない、カナ……」
いつの間にか、サユリが自分の近くにいる。あどけない表情と、初恋の人──イバラにそっくりな顔立ちと。首をことんとかしげる姿は、かわいらしいお人形のようで(メモリアだけど)。
「わたし、ヒガンのメモリアだよ。なんでもするから、教えて?」
一時の情に任せて、とんでもないものを拾ってきたのかもしれない──ヒガンはそう思い始めていた。だけど、真摯に“指示”を待つ彼女を見ていると、申し訳なさに襲われた。
「んと……じゃあ、昨日の僕の……シャツとか、靴下とか……洗って、干してくれてたらうれしい……な」
「!」
なんとか指示をひねり出し、伝えるとぱあっと表情を華やがせるサユリ。「わかった! ぴかぴかにするね!」なんてはしゃぐ彼女を見ていると、メモリアは本当に「ニンゲンありき」で動いているんだということを感じる。
(イバラも、そうだったのかな……)
思い出す。イバラはこんな愛想は無い機体だった。だけど、ヒガンが花屋に寄る頃には、いつも軒下に立っていて……ヒガンのなんてことない話をいつも聞いてくれていて……優しかったことを思い出す。やっぱり、メモリアはニンゲンありきだ。
ちょっとココロが優しくなったヒガンは、はしゃぐサユリに続ける。
「き、今日は、用事、な、無いから。学校、終わったら、商店街に寄って、す、すぐ帰ってくるから……」
「ほんと? わかった! 待ってるね」
にこにこ笑う彼女は、きっと愛らしく振る舞うよう構成されているんだ。ヒガンは必死にそう思うようにして、パンを平らげる。牛乳を飲んで……朝の支度をすべて終えて。「い、いってきます」と家を出たのだった。
***
「おはよー、ヤオトメ」
なぜか、いつも話しかけてくれる生徒がいる。名前は確かヒビヤ、ヒビヤ レン。
ヒガンはどんくさくて吃りがちで、高校生になってもどこのグループにも入れず、孤立気味だった。そんな相手に好んで話しかけてくるのは彼くらいなもので、他人を覚えるのが苦手なヒガンも、彼の存在は何となく認知していた。
「お、おはよ……ヒビヤクン」
「朝っぱらからココロここにあらず、って顔してんなー。なんかあったか?」
「う、ウウン……なんにも……」
初恋の人そっくりのメモリアを、拾って帰ってきてしまったこと……それに付随する一連の出来事なんて、同級生に言えるはずがない。出来ているかわからない愛想笑いをしながら席に着く。するとレンが言う。
「そういえば聞いてくれよ! 俺んちもとうとうメモリアが来た!」
「メッ……メモリア?」
「そーだよ! 親父とお袋が買ってきたんだ!」
本当に嬉しそうにするレンは、以前から同級生の話を聞く度、「メモリアほしいぜ〜」なんて言っていたのだ。願いが叶ってよかったね、と思いながらも、喉に言葉が引っかかってうまく反応ができない。するとレンは「見せよっか?」なんて言ってカバンを漁るのだ。何を? 写真?
「ほら、ヒマワリ! 挨拶は?」
すると彼が取り出したのは──小型のメモリア……携帯端末の純正進化品だった。
「は、……はじ、めまして」
オレンジ色の髪をした、愛らしい女の子の型だった。机の上に置かれたメモリアはぺこ、とお辞儀して、すぐレンの元に駆けていく。
「かわい〜だろ〜、恥ずかしがり屋なAIらし〜んだよな〜」
なんて言って“ヒマワリ”と呼ばれた彼女を抱えるレン。一連の流れにヒガンがぱちくりしていると、他の生徒たちが集まってくる。
「あ、ヒビヤ! 学校にメモリア持ってきたらダメなんだよ!」
「いいじゃんミサキ、内緒にしててな!」
「お前そんな趣味あったのかよ! 小型じゃん」
「だからー、親が買ってきたんだって! まだ高校生だから小型がいいだろって。まあ俺も本当は標準サイズ欲しかったけどさ……第七世代だぜ! チョー最近! しかもかわいいだろ!」
そうか。イバラやサユリが標準サイズなだけで──メモリアにはいろんなサイズのものが存在する。提携しやすい小型サイズから、ヒトを超えた大型サイズのものまで。
拾ったサユリが普通のヒトみたいだから、すっかり忘れてしまっていた。
好奇心旺盛なみんなに囲まれて、ヒマワリは恥ずかしそうに顔を伏せてしまっている。すると、レンが慌てたように「お〜ヒマワリ! 怖かったよな! ごめんな、急に出して……」なんて言って彼女に頬ずりするのだ。誰が見てもわかるくらい、彼女を溺愛していた。
「ヒビヤにそんな趣味あったなんてなー」
「お前らだってメモリア、持ってるだろ! 俺のは小さいけど、お前らのと同じくらいかわいいってだけだ!」
「かわいいって! ……機械だぜ?」
「機械でもなんでも、かわいいもんはかわいいだろ!」
機械でも、なんでも──
イバラのことを思い出す。ヒガンが感じていたのは、可愛いというよりはかっこいいという印象だったけれど。イバラのこと、ヒビヤクンになら紹介してあげてもよかったのかも。なんとなくそう思ったけれど、同じように思い出すのはサユリのこと──いやいや、彼女は初恋のメモリアに似てる型、それだけ。
確かに振る舞いはかわいいけれど……いや、そうじゃない。
「ったく、侘び寂びがねーやつらだぜ」
生徒たちが散っていったあと、ヒマワリを抱えながらレンが納得いってない様子でそういう。だけど、彼らしくすぐ話題を切り替え言った。
「そういえばヤオトメはメモリア持ってる?」
「ンッ……!? 持っ、て、ない、カナ」
「マジ? 今のご時世、一機くらい持ってた方がいいぜ。連絡もできるし、インターネットもできる! ……かわいいしな!」
嬉しそうに語るレンに、なんとも言えず引きつって笑うヒガンなのだった。
***
授業が終わり、学校を出る。ヒガンはニンゲンなので、食糧が必要だ。
料理はあまり得意ではない……というより、祖母が教えてくれた煮付けなどしか出来ない……ヒガンにとって、商店街の惣菜は貴重な生命線だった。朧プラザより安いし。
「ヒガンくん、いらっしゃい。いつもの?」
「アッ、ハイ……い、いつもの……にっ……」
もうすっかりここの常連なのに、いまだに敬語が取れず、吃ってしまうのはヒガンの性格によるものだった。店番のおばさんは気さくに話しかけてくれるのだが、そんな相手にうまく答えられない自分が申し訳なくて、結局吃ってしまう。
思わず「二個、」と続けそうになって、中途半端に口籠る。そうだ、サユリには要らないんだった。彼岸はメモリアとの縁が薄かった。ほぼイバラとしか話したことはなくて、そのイバラも非常にニンゲンらしいメモリアだったのだ。朝もそうだけど……サユリを「ヒト」として無意識にカウントしてしまうのも、仕方ないことだった。
「にっ? じゃあ、おまけつけとくね」
「アッ、ハイ……あ、アリガトウゴザイマス」
おばさんの好意で数が多くなったコロッケを袋に仕舞う。きっとサユリはまた「食べられなくてごめんね」としょんぼりするはずだ、それを思うと切ない気持ちになる。まあ、食費は増えてないわけで、それはいいかな……
「そうそう、うち新入りが入ったのよ。ほら、メモリア! 高かったのよ〜、でも、人手も足りなかったから助かるわ」
「あ……そ、そなんです、か」
「はじめまして、よろしくお願いします」
「ヤオトメ ヒガンくんよ。いつもウチにコロッケ買いに来てくれるの。太客だから、しっかり覚えてね」
「承知しました」
店の奥から出てきたのは、きれいに整った顔立ちの女性型メモリアだった。にこりと微笑む彼女。ヒガンは、イバラ以外を意識してなかっただけで、周りはメモリアだらけであることに気がついた。
メモリアがニンゲンありきなように、ニンゲンもメモリアに頼り切って生きているのだ。それは、イバラにたくさん助けてもらっていた僕も同じで──
にへ、と笑うサユリを思い出す。……いや、彼女に助けてもらったことは、まだないな。
惣菜屋を出て、イバラがいたお花屋さん──「フラワレット」にでも寄ろうと思っていたところだ。もっと、イバラの話を聞きたいと思ったからだ。サユリには寄り道しないと伝えてしまったけど、少しくらいいいよね。そう思っていると、カーン、カーンと甲高い音がする。ざわめく人々に、ヒガンも気になって音のする方へ顔を覗かせる。駆け出してきたおじさんが叫んだ。
「火事だ! 三丁目の花屋のビルから!」
──頭が真っ白になった。
花屋のビル、三丁目って。「フラワレット」しかないじゃないか!
ヒガンは思わず駆け出していた。
***
「あわわわ…………どうしよう…………!」
現在進行形で、サユリは慌てていた。洗濯機から、とめどなくあふれ出す泡、泡、泡。朝、ヒガンがくれた指示をこなそうとがんばっていたところだったのに。
本当なら、いまごろヒガンのシャツや靴下を干しているはずなのに……何を誤ったか、サユリは大事故を起こしてしまっていた。予期せぬ事態に、頭の中でワーニングコールが鳴っている。きっとヒガンも呆れるだろう。
サユリは自分でも、己が「最大限のパフォーマンス」が出来ていないことを察知していた。メモリはきれいさっぱり消えていて、機能も初期設定に戻っているはずなのに、なにかが“怖くて”体がきしむときがあるのだ。
……なんやかんやあって、自分を拾ってくれたヒガンは優しい。最初こそびっくりしたけれど、「自分を起動してくれたヒト」への愛情がすっかり塗り替えていた。
サユリはヒガンのものなのだ。全力で、尽くさなければならない。それなのに、こんなこと。“また”捨てられても仕方ないかも……そう思うと思考がショートしそうになる。
(と、とにかくお掃除しないと!)
でも、この部屋に何があるのかすらわからない。思考がオーバーヒートし、サユリはしばらく固まっていた。すると。
カーン、カーン、という音が響き渡る。
「な、なあに?」
次から次へと起こるイレギュラーに、サユリは自分の中の情報を探すけど、すっかり欠けたハードディスクにはほとんどの情報が入っていない。
もっと視覚的に情報を得ようと、窓を開けて外を見ると、焦げた匂いが鼻孔を通り抜ける。
「あれ……火が上がってる。火事だ……!」
ヒガンと祖母の家は商店街の外れにある、古ぼけたアパートの二階だった。窓からは、火が立ち上るビルの姿がよく見える。サユリはすこしだけ蓄積されたメモリの中を探る──商店街に寄って帰ると言っていたヒガンのことを思い出す。
もはや部屋は惨憺たる有様だったけれど。それよりも、ヒガンの身に危険が及ぶ予測ばかりが頭に膨らむ。すると、居ても立っても居られなくなる。
「ヒガンが危ない? たぶん……きっと!」
そう判断したサユリは、窓から飛び出そうとする。
けれどもう一つのことを思い出す。
『ぅ、うん──お留守番、してて?』
ヒガンはサユリに「お留守番」を指示したのだ。
どうしよう。ヒガンの指示は守りたい、お洗濯とお掃除をきっちりやり遂げたい。でもヒガンのことを助けたい。はやる気持ちを抑えられなかった。思考が相反する中、サユリは──自分を拾ってくれた、彼の無事を確かめることを選んだ。
「えいっ!」
どんっ! と窓から地上へ飛び降りた少女の姿に、たまたま道を歩いていた男の人がギョッとする。
「えっ!? そ、空から人が……ていうか、服ちゃんと着なね!?」
「ごめんなさい! ヒガンには内緒にしててっ」
サユリはペコリと頭を下げると──火柱に向かって走り出す。ちゃんと着られていない服の合間から見えるむき出しの機械の関節で、男の人は彼女が「メモリア」であることを理解した。
「ず、ずいぶん古い型だなぁ……?」
***
油断した。最近の私といったら、守るべきものすら守れず、足踏みしてばかりだ。
「こほっ、こほっ……」
「大丈夫かい、レイ……!」
煙が立ち込める店内で、とうとう「フラワレット」の店長が咳き込み、うずくまってしまう。メモリアの男性店員──イズルが彼女を支えるが、煙を吸いすぎた彼女の意識は朦朧としていた。
「……ダメ……あなただけでも逃げて」
「そんなこと出来ない! 僕は君のメモリアだ……君を助けてあげなくちゃ」
煙を吸っても、火に触れても…すぐに害はない機械であるメモリア。だけど、店長は違う。ニンゲンである彼女は、簡単に壊れ、ダメになってしまう! イズルは極めて冷静に、熱くなった頭で打開策を考えようとした。そこに声がかかる。
「店長さんっ!」
「き、君は、ヒガンくん──」
「ごほっ、早く! こっちに、消防の人たちがいるから……!」
ハンカチで口周りを抑えて、少しでも煙を吸わないようにしたヒガンが、必死でイズルと店長に手を伸ばす。店の出口まで向かおうとした三人だったが──
「わっ……!!」
燃え切った柱が落ちてきて、完全に出口へのルートがふさがれた! 「大丈夫かー!!」という声と共に、懸命な消火活動が行われているのはわかる。
だけどヒガンは思った。
『僕、死ぬ──?』
周りの制止を振り切って、燃え盛る「フラワレット」に飛び込んだのが僕だ。幼い頃から通い詰めて、店の構造はよくわかっていた。だから、すぐに出れば助けられると思った。なにより、知ったヒトを失うのは怖かった。イバラみたいに、あっけなく居なくなってしまうのだと。だから、だから──
だけど、そんなのただの思い上がりだった。店長とイズルさんすら助けられず、僕はここで死ぬんだ。ごめん、おばあちゃん。死に目に会えなくて。
思いながら、ヒガンは考える。死んだ先には、イバラはいるだろうか、と。
「ヒガンーーーっ!!」
まだ聞き慣れない、可憐な声が響く。
倒れた柱を思い切りどかして、彼女はやってきた。
「さ、……サユ、リ?」
「ヒガン、ヒガン! こんなところで死んじゃだめ! わたしが来たから、もう大丈夫!」
サユリが燃え切れのような服を纏い、そこにいた。お留守番をお願いしていた彼女が、なぜここにいるのかわからないけれど。
「あなたもメモリア? ここから出られるから、その人を連れて逃げて! わたしたちもすぐ行くから!!」
「あ、ああ……! ありがとう、お嬢さん!」
意識が朦朧としている店長を抱え、イズルは礼を告げると、サユリが確保した道をすばやく駆けていく。ヒガンも手を引かれ、サユリに抱き抱えられる。それは思った以上に強い力で、ヒガンはぼんやりとする意識の中で彼女にイバラの面影を重ねる。
「イ、バラ」
「サユリだよっ!」
守られるようにぎゅう、と抱きしめられて、胸がやわらかくて、苦しくて──そのまま、二人は燃え盛る建物から飛び出したのだ。
花屋のビルが全焼する火事だったが、幸いなことに死人は居なかった。
***
「──がん、ひがん。ヒガンっ」
一度手放した意識を、取り戻したのもすぐだった。目を見開くと、瞳を大きく見開き、今にも泣きそうなサユリの姿。僕は助かったのだ。記憶違いじゃなければ──サユリの手で。
「ひがん!!」
答えを返す前に、むぎゅ、と抱きしめられる。すすけた彼女の体から、一緒に火の中を潜り抜けた香りがする。苦しかったけれど、助かった嬉しさの方が大きくて、ヒガンは「んむ」と声を漏らす。
「君が助けに行った二人も無事だ! がんばったなぁ、偉いぞ!」
救急隊員にそう言われ、ヒガンは「そ、そっか……」と返す。よかった。僕、偉かったんだ──おばあちゃん、喜んでくれるかな。
でも、それより今は、泣いて、無事を祝ってくれる、君のこと。
「さ、サユリ──ありがと。助けてくれて……」
「ううん! ヒガンが無事で本当によかった! ううぅ、ヒガン、ひがん〜っ」
泣き出しそうな振る舞いのサユリにぎゅううっと、さらに強く抱きしめられる。もう服は燃えきっていて、柔らかい胸が当たって、なんだか小っ恥ずかしい。
「愛されてるなぁ! さ、このまま病院に行こう。命に別状はなさそうだけど、しっかり検査してもらわないと。……おふたりも、それで大丈夫ですか?」
「はい、宜しくお願いします」
見ると、担架で運ばれる店長と彼女に寄り添うメモリアの姿。ヒガンは心配になったけれど、消防隊員の「無事だ」という言葉を思い出し冷静になる。
いまだにヒガンに抱き着いて離れないサユリの姿を認め、店長はうっすらとほほ笑んだ。
「よかった……無事だったのね、“小百合”ちゃん……」
その声は誰にも届かず、空気へ溶けていくのだった。
***
そのままヒガンたちはまどろみ町で一番大きな病院である、月並総合病院へ直行した。救急隊員の人から上着を借りて、サユリもどうにかそれっぽい見た目になっている(すす焼けているけど)。ヒガンもそこに着く頃にはだいぶ元気を取り戻していて、受け答えもしっかりしていた。
無事に火事も鎮火され、全てはひと段落、落ち着いたように見えた。
「────あれは」
病院ですれ違うメモリアの姿を認めた、群青色の髪の少年が、ぽつりと言葉をつぶやくまで。
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