第6話 好きになる理由
恐る恐る小林さんを見るとじっと焚き火を見つめていた。赤い火に照らされる顔は強く陰影がゆらめいて表情は良くわからない。今聞こえた言葉が本当に発せられたものなのか自分の妄想なのか分からなくなった。
「…相手もゲイじゃなきゃダメか」
独り言のようにそう呟いて注意深く薪をくべた。
「本気にしていいんですか」
「俺はお前にテキトーな事言った覚えはないけど」
組んでいた薪が燃えて崩れ、火が消えそうになる。
「あ、やば」小林さんが椅子から立ち上がったところを捕らえてキスをした。
火が消えて辺りが暗くなったせいで周りのキャンパーからは目隠しになった。
「別れて来てすぐにキスとか軽薄ですか?」
「その為に別れて来たんだろ?」
小林さんの表情は暗くて分からない。
「自信家ですね」
「おうよ」
背中に回した腕に力を込めて抱き寄せると、よろけて二人してマットの上に膝をついた。逃げないようにそのまま引き寄せ再びキスをする。ゆっくりと舌を差し込み口蓋を擦ると小林さんが喘いで俺をぐいと押し遣る。暗闇に目が慣れてきて見えた小林さんの表情は下を向いていて見えなかった。
「くは、お前、バカかよ」
「小林さん、好きです」
もう一度掻き抱いて唇を合わせた。
「人、来る…」顔を俯けて逃げる小林さんをそっと隠すように抱くと今度は腕の中で大人しくされていた。呼吸を整えるように、気持ちを整えるように少しの間身体を寄せてじっとしていた。
「火、消えちゃいましたね」
小林さんの視線が焚き火に移る。炭はまだちらちらと赤くすぐにも火が点きそうだった。
時間は深夜を回り、周囲のキャンパーも寝静まる時間だ。
「冷えますね。テント、入りませんか」
「言っとくけどもう何もしねーぞ」
小林さんはそう言って丹念に焚き火に水を掛けて火を消すと洗面用具を持って炊事場へ行ってしまった。
まさか今日こんな展開になるとは思ってもいなかった。小林さんはゲイでもなければバイでもない。どうして俺にそんな気持ちになったのだろう。まだ信じられず、いつものようにからかわれているような正直分からないことだらけだった。
入れ違いで俺も炊事場に向かう。歯を磨きながら星空を見上げて小林さんはここに来て独りでどんな夜を過ごしていたのだろうと思う。
敢えて人を寄せ付けない態度なのに気を許すと図々しいくらいに踏み込んでくる。
本当は人懐こくて、人恋しい人なのではないだろうか。孤高を気取りながら誰よりも誰かの近くにいたい人なのかもしれない。
テントに戻ると小林さんは寝袋に入り、上までびっちりファスナーを締めて隅っこに転がっていた。
「小林さん」
声を掛けたが返事はなかった。
「おやすみなさい」
背中に告げて寝袋に潜る。寝袋は初めてではなかったが、さっきの出来事が頭と身体を冴えさせ、うとうとしてきたのは夜明けが近づいてからだった。
目が覚めると小林さんは居なかった。
テントの外に出ると振り返って俺を認めると
「はよ」と言って口角を上げた。
「コーヒー淹れっから顔洗ってこいよ」
「はい」とだけ返事をして炊事場に向かう。昨夜とは打って変わって炊事場は賑やかだった。家族連れやカップルが楽しそうに朝食の支度をしている。
テントに戻るとコーヒーとホットサンドが用意されていた。
「小林さん」
呼ぶと目だけこちらに向ける。
「昨日のことなんですけど」
「…」
「小林さんは何で俺なんですか?」
「理由って必要?」
そう言ってよいしょと立ち上がった。
「俺はお前がいい。もしお前がダメならそれで終わり、それだけ」
「今まで男と付き合った事あるんですか?」
「いや」
「抵抗、ないですか?」
「お前、勘違いしてるみたいだから言っとくけど、俺はお前だからいいって言ってんだよ。他の野郎とか今までもこの先も興味ねえの、分かれバカ」
言葉は強いが、少し声が震えていた。きっとその気持ちを受け容れるのに葛藤もあっただろう。特にクローズの俺からすれば告白なんて、相手の気持ちにある程度確証が取れてからでないとなかなか出来ない。
俺からも思わせぶりな事をしたかもしれない。アユムのことがあったばかりなのに、それなのにまた俺は繰り返す。
「おい、聞いてんのかよ。人に小っ恥ずかしいこと言わせといて放置かよ」
「小林さん、座ってください」
椅子を並べると素直に座った。
「俺、結構前から、多分去年一緒に仕事した時からあなたに惹かれてました。でもゲイだって知られるのが怖くて、知られてからも嫌われたんじゃないかって怖くて、いつも俺は狡いんです。」
「保身は悪い事じゃねえだろ。どっちが先かとかなんて明日にはどうでもいい事になってるし」
小林さんは火を消して、囲っていた石を崩した。
「以千佳ちゃん、キャンプも悪くないだろ?」
そう言って俺の髪をくしゃりとかき混ぜた。
「はい」
ああ、この人が好きだ。胸の奥がギュッと痛くなった。
タープとテントを畳み車に積み込む。荷物は少ない。あっという間に全て積み込むと車に乗り込んだ。
「あの、精算とか」と言うと今日はお試しだから奢りだという。そうは行かないと言うと
「じゃあまた一緒に行ってくれたらいい」と言って俺を黙らせる。この人も大概だ。
「じゃあ次は俺が全部出しますから!」
「以千佳ちゃんの安月給で払えるかな」
帰りの道は空いていてあっという間に着いてしまう。俺のマンションの前でミニバンは止まった。
「あんま寝れてないだろ?ちゃんと昼寝しろよ」
窓越しに余ったビールを一本手渡される。小林さんの乗った車は交差点を曲がり、すぐに見えなくなった。
混乱していてキャンプの前の頃からのやり取りを時系列で辿ろうとしたが、そのままあえなくソファで夕方までぐっすり眠ってしまった。夕食を買い置きのカップラーメンで済ませると「キャンプの方がマトモな食事だな」と笑った。
メッセージなどは何も来ておらず、開いたスマホでそのまま昨日撮った写真を眺める。1枚だけタープの下で本を読む小林さんの写真が撮れていた。相変わらず邪魔そうな前髪を垂らし伏し目がちに本に目を落とす横顔はとても美しかった。
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